Hanacell

世界を動かすビジネスリーダーに聞く!ドイツ発グローバル時代を生き抜くチカラ

海外進出が、大企業だけではなく、中小企業や個人にとっても必要不可欠な選択肢となっている時代。欧州の中心部に位置する地の利を活かして、ドイツを活躍の拠点としているビジネスパーソンが見いだした海外での挑戦の意義や魅力とは?


第2回

技術力で世界を変えるベッコフ・ジャパンの社長
川野俊充川野 俊充
Mr Toshimitsu Kawano

プロフィール


1998年、東京大学理学部物理学科を卒業後、日本ヒューレットパッカード社に入社。2003年にはカリフォルニア大学バークレー校ハース経営大学院経営学修士(MBA)を取得。日本ナショナルインスツルメンツ社を経て、2011年からベッコフオートメーションの日本法人の代表取締役社長に就任。

産業界の最注目キーワード「インダストリー4.0」。 ドイツが推進するこの第4次産業革命の中で重要な役割を果たす「自動制御」の技術を持つベッコフオートメーションが日本に進出したのは2011年3月のこと。その立ち上げの指揮を執ったのが川野俊充さんだ。

惚れ込むチカラ

「ベッコフオートメーション(以下、ベッコフ)が、今後グローバルに成功していくには、日本での実績が不可欠。世界一難しいマーケットである日本で認められたら、世界のどこに行っても売れる自信がある」「その、日本での実績を作るというミッションを君にやってほしい」。そう言われて、「ノーと言ったら、男が廃りますよ」と、川野さんは、ベッコフの創業者ハンス・ベッコフとの出会いを振り返る。

ハンス・ベッコフは、1980年代にノルトライン=ヴェストファーレン州フェアルの自宅ガレージで1人で事業を起こし、その後、35年で「ベッコフ」を全世界に3000人の従業人を抱える700億円規模のビジネスに成長させた人物。川野さんがこの会社を知ったとき、まず目を見張ったのがベッコフの持つ要素技術。「非常に洗練された技術で、この技術は世の中を変えられる」と確信。さらに、「地球規模の課題を解決するための技術や商品を開発するという、起業者のブレない考え方や経営方針に共感し、また多くを学びました。ベッコフの技術にも、オーナーにも、惚れ込んでしまったんです」。この縁があって、2010年の秋から川野さんは、ベッコフの日本法人の立ち上げに奔走することになった。

日本企業で働いたことはなく、米系企業での経験やMBA 的な世界のビジネスを見てきた川野さんにとって、ドイツ特有のミッテルシュタント(中堅企業)的な経営手法や雰囲気はとても新鮮だったという。「本社のある町フェアルの人との関係や、地元のスポーツチームを応援し、教育機関と密に連携を取るこういう関係があるのも良いなと思いました」

必ず解決策はあると信じるチカラ

ドイツ企業の日本進出を進めるにあたっては、様々な壁にぶち当たった。「しきたりや慣習、信用や実績の作り方など、日本には独自のルールがある」。オフィスを借りる際に、会社の所有者の印鑑証明が必要なら、相手が印鑑文化のないドイツ人でも必須だと言われる。日本での当たり前の条件を満たすことが、それ以外の国の人にとっては超難題。普段、日本人として生活をしている上では全く意識することのなかった、「違い」に対応していく中で、「まさに世界一難しい国!」と立ち上げ前から、痛感した。

川野俊充
ベッコフオートメーションの川野社長(右から2番目)と、
創業者ハンス・ベッコフ氏(左から2番目)

様々な難関を越え、いよいよオフィスのオープンを2011 年3月14日の月曜日に定めて、横浜のオフィスに家具などを搬入していた金曜日、大きな揺れを体感。3月11日、東日本大震災が発生したのだ。週明け、ベッコフの日本法人立ち上げの初日、社長である川野さんの最初のミッションは、社員全員に「自宅待機」を命じることだった。

「今でこそ、こうドラマチックにお話しできるんですが」と、震災直後は営業活動ができるような雰囲気ではもちろんなく、言いようのない苦労があった。そこに、初めてお客さんから掛かってきた電話は、支援依頼。「震災で壊れた機械を開けてみたら、BECKHOFFと書いてあって。あの、スペアパーツが欲しいんです!」と。至急、ドイツの本社に電話すると、全力で支援すると約束してくれ、在庫のないパーツだったが、使用中の機器からそのパーツを抜き取って日本に送ってくれた。「ドイツから届きましたよ!」とすぐに電話して「ありがとうございましたー!!」と喜びの声を聞く。「ああ、ビジネスや信頼関係ってこういうところから始まっていくんだな、という強烈な原体験を味わいました」。

原体験というと、もう一つ。川野さんは3歳のある日、家族の仕事の関係でメキシコに引っ越すことになった。外国という概念も持ち合わせていなかった幼少期の異文化体験は、まさにショック。しかし、子供だったこともあり、すぐにスペイン語を習得。外国や、外国語に対する苦手意識がなくなった。

「新しい挑戦をポジティブに楽しむことができれば最強」と前を向く川野さんは、どんな状況でも、やるべきことに真摯に取り組んでいけば、必ず解決できると信じられる力を持っている。

常識を疑うチカラ

ベッコフ・ジャパンの立ち上げから5年を振り返ると? 「仕事が、面白くてしょうがない!」と川野さん。「ベッコフの技術や商品が、非常にユニークなんです。万人ウケする商品ではありませんが、だからこそ、先進的なことをされようとしているお客様との刺激的な出会いがあります」。

「ずっとこのやり方でやってきたから、とか、業界の常識の延長にイノベーションはありません。新しい技術を取り入れようとするとき、一番の障壁は、自分の中にある常識や慣習かもしれませんね」、「自分にしかできないことは何か、常識にとらわれず、新しい未来を作って欲しい」と、世界に挑む挑戦者に声援を送る。

 
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