伝説のハンザ・スタジオ
ベルリン中心部のポツダム広場は、この街の栄光と挫折を知る場所だ。ここ10年で未来都市のように生まれ変わり、東西分断時代の荒野のような光景を想像するのはもはや難しくなった。そのすぐ南のケーテナー通りを歩くと、周囲とは異彩を放つように戦前の重厚な建物が見えてくる。これは「マイスターザール」と呼ばれる往年の舞踏会場で、今回の舞台「ハンザ音響スタジオ(Hansa Tonstudio)」はその中にある。
1964年にマイゼル兄弟によって設立されたハンザ・スタジオは、72年に現在のケーテナー通りに移転してきた。ベルリンの壁のそばにあったことから「Hansa by the Wall」と呼ばれ、数々のレコーディングが行われた伝説のスタジオだ。
18年前からここで音響技師として働いているアレックス・ヴェンデさんに話を聞いた。当初、スタジオは全部で6つあり、スタジオ1と大きなマイスターザールの二つがメーンスタジオとして使われていた。後者は93年、戦前の雰囲気を残すイベント会場として復活し、スタジオとして使われることはなくなったものの、現在も大小3つのスタジオが多くのミュージシャンに愛用されている。7月までの予約は完全に埋まっているのだそうだ。
それにしてもなぜ当時、こんな辺ぴな場所が録音会場に選ばれたのだろうか?
「理由は簡単だよ。ここがとても静かだったからだ。周囲には何もなかったし、200メートル歩けばもう壁。アーティストはレコーディングに集中することができた。そして間違いなく、この特異な環境が彼らにインスピレーションを与えたのだろうね」
77年、西ベルリンに滞在していたデヴィッド・ボウイは、壁際にたたずむ恋人に着想を得て、名曲「ヒーローズ(Heroes)」を書き、ハンザ・スタジオで録音した。ベルリンの壁崩壊直後の90年にはU2が「アクトン・ベイビー(Achtung Baby)」を、その他イギー・ポップ、デペッシュ・モードなど、ここでレコーディングをした名だたるアーティストを挙げると枚挙にいとまがない。
ヴェンデさんはミックスルームも見せてくれた。
「ここから一体、何曲のヒットソングが生まれたことか。大きなミキサーは80年に約140万マルクで購入したそうで、見た目は古いけれどクオリティーは本当にすばらしい。今ならきっと、ものすごい価格がつくだろうね」
スタジオを後にすると、周囲の風景がそれまでとは少し違って見えてきた。マイスターザールの周りは建物が乱立し、今では空き地を探すのさえ難しい。この近くにほぼ唯一残っていたオリジナルの壁も、2年前に取り壊されてしまった。だが、東西分断時代のベルリンだけが持っていたあの空気感のようなものは、例えばデヴィッド・ボウイという稀有なアーティストとハンザ・スタジオとの出会いによって、音として永遠に遺されることになったのだ。