メンデルスゾーンと壁崩壊の関係
連邦大統領府儀典長マルティン・レーア氏の執務室には、作曲家フェリックス・メンデルスゾーンの胸像が飾られている。ある日の午後、この胸像と19年前のベルリンでの出来事にまつわる数奇な話を氏から伺った。
話はベルリンが建都750周年を祝った1987年にさかのぼります。この年、ロンドン市長が西ベルリン市長を訪問しました。その際、シェークスピアの胸像がロンドン市長から贈られたのです。当時、西ベルリン市の儀典部門に勤めていた私は、そのお返しとしてメンデルスゾーンの胸像を贈ってはどうかと提案しました。メンデルスゾーンはベルリンに縁の深い作曲家ですし、一方でロンドンのセントポール大聖堂のオルガニストを勤めた時期もありますから。この提案は受け入れられ、ベルリンの国立図書館が所有する1848年製のオリジナルの胸像のレプリカを製作することになりました。注意深く型を取り、贈り物用の像を作る前にまず石膏で試作。それがここにある胸像なのですが、なぜ私の仕事部屋にあるのかは後でお話しましょう。
やがて胸像は無事完成し、当時の西ベルリン市長ヴァルター・モンパー氏がロンドンを訪問する機会がやってきます。それが1989年11月9日でした。この日、ロンドン市長の官邸であるマンション・ハウス近くのバービカンセンターに関係者が出席し、胸像の除幕式が華々しく行われることになりました。ところが、ベルリンの事態が急変し、モンパー氏は2日前になって予定をキャンセル。代わりに夫人がロンドンに送られることになったのです。私もそれに同行しました。
11月9日の式典にはロンドン市長も臨席し、モンパー夫人と共に挨拶しました。その後は確かロンドン・フィルによるコンサートで、夜は歓迎の食事会がありました。
翌朝、ホテルの部屋のテレビを付けると、いきなり飛び込んできたのがベルリンの映像。私はすぐにモンパー夫人の部屋に電話しました。「モンパーさん、今すぐテレビを付けてください! ベルリンの壁の上で人が踊っています」
夫人はちょうど寝起きだったせいか、tanzen(踊る)という単語をPanzer(戦車)と聞き間違え、ベルリンが流血の事態になったのではないかと一瞬ぎょっとしました。しかし、すぐに私が言わんとしたことを理解したようでした。私たちは一緒にテレビを見て、喜びのあまり激しく泣いたのです。
試作用に作ったこのメンデルスゾーンの胸像は、本来ならば取り壊さなければならなかったのですが、幸いなことに私が所持することを許されました。私の職場はその後、ベルリン市からブランデンブルク州、ベルリン芸術アカデミー、そして現在の大統領府へと移ったのですが、このメンデルスゾーンはその都度私の仕事部屋に飾っています。そして、それを見るたびに、1989年11月9日を思い出すのです。(談)
来年2009年はベルリンの壁崩壊からちょうど20年。同時に、メンデルスゾーンの生誕200年という記念の年でもある。