アネッテ・ダッシュのサロン・コンサート
クラシック音楽シーンで、アネッテ・ダッシュ(Annette Dasch)という名前を最近よく耳にする。ダッシュはベルリン生まれの若手ソプラノ歌手。豊かな声と容姿にも恵まれ、若くしてすでに各地の歌劇場で活躍してきたが、2007年にザルツブルク音楽祭でハイドンのオペラ《アルミーダ》のタイトルロールを歌って成功を収め、一躍注目を集めるようになった。ザルツブルクには今夏も《ドン・ジョヴァンニ》のドンナ・アンナ役で招かれ、つい最近はドイツの権威あるレコード賞である「Echo Klassik 2008」のオペラ・アリア部門で受賞するなど、まさに縦横無尽の活躍ぶりを見せている。
世界的な名声を築きつつあるダッシュだが、もう1つ、生まれ故郷のベルリンで力を入れている活動がある。シュプレー河畔にあるアートスペース「Radialsystem V」で、今年から定期的に開催している「ダッシュ・サロン」(Annettes DaschSalon)だ。これはドイツ語で「コインランドリー」を意味する「Wasch Salon」と掛けた造語。普通のリートコンサートとは一味違うというので、11月に行われたコンサートに足を運んでみた。
会場の舞台にはソファーや調度品などが置かれ、くつろいだ雰囲気が醸し出されている。やがてそこに、やや緊張した面持ちでダッシュは登場し、シューベルトの「さすらい人が月に寄せて」を冒頭に歌った。この日のプログラムは、ブラームス、R.シュトラウス、フォーレ、シマノフスキといった作曲家の、「月」にまつわる曲ばかりが選ばれた。ダッシュ自身は歌うのみならず、マイクを持ってホスト役にもなり、屈託のない笑顔でゲスト出演者とのトークを楽しみ、時には音楽の解説もする。この日共演したピアニストで妹のカトリン・ダッシュやソプラノのアンナ・プロハスカ、バリトンのディートリヒ・ヘンシェルといった人たちは、ダッシュと個人的なつながりがある人ばかり。私も、彼女の自宅に招かれてサロン・コンサートを楽しんでいるような気分になった。合間には、ダッシュが客席にやって来て一緒に詩を朗読したり、観客全員が4声に分かれてドイツの民謡を歌ったりと、聴き手側も参加できるのが面白い。プログラムの最後に置かれた、シューマンの「月の夜」での静謐な歌も印象的だった。
「出演するオペラ劇場が大きくなるにつれ、自分たちのしていることが匿名性を帯びてくる」と彼女はインタビューで語っている。自ら「ホームグラウンド」と呼ぶベルリンで親しい友人や同僚、親戚を招き、お客さんの顔の見える距離で歌うこのサロン・コンサートは、ダッシュ自身にとっても歌うことの楽しさを再確認させてくれる大事な場なのだと思った。
多忙を極めるアネッテ・ダッシュは、2012年までスケジュールがいっぱいだという。だが、「ダッシュ・サロン」での彼女を見ている限り、「気高いプリマドンナ」というイメージとは今後も無縁であり続けそうだ。