ベルリンと走り続けた音
当連載の最後にあたって、筆者の知人で生粋のベルリンっ子のFさんに、「あなたの記憶と深く結びついた『ベルリンの音』は何ですか?」と聞いてみた。
1939年生まれのFさんは間髪を入れずにこう答えた。「Sバーンのブレーキ音だよ。あれは他の街では聴けないベルリンの典型的な騒音だった」
東西分断時代、ベルリンのSバーンは特殊な状況下にあった。第2次大戦後、連合国の指令によりベルリンのSバーンは一括して東ドイツ国鉄ライヒスバーンの管轄化に置かれた。それにより、たとえ西ベルリン領内を走る列車であっても収益は東側に渡ることになったのだ。
西ベルリンの人々の心境は複雑だった。1961年に壁ができると、彼らはSバーンの利用をボイコットして抗議の意思を示した。いくつかの路線は廃止され、駅は荒れ果てた。西側で運行していたのは2つの路線のみ。それでも車内は常時ガラガラだったという。
筆者と同世代のWさんは、ユーモアを交えてこう振り返る。「でも乗る人が少なかったお陰で、車両は長持ちしたと言えるかもしれませんね」。実際、1930年代から40年代にかけて製造されたSバーンは、修理も満足になされないまま走り続けた。この旧型のSバーンが完全に引退したのは、つい最近の2003年になってからである。一体どんな音がしたのか。自分も乗ったことがあるはずだが、もはや記憶から薄れている。
そんな折、クリスマス用の特別列車として古いSバーンが運行されるという情報を知り、大勢の子どもたちに混じって乗ってみることにした。硬い手動のドアに木製の椅子。そうそう、確かにそうだった。列車が走り出すと、うなるような独特の加速音が床の底から響いてくる。だが、肝心のブレーキ音は周りの雑音に埋もれて思っていたよりも存在感がなかった。Fさんの言う「ブレーキ音」は、東西分断下のくたびれた交通インフラ状況の中で醸し出された音であって、手入れの行き届いた保存列車では、もはや望むべくもないのかもしれない。
マンフレード・シュトルペ元連邦交通大臣が、かつてのSバーンの音についてこう回想している。
「この古い列車が消えるとともに、慣れ親しんだ物音が聞こえなくなりました。ベルリンを、あらゆる破壊を超えて、ぎこちないテーマ音楽のように1つに結びつけていた騒音が消えてしまったのです」(「ベルリン〈記憶の場所〉を辿る旅」(昭和堂)より)
現在走っている最新型のSバーンからは、もはやこの音を聞くことはできない。だが、分断時代のベルリンを生きた人には、今も記憶のどこかに通奏低音のごとく流れている身近な音なのかもしれない。
カイザー・ヴィルヘルム記念教会の鐘の音から始まった当連載は、ベルリンのさまざまな響きを経て、この失われたSバーンの音をもってひとまず終わりとなります。最後までお付き合いいただき、どうもありがとうございました。