ジャパンダイジェスト

カラヤンを支えた名コンサートマスター

今年は指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤン(Herbert von Karajan、1908~1989)の生誕100年に当たる。各種CDが復刻発売されるほか、ゆかりの地では記念コンサートが予定されている。カラヤンが指揮したベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏が、20世紀後半以降のクラシック音楽に及ぼした影響は計り知れない。この黄金期を約30年にわたって支え続けた往年のコンサートマスター、ミシェル・シュヴァルベ(Michel Schwalbé)氏にベルリン・ダーレムの自宅で話を伺った。

カーテンコール
ロンドン公演後のカーテンコールで、カラヤン(右)といっしょに

シュヴァルベ氏は現在88歳。しかし、いったん話し始めると、その鋭い眼光とエネルギーに圧倒される。7カ国語を流暢に使いこなし、頭の回転の速さにも驚くばかりだ。1957年のベルリン・フィル初来日以来、無類の日本好きでもある。氏の歩みは、ヨーロッパの歴史そのものといえる。両親は現在のウクライナに住んでいたが、ロシア革命を逃れて1000キロ以上“歩いて”ポーランドに渡った。1919年にそこで生を受ける。9歳でバイオリンを始めるやいなや、たちまち神童として名を轟かせ、12歳でワルシャワ音楽院を卒業、その後パリに留学。国際コンクールで優勝するなど輝かしいキャリアをスタートさせたが、第二次世界大戦により南フランス、次いでスイスへ逃れた。

カラヤンとの出会いは、戦後まだ間もないスイスのルツェルン音楽祭にて。その後、ベルリン・フィルの指揮者となったばかりのカラヤンから、コンサートマスターになってもらえないかと要請を受けた。

「私は当時、教授やコンサートマスターなど、5つの職を兼任していた。すでにスイスは自分にとって第3の故郷となっていたし、彼らも私を引き留めるのに必死だったよ。最終的にベルリン行きを決断させたのは、音楽への愛とカラヤンという磁力の存在だった。
彼は、私が出会った指揮者のなかで最大の天才だ。初めて会ったときからその能力に惚れ込んでしまった。音楽的才能、敏捷性、首尾一貫性、賢明さなどで私を驚かせただけでなく、人間的にもこのうえなく愛していたよ。私たちはほかのだれよりもお互いを理解し合っていた。ウィーン・フィルなどが私を引き抜こうとしたけれど、彼とベルリン・フィルへの強い忠誠心ゆえ、西ベルリンという政治的に不安定な街に留まったんだ。彼も、私が病気で参加できないときにはレコーディングを中止するほど私を信頼していたし、私の意見にはいつも耳を傾けた。彼との信頼関係は最後まで変わらなかった」

ドイツ在住は50年になり、「もう一つの家」だというベルリン・フィルの演奏会には、杖をつきながらいまでもほぼ毎回聴きに出かけているシュヴァルベ氏。若い人に何かを遺したいという思いが強く、昨年1月には自宅を訪れたヴァイツゼッカー元大統領と、ヨーロッパ、特にドイツやポーランドの若者の将来について2時間にわたって議論したという。

「音楽は人間の思考力や感情表現の成長に、計り知れないほどいい影響を及ぼす。私はいまでも若い人々に音楽を教えることに熱意を持っているし、彼らのために何ができるかいつも考えているんだ」

 
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中村さん中村真人(なかむらまさと) 神奈川県横須賀市出身。早稲田大学第一文学部を卒業後、2000年よりベルリン在住。現在はフリーのライター。著書に『ベルリンガイドブック』(学研プラス)など。
ブログ「ベルリン中央駅」 http://berlinhbf.com
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