復活する壁ギャラリー
「イースト・サイド・ギャラリー」、今も残る壁の遺構の中で最も知られたものだろう。まだ壁が崩壊して数カ月後の1990年1月、イギリス大使館の元文化担当官クリス・マクリーンが発起人となって、21カ国118人のアーティストが壁に沿って絵を描いた。オーバーバウム橋から東駅まで全長1300メートルにわたって続く壁は、やがて世界最長のオープンギャラリーとして保存されることになったのである。
時の経過とともに、排気ガスや観光客の落書きによる壁と絵の破損はひどくなり、もはやギャラリーとは呼べない状態が続いていた。それでも市内に残る最長の壁ゆえ、観光客の流れが途絶えることはなかった。
先日、久々にイースト・サイド・ギャラリーに沿って歩いてみた。今までと様子が違う。ぼろぼろの壁がある一方で、まっさらな状態に戻された壁もあれば、描かれたばかりの鮮やかな絵もある。壁崩壊20周年の今年、壁に沿った105枚の絵がかつてのアーティストによって元の姿のまま描き直されることになったのだ。
イースト・サイド・ギャラリーを運営する芸術家団体が、宝くじ基金や連邦や州からの援助を通じて250万ユーロの資金を集め、今回の修復が実現した。最初に80℃の蒸気で壁面からすべての色を取り除き、むき出しの壁にコンクリートが強化された。その上に、今度は風化にも耐えられるよう、特殊な絵の具を使って描かれるという。ただ、アーティストには3000ユーロの製作に関する手当が支払われるのみで、ギャラは出ない。そのことに対して不満の声もあったようだ。
ソ連のブレジネフと東ドイツのホーネッカーがキスをするシーンを描いた「兄弟キス」も、ロシア人作家ドミトリー・ヴルーベリによって製作が終わったばかり。この絵は絵ハガキやマグカップのモチーフにしばしば用いられ、ヴルーベリはそれによって有名になった。だが、「ドイツでは公共の場に描かれたイラストレーションは著作権の対象外になるため、自分のもとには一銭も入ってこないのだ」と彼はシュピーゲル誌のインタビューで答えている。
また、トラバントが壁を突き抜けて飛び込んでくるビルギット・キンダーの「Test the Best」や、富士山と五重塔をモチーフにしたトーマス・クリンゲンシュタインの「日本への迂回路」も同様に蘇った。人々を分断し続けた壁に描かれただけあって、「自由」や「ユートピア」をテーマにした作品が多く並ぶ。19年前に描いた時と、どのような心境の変化があったのか、彼らに直接聞いてみたい気がする。
10月までに絵の修復はすべて終わり、壁崩壊記念日の翌11月10日にオープニング式典が行われる予定だ。イースト・サイド・ギャラリーの芸術家団体は、ヴォーヴェライト市長の傘下で、同所を「ドイツ統一のシンボル、ヨーロッパの歴史の重要な証言者」として、世界遺産登録の申請を開始した。