「働いても働いても生活が苦しい」「失業手当をもらった方がマシ」──。低賃金労働者が増え、ワーキングプア問題が深刻化する中、ドイツ労働組合総同盟(DGB)が時給8.50ユーロの法定最低賃金の導入を要求している。なぜドイツで今、最低賃金が必要なのか。そしてなぜ、これまで導入されずにきたのか。今回は最低賃金の是非について見ていこう。
ドイツの最低賃金
最低賃金は、賃金の下限を法令によって定めることで賃金ダンピングを防ぎ、国民が公的支援を必要とせずに賃金だけで生活できるよう保障するもの。欧州連合(EU)加盟27カ国のうち20カ国で導入されているなど、ほとんどの国で制定されている。最低賃金は物価や平均賃金などから算出されており、その下限額は国によってさまざま。西欧諸国では平均約8.40ユーロ、日本では地域によって差はあるが、700円程度となっている。
一方、ドイツには法定最低賃金制度はない。雇用主と賃金交渉を行う労働組合の力が強いことが、理由の1つとして挙げられよう。とはいっても、賃金の安い国外から多くの労働力が送り込まれてくる建築業など一部の業種では、「労働者派遣法(→用語説明)」に関連して、最低賃金が設定されている。ただし下限額は業種、職種によって、また地域によってまちまちで、全産業をカバーする他国の法定最低賃金制度とは異なるものとなっている。
最低賃金制度の必要性
しかしEUの拡大やグローバル化が進む今日、安い労働力は建築業に限らず、さまざまな産業で増加。国内の労働者でも仕事にありつくためは、低賃金の労働条件を受け入れざるを得ない状態で、賃金ダンピング、ワーキングプアが進行しているのだ。こうして、低賃金のため生活難に陥っている国民は労働者全体の12%、約250万人に上るという。最近では国内最大のドラッグストア・チェーン、シュレッカーが従業員の雇用形態を非正規にし、同じ仕事を安い賃金でやらせていることが問題になった。
DGBはこの問題を解決するため、2006年から当時与党だった社会民主党(SPD)などとともに、全産業で時給7.50ユーロの法定最低賃金制度の導入を求めてきた。このほど、それを8.50ユーロに引き上げたのは、物価の上昇や西欧諸国の水準に合わせるため。DGBは、労働を正しく評価することで労働者の意欲を高め、人件費削減という不公平な形ではなく、商品やサービスの質で公正な競争が行われなければならないと主張。同時に、「生活保護を必要とする国民が減少し、歳出も減る」「賃金アップで消費者の需要が増え、景気が良くなる」などの利点も挙げ、最低賃金制度の必要性を改めて強調した。
©Quelle: DGB/Jürgen Seidel
反対と今後の課題
しかし、現在の与党であるキリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)と自由民主党(FDP)、およびドイツ商工会議所(DIHK)は、最低賃金制度に「反対」の立場を取っている。最低賃金の導入によって人員削減を余儀なくされる企業が増え、失業者が増えると懸念しているのだ。実際問題として、2008年から最低賃金が導入された郵便サービス業で、業界2位のPINが人件費を支払えなくなり、破産申請に至ったケースもある。
しかしDGBは、最低賃金制度が原因で失業者が増えた国はないとして、これに反論。SPDも、失業手当引き上げの可能性が取りざたされている中、最低賃金も設定するべきだとし、DGBに倣い、要求額を8.50ユーロに引き上げた。さらにディスカウント・スーパー・チェーンのリードルは、小売業も最低賃金制度を導入すべきとの考えを明らかにしている。リードルは従業員への待遇が悪いことで知られており、批評家などからは「イメージアップのため」という指摘も上がってはいるが、最低賃金制度の導入に向けた動きが各方面で進んでいることは確かだと言える。来年5月からは、東欧などからの労働者がドイツに出入りすることが完全に自由化される。最低賃金を唱える声は、今後さらに高まるに違いない。
【図表】各国の法定最低賃金(2010年1月現在)
Quelle: DGB *最低賃金制を導入していないデンマーク、
スウェーデン、フィンランド、イタリアでは、代わりとなる
システムで賃金ダンピングを防いでいる。
◇ 道路清掃、除雪作業を含むごみ処理業
全国:8.02ユーロ
◇ 建築業
西側地域およびベルリン:10.80~12.90ユーロ (職種により異なる)
東側地域 :9.25ユーロ
◇ 石炭鉱業における特殊業
全国:11.17~12.41ユーロ
◇ 電気工事業
西:9.60ユーロ
東およびベルリン:8.20ユーロ
◇ 塗装工業
西およびベルリン:9.50~11.25ユーロ
東:9.50ユーロ
◇ 企業などを対象としたクリーニング業
西:7.51ユーロ
東:6.36ユーロ
◇ 建造物清掃業
西:8.40~11.13ユーロ
東:6.83~8.66ユーロ
【判例】 郵便業での最低賃金は「違憲」
ライプツィヒの連邦行政裁判所は1月28日、郵便サービス業における最低賃金制度は違憲とする判決を下した。同制度の導入で、新規参入会社の権利が侵害されたことを理由としている。業界ダントツ1位のドイチェ・ポストに対抗するライバル会社は判決を受け、相次いで賃金を引き下げる方針を発表した。郵便事業における最低賃金制度は同事業の自由化に伴い、2008年1月に導入された。導入時の最低賃金は時給8~9.8ユーロ。しかし、時給7ユーロ程度で別の労組と賃金協定を結んでいたPINやTNTなどの新規参入会社は、高すぎるとして反対していた。実際、最低賃金の導入によって人件費が支払えなくなり、大規模な人員削減を強いられることになった。一方、ドイチェ・ポストは事実上の独占を取り戻した形となっている。労働組合は今回の違憲判決で、同業における賃金ダンピングを警告し、最低賃金制度を維持するよう要求。しかし現時点では効力が失われたまま、今後の見通しは立っていない状態となっている。
労働者派遣法
Arbeitnehmer - Entsendegesetz=AEntG
<参考文献>
■ Deutscher Gewerkschaftsbund(DGB)
■ Bundesministerium für Arbeit und Soziales
■ Die Tagesschau erklärt die Wirtschaft(Rowohlt Verlag)
■ Die Welt "GB will gesetzlichen Mindestlohn von 8,50 Euro"(21.02.2010)ほか
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