先日、面白いビールを飲みました。モーツァルトの音楽を聴かせて造ったというビールです。なんでも発酵中にモーツァルトの音楽を聴いた酵母はより元気になり、味がまろやかになるのだとか。調べてみると、この方法が乳牛や野菜の成育、チーズや醤油の熟成にも使われていることが分かりました。音楽療法の世界では、モーツァルトの楽曲に特有の揺れや高周波が癒しの効果を持つと言われています。彼が生きた時代から200年以上を経た今、彼の音楽がこれほど多くの分野で持てはやされていようとは、当時は誰も想像していなかったでしょうね。
モーツァルトは1756年、現オーストリア・ザルツブルクに生まれました。その時代、当地では乳幼児にビールやワインで煮たパン粥やスープを与える風習がありました。乳幼児にビールだなんて今では考えられませんが、ビールで造る治療食やスープのレシピが残っていることから、当時はこれが滋養豊かな健康食だったことがうかがえます。母乳で育てられなかったモーツァルトも、きっとこのようなベビーフードで育ったと考えられます。彼にとってビールは音楽同様、幼い頃から慣れ親しんだ兄弟のようなものだったのでしょう。成人してからもビールは彼の好物でした。
ウィーン中央墓地のモーツァルト記念碑(中央)。
左はベートーヴェン、右はシューベルトの墓
モーツァルトの父レオポルトは、早くから神童としての兆しを示した息子の音楽の才能を伸ばそうと、一家総出で演奏旅行を繰り返しました。モーツァルトは生涯で18回旅をし、訪れた地はミュンヘンを皮切りに9カ国200都市以上に上りました。35年の人生の実に3分の1、10年2カ月間を旅の空で過ごしています。好奇心が旺盛だったモーツァルトは、行く先々で美味しいものを飲み、食べていました。
「彼が旅をした頃のドイツでは、その土地の材料を使った多種多様なビールが醸造されていました。領邦国家の集まりであったドイツでは、他地域から簡単に原料を仕入れることができなかったためです。ホップの代用品として土地のハーブ類も使われていました。ビール純粋令(ビールの原料を水、麦芽、ホップ、酵母に限定する法律)は、まだバイエルンだけのものでした。
モーツァルトが25歳から拠点を置いたウィーンでは、ビールよりもワインが主流で、成人は1日にワインを半ガロン(1ガロンは約4.5ℓ)も飲んでいたと推計されています。彼もこの時期、よくワインを飲んでおり、仕事に行き詰まったときはブランデーかラム酒に果汁を加えた強いパンチ酒をあおっていました。彼が35歳の若さで他界したとき、その死因については毒殺説やリウマチ説が囁かれていましたが、もう1つ、最期の年に足繁く通っていたビアホールで出されたシュニッツェル(豚のカツレツ)に潜んでいた旋毛虫が命取りになったという説もあります。共同墓地に運ばれるモーツァルトを最後まで見送ったのは、このビアホールの給仕でした。
もしモーツァルトがもう少し長く生きていたら、ビールも喜ぶ音楽をもっと世に生み出していたかもしれませんね。
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