ジャパンダイジェスト

Nr. 30 ドイツの不登校問題

過渡期にあるドイツの学校では、家庭や社会からの圧力が増し、競争が激しくなるにつれて登校拒否のような問題は起こらないのだろうか。思えば日本で頻繁に耳にした“不登校”という言葉が、ドイツ生活の中ではあまり話題にならない。そう思っていた矢先、私の娘の親友Kが不登校(Schulangst)になりました。Kは幼稚園の頃から面倒見の良いドイツっ子で、何も話さない我が子にドイツ語を教えてくれたりした、やさしい女の子でした。Kが不登校になったのは5年生の時。ドイツで5年生といえば、小学校を卒業して、それぞれが3分岐の新たな学校に入学にする時期(4年制の場合)です。当時のKはレアールシューレ(実科学校)に進学する予定でしたが、理系科目がとても強かったためにギムナジウムに進みました。

新学期が始まってしばらくすると、Kは頭痛を訴えるようになりました。頭が割れるように痛く、気分も悪い。そのため学校を早退することに。学校には保健室がないので、帰宅するしかありません。医者に診てもらいますが、原因は分からない。おそらく偏頭痛だろうと処方された薬を飲んでも改善の様子は見られず、そのうちにベッドから全く起き上がれないほど症状が悪化。大きな病院で“日光過敏症”と診断され、6週間入院することになりました。

ドイツで子育て&教育相談所
イラスト: © Maki Shimizu

しばらく休学すると元気を取り戻し、再び登校できるようになりました。けれども今度は少し変わった行動を取るようになりました。テストになると腹痛を訴えて帰宅するのです。登校しても、テストがあれば必ずその授業が始まる前に自主早退。それがどんなに小さなテストであっても、受けずに帰ります。そして後日、別室にて1人で追試を受けるようになりました。そうしたことを繰り返し、ついにKは1学期の間、一度もクラスメートと一緒にテストを受けませんでした。クラスの友人たちは彼女のことを「サボりだ」「ずるい」と言うようになります。

その後、Kの成績は急降下して、担任教師と両親の話し合いが何度も持たれました。1年落第するか、それともレアールシューレに転校するかの選択を迫られたのです。そして6年生の卒業と同時に、レアールシューレに転校していきました。

ドイツで子育て&教育相談所
イラスト: © Maki Shimizu

Kは本を読むのが好きで、特に興味のある分野に関しては博識でした。ただ暗記が苦手で英語の単語はなかなか覚えられず、ラテン語の単語テストも0点。ドイツ語のスペルにもミスが目立ちました。それでも、もし学校に保健室があれば、早退することなくテストを保健室でリアルタイムに受けるとか、もしくは気分が良くなったら、また教室に戻ることもできたと思うのです。

この学校では子どものメンタル面の弱さにはあまり干渉せず、あくまでプライベートなこととして処理していました。担当教師には家庭訪問という発想がなく、両親との話し合いは、進級できないという学力低下問題のために行われていました。スクールカウンセラーも出てきません。ちなみにスクールカウンセラーは、いじめや喧嘩の仲介で大活躍します。別の回でお話ししますが、ドイツにもいじめはあるのです。転校後のKは体調も回復し、学業も順調。14歳のときに留学を希望して、交換留学生として1人で南アメリカへ渡りました。

ドイツでは、すべての子どもに「教育を受ける権利」があるのと同時に、すべての親には「就学させる義務」があります。こうした法律のもとで行われる不登校への対応について、次回もみていきましょう。

 
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