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バウハウス創立100周年 1. 基本情報 - ドイツ・デザインの歴史を紐解く

バウハウス創立100周年 ドイツ・デザインの歴史を紐解く

Tadashi Okochi © Pen Magazine, 2010, Stiftung Bauhaus Dessau

第一次世界大戦終戦から間もない1919年。ヴァイマル共和政期のドイツで、芸術の総合的教育機関「バウハウス」が誕生した。性別や年齢に関係なくアートやデザインを学べる場として、ここには世界各国から芸術家の卵や著名な講師陣が集まった。後に多くのアーティストを輩出するバウハウスを取り巻く環境や人々から、その歴史を紐解く。 (Text:編集部)

バウハウス造形学校の略年表

1902年 アンリ・ヴァン・デ・ヴェルデがバウハウスの前身「私立ヴァイマル工業ゼミナール」設立
1907年 「大公立美術工芸学校」に名称変更
1919年 ヴァイマル共和国成立。ヴァイマルの「大公立工芸学校」と1915年に閉校になった「ヴァイマル美術学校」が合併し、「国立バウハウス・ヴァイマル」設立
初代校長はヴァルター・グロピウスが務めた
1925年 デッサウに移転「市立バウハウス・デッサウ」設立
1932年 ベルリンに移転「私立バウハウス・ベルリン」設立
1933年 ナチスの台頭により閉校
1976年 戦争時に破壊された建物の一部が修復される
1996年 デッサウとヴァイマルの「バウハウス関連遺跡群」が世界文化遺産に登録

バウハウスを知るQ&A

Q1 バウハウスが誕生したきっかけは?

1880年代に英国で始まった、アーツ・アンド・クラフツ運動※の影響や流れをくむ動きがドイツでも起こる。当時のドイツは産業革命による工業化によって、職人を育成するシステムが一度廃止されていたため、工芸品などが大量生産されている時代だった。そんななか、工芸品の品位を高めることを目的に活動する「ドイツ工作連盟」が1907年に誕生する。この団体にはヘルマン・ムテジウスやアンリ・ヴァン・デ・ヴェルデを中心に建築家やデザイナー、アート関係者が参加したという。しかし、1914年にムテジウスとヴェルデが仲たがいをしたことで、ヴェルデはドイツを去ることに。ヴェルデが1902年に設立したヴァイマル工芸ゼミナールを、同連盟に参加していたヴァルター・グロピウスに託したのが、バウハウスの始まりだった。

※19世紀後半に英国で盛んになった造形芸術運動。その後、欧州をはじめ世界各国に影響を及ぼした。

Q2 バウハウスって建築の学校?

バウハウスは絵画や彫刻、工芸品や写真、建築などのさまざまな芸術分野の総合的造形教育を行う機関として設立された。創設者であるヴァルター・グロピウスの「建築家、彫刻家、画家……われわれはみな、手工業に立ち返らなければならない。芸術家と職人の間に本質的な違いはない。芸術家は崇高な職人なのである」という理念のもと、画家のリオネル・ファイニンガー、画家で芸術家のヨハネス・イッテン、そして彫刻家のゲルハルト・マルクスらが教員として招集された。初期は金・銀・銅製品の工芸、製本、グラフィックプリントのコースがあり、独立した建築コースも開催された。バウハウスの中核を担っていた建築が学科として立ち上げられたのは、デッサウに移転してからの1927年のことだった。

バウハウスのデッサウ校舎から撮影に応じる生徒たちバウハウスのデッサウ校舎から撮影に応じる生徒たち

Q3 バウハウス出身の著名人は?

前衛的なファッションやヘアスタイルに身を包むバウハウスの学生たちは、当時「バウハウス人」と呼ばれていたという。日本からは建築家で写真家の山脇巌や、教育者の水谷武彦らが留学していた。写真家でグラフィックデザイナーのヘルベルト・バイヤーはバウハウスで学んだ後、教師としても活躍。ほかにも建築家のアルフレート・アルント、建築家で家具デザイナーのマルセル・ブロイヤー(下写真)、画家・版画家のゲオルク・ムッへ、美術家のヨゼフ・アルバース、彫刻家のヨースト・シュミット、建築・彫刻・絵画・グラフィックデザインなど、多分野にわたって活躍したクリエイターのマックス・ビルがいる。また、テキスタイルデザイナーのグンタ・シュテルツルやア二・アルバースら、さまざまなアーティストを輩出した。

マルセル・ブロイヤーと女学生たちマルセル・ブロイヤーと女学生たち

Q4 バウハウスが閉校したのはなぜ?

20世紀以降の芸術・建築史に大きな影響を与えたバウハウスは、時代に翻弄された。バウハウスが閉校したのは1933年。ヒトラー率いるナチスが権力を掌握すると、国内の芸術活動が制限されるようになる。バウハウスも退廃芸術として弾圧されたことで、閉校を余儀なくされたのだった。活動自体は終了したが、現代でも数多くの建築物や作品がドイツ国内をはじめ、世界中に残っている。1996年にはデッサウとヴァイマルの「バウハウス関連遺跡群」 が世界文化遺産に登録されるなど、その記憶や歴史は現代にもしっかりと受け継がれている。

Q5 バウハウスの精神はどこへ?

バウハウスが閉校すると、多くの芸術家たちはドイツから逃れることを選択した。建築家のミース・ファン・デル・ローエやヴァルター・グロピウスは、亡命先である米国でも著名な建築家として活躍し、多くの作品を残している。また、バウハウスで講師として活動した美術家のラースロー・モホイ=ナジは、シカゴ芸術産業協会からの招聘に応じて、米国に「ニュー・バウハウス・アメリカン・スクール・オブ・デザイン」を開校した。後にイリノイ工科大学に吸収され、現在はイリノイ工科大学デザイン大学院として多くの学生が学ぶ。また、ドイツには総合芸術大学としてバウハウス大学ヴァイマルが設立された。このように100年経った今でも、ドイツ国内外でバウハウスの精神は多様な形で継承されている。

最終更新 Dienstag, 09 April 2019 09:37
 

バウハウス創立100周年 2. バウハウスの立役者、ミースとグロピウス、女性アーティスト

バウハウス創立100周年 ドイツ・デザインの歴史を紐解く

第一次世界大戦終戦から間もない1919年。ヴァイマル共和政期のドイツで、芸術の総合的教育機関「バウハウス」が誕生した。性別や年齢に関係なくアートやデザインを学べる場として、ここには世界各国から芸術家の卵や著名な講師陣が集まった。後に多くのアーティストを輩出するバウハウスを取り巻く環境や人々から、その歴史を紐解く。(Text:編集部)

バウハウスの立役者、ミースとグロピウス

20世紀を代表する近代建築の四大巨匠といえば、ル・コルビュジエにフランク・ロイド・ライト、そしてドイツ出身のミース・ファン・デル・ローエとヴァルター・グロピウスだ。彼らは建築家として活躍し、バウハウスの校長を務め、米国に移住するなど、時代に翻弄されながらも多くの功績を残した。今年没後50年を迎えた2人の人生を辿る。

ミース・ファン・デル・ローエ

シンプルと機能性を世界に広めた建築家 ミース・ファン・デル・ローエ
Mies van der Rohe

名言

Less is more.
(より少ないことは、より豊かである。)

生年月日

1886年3月27日 ドイツ・ノルトライン=ヴェストファーレン州アーヘン生まれ
1969年8月17日 米国イリノイ州シカゴ没

バウハウスで校長を務めた年月

1930〜1932年(バウハウス・デッサウ)
1932〜1933年(バウハウス・ベルリン)

代表作

● ヴァイセンホーフ・ジードルンク(ドイツ・シュトゥットガルト)
● バルセロナ万博 ドイツ館(スペイン・バルセロナ)
● ファンズワース邸(米国・シカゴ)
● トゥーゲントハット邸(チェコ・ブルノ)
● 新ナショナルギャラリー(ドイツ・ベルリン)
など

生い立ち・キャリア

5人兄弟の末っ子として生まれたミースは、地元の工業学校に進学し、製図工の職業訓練を受ける。1906年に設計事務所に所属し、翌年には建築家ペーター・ベーレンスのもとで本格的に建築について学ぶ。1913年にリヒターフェルドに自身の建築事務所を設立。1927年にはペーター・ベーレンス、ヴァルター・グロピウス、ル・コルビュジエ、ブルーノ・タウトらとともにシュトゥットガルトに集合住宅ヴァイセンホーフ・ジードルンクを設計した。1929年に建設した、バルセロナ・パビリオンは、モダニズム建築の最高峰として高い評価を受ける。バウハウス後期の1930年から閉校まで校長を務めた。

バウハウス閉校後

1937年に祖国であるドイツを離れた後、米国のイリノイ工科大学にて建築学科長に就任する。米国へ移住後は、シカゴを中心に活動。イリノイ工科大学のホールのような学校関係の建物、ファンズワース邸に代表される住居、シーグラム・ビルディングのようなオフィスビルの設計に携わった。そんな彼のスタイルは後の米国で文化教育機関から大企業までが取り入れる代表的な建築様式となる。また、内部空間を事前に限定せず自由に使えるように配慮したユニバーサル・スペースという理念も世に広めた。

ヴァルター・グロピウス

教育者としてもアート界に貢献した建築家 ヴァルター・グロピウス
Walter Gropius

名言

The Bauhaus fights imitation, inferior craftsmanship and artistic dilettantism.
(バウハウスは模倣、粗悪な職人技、芸術を道楽にする人々と戦う。)

生年月日

1883年5月18日ドイツ・ベルリン生まれ
1969年7月5日米国マサチューセッツ州ボストン没

バウハウスで校長を務めた年月

1919(設立)〜1925年(バウハウス・ヴァイマル)
1925〜1928年(バウハウス・デッサウ)

代表作

● ファグスの靴型工場(ドイツ・アルフェルト)
● バウハウス・デッサウ校舎(ドイツ・デッサウ)
● ベルリンのモダニズム集合住宅(ドイツ・ベルリン)
など
※上記すべて世界文化遺産に登録

生い立ち・キャリア

建築家の息子として生まれたグロピウスは、父親と同じ道を歩むべくミュンヘンとベルリンの工科大学で建築を学ぶ。大学卒業後の1907年に、ベルリンの建築家ペーター・ベーレンスに師事し、ベーレンスから多大な影響を受ける。1910年に彼の元を離れてからは、ドイツ工作連盟に加わるなど、建築やアートを促進する活動に積極的に参加。1911年、後に初期モダニズム建築を代表する作品として注目を集めるファグスの靴型工場を手がける。1915年にドイツ工作連盟で慕っていたアンリ・ヴァン・デ・ヴェルデからヴァイマルの工芸学校を託され、1919年にバウハウスを創設、初代校長に就任する。バウハウスに関する作品も多数残しており、バウハウス校長室のインテリア(1923年)やデッサウの校舎(1926年)を手がけた。

バウハウス閉校後

1934年にミースよりも一足先に祖国であるドイツを離れ、英国に3年間暮らす。その後、ハーバード大学から招かれる形で1937年に米国に渡り、ハーバード大学デザイン大学院で教鞭を執るように。晩年はマサチューセッツ工科大学の客員委員として活躍。1946年には若き建築家たちをサポートする建築家共同設計体(TAC)を設立し、若手の育成にも尽力した。

近代建築家は家具のデザインもお好き⁉

モダニズム建築家たちは、家具のデザインにも携わっていた。バルセロナ万博ドイツ館を手がけたミースは、この建物に合う椅子として、「バルセロナチェア」をデザインしている。「造形活動の最終的な目的は建築である」という言葉を残したグロピウスも、「アームチェアD51」など椅子を手がけている。彼らだけでなく、ル・コルビュジエ、イサム・ノグチ、アルヴァ・アアルトなど世界各国を代表する著名な建築が家具をデザインするのが一般的だった。

ミースとグロピウスを繋いだ建築家

ミースとグロピウスは、1907年に奇しくも同じ建築家のもとで働いていた。それがドイツのモダニズム建築や工業建築の分野で多くの建築家に影響を与えた、ペーター・ベーレンスだ。ベーレンスは、電機メーカーAEGのデザイン顧問を担当し、同社タービン工場の設計を手がけた人物。インダストリアルデザイナーとしても活躍し、ガス給湯器や照明器具などもデザインした。多才だった彼の元には、近代建築の巨匠の1人、ル・コルビュジエも師事している。

バウハウスで才能を開花させた女性たち

女性参政権の獲得が実現したばかりの1919年に設立されたバウハウス。男女平等の兆しが見えてきたこの時代に、芸術の世界で生きる女性たちを取り巻く環境はどのようなものだったのか。バウハウスに関わりのある女性アーティストの活躍に焦点を当てながら考察する。

フリードル・ディッカー

Friedl Dicker
フリードル・ディッカー

1889年オーストリア・ウィーン生まれ。1919〜1923年まで学生として在籍。入学前はヨハネス・イッテンが設立したウィーンの芸術学校で学ぶ。バウハウスでは、製本やリソグラフィーのワークショップに参加。パウル・クレーの作品に影響を受け、彼の講義には毎回出席していたという。バウハウス卒業後、1925年に故郷ウィーンへ戻り製本や織物のスタジオを開設。1931年からは幼稚園の先生として子どもたちに芸術を教えるように。しかし、ユダヤ系だった彼女はナチスの迫害により、1944年アウシュビッツ強制収容所で亡くなった。

マリアンヌ・ブラント

Marianne Brandt
マリアンヌ・ブラント

1893年ケムニッツ生まれ。1923〜1928年にかけて学生として在籍。卒業後は1929年まで金属工房の所長代理を務める。1911年にヴァイマルの私立美術学校で彫刻や絵画を学んだ後、バウハウスに入学。金属工房に所属し、1926年にはデッサウ校舎の最初の照明器具の設計に携わる。バウハウスを離れた後は、カールスルーエのダマーストック住宅団地のインテリアデザインなどを手がけた。

Marianne Brandt

グンタ・シュテルツル

Gunta Stölzl
グンタ・シュテルツル

1897年スイス・チューリヒ生まれ。1919〜1925年まで学生として在籍し、1925〜1931年まで織物工房のマイスターとして活躍。バウハウス入学前はミュンヘンでアートを学ぶ。1919〜1929年までガラスペイントや壁塗装のワークショップに、1921〜1925年にかけて織物のワークショップで学ぶ。マルセル・ブロイヤーが設計したデッサウ校の家具のテキスタイルカバーをデザイン。バウハウスを離れた後はスイスで暮らし、手織り会社を立ち上げる。1968年にはバウハウス50周年展覧会にも参加した。

Gunta Stölzl

ロッテ・ベーゼ

Lotte Beese
ロッテ・ベーゼ

1903年ドイツ領シレジア(現ポーランド・ロキトキ)生まれ。1928〜1932年までバウハウスの学生として在籍。デッサウ校で建築を学んだ最初の女性でもある。ハンス・マイヤーのもとで知識と技術を積んだ彼女は、建築に加えて都市計画の基礎も学んだ。1929年、ベルリンに移りマイヤーの事務所で働きながら、ドイツ労働組合総同盟の国立大学建築計画を共同で担当する。1935年、パートナーのマート・スタムとともにアムステルダムへ移住し、自身の建築事務所を設立。都市開発にも関わる建築家として活躍した。

アルマ・ブッシャー

Alma Buscher
アルマ・ブッシャー

1899年クロイツタール生まれ。1922〜1927年まで学生として在籍。彼女が考案したおもちゃ「Kleines Schiffbauspiel(小さな船の創造ゲーム)」は、現在でも愛され続けている作品だ。ベルリンの芸術系研修機関で学んだ後、バウハウスに入学。ワシリー・カンディンスキーやパウル・クレーなどの授業に参加した後、1923年から木工を学ぶ。 同年に開催された展示会で、子ども部屋の家具や「Kleines Schiffbauspiel」を含めた子ども用おもちゃのデザインを発表した。

リリー・ライヒ

Lilly Reich
リリー・ライヒ

1885年ベルリン生まれ。1932〜1933年まで建築部門のディレクター、製織工房長を務める。1908年工業刺繍の技術を学んだ後、ウィーンのヨゼフ・ホフマンの工房で働き始める。1911年にベルリンに戻り、翌年ドイツ工作連盟のメンバーに加入。1920年には女性初の理事となる。1926年にミース・ファン・デル・ローエと出会い、1928年にシュトゥットガルトで開催されたドイツ工作連盟による展覧会のプロジェクトを協働。このプロジェクトの成功により、1929年のバルセロナ万博ドイツ・パビリオンの芸術監督に任命された。

アニ・アルバース

Anni Albers
アニ・アルバース

1899年ベルリン生まれ。1922〜1928年まで学生として在籍し、1928〜1929年、1930〜1931年まで織物工房の所長代理を務める。最初は画家志望だったが、テキスタイルデザインの才能を開花し、織物の多様な可能性を探求する。バウハウスを離れた後、1933年に米国へ渡り、製織のパターンやテクニックを研究。1949年、ニューヨーク近代美術館で個展を開催した最初の女性テキスタイルアーティストとなる。

Anni Albers

バウハウスで学ぶ女性たちを取り巻く環境

初代校長、ヴァルター・グロピウスが掲げた「年齢、性別に関係なく、誰もがバウハウスで学ぶ権利を要する」というマニュフェストは、高い志を持つ若者たちにとって革新的だった。バウハウスは女性にもアートの可能性を切り開くチャンスを与えてくれる場所になるはずだったが、現実はそう簡単ではなかった。女性の入学希望者が半数を超えると、グロピウスは評判を損なうのではという危機感を抱いたという。多くの女性たちが自ら望んだ学科に参加することが難しく、織物を学ぶコースへの所属となった。閉校までに460人以上の女性が在籍していたが、評価されたのはほんの一握り。バウハウスには女性が過小評価されていたという影の部分が存在していたのも事実だ。

参考資料:deut schland.de„Gelernt haben wir nix“,Da s Er st e「Fr auen am Bauhaus – Die unt er schä t zt en Meist erinnen」,100 jahr e bauhaus

最終更新 Mittwoch, 26 Februar 2020 15:20
 

バウハウス創立100周年 3. ドイツ各地の記念イベント

バウハウス創立100周年 ドイツ・デザインの歴史を紐解く

第一次世界大戦終戦から間もない1919年。ヴァイマル共和政期のドイツで、芸術の総合的教育機関「バウハウス」が誕生した。性別や年齢に関係なくアートやデザインを学べる場として、ここには世界各国から芸術家の卵や著名な講師陣が集まった。後に多くのアーティストを輩出するバウハウスを取り巻く環境や人々から、その歴史を紐解く。 (Text:編集部)

バウハウスを体感しよう!

創立100周年を記念して、バウハウスの拠点となったヴァイマル、デッサウ、ベルリンの3都市を中心に、ドイツ各地でイベントが盛りだくさん。ニューオープンの施設もあるので、実際に足を運んでバウハウスを体感してみよう。
https://www.bauhaus100.de

Weimar ヴァイマル
博物館「Bauhaus-Museum Weimar」がオープン!

Bauhaus-Museum Weimar

バウハウス発祥の地、ヴァイマルでは、4月6日「バウハウス・ミュージアム・ヴァイマル」がオープンしたばかり。日本でも活動していた建築家のヘイケ・ハナダ氏が手がけた、キューブ型のミニマムなデザインが印象的な博物館だ。ここでは、バウハウス初期の貴重な作品を所蔵。9月26日からは3週にわたりにヴァイマル、デッサウ、ベルリンで「Triennale of Modernism: THE BAUHAUS VISION」と題したイベントの開催も予定している。 www.bauhausmuseumweimar.de

Dessau デッサウ
博物館「Bauhaus Museum Dessau」がオープン予定

Bauhaus Museum Dessau

スペインはバルセロナの若手建築家集団González Hinz Zabalaが設計を手がける「バウハウス・ミュージアム・デッサウ」が、9月8日にニューオープン予定。ここでは、バウハウス・デッサウ財団が所蔵する4万9000点ほどの作品が展示されることになっている。オープンと同時に「Versuchsstätte Bauhaus」と題した展示会や、デッサウに点在するバウハウスの建築をめぐるワークショップなども開催される。
イベント情報 www.bauhaus-dessau.de

Berlin ベルリン
各所でさまざまなイベントが開催中

Bauhaus Museum Dessau

バウハウス最後の拠点となったベルリンは、最も多くのコレクションが残されている場所だ。現在ミュージアムは100周年による資料拡大のために増築中。8月31日から9月8日まではErnst-Reuter-Platzにて「Bauhauswoche Berlin 2019」が、9月6日からはBerlinische Galerieにて「Original Bauhaus Jubiläumsausstellung」などのイベントが開催される。8月下旬から9月上旬にかけては、ベルリンを訪れてみては?
イベント情報 www.bauhaus100.de/programm

Hamburg ハンブルク
フィルムプログラム
「Neues zum Film am Bauhaus」

映像を通じてバウハウスを考察するプロジェクト。「革命運動としてのバウハウス」や「世界中のバウハウスのアイデア」など、さまざまな視点でバウハウスについて紹介していく。
2019年8月30日まで開催中
https://www.bauhaus100.de/programm/veranstaltungsdetails/659/

München ミュンヘン
展覧会「Reflex Bauhaus」

歴史的造形物40作品と5人のアーティストの作品を連動させた展覧会。アニ・アルバースやグンタ・シュテルツルなど、女性アーティストの作品も多数展示されている。
2020年2月2日まで開催中
https://www.pinakothek.de/ausstellungen/reflex-bauhaus-40-objects-5-conversations

Frankfurt am Main フランクフルト
展覧会「Neuer Mensch, Neue Wohnung」

バウハウス100周年を記念した展覧会。常に最先端をいきモダニズムを体感する大都市、フランクフルトの建築や文化を改めて考える内容になっている。
2019年8月18日まで開催中
https://www.bauhaus100.de/programm/veranstaltungsdetails/206/

Oberhausen オーバーハウゼン
展覧会「Peter Behrens - Kunst und Technik」

ヴァルター・グロピウスやミース・ファン・デル・ローエに多大な影響を与えたペーター・ベーレンス。建築家で工業デザイナーでもある彼の作品を展示している。
2022年12月31日まで開催中
https://www.bauhaus100.de/programm/veranstaltungsdetails/171/

Dresden ドレスデン
展覧会「Zukunftsräume.」

1920年代のドレスデンのコレクションを紹介。バウハウスで活躍した、ワシリー・カンディンスキー、パウル・クレーなどの作品から前衛的な芸術について考察する。
2019年6月2日まで開催中
https://www.bauhaus100.de/programm/veranstaltungsdetails/1506/

Halle (Saale) ハレ(ザーレ)
展覧会「Wege der Moderne. Kunst in Deutschland im 20. Jahrhundert」

4つのセクションに分かれた本展覧会。その1つとしてバウハウスが牽引した1919〜1933年までのドイツにおけるアートシーンの歴史が垣間見られる内容になっている。
2022年1月9日まで開催中
https://www.bauhaus100.de/programm/veranstaltungsdetails/388/

最終更新 Montag, 08 April 2019 10:42
 

ドイツ A to Z 基本単語から最新トレンドまで

あなたはいくつ知ってる? 基本単語から最新トレンドまで ドイツ A to Z 2019

現代のドイツに住んでいるからこそ、ドイツが好きだからこそ知っておきたい言葉や項目を、典型的なドイツ語から最新トレンドまで、A to Z形式で1つずつセレクトした。これからドイツに来るという方も、ドイツに長く住んでいる方も、どの項目を知っているかをチェックしながら読んでみて。6段階で、あなたの「ドイツレベル」も判定。さあ、早速Aからスタート!
(Text:編集部)

ミニ「ドイツレベル」判定
知っている項目が……

  • 0~5個 ドイツ初心者さん。ようこそドイツへ!
  • 6~10個 ドイツ好きさん。これからもっとドイツを楽しんで!
  • 11~15個 ドイツ中級者さん。まだまだ伸びしろがありそう。
  • 16~20個 ドイツ上級者さん。ドイツ生活はひとまず問題なし?
  • 21~25個 ドイツオタクさん。かなりのドイツ通みたい!
  • 26個! 全部知っていたあなたは、ドイツ人以上にドイツ人かも?

AAKK (Annegret Kramp-Karrenbauer) アー・カー・カー アンネグレート・クランプ=カレンバウアー

アンネグレート・クランプ=カレンバウアー

昨年10月に行われたバイエルン州とヘッセン州の州議会選挙で連敗を喫した、キリスト教民主同盟 / 社会同盟(CDU / CSU)。その全責任を負う形で、メルケル首相がCDU党首の座を退任すること(首相任期は2021年まで)を発表した。そのメルケル氏に代わり、同年12月CDU党首に選ばれたのが「AKK」こと、アンネグレート・クランプ=カレンバウアー氏だ。現在56歳の彼女は、2011〜2018年までザールラント州の州首相を務め、同年メルケル首相の側近としてCDU幹事長に選ばれる。その後、CDU党首に就任した。メルケル首相の意向を引き継ぐとみられている同氏だが、公共放送ARDに対して「良いものは継続し、変更の余地のあるものは変えていく」と話すなど、今後どのような政策を打ち出していくのか注目される。

BBürokratie ビュロクラティー 官僚主義

ドイツに暮らしていると、きっちりルールに縛られていると感じることが少なくない。それはドイツが官僚主義の国だから。何でも書類に残して長期保存、細かすぎるルールに厳しい規制……その根底には法律はすべての人に有効で、すべての人が平等という官僚主義の基本精神があるという。しかし、書類作成に膨大な時間が取られたり、役所で融通が利かなかったり、あまりに行き過ぎた官僚主義にはドイツ人たちもうんざりしているよう。そんな官僚主義を揶揄するジョークもたくさんある。

CCurrywurst カリーヴルスト カリーヴルスト

カリーヴルスト

ドイツのB級グルメと言えば、ソーセージに特製ソースとカレーパウダーをかけていただくカリーヴルスト。今年はベルリンでカリーヴルストが誕生して70周年に当たるが、昨年9月14日付のオンライン版B.Z.で、カリーヴルストの故郷はルール地方だと主張する人々が現われ、物議を醸した模様。生まれ故郷はさておき、結局はお店によって味が決まる。今年2月にノイヴィートで行われたカリーヴルスト・フェスティバルには44店舗が参加し、羊肉やイノシシ肉を使った変わり種やヴィーガン向けのものも販売されたそう。

DDieselskandal ディーゼルスカンダール ディーゼル不正問題

2015年9月に発覚したフォルクスワーゲン(VW)社の排気ガス不正問題を皮切りに、現在でも収束の兆しは見えないディーゼルスキャンダル。2017年にはVW、ダイムラー、BMW、ポルシェ、アウディなど自動車大手メーカーによるカルテル疑惑が発覚するなど、ドイツ自動車業界の信用を地に落とす事件も発生した。そんななか、世界的には電気自動車やハイブリッド車へ移行しつつあり、ハンブルクやシュトゥットガルトなどのように環境保護のため、ディーゼル車の乗り入れを規制・禁止する都市が増えている。

EEPA (Economic Partnership Agreement) イー・ピー・エー 日EU経済連携協定

昨年7月に、EUのトゥスク大統領と日本の安倍首相によって、欧州連合(EU)・日本間において経済連携協定(EPA)が署名された。英国がEUを脱退する(予定)ブレグジットや、米国トランプ大統領が自国保護主義を進めるなか、自由貿易を推し進める重要性を世界に表明した出来事でもあった。この協定によりEUから日本へ輸出されているチーズやワイン、パスタ、肉類などが関税の削減、撤廃の対象となっている。ここ最近では、数年前まではほとんど見かけることのなかったドイツワインがスーパーマーケットやデパートでも種類豊富に取り揃えられている。近い将来には、ドイツの特産品であるビールが日本にいながら楽しめたり、日本の海産物がドイツで手に入る日がやってくるかも……?

FKK (Freikörperkultur) エフ・カー・カー 裸体文化

夏に湖や海に行くと、トップレスどころか裸で泳いでる人に遭遇することがある。これこそがドイツ人が愛してやまないFKK。大手旅行サイトのエクスペディアのとある調査によると、海辺で裸になったことがあると答えた人の約28%がドイツ人だったという。とはいえ、どこでも裸になって良いわけではなく、原則的にFKKの看板がある場所のみ。特に旧東独で広く愛され、裸でハイキングをする集団もいるのだとか……。今年の夏は、どこかでこっそり試してみても?

裸体文化

GGemütlich ゲミュートリヒ 居心地の良い

あまりグルメでなくても、おしゃれに興味がなくても、インテリアにはこだわるというドイツ人は意外と多い。住宅を探すときの基準は、ずばり「ゲミュートリヒ」かどうか。単純に居心地が良いだけでなく、暖かい空間で家族や友人とのんびりできるということが、ドイツ人にとって大切な価値観なのだ。ちなみに、ドイツ人の3人に1人が今後1年間で家具を買うために1000ユーロ以上かけたい、と思っているという調査結果もある。週末を家で過ごすのが好き、というのも納得!

HHeißzeit ハイスツァイト 暑い季節

「Wort des Jahres 2018( 2018年の言葉)」で、流行語ナンバー1に選ばれたのがハイスツァイト。猛暑が続くなど、異常気象が欧州を襲った2018年を表すのにぴったりの言葉だ。7月を中心にドイツでは30〜35度を超える日が続き、7月後半にはザクセン=アンハルト州のベルンブルグで39.2度を記録した。ドイツ気象局の情報によると、2018年は気象観測をスタートした1881年以来、5番目に暑い夏となったそうだ。現在最高記録を保持しているのは、40.3度。この数値は2015年、7月5日と8月7日にヴュルツブルク近郊のキッツィンゲンで観測されている。

IIndustrie 4.0 インダストリー4.0 第4次産業革命

従来の製造プロセスに対して、AIやIoTの技術を導入する第4次産業であるインダストリー4.0は、2013年にドイツが打ち出した国家プロジェクトである。インダストリー4.0の最新トレンドや業界の動きについて紹介するハノーファーメッセは、今年は4月1〜5日にかけて行われる。世界的にファーウェイの5G参入の是非に関してニュースになっているなか、ドイツでも自動運転や最新技術の基盤となる5G通信網の構築が注目されている。ドイチェ・テレコムの技術担当取締役であるクラウディア・ネマット氏は、2019年上半期から、最初の5Gを搭載した携帯電話が登場するのではと予測している。

JJugendherberge ユーゲントヘルベルゲ ユースホステル

バックパッカーの経験がある人なら一度は泊まったことがあるだろうユースホステルは、ドイツが発祥の地。1909年に学校教師のリヒャルト・シルマンが、産業都市の子どもたちが自然の中で過ごせるようにと宿泊施設をつくったのが始まりで、ユースホステル協会によると現在ではドイツ国内に500、世界90カ国に4000ものユースホステルがある。施設は古城や消防署、風車を再利用したり、自然に囲まれた場所にユニークな小屋を建てたりとそれぞれ特徴があり、ユースホステル巡りも旅の楽しみの1つになる。

ユースホステル

KKiez キーツ 地区

スラヴ語が語源の「キーツ」は、行政区分とは別の広場や通りを中心とした街の「地区」を意味し、主にベルリンや北ドイツで使われている。キーツにはカフェや食料品店などのインフラが揃い、近隣の住民たちでコミュニティーを形成。ベルリーナーにとっては、所属するキーツがアイデンティティーの一部でもある。2014年に雑誌「ZITTY」がベルリンのキーツをご近所付き合いや利便性などさまざまな点から評価したランキングを発表。1位には、東地区で中心地からも近い自然豊かなプレンターヴァルトが選ばれた。

LLadenschlussgesetz ラーデンシュルスゲゼッツ 閉店法

ドイツでは日曜日や祝日は、飲食店やキオスクなどの売店以外のスーパーマーケットや百貨店などはお店を閉めなくてはいけないと、法律で決まっている。ドイツ全土で最も厳格化されているのがバイエルン州。しかし、「verkaufsoffener Sonntag」として、年に数回は日曜日と祝日の営業が許されている州もあり、デュッセルドルフがあるノルトライン=ヴェストファーレン州では、年4回だったのが2018年3月30日より年8回に増えた。ドイツニュースダイジェストが実施した閉店法に関するアンケート(2017年)によると、賛成・反対はほぼ半々。賛成派の意見としては、日曜日は静かに過ごす日という認識があり、反対派は休日にショッピングに出かけることができずに不便を感じているようだ。

MMainhattan マインハッタン フランクフルト

「マイン」と「マンハッタン」の造語である「マインハッタン」は、フランクフルトの愛称。ドイツ最大規模のフランクフルト国際空港を擁している交通の主要拠点であり、世界有数の金融街として高層ビルが立ち並ぶ。都会的な側面がありながらも、雄大なマイン川が街の中心を流れ、その川辺には10以上ものさまざまな博物館や美術館が軒を連ねる。観光名所が徒歩圏内にあるため、フランクフルトはさまざまな旅のテーマを探すのに最適な都市であると英国のBBCでは紹介されている。近年では金融企業だけでなく、医薬品やバイオテクノロジー企業など、国内外の大企業が拠点を構えており、ブレグジットによる多くの企業の移転先としても注目が集まる。

マインハッタン

NNeudeutsch ノイドイチュ 新ドイツ語

「Ich gehe "shoppen".(ショッピングに行く)」、「Es ist "cool"!(それってクールだね!)」……日本人もやたら横文字を使いたがるように、ドイツ人もわざわざ英語の表現を使うことが多い。ドイツではそういった外来語を、新ドイツ語と呼ぶ。興味深いのは、新聞などで「auf Neudeutsch Upcycling(新ドイツ語でアップサイクリング)」とわざわざ新ドイツ語であることを知らせてくれる点だ。ちなみにDenglisch(デングリッシュ)は和製英語ならぬ「独製英語」のことで、Handy(携帯電話)などが代表例。

OOko エコ エコ

今年1月よりプラスティックゴミの規制に関する法律が施行されたり、2038年までに石炭火力発電所の全廃を目指すなど、エコに対する意識が高いドイツ。Umwelt Bundesamtの記事によると、ドイツでは5人に1人が、国が現在直面している最も重要な問題として、環境保護を挙げている。移民や犯罪、安全というトピックスが多くを占めるなか、一定数は環境に対しての危機的意識を持っているという結果になった。また、約4分の3の人々が海洋に漂うプラスチックの廃棄物や森林の伐採が環境を脅かすと捉えており、5人のうち4人が将来自分の子どもや孫が暮らす環境条件について不安を感じているという。

PProtein プロテイン タンパク質

2018年1月にノベルフード(新規食品)に関するEU規制が施行された。それに伴い、いずれ従来の動物性タンパク質の確保が難しくなるとして、養殖された昆虫を食用として認可する動きが活発になっている。昆虫食に注目が集まる理由は、高タンパク質で環境の不可が低く、単価も手頃なため。昨年4月にはドイツのアーヘンにて、スタートアップ企業「Bugfoundation」が手がけた、甲虫の幼虫を使用したパテと野菜を挟んだ昆虫ハンバーガーが店頭に並んだ。

昆虫ハンバーガー

QQuatsch! クヴァッチュ! くだらない!

ドイツ人の会話を聞いていると良く耳にする「Quatsch!」。ぬかるみなどを歩いたときに鳴る「びしゃっ / ばちゃっ」という擬音語でもあり、くだらない、ばかばかしい、というあきれた感じで使う言葉だ。ほかにも、ちょっと響きが面白いドイツ人の口癖をご紹介。

Na ja(ナーヤー) まあいいさ
Tja(チャァ) そうだなぁ / ちぇっ
Ja mei(ヤーマイ) 仕方ないさ ※ドイツ南部の方言

RReisen ライゼン

クリスマスマーケットや、ロマンチック街道、ライン川下りなど日本でも多くのツアーが人気を得ているドイツ観光。ガイドブックを発行している「ロンリープラネット」が発表した「今年訪れるべき国2019」では、ドイツが2位に選出された。その理由として、今年はバウハウスの設立100周年や、ベルリンの壁崩壊30周年などのアニバーサリーが予定されている ことが挙げられている。ドイツ観光局が発表した情報では、2018年1月10月までの訪独外国人数は、3.7%増となっており、ますますの増加が期待される。

ベルリン

SSpezi シュペーツィ シュペーツィ

Spezi

ドイツ南部で友人や仲間を意味するシュペーツィは、バイエルン州で生まれたオレンジレモネードとコーラを混ぜた飲みものの名前。居酒屋でビールを飲まない人はシュペーツィ(もしくはアプフェルショーレ)を選ぶと言っても過言ではないほど、ドイツ人はシュペーツィが大好き。ドイツではカルト飲料とまで言われているが、他国での人気はいまいち。なんとなく味は想像できるけど、試してみたいという人はぜひスーパーで探してみて。もしかしたらハマっちゃうかも?

TTagesschau ターゲスシャウ ターゲスシャウ

毎晩20時、真面目なドイツ人ならテレビのチャンネルをARDの「Tagesschau」に変えるだろう。1月2日付のオンライン版Berliner Morgenpostによると、Tagesschauは平均して960万人がオンタイムで視聴する、ドイツで最も愛されているニュース番組。ちなみに、2番目に人気のニュース番組は、ZDFで19時に放映される「Heute」で410万人の視聴者がいる。2018年のロイターの調査によれば、ドイツ人はニュースのチャンネルや番組のブランドに重きを置いており、テレビやラジオによる伝統的なニュースを好む傾向にあるという。

UUrlaub ウアラウプ 休暇

仕事とプライベートを明確に分け、効率良く仕事をこなすドイツ人。ドイツでは1963年に連邦休暇法が施行され、最低限の年間休暇日数は24日間設けられている。30日間取得できる企業も多い。2016年のオンライン版ヴェルトの調査によると、同年の有給休暇消化率の平均は27日で、58%が30日の有給休暇を取得しており、年収が上がるほど、休暇日数も増える傾向にあるという。旅行会社エクスペディアの調査(2018年)によると、日本での有給休暇消化率は50%に留まり、有給休暇の取得に罪悪感を感じる人が58%にも上るという。

VVegan ヴィーガン ヴィーガン

高品質な肉類や乳製品が手に入るドイツにおいて、健康志向やエコ、動物愛護の観点からヴィーガンが増えている。2018年に連邦農業省と連邦経済省によって発行されたヴィーガンフード・ベジタリアンフードのガイドラインによると、ドイツでは80〜130万の人々がヴィーガンだという。2008年には約8万人(National Ingestion Study II3調べ)しかいなかったため、この10年で急激に増えていることが分かる。それに伴い、ドイツでは肉類に代わる代用食品ビジネスのニーズが急上昇。これらはビオの最先端をいくドイツだからこそ納得の結果でもあるだろう。ドイツ各地でヴィーガンイベントが開催されていて、「VeggieWorld」は毎年ドイツをはじめ欧州各地を巡回する。直近では3月23、24日にベルリンで開催予定なので、興味のある方は参加してみてはどうだろうか。

VeggieWorld

WWegbier ヴェックビア 路上ビール

ビール瓶を片手に道を歩く人がいたり、公園で寝転がりながらビールを飲むという光景は、大都市を中心にドイツではよく見られる。首都ベルリンにいたっては、電車やトラムの中にアルコール禁止の表示があってもお構いなしで、人々はおいしそうに、そして楽しそうにビールを飲んでいる。そんな文化を路上ビールという。近年ケルンでは、学校や幼稚園のそばなどにアルコール禁止ゾーンを設けることが議論されるなど、路上ビール文化の存続が危ぶまれている。

路上ビール

XX バツ ドイツで知っておくべきマナー

オンライン版ツァイトの記事によると、Allensbach Instituteが行なった調査で、実に93%のドイツ人がマナーを重要視しているという結果になった。礼儀を重んじるドイツでバッドマナーとならないよう、いくつか実生活にも使えそうなビジネスマナーを紹介しよう。

① 相手と会話をする際に保つべき距離は60cm程度
② 会議のときは時間ぴったりにその場にいるべき
③ ルックスに関する賛辞はNG
④ 会話の間は相手の目を見て話す

YYps ウプス ウプス

Yps

1975年に西ドイツの子ども向け雑誌として誕生した「Yps」。付録付きのコミック誌で、テレビゲームがなかった時代に爆発的な人気を得た。ヒット付録の中には、お金が印刷できるGeld-Zauber-Maschine(マネー・マジック・マシーン)などがあり、子どもたちを虜にした。1237号を発行した2000年に一度廃刊になったものの、2012年に大人向け雑誌として復刊。クリスマスにはYpsのアドベントカレンダーが発売されるなど、昔からのファンの心をつかんでやまない。

ZZigarette ツィガレッテ たばこ

飲食店での喫煙が禁止されていることもあり、ドイツでは歩きたばこが多い印象だ。しかし、健康被害を考える人が増えてきたせいか、たばこの消費量は年々減ってきているそう。2018年の連邦政府の報告によると、2003年から喫煙者の割合は男性が39%から27%に、女性は29%から21%に減少したという。その1つの理由として挙げられるのが、電子たばこの登場だ。電子たばこの年間売上量は2013年の1億ユーロから、2017年には6億ユーロまでに上昇している。

最終更新 Freitag, 15 März 2019 12:35
 

ケムニッツが生んだ平和の垂れ幕

極右勢力から自分たちの街を守りたい ケムニッツが生んだ
平和の垂れ幕

2018年8月、ドイツ人が難民に殺害されるという事件を発端に、予期せぬ注目を浴びたザクセン州ケムニッツ。移民や難民に反対する極右グループによるデモで覆いつくされた街の映像を見て、衝撃を受けた人も少なくないだろう。しかし、右翼的というレッテルを貼られたケムニッツを自分たちの手に取り戻そうと、何年も行動してきた市民たちがいる。平和の垂れ幕を製作し、極右勢力に抵抗する「Aktion C」のメンバーに話を聞いた。(Text:ふくもとまさお)

3月5日の平和の日に、ケムニッツ市庁舎にかけられた垂れ幕3月5日の平和の日に、ケムニッツ市庁舎にかけられた垂れ幕

なぜ、極右勢力がケムニッツに?

モンテッソーリ学校の先生であるアンネ・ナウマンさん(41)に出身を尋ねると、「カール・マルクス・シュタットよ」と答えた。東独時代、ケムニッツは「カール・マルクス・シュタット」といった。東西ドイツ統一後に「ケムニッツ」に戻るが、ケムニッツには今も東独時代の面影が残っている。かと思うと、モダンなショッピングモールも立ち並ぶ。

事件は、ちょうどモダンに再開発された市街との境界ともいえるメイン通りで起こった。2018年8月下旬、通りの歩道でキューバ系ドイツ人男性が刺殺されたのだ。容疑者はすぐに拘束されたが、容疑者がシリア人難民だということから、事件はネオナチなどの過激な右翼による抗議デモへと広がっていく。こうして、ケムニッツには「右翼の巣」のレッテルが貼られた。

事件現場の歩道には、犠牲者の写真が置いてある。その周りに、花やロウソクがたくさん並んでいた。写真を見る限り、ドイツ人と言われてもピンと来ない。地元で建築家として働くゲラルト・リヒターさん(63)からは、事前に「(犠牲者は)ドイツ国籍を取得したキューバ人。右翼に(事件を)うまく利用されてしまった」と聞いていたが、確かにそうだ。この事件をきっかけに、ケムニッツにはドイツ各地から過激な右翼が集まってきた。

第二次世界大戦前からケムニッツでは、機械産業が盛んだった。しかし東西ドイツ統一後、自慢の機械産業が崩壊し、たくさんの失業者が出た。リヒターさんは、幸いにも建築家として地元大学の修復工事など大きな仕事に携わることができた。しかし、リヒターさんの友人たちは次から次に失業してしまい、西側のシステムも疾風怒濤のように入り込んでくる。こうした状況において、「友人たちは、自分の価値観を見失っていかざるを得なかった」と振り返る。

街を取り戻す「平和の日」

ケムニッツは1945年2月から4月にかけ、連合軍によって何回も空爆された。中心街はほとんどが破壊され、4000人が死亡したとされる。空爆が最も激しかったのが3月5日だったことから、その日は半世紀以上も経って「平和の日」とされた。

2011年の平和の日、ケムニッツ市内にいたリヒターさんは、これが自分の街なのかと目を疑わざるを得なかった。極右グループが空襲犠牲者を追悼する名目で、警官隊に保護されながらデモ行進していたのだ。この極右グループは欧州各地から集まってきたと見られる。市民は口を閉ざし、ケムニッツはまるで「死の街」だったという。

リヒターさんは、極右勢力から街を取り戻したいと思った。平和の日にわれわれも抵抗しよう。それには青少年たちも参加させたい。その思いで、子どもが自由に自立できる教育を目指すモンテッソーリ学校の先生であるカタリーナ・ケステルザッセさん(46)に相談した。生徒たちが平和をテーマに長さ7メートルの垂れ幕を作り、毎年平和の日にそれらを街に展示したらどうか。そして、翌年3月5日に色とりどりの垂れ幕が、ケムニッツの市庁舎などで披露された。こうして始まったのが、リヒターさんを中心に活動する「アクツィオーンC(Aktion C)」だ。「C」はケムニッツの頭文字で「行動するケムニッツ」を意味する。

垂れ幕を通じ平和を学ぶ生徒たち

このプロジェクトでは生徒たちはまず、学校の授業において戦争の歴史などについて学ぶ。その後、休暇などを利用して数人が共同で一つの垂れ幕を制作する。ケステルザッセさんによると、「生徒たちは(休暇中でも)家族と一緒に旅行に出かけないで、自主的に学校で垂れ幕を完成させる」という。

見せてもらった垂れ幕では、第二次世界大戦中のショル兄弟らによる「白いバラ」の抵抗運動がモチーフだった。ゾフィー・ショルは、当時ミュンヘン大学構内でナチスに抵抗することを呼びかけるビラを上の階から下のホールにばら撒いた。でも垂れ幕では、白いビラが下から上に舞い上がっていて、そこに「抵抗」の強い意志が感じられる。

生徒たちが制作した垂れ幕は、平和の日にケムニッツ市庁舎の外壁やショッピングモール内に展示される。「垂れ幕が展示され、社会のために何かできたと感じることが大切だ」と、教師のオリバー・ヴィンケルさん(44)は言う。「そう実感できれば、決してネオナチに走るようなことはないはず」と確信する。

2018年11月、アクツィオーンCに新たな風が吹き込んだ。生徒たちが制作した垂れ幕がドレスデン聖十字架教会内に展示されたのだ。ケムニッツ以外では初めてのことで、教会の大きな空間に生徒たちの平和への思いが広がった。リヒターさんはそれを誇りに思っている。「定年になるのが待ち遠しい。何にも束縛されず、(プロジェクトを)ライフワークとして続けたい」とリヒターさんは語った。2019年の平和の日もまたケムニッツの街中で、抵抗の思いが込められた垂れ幕が見られることだろう。

ケムニッツ「平和の日」:www.facebook.com/chemnitzer.friedenstag

ふくもとまさお ベルリン在住ジャーナリスト、ライター。旧東ドイツで生活した視点から『小さな革命―東ドイツ市民の体験』を出版。そのほか『ドイツ・低線量被曝から28年―チェルノブイリはおわっていない』(いずれも言叢社刊)など。ドイツのエネルギー事情、原発問題にも詳しい。
https://taiwakobo.de

垂れ幕を制作中の生徒たち垂れ幕を制作中の生徒たち

2018年11月、ドレスデン聖十字架教会での展示会から2018年11月、ドレスデン聖十字架教会での展示会から

左からケステルザッセさん、ナウマンさん、ヴィンケルさん、リヒターさん「白いバラ」の垂れ幕を囲んで、左からケステルザッセさん、ナウマンさん、ヴィンケルさん、リヒターさん(筆者撮影)

最終更新 Donnerstag, 14 März 2019 23:37
 

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