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5年に1度の現代アートの祭典 ドクメンタ12

Documenta Kassel 16/06-23/09 2007

5年に1度の現代アートの祭典 ドクメンタ12

現代アートって難しい。そう思っている方にも、アート好きの方にもぜひ行ってみてほしいのが、現在カッセルで開催されている「ドクメンタ12」。5年に1度しか開催されない、世界が注目する現代アート最前線のイベントだ。オープニング直後の暴風雨によって中国人アーティストの作品が倒壊するというハプニングに見舞われたドクメンタ12をリポートする。

ドクメンタとは?

「ドクメンタって一体何?」そう思われた方のために、歴史を少し振り返ってみよう。

ドクメンタが生まれたのは1955年、ドイツが第2次大戦後の挫折の只中にあった時代だ。本来ドイツは芸術面で非常に貢献度の高い国だったが、ナチス独裁により国際的なアートの潮流から遠ざかってしまっていた。そんなドイツの人々が再び現代の名作に触れられるよう、近現代の傑作品を 一堂に集めた展覧会が、カッセルの画家で教育者でもあったアーノルド・ボーデによって開催された。展覧会は大成功を収め、その後、テーマを変えて同様の展覧会が約5年周期で開催されるようになる。最初は近現代美術の紹介が中心だったが、やがて世界最新鋭のアートをフォーカスする方針に転換した。5回目以降は、毎回異なるディレクターを任命し、開催ごとに展覧会のテーマや運営をガラリと変えてしまうことで、ドクメンタを常に斬新な前衛的イベントに成長させた。

今日、ドクメンタはイタリアのヴェネチア・ビエンナーレと並び、現代アートの国際展としては不動の地位を占めている。過去に参加したアーティストには、パブロ・ピカソやヨーゼフ・ボイス、日本人では荒川修作や河原温など、現代の巨匠に数えられる作家が勢揃いしている。

作品
左)BÊLA KOLÁROVÁ "Bez názyu z cyklu Nádovil Untitled from Dishes cycle" (1966) ©Bela Kolarova
右)TRISHA BROWN “Floor of the Forest” (1970) © Trisha Brown; photo Egbert Trogemann / documenta GmbH ? VG Bild-Kunst, Bonn 2007

現代アートのテーマパーク

ドクメンタは今年で12回目を数える。過去には最新のアートがクローズアップされ過ぎて難解になってしまったこともあった。しかし今回は、観客が作品にアプローチしやすいよう様々な配慮がなされている。

中でも、アートガイドやレクチャー、映画や青少年向きのイベントなど、アート教育プログラムが豊富で、アートを理屈で捉えるのではなく、自分の心に響く作品に出合った時にどう作品と対話ができるのか、ヒントを与えてくれそうだ。

大人にも子どもにも適したプログラムが充実しているためか、会場には親子連れの姿も目立つ。子どもたちには特に、触れたり、中に入ってみたりできる作品が好評だ。また、映像を扱ったインスタレーションやドラマチックな写真などに見入るカップルの姿、強烈なインパクトを放つ絵画に圧倒されるアートガイドの参加者たち、突如始まるパフォーマンスに驚きつつカメラを構える人々などが見られ、それぞれに作品との出合いを楽しんでいるのがわかる。

ドクメンタ12は、複数の美術館や庭園を会場にしている。美術館で作品を鑑賞するだけではなく、庭園を散策しながらオブジェを眺めたり、会場間の移動中にカフェやショップに立ち寄ってみたりすることもでき、全体が現代アートのテーマパークといった趣もある。

作品
TSENG YU-CHIN “Who's Listening? 5” (2003~2004) © Tseng Yu-Chin

作品
左)AHLAM SHIBLI “Arab-al-sbaih” (2007), © Ahlam Shibli, Courtesy Ahlam Shibli; Max Wigram Gallery
右)Monika Baer “Vampir” (2007), © Monika Baer, photo Jens Ziehe / documenta GmbH, Courtesy Galerie Barbara Weiss

作品から見える私たちの時代

ディレクターにロジャー・M・ビュールゲル氏、キュレーターにルート・ノアク氏を迎え、3年半の準備期間を経て、500点以上の作品を集めた今回の展覧会。特徴は世界中のアーティストの作品を集めただけではなく、古くは16世紀から今日まで、幅広い時代を扱っている点だ。一見すると「最前衛のアートイベントでなぜ?」と問いたくなってしまう構成かもしれない。しかし、あえて国境も時代も超えて作品を集めることで、ドクメンタ12は私たちが生きる時代や世界を浮き彫りにしようとしている。

最新のインスタレーション群の中に数百年前の工芸美術を突如として配したり、近現代の絵画を対比したりすることで、古い時代の作品が新鮮な輝きを放ったりする。また写真や映像の作品からは、文化や政治、宗教など、私たちが生きる世界の多面性が垣間見えるかもしれない。ドクメンタ12は、グローバリゼーション、民族や人間としてのアイデンティティーなど、いまの時代に問われているテーマを凝縮しているとも言えそうだ。

現代アートの表現は無限だ。内容を掘り下げずとも、ただ単純に美しい作品やユニークな作品も多い。リラックスして作品を鑑賞し、何らかのメッセージをキャッチしたら、作品と積極的に対話してみてはいかがだろうか。現代アートの存在が、ぐっと身近に感じられるようになるかもしれない。(Ayako)

会場
左)ドクメンタ・ハレの展示会場 右)アートガイドの風景

会期 2007年6月16日(土)~9月23日(日)
開場時間 午前10時~午後8時
主要会場 フリデリチアヌム美術館(Museum Fridericianum)
ノイエ・ガレリー(Neue Galerie)
ドクメンタ・ハレ(Dokumenta Halle)
アウエ・パビリオン(Aue-Pavillon)
ヴィルヘルムスヘーエ城 (Schloss Wilhelmshöhe)他
入場料 1日券18ユーロ(12ユーロ)
2日券27ユーロ(18ユーロ)
7歳未満無料
インフォ ドクメンタ12お客様サービス(英語・ドイツ語のみ)
Tel: 01805-11 56 11
Fax: 01805-11 56 12
日本語アートガイド予約(日本語可、テキストファイル添付のこと)
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Webste http://www.documenta.de
最終更新 Freitag, 30 August 2019 17:37
 

写真家・杉本博司氏インタビュー

写真家・杉本博司氏インタビュー

©Hiroshi Sugimoto
Mathematical form
Privatsammlung
©Hiroshi Sugimoto

杉本博司の写真を前にして抱くのは、「怖い」という感覚だ。写っている対象が恐ろしいという意味ではない。見る者に匕首(あいくち)を突きつけるような迫力があるのである。被写体が意味するものを抽出するため長時間思考し、生まれたコンセプトを純化し、それを一分のスキもない簡潔なモノクロームの表現に託して放つ。哲学的内省と完璧な手仕事が一体となった杉本氏の写真は、作品と鑑賞者を抜き差しならない関係に追い込む力をみなぎらせている。

世界中の海を太古の人間のまなざしに戻って見つめた作品「Seascapes」にせよ、時間帯による影の現れ方の違いを考察した「Colors of Shadow」にせよ、杉本作品に通底するのは時間と人間存在の意味にとことん迫ろうとする作家としての姿勢だ。事実、杉本氏にとって写真を撮ることは、「我々がどこから来たのか、いかに存在するに至ったのかを思い起こすための作業」なのだと言う。

©Hiroshi Sugimoto
The electric Chair, 1994
©Hiroshi Sugimoto

ニューヨークと東京を拠点とした30年以上の活動を経て、現代屈指の写真芸術家として世界的な評価を確立した杉本博司。2005年の東京・森美術館での回顧展に続き、ドイツ語圏で過去最大規模の回顧展をNRW州立美術館K20が企画、7月14日から展覧会「Hiroshi Sugimoto」がスタートした。オープニングに際してデュッセルドルフを訪れた杉本氏に話を聞いた。(田中聖香)


杉本博司杉本博司(すぎもと・ひろし)
1948年東京生まれ。立教大学経済学部卒業。1970年米国に渡り、ロサンゼルスのArt Center College of Designで写真を学ぶ。1974年 ニューヨークに移住。2000年グッゲンハイム美術館(NY)、04年カルティエ現代美術財団(パリ)、05年森美術館(東京)など個展多数。

── 杉本さんの作品は原則的にモノクロームですが、なぜでしょうか。

カラー写真は科学物質の色、モノクローム写真は銀の色です。貴金属とケミカルでは、格からいっても雲泥の差があります。

── 19世紀末に製造された旧式カメラを撮影に使われてきたのはなぜですか。

世の中は便利になる方向で動いていますが、必ずしもより高い質が得られる方向には動いていません。未だに生フィルムを使う大判写真機が作り出すプリントのクオリティーは、決してデジタルでは出せないことは私の作品が証明しています。一般にはデジタル写真が主流になりつつありますが、私の使う機材は今後も変わりません。


Polar Bear, 1976 Privatsammlung
©Hiroshi Sugimoto

── モチーフはどのように決定されますか。また1シリーズの制作にかける時間は。

10年以上考え続けているテーマがたくさんあります。そのうちの1つ、2つと卵がかえるようにコンセプトが実現するのです。そのための秘密裏の実験が今も続けられています。シリーズ制作には必要かつ十分な時間をかけ、一度始めると飽きるまでやります。しかし、実際にはどのシリーズも飽きたためしがありません。

── 杉本さんの作品には、東洋的美学とミニマリズムが混在していると評されます。ご自分ではそれを意識されますか。

批評というものは自由であるべきです。そして批評は作家についてのファンタジーを生みます。私は、せっかくのファンタジーを大切にするようにしています。つまり、作られつつある虚像に自分をなるべく合わせていく。これが世界に対する作家のサービスです。

── 写真から建築、彫刻へと表現の幅を広げるに至った背景を教えてください。

世界の有名建築といわれる建築をほぼ見尽くした後に、建築的に自分で成すべきことが見えて来たという経緯があります。また彫刻に関しては、19世紀の数理模型を撮影中に、これらの数式を現代最高の工作技術を持つ日本で作ったらどうなるか、という実験が形になりました。したがって、これらの作品を彫刻ではなく数理模型と呼んでいます。K20に展示される「Onduloid」も、この形が表す数式の名称です(筆者注:ゼロでない平均曲率の一定な回転面のこと)。

©Hiroshi Sugimoto
左)Emperor Hirohito, 1999 Sammlung Diego Cortez, New York ©Hiroshi Sugimoto 
右)Lightning Fields008, 2006 ©Hiroshi Sugimoto


「Hiroshi Sugimoto」
2008年1月6日(日)まで
10:00-18:00(土日祝11:00-18:00)※月曜休館
6,5ユーロ(割引4,5ユーロ)
K20 Kunstsammlung, Grabbeplatz 5, 40213 Düsseldorf
www.kunstsammlung.de

最終更新 Freitag, 30 August 2019 17:34
 

生まれ変わるリープフラウエンミルヒ

生まれ変わるリープフラウエンミルヒ

リープフラウエンミルヒ(Liebfrauenmilch)は、おそらく世界で最も名の知られたドイツワインだろう。リープフラウは聖母マリアのことで、教会名に由来する。ミルヒの語源には「ミルク(ミルヒ)」と「修道僧(メンヒ)」の2つの説がある。リープフラウエンミルヒの生産量はドイツの全ワイン生産量の8%にすぎないが、輸出ワインの35%を占めているため、国外において、より知名度が高い。しかし、リープフラウエンミルヒと聞いて、どれだけの人が美味しいワインを思い浮かべるだろうか?リープフラウエンミルヒは、かつて栄光のワインだったが、その後、急激に名声を失った悲劇のワインでもある。そして21世紀、オリジナルのリープフラウエンミルヒが復活している。その盛衰を追った。(岩本順子)

リープフラウエンミルヒ小史

リープフラウエンミルヒの故郷、ヴォルムスは人口約8万人の小都市。トリアーと並ぶ、ドイツ最古の都市のひとつである。ローマ人の築いた街ゆえ、当時からワインがつくられていた。リープフラウエン教会は市壁の北に位置し、スペインのサンチアゴ・デ・コンポステイラまで続く巡礼道「ヤコブの道」の通過点だった。

14、5世紀ごろ、リープフラウエン教会の傍にあったカプチン会修道院の修道僧が、教会の周囲にぶどうを植え、ワイン造りをはじめた。やがて、その美味しさはヨーロッパ中に知れ渡る。この「リープフラウエン教会の塔の一番長い影が届く範囲内に植えられたぶどうからつくられたワイン」が、本来のリープフラウエンミルヒなのである。修道僧たちは、ワイン目当ての巡礼者たちが増えてくると、樽を一つ一つ封印し、証明書を発行するようになった。すでに当時からコピーが出回っていたのである。

17世紀後半、プファルツ継承戦争でヴォルムスの街は焼け野原と化したが、リープフラウエン教会は戦禍をまぬがれた。フランス軍が撤退し、ヴォルムスが再建されたのは18世紀前半。そして1784年、リープフラウエンミルヒの発展に貢献する人物がヴォルムスに現れた。鉄の取引のためにやってきたオランダ人実業家、ペーター=ヨーゼフ・ファルケンベルクである。彼は、リープフラウエンミルヒに惚れ込み、ヴォルムスの女性を妻に迎え、2年後には大聖堂の側にワイン商社を開業した。

フランス革命後、リープフラウエン教会周辺はフランス領となる。そして19世紀初頭、フランス政府主催の国家財産オークションで、カプチン会修道院とリープフラウエンミルヒのぶどう畑が競売にかけられた。当時ヴォルムス市長だったファルケンベルクは、この時の競売で念願の畑の大部分を手に入れ、自社ワインを造り始めたのである。

その後ファルケンベルク社は、自社のリープフラウエンミルヒを英国各地のレストランやパブに売り込み始めた。当初このビジネスはうまくいかなかったが、19世紀半ばにビクトリア女王が、ラインガウのホッホハイムにぶどう畑を所有するザクセン王子アルベルトと結婚したことが契機となり、英国王室でドイツのラインワイン「ホック」(ホッホハイムのワインの呼称)がもてはやされ、リープフラウエンミルヒも売り上げを伸ばした。20世紀初頭、イギリスのワイン商は、同社のリープフラウエンミルヒをシャトー・マルゴーなどの偉大なボルドーと同価格で販売していたという。

しかし、この時期、ファルケンベルク社の成功を目のあたりにした、他のドイツのワイン業者たちが、一斉にリープフラウエンミルヒのコピーを売り始めた。ファルケンベルク社は、オリジナルのリープフラウエンミルヒの1本1本に、かつてのカプチン会の修道僧のように、生産地と品質を保証する印章を押し、コピー商品の防止につとめた。しかし、リープフラウエンミルヒの需要は増える一方で、ファルケンベルク社も「リープフラウエン教会の塔の一番長い 影が届く範囲」を越え、ぶどう畑を拡張する。

1908年のドイツワイン法改正時に、ファルケンベルク社は、リープフラウエンミルヒという名称を「自らの畑の固有名」としてその使用権利を主張するか、現状に合わせ、「ラインワインの総合名称」として認めるかの選択を迫られ、同社は後者を選んだ。18ヘクタール程度のぶどう畑では、世界の需要を満たすことはできないからだ。当時、ライン川沿いの多くの醸造所が、リープフラウエンミルヒのコピーを生産することで生計をたてていたが、ファルケンベルク社の決断は、これらのワイナリーの経済的破綻を救うことにもなった。オリジナルのリープフラウエンミルヒの畑は、この時「リープフラウエンシュティフ ト(リープフラウエン修道院/Liebfrauenstift)」と改められた。

リープフラウエンシュティフト
シェーブス醸造所のリープフラウエンシュティフト・
キルヒェンシュトゥック(リースリング)

その後、2度の世界大戦を経ても、リープフラウエンミルヒ熱は冷めることを知らなかった。そして1971年に、再度ワイン法が改正され、オリジナルのリープフラウエンミルヒの畑は、今度は「リープフラウエンシュティフト・キルヒェンシュトゥック(リープフラウエン修道院教会区域/Liebfrauenstift Kirchenstück)」と改名され、現在に至っている。

現行のワイン法によると、リープフラウエンミルヒは、ラインガウ、ラインヘッセン、ラインプファルツ、ナーエの4生産地域のぶどうからつくられるワインの種類名である。同じボトルの中には、4地域のうち1地域のワインだけしか入れてはならず、原産地名をラベルに明記しなければならない。一方、ぶどう品種の混合は認められており、ミュラー・トゥルガウ、リースリング、シルヴァーナー、ケルナーの4品種のいずれかが最低75%含まれていればよい。 味は半辛口から甘口。リープフラウエンミルヒは、口当たりがよく、安価な初 心者向けワイン、との定評がある。

21世紀の新生リープフラウエンミルヒ

1990年代の終わりから、ファルケンベルク社のティルマン・クエインス、グッツラー醸造所のゲアハルト・グッツラー、シェーブス醸造所のアルノ・シェーブス、そしてシュポーア醸造所のクリスチャン・シュポーアの4人が、オリジナルのリープフラウエンミルヒの畑「リープフラウエンシュティフト・キル ヒェンシュトゥック」で、偉大なるリープフラウエンミルヒのリバイバルに取 り組んでいる。

ファルケンベルク社は、200年前とほぼ変わることなく、約13ヘクタールを所有、グッツラー醸造所とシェーブス醸造所は、隣り合わせの畑を、それぞれが0,2ヘクタールずつ所有、シュポーア醸造所はファルケンベルク社から1ヘクタールの畑を借りてワインづくりを行っている。「リープフラウエンミルヒは、良くも悪くも、世界で最も有名なワイン。この知名度をプラスに活かしたいと思った」。そうゲアハルト・グッツラーは言う。

2003年、ゲアハルトの醸造した過去5年のヴィンテージが厳しい審査に通り、ドイツ名醸ワイン生産者協会(VDP)は、リープフラウエンシュテイフト・キルヒェンシュトゥックの一部をグローセス・ゲヴェックス(特級畑)に認定。以後、VDP会員であるグッツラー醸造所は、この畑のリースリングをグローセス・ゲヴェックスとして市場に出している。彼の凝縮したリープフラウエンシュテイフト・キルヒェンシュトゥックは、専門家たちの間で定評がある。

リープフラウエン教会とワイン畑
リープフラウエン教会とワイン畑
© Stadtmarketing Nibelungenstadt Worms

アルノ・シェーブスもゲアハルトとともに、1998年からリープフラウエンシュテイフト・キルヒェンシュトゥックを生産している。友人同士である2人は、共同で畑作業を行っている。2人は土壌の特色を最大限に活かすため、62センチ間隔、1ヘクタールあたり約8000本という密植を試みている。「こうすると、ぶどうの樹はお互いに競い合って、地中深くに根をおろし、土壌の性格をより反映してくれる」。そう2人は言う。畑を購入した時に植わっていた、樹齢30年を越えるリースリングはそのまま活かし、新たに植樹する場合は、そのリースリングの古木の枝を接ぎ木して植えるという徹底ぶりだ。

アルノは毎年最良の状態で収穫したぶどうから、1種類の辛口ワイン「キルヒェンシュトゥックQ.b.A」を生産している。「収穫はすべて手作業、極端なまでのぶどうの選別作業を行っているため、できあがるワインは年間600本だけ」だそうだ。彼のリープフラウエンシュテイフト・キルヒェンシュトゥックには秘められた、力強い味わいが感じられる。「僕は、リープフラウエンシュテイフト・キルヒェンシュトゥックの畑のすぐそばで生まれたので、この畑にとても愛着がある。僕は、繁栄と没落、そして復活、という物語を信じる。僕たちのリープフラウエンシュテイフト・キルヒェンシュトゥックが、かつての名声を取り戻すことは、きっと可能だと思う」。そうアルノは意気込む。

「マドンナ」ブランドのリープフラウエンミルヒで有名なファルケンベルク社が本格的にこのプロジェクトに取り組み始めたのは、2001年にティルマン・クエインスが醸造責任者に抜擢されてから。13ヘクタールあるため、あらゆるランクのワインが生産されている。生産本数は年間約6万本で、すでに、アメリカ、スカンジナヴィア諸国のほか、シンガポール、香港、台湾にも輸出している。ティルマンのリープフラウエンシュテイフト・キルヒェンシュトゥックは、いずれもエキゾティックな果実の味と香りに満ちたエレガントな仕上がり。純粋培養酵母を使い、18度で発酵させている。「リープフラウエンシュテイフ ト・キルヒェンシュトゥックは偉大なる歴史をもつ畑。そこに魅了される」そうティルマンは言う。


アルノ・シェーブス、ティルマン・クエインス
、クリスチャン・シュポーア、ゲアハルト・グッツラー(左から順に)

クリスチャン・シュポーアは、2003年からリープフラウエンシュテイフト・キルヒェンシュトゥックで、リースリングとシャルドネを50%ずつ栽培している。「リープフラウエンシュテイフト・キルヒェンシュトゥックは複雑な構成の土壌なので、できあがるワインにも複雑味が出る」と言う。クリスチャンのリープフラウエンシュテイフト・キルヒェンシュトゥックは、同じ畑ながら、他の3人のそれよりスパイシーな味わいだ。

4人の造り手たちの生み出すオリジナルのリープフラウエンミルヒは、いずれもそれぞれの個性が表現された極上ワイン。伝説のリープフラウエンミルヒはすでに復活している。それは、14、5世紀の巡礼者たちが絶賛し、19、20世紀の英国王室が魅了された味に限りなく近いだろうか。

筆者プロフィール
岩本順子 翻訳者、ライター。ハンブルク在住。ドイツとブラジルを往復しながら、主に両国の食生活、ワイン造り、生活習慣などを取材中。著書においしいワインが出来た!―名門ケラー醸造所飛び込み奮闘記 (講談社文庫)ドイツワイン 偉大なる造り手たちの肖像 他。
最終更新 Dienstag, 03 September 2019 15:03
 

ハッピー・バースデー!ヴァイスヴルスト

ハッピー・バースデー!ヴァイスヴルスト

ミュンヘン・レポーター ゲッペルみどり

白ソーセージ
主人がきれいに盛りつけてくれました

みなさんご存知でしたか?ミュンヘン名物ヴァイスヴルスト(Weißwurst)が、今年生誕150周年を迎えました。

ヴァイスヴルストは主に子牛肉を使った白ソーセージで、パセリなどの香草を混ぜているものが主流です。レモンも入っているので、柔らかでジューシーなのにさっぱりとした味わいが楽しめます。

時間が経つと味が落ちるため、作りたてを食べる直前に茹でるのがおいしく味わう秘訣です。冷蔵庫がなく、ソーセージも茹でずに保存しなければならなかった時代の名残りとして、「ヴァイスヴルストは正午の鐘の音を聞いてはいけない」という風習があります。そのため、レストランではいつでもヴァイスヴルストが食べられるわけではありませんのでご注意ください。

ヴァイスヴルストの歴史は、1857年2月22日にまで遡ります。ミュンヘンのマリエンプラッツにある家族経営レストラン「Zum Ewigen Licht」のオーナーのセップモーザー氏が、焼きソーセージ用の羊の腸を切らしてしまったある日、代わりに豚の腸を使ったところ、羊の腸に比べ太く仕上がったため、焼くとはじけてしまうのではと頭をひねり、茹でて調理したのが始まりでした。その後、このソーセージは大好評となり、南バイエルン地方に広まったといわれています。

しかし、ミュンヘンの情報マガジン「GO」3月号によると、違う説もあるようで、そこには「ヴァイスヴルストはミュンヘンで誕生したものではなく、ハンブルクで最初に考案され、北から南に輸入されたものだという説がある」と書かれています。私は「ハンブルク発祥地」説があることをまったく知らなかったので驚きましたが、これだけミュンヘンで愛されているヴァイスヴルストなのですから、ミュンヘン生まれのソーセージであることには変わりないと思ってい ます。

一方、GOのコラムニストは、次のように続けています。「ミュンヘン人にとって、ヴァイスヴルストは150年もの間、人生の晴れの日も雨の日も、なくてはならない存在として共に歩んできたものなのだ」


「Zum Ewigen Licht」で注文したヴァイスヴルストと
ブレッツェン、ヴァイスビア袋に入った甘いマスタード

ヴァイスブルストの伝統的な食べ方は2種類あります。1つ目は、先端にナイフで切り目を入れ、手に持って中身を吸い出す方法です。ドイツ人の夫は、これこそ正当な食べ方だと主張しています。新鮮なヴァイスヴルストであればあるほど、中身をチュルッと吸い出すことが簡単にできるとか。2つめは、お皿の上で縦半分にナイフで切れ目を入れて転がせて皮を取る方法です。一般的な食べ方なので、レストランではこの食べ方をお勧めします。

というのも私自身の失敗談なのですが、我が家では夫にならい中身をチュルッと吸う方法でしか食べたことがなかったため、切って転がせて皮を取る方法を知りませんでした。初めてレストランでヴァイスブルストを食べた時、上手に転がせて皮を取ることができずに苦労したのを今でも覚えています。

そしてヴァイスブルストには、なんといっても白ビール(Weißbier)と甘いマスタード(süßer Senf)とブレッツェン(Brezen)が欠かせません。私はヴァイスブルストとブレッツェンを食べて、白ビールを飲んでいる時、ミュンヘンに住む1人の人間として誇りを感じます。ヴァイスヴルストは、それくらいミュンヘンの生活に深く馴染んだソーセージなのです。

ご家庭でのヴァイスブルストのおいしい茹で方ですが、大きめの鍋に水を入れ、沸騰させます。沸騰したらコンロから鍋を下ろし、温度が75~80度くらいになったら塩とヴァイスヴルストを入れます。絶対に沸騰させてはいけません。また塩を入れるのもお忘れなく。塩がないと味気ないヴァイスヴルストになってしまうからです。パセリやレモンの皮を少し鍋に入れてもいいですね。15分くらいお湯につけるのが目安ですが、ヴァイスヴルストの先の皮が少し開いて中身が見えるようになったら、調理終了の合図です。できたてをホクホク味わいましょう。

私がお薦めするおいしいヴァイスヴルストが買える肉屋は2つあります。バイエルン州に245店舗ある大手の「VINZENZMURR」と、我が家の近くの伝統のある肉屋「SEDLMEIR」(Pfanzeltplatz 14)です。この肉屋は、なんと今年の2月に「ヴァイスヴルスト金賞」を受賞しました。以前に一度、日本人の知人にそのお店で買ったヴァイスヴルストをごちそうした時、彼女はあまりにもおいしくて4本食べてしまったくらいです。私もおいしくて4本食べてしまいました。人間っておいしいものに出会うと夢中で食べてしまうの かもしれませんね。

みなさんもミュンヘンのヴァイスヴルストを一度味わってみませんか。

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最終更新 Dienstag, 03 September 2019 15:08
 

ドイツでガーデニングライフを楽しむ

ドイツでガーデニングライフを楽しむ

休日に散歩していて、汗だくになって土を掘り起こしたり、はさみを片手に植物の手入れに、いそいそと励むドイツ人の姿を目にすることはありませんか。英国人のイングリッシュガーデンのようには知られていませんが、ドイツ人も何たってガーデニングが大好き。初夏の陽射しに誘われて、ドイツであなたもガーデニングデビューしてみませんか。今回は花より団子派に捧げます。(編集部)

1. クラインガルテンに挑戦

日本であれドイツであれ、庭付きの一戸建てに住む、なんていうのは誰にとっても憧れの的だろう。だがそうはいっても現実には一戸建てなんて夢のまた夢、ましてや大都市に住んでいると庭なんて...。でも大丈夫、何たってドイツはクラインガルテン(市民農園)の発祥の地。街中に住んでいようが、小さいながらも自分だけの緑のオアシスが持てるのだ。

クラインガルテンの歴史

イラストクラインガルテンはシュレーバーガルテン(Schrebergarten)とも呼ばれる。全国各地に協会(約1万5200団体)があり、その協会が会のメンバーに区画を貸し出すという方式になっている。クラインガルテンの歴史は古く、そもそもは19世紀初頭、貧しい人々に土地を貸し出して栄養源となる野菜や果樹を植えたのが始まりだ。その後、その運動のイニシアチブをとったシュレーバー氏の名前をとったシュレーバー協会が作られ、ライプツィヒに最初のクラインガル テンが生まれた。工業化が進む中、労働者にとっては郊外に住み、緑に触れ、花に囲まれた暮らしは夢の1つだった。そしてその後、とりわけ第2次大戦後の食糧難を解消するため、クラインガルテンが全国的に広がり、現在、ドイツでは計4万6640ヘクタールがクラインガルテンとして利用され、400万人以上が余暇に庭仕事を楽しんでいる。

どうやったら借りられる?

一番よくあるパターンが友人からの口コミ情報、あるいは親から譲ってもらうという人脈もの。もしコネがない場合は、新聞広告の不動産欄やインターネットで物件をチェックしたり、自宅近くの協会の連絡先を探してみよう。人気のある協会だと、順番待ちリストに登録されることになる。もしどうしても連絡先が分からない場合は、ウェブサイトのwww.kleingartenvereine.deにアクセスすれば、連絡先が閲覧できる。さらにもっと積極的に探したい場合は、同サイトの「探しています」に募集広告を載せてみるのも手だ。

いくらくらい費用はかかるの?

立地、面積によってコストは様々。ある協会では平米当たりの賃料が0.28ユーロ。会費や保険料なども含め、年間約250ユーロくらいが平均的だ。これに植栽費用、ガーデニング用具の購入費などが必要になってくる。

気をつけるべき点は?

それぞれの協会ごとに定款があるのでそれをよく読むべし。基本的には、(1)ガルテンをきちんと管理すること(2)騒音を出さぬよう静かにすること(3)コミュニティへの奉仕活動(年間約8時間)-が義務付けられている。自分の志向と一致しているか、確認してから申し込もう。何を植えるべし、あるいは何を植えざるべし(例えば針葉樹、ビャクシンなど)というのが逐一決められている所もあり、自分に合ったクラインガルテンを選ぶよう留意すべきだろう。

それでもやめられないクラインガルテンの魅力

土地を借りて自由に好きな作物を作りたい、と思っている人には少し窮屈な面もあるかもしれない。だが、自然と親しみ、日々のストレスを忘れ、同じ土地で庭仕事の労苦を他の人と分かち合うことで、新たな友人の輪が広がるかもしれない。それに何より、自分で汗を流し、手塩に掛けて作った野菜の成長を見守り、食卓で口にする喜びは何ものにも替え難い。

一口メモお庭の恋人?いえ小人、ガルテンツヴェルク
ドイツ文化の代表とも、悪趣味の代表ともいわれる庭の置物Gartenzwerg。従来の無毒スタイルをかなぐり捨てた、新しいスタイルのGartenzwergの登場によってリバイバルを果たした。

2. ガーデニングの達人に聞く

ガーデンの達人
上)菜園の前に立つ
Stuckenschmidtさん
中) 花と野菜が同居する
花壇
下)植えられるのを
待つばかりの幼苗
キューニクスウィンター(Königswinter)にある小さな村Rostingenの古農家Rostinger Hofに1975年より居を構える陶芸家のYoshie・Stuckenschmidt-Haraさん。約5000㎡の庭の中には池のある日本風庭園の一角あり、果樹園あり(リンゴやセイヨウスグリを初め、日本でおなじみの長十郎梨や梅も)、そして何よりも目を引くのは日本の野菜がスクスクと育つ菜園だ。

採種も自らが行い、タネから育てた野菜はカボチャ、トマト、ナス、ゴボウ、下仁田ネギ、春菊、(日本の)キュウリ、水菜、壬生菜、ミョウガ、シソ、枝豆などなど、郷愁をそそられる顔ぶればかり。(小豆も蒔いて、収穫まであと一歩のところだったのがサヤだけを残して何者かに食べられてしまったそう)。知り合いからもどんどん集まってくる野菜の種や苗を全て無農薬、コンポストを利用した有機栽培で大きくしている。

水はけのよい南斜面という地の利が幸いしてか、大抵の日本の野菜が作れるそうだが、これまでの経験で唯一うまくいかなかったのが大根。「何度作っても黒い線が入った」のだそうだ。それにしてもどうやってこれだけの野菜をうまく作れるのか?そのコツを聞いたところ、それぞれの特性に合わせてマルチをしいて雑草の生えるのを防いだり、 土の水分の蒸散を防いだり、連作をさせない、しっかりと苗作りをするといったいくつかの回答が返ってきたが、究極の決め手は「適度に水をやって、適度に肥料をやって、あまり愛情をかけすぎないこと」(Stuckenschmidtさん)にありそうだ。

子育て同様、成長を注意深く見守りつつ、甘やかさないことが大きな実につながるのだろう。

3. ベランダ菜園で手軽においしく

家で手軽に土に親しみたいならばベランダでだって立派に野菜が作れる。ただし、ベランダのある方角を事前にチェックするのをお忘れなく。野菜によっては日照時間が短いと実がならないものもあるからだ。また病虫害に強い品種を選ぶのも、収穫まで持っていくことができるかの重要なポイントだ。プランターで栽培するときに気をつけてやらなければならないのは限られた面積に植えられているので、肥料や水切れには気をつけよう。また植えるときにも十分間隔をとってやることが大切だ。

トマト

何と言ってもトマトの成長には日光が欠かせないので、ベランダは南向きがベター。葉に水がかかると病気にかかる原因となるので、雨よけには気をつけたい。また背が伸びるタイプではなく、こんもりと茂るベ ランダトマトを購入すると育てやすいだろう。

ピーマン

トマトとくればキュウリと答えたくなるのが日本人。だがご存知のようにドイツのキュウリはビックサイズのヘビキュウリ(Schlangengurke)あるいはピクルス用のミニキュウリしかない。そこでもっとポピュラーなピーマンに挑戦してみてはどうだろうか。場所をとらないが、肥料と水を十分与えるのを忘れないように。

ハーブ

ちょっとした料理のアクセントに欲しくなるのがハーブ各種。すっかりおなじみのバジルやミントはもちろん、日本ではあまり見かけない葉の広がったタイプのパセリや調味料マギーの原料にも使われるレビスチム(通称Maggiekraut)も試してみたい。これらハーブは切った後もどんどん伸びてくる。バジルの場合は花(種子)ができないよう、まめに摘み取るのが長く楽しむ秘訣だ。

サラダ

夏はサラダのシャキシャキ感がうれしい。ベランダ菜園にお薦めしたいのが摘みサラダ(Pflücksalat)。次から次へと収穫できるのでお得感がある。

一口メモ 農夫の法則(Bauern Regel)
気象予報技術が発達した今でも、昔からの経験則に基づいた言い伝えほど、あてになるものはない。例えば、 Mai kühl und nass füllt dem Bauer Scheune und Fass. (5月が涼しく雨が多ければ、実りは多く安心していられる)など一聴の価値がある。

4. ガーデニング用語

Laube f. 庭小屋
Gießkanne f. じょうろ
Schlauch m. ホース
Erde f.
Dünger m. 肥料
Saat f. 種子
Jungpflanzen f. 幼苗
Balkonkasten m. プランター
Topf m.
Beet n. 花壇
Gemüse n. 野菜
Kräuter f. ハーブ
Pflanzenschutzmittel n. 農薬(chem.- biolog.-)
Insekten f.
Ernte f. 収穫

5. オープンガーデンデーでよそのお庭を拝見

ブンデスガルテンシャウ

2年に1回の頻度で開かれるブンデスガルテンシャウ(Bundesgartenschau)。国レベルで開かれる庭関連の最大のイベントで、最新の庭のトレンドを知ることができるだけでなく、昔ながらの貴族のキッチンガーデンが再現されていたりと、庭に関する全てを知ることができる。今年は4月から10月までの間、チューリンゲン州のGeraとRonneburgで開かれている。詳しくはwww.buga2007.deでチェックを。

オープンガーデンデー

個人の庭をのぞいてみたいという人は各地で時期を異にして開かれるオープンガーデンデーに参加してみてはどうだろうか。「植物の美と不思議を他の人と分かち合う」とい うことを趣旨として1927年に英国で始まったプライベートガーテンの公開行事が、1989年からドイツでもハノーファーを皮切りにスタートしたのが全国に広がっていった。日程やどのガーデンが公開されているかは、www.dggl.orgを参照のこと。

一口メモ ガーデニング雑誌&TV
農薬や化学肥料を使わないBio商品が有名なドイツだけに、雑誌も自然志向を目指す人向けのKraut&Rüben、NatürlichGärtnernといった雑誌が人気。またFloraやMein schöner Gartenなどは眺めているだけでも楽しくなる一冊だ。なおテレビ好きには毎日18時からバイエルン放送で流れるQuerbeetをお薦めしたい。バイエルン訛りのナレーションと色鮮やかな植物の面々がのどかなひと時を約束してくれる。

編集後記
土と触れ合う機会があるという人はどれくらいいるでしょうか。環境問題や食の安全が叫ばれる時代の中で、ガーデニングは自然と親しむことの少なくなった都会人に自らの暮らしを見直すきっかけも与えてくれるかもしれませ ん。今回訪問させていただいたStuckenschmidtさんのお宅では健やかな庭を見せていただき、気持ちが晴れやかになりました。本当にありがとうございました。

参考文献 www.umwelt.jp

最終更新 Dienstag, 03 September 2019 15:28
 

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