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スーパーでの買い物に役立つ! ドイツの基本食材まとめ

ドイツニュースダイジェストの人気記事である「食材事典」シリーズでは、肉や野菜をはじめ、パンやお菓子など、さまざまなドイツの食材や料理をカテゴリー別に解説してきた。本特集では、そんな「食材事典」から、パンやソーセージをはじめ、ドイツの食を語る上で欠かせない基本の食材をご紹介。ドイツ生活を始めたばかりの人も、ぜひスーパーでの買い物に役立てて!
(文:ドイツニュースダイジェスト編集部、画像:iStock.com)

パン

現在、ドイツで登録・申請されているパンの種類は、地域特有のパンなどを含めると3000種類以上といわれる。ここでは、ドイツでよく目にする基本的な種類をピックアップ。

大型パン

ヴァイツェンブロートWeizenbrot

ヴァイツェンブロート

小麦粉を90%以上使用して作られた種類。ヴァイツェンブロートまたはヴァイスブロート(Weißbrot)と呼ばれる。弾力があり、柔らかい食感が特徴。日持ちはしないため、購入後は早めに食べきるのがベスト。

ミッシュブロート Mischbrot

ミッシュブロート

小麦粉とライ麦粉を同じ分量だけ使用した種類。小麦粉により中はしっとりとしており、サワー種のほんのりとした酸味があるため、調理パンとしてさまざまな食事に合わせることができる。

ロッゲンブロート Roggenbrot

ロッゲンブロート

ライ麦粉を90%以上使用したパン。ライ麦粉の割合が高くサワー種が使われるため、酸味が強く感じられる。表面が硬くて噛み応えがある食感のため、薄くスライスして食べるのが一般的。保存性に優れており、小麦粉をメインに使用しているパンよりも食物繊維が多く含まれているのがポイント。

小型パン

カイザーゼンメル Kaisersemmel
シュニットブロートヒェン Schnittbrötchen

カイザーゼンメル & シュニットブロートヒェン

カイザーゼンメル(左)とシュニットブロートヒェン(右)の味わいにはプレーン以外にもケシの実やゴマなどが上部にまぶしてあるものも。小さいサイズのパンを一般的にはブロートヒェンと呼ぶが、バイエルン州ではゼンメルと呼ばれている。

ラウゲンプレッツェル Laugenbrezel
ラウゲンブロートヒェン Laugenbrötchen
ラウゲンシュタンゲ Laugenstange

ラウゲンプレッツェル(左)ラウゲンブロートヒェン(中央)ラウゲンシュタンゲ(右)

ラウゲンとは、焼く前に水酸化ナトリウム水溶液に生地をくぐらせることで、表面が特徴的な茶色に仕上がったスタイルのパン。ビールの祭典オクトーバーフェストやビアホールでも販売されているプレッツェル(左)をはじめ、小型パンのラウゲンブロートヒェン(中)、スティック状のラウゲンシュタンゲ(右)などがある。

ドイツパンのおいしい食べ方

ライ麦粉の割合が高くなるにつれて、上に載せる具材は味が強いものを選ぶと良い。ヴァイスブロートならチーズやハムなどでシンプルに、ロッゲンブロートならサラミやスモークサーモン、クリームチーズなどと合わせてみよう。穀物がぎっしり詰まったパンなら、バターをたっぷり付けてシンプルにいただくのも◎。サンドイッチを作る際には、ヴァイスブロートと黒パンを合わせて食べるのも、味わいのバリエーションが増えるので、ぜひ試してみて。

パンの保存方法

購入したパンをすぐに食べない場合は、乾燥を防ぐためにビニール袋(パンの保存用ビニール袋もある)に入れる。食べる前にトースターなどで温め直すと、味わいがよみがえる。食べきれなかったパンは、スライスして小分けにし、冷凍室で保存するのがおすすめ。味の質が落ちてしまうので、冷蔵庫で保存するのは避けよう。

じゃがいも

ドイツ料理に欠かせない存在であるじゃがいも。ドイツには70以上もの国産のじゃがいも品種があり、調理法によって主に下記の3タイプに分けられている。

【硬】煮崩れしないタイプ

FestkochendAnnabelle, Bamberger Knolle, Belanaなど

Festkochend

茹でたり、炒めたり、オーブンで焼くなど、どんな調理方法でも形が崩れにくい。皮付きのまま調理した際、調理中に皮がむけないのも特徴。じゃがいもに含まれるでんぷんの量は平均14%と少ない。ドイツではサラダに利用されることが多いため「ザラート・カルトッフェルン」(サラダ用じゃがいも)と呼ばれることも。

【中】煮崩れしにくいタイプ

Vorwiegend festkochendeAmbo, Augsburger Gold, Jelly, Quartaなど

Vorwiegend festkochende

約15%のでんぷんを含み、品種によって硬めから少々柔らかくなるものまでバラエティ豊か。ポメス(フライドポテト)やマッシュポテトなどの付け合わせから、シチューやキャセロールなどのメイン料理、カルトッフェルズッペ(じゃがいものスープ)などのサイドメニューまで、幅広い調理法の料理に利用することができる。

【柔】煮崩れしやすいタイプ

Mehlig kochendeAckersegen, Finka, Marabel, Reichskanzlerなど

Mehlig kochende

約16.5%のでんぷんが含まれており、水分が少なめ。とろみのあるカルトッフェルズッペや、ピューレ、クヌーデル(じゃがいも団子)、ニョッキ、マッシュポテトなど、潰してペースト状にして調理するのが一般的。餃子の具材に混ぜたり、コロッケのタネとしてもおいしくいただけるので、日本食にもマッチする。

ドイツでよく見る野菜

スーパーでよく見かけるけど、どうやって調理すれば良いのかいまいち分からない、日本ではなじみのない野菜。その活用法はさまざま。調理方法を知り、料理のレパートリーに加えてみて。

白アスパラガス Spargel

Spargel

春季限定で市場に出回る白アスパラガスは高級な野菜。ゆでたシュパーゲルにオランデ-ズソースをかけていただくスタイルをはじめ、スープやオーブン焼きなどさまざまな楽しみ方がある。

フェンネル Fenchel

Fenchel

豊かな芳香を持ち、株・葉・茎・種全てが使えるフェンネルは、魚との相性が抜群。特にスパイスの効いたフェンネルシードは香り付けに使用するのに最適かつ、ハーブティーに使われることも。

コールラビ Kohlrabi

コールラビ Kohlrabi

カブのような丸い実のコールラビは、葉(茎部分)を切り落とし、皮を剥いで中の白い部分を使用する。シチューやスープなど煮込み調理に用いたり、グラタンにしたりしてもおいしい。

チコリー Chicorée

チコリー Chicorée

甘さの中にほんのりとした苦味を感じるチコリーは、生のままサラダに入れて食べたり、葉を一枚ずつちぎって魚介のマリネを載せてオードブルに使ったりするほか、天ぷらにしても◎。

キャベツ

ドイツのキャベツ(Kohl)には、キャベツに白菜、ケール、芽キャベツなど、さまざまな種類がある。特にキャベツの種類は用途によって変わってくるので選ぶ際は要注意!

円すい形キャベツ Spitzkohl

円すい形キャベツ

円すい状の尖がった形。結球内の葉は程よく詰まっているため、日本のキャベツの食感に最も近い。キャベツの千切りやお好み焼きなど日本食との相性が良いのはこのタイプ。

白キャベツ Weißkohl

白キャベツ

一般的にザワークラウト用として使われるキャベツで、結球内に葉が隙間なくぎっしりと詰まっている。硬くて切るのが困難なため、通常の調理には向かないタイプ。

白菜 Chinakohl

白菜

ドイツ語で「中国キャベツ」の意味を持つ白菜は、ドイツのスーパーでも定番の野菜。日本の白菜とほとんど変わらない味わい。

ケール Grünkohll

ケール

日本では青汁でおなじみのケールは、冬になると生でスーパーに出回ることも。特に北ドイツでは冬季の定番として、お肉料理の付け合わせに登場することが多い。

ソーセージ

じゃがいもやパン、ビールと共にドイツで愛されているソーセージ。約1500ものバリエーションがあるといわれており、地域に根付いた品種が数多くそろうのも特徴だ。

フランクフルト Frankfurter Würstchen

フランクフルト

地域:フランクフルト
別名:Wiener Würstchen
おいしい食べ方:80度のお湯で8分煮る。マスタードを付けて。

日本人になじみ深い、長さ15~20センチの細長いソーセージ。パリッとした噛み応えが特徴。

白ソーセージ Weißwurst

白ソーセージ

地域:ミュンヘン
別名:Münchner Weißwurst
おいしい食べ方:ボイルした後、皮をむき、甘いマスタード(Süßer Senf)を付けて。

仔牛肉と豚の脂身にハーブや香辛料を混ぜて作る。鮮度が命の柔らかいソーセージ。

テューリンガー Thüringer Rostbratwurst

テューリンガー

地域:テューリンゲン州
おいしい食べ方:カリッと焦げるまで焼き、マスタードを付けて。

15世紀から作られている伝統的なソーセージ。にんにくとキャラウェイ、マジョラムなどが混ぜ込まれている。

ニュルンベルガー Nürnberger Rostbratwurst

ニュルンベルク

地域:ニュルンベルク
おいしい食べ方:玉ねぎと酢で煮込む「Saurer Zipfel」もおすすめ。

脂肪分が多くジューシーな小ぶりのソーセージ。マジョラムの味がアクセントになっている。

メット Mett

メット

おいしい食べ方:パンに塗るのが王道。ネギトロ丼のようにご飯と一緒に食べても。

保存処理をした生の豚ひき肉(Mett)を使用した、スプレッドタイプのソーセージ。胡椒などの香辛料で味が付いており、みじん切りの玉ねぎが入っているものもある。

ハム

ソーセージ同様、種類が豊富なドイツのハム。パンやチーズと一緒に食べたり、サラダやパスタに使ったりと、さまざまなバリエーションを楽しもう。

調理ハム Kochschinken

調理ハム

ジューシーな味わいでさまざまな料理に合わせやすい一般的なハム。生ハムに比べ、水分を多く含むため購入後は早めに消費するのが良い。野菜やハーブのほのかな風味が感じられるものや、蜂蜜を使用したマイルドな味わいのものなど、バリエーションも多種多様。

生ハム Rohschinken

生ハム

生ハムは、熟成させることによってほかのハムにはないアロマが感じられるのが特徴。塩漬けして乾燥させるタイプ(Luftgetrockneter Schinken)と、加工せず薫製するタイプ(Räucherschinken)がある。前者は、ゆっくりと時間をかけて乾かすため、気候が温暖な南欧の地域での生産が主流。また、後者は、より寒く湿った地方での生産が適している。

鶏ハム / 七面鳥ハム Geflügelschinken (Hähnchen Schinken) / Putenschinken

鶏ハム / 七面鳥ハム

鶏肉から作られたハムは、さっぱりとした味わいとヘルシーさが特徴。種類には胸肉(Brust)を使用したもの、サラミなどさまざまなタイプがある。トルティーヤサンド、サラダの具材などフレッシュなままいただくのがおいしい。

ラクスハム Lachsschinken

ラクスハム

サーモン(Lachs)から作られているわけではなく、豚の背肉や背脂肉が「サーモン」と呼ばれていること、マイルドでほのかな塩気を感じられるなど味わいがサーモンに似ていることからこのように名付けられた。さまざまな種類のパンと相性が良いのでサンドイッチのほか、パスタやスープの具材としても使える。

チーズ

欧州一の牛乳生産量を誇るドイツ。国民1人当たりのチーズの年間平均消費量は、なんと24.6kg!スーパーマーケットの棚にはありとあらゆるチーズが並んでいるので、さまざまな種類を試してみよう。

ハードチーズ Hartkäse

ハードチーズ

Emmentaler, Bergkäse, Chesterなど
長期保存が効き、コクのある深い味わい。水分は少なく、脂肪分は45~50%。薄切りにして味わうか、すり下ろして料理に使う。熟成期間は3カ月以上で、1年以上熟成させるものも多い。低温殺菌牛乳から作るチーズは、より早く熟成し、マイルドな味になる。

スライスチーズ Schnittkäse

スライスチーズ

Gouda, Edamer, Tilsiter, Wilstermarschなど
柔軟性があり、薄くスライスするのに向いている。脂肪分は20~50%。最低でも5週間は熟成させる。棒状、球状、ブロック状など形もさまざま。乾燥を防ぐためにワックスなどのコーティング材で覆われているものもあり、食べる際に取り除く。

セミハードチーズ Halbfester Schnittkäse

セミハードチーズ

Halbfester SchnittkäseSteinbuscher, Edelpilzkäse, Butterkäse, Weißlackerなど
スライスチーズよりも柔らかい。脂肪分は30~60%。羊、山羊の乳から作るフェタチーズは、ギリシャ産のものだけが「フェタ」と名乗ることができ、ドイツでは同じ製法のチーズはSchafskäse、Balkankäse、Hirtenkäseなどの名称で販売されている。

ソフトチーズ Weichkäse

ソフトチーズ

WeichkäseCamembert, Brie, Romadur, Limburger, Münsterkäseなど
カマンベールのように皮を白カビで覆い熟成させたものと、表面が黄色や赤茶色で湿っているリンブルガーなど、大きく2種類に分類される。20~60%の脂肪分で、中身はクリーミーで柔らかい。最低でも4週間熟成させる。

フレッシュチーズ Frischkäse

フレッシュチーズ

Quark, Schichtkäse, Rahmfrischkäse, Doppelrahmfrischkäseなど
熟成させず、牛乳を凝固、脱水したもの。水分が多く、保存期間は短い。ハーブ入りなどバリエーションが豊富。ドイツの食卓でおなじみのクヴァルクは、軽く酸味があり、口当たり滑らか。

お肉を注文してみよう! 精肉コーナーで役立つドイツ語

ドイツ料理といえば、ザ・肉! スーパーではさまざまな種類の肉を手に取れるが、日本との違いといえば、豚や牛の薄切り肉、骨なしの鶏もも肉が売っていないことなど。精肉コーナーでは、必要な量だけ買えたり、肉のスライスなどにも対応してくれるので、ぜひ注文してみよう。

精肉コーナー

❶ 肉の種類
  • 牛肉 das Rind
  • 子牛 das Kalb
  • 子羊 das Lamm
  • das Schwein
  • 七面鳥 die Pute
  • das Hähnchen
  • ガチョウ die Gans
  • カモ die Ente
❷ 肉の部位の呼び方
  • ひれ肉 das Filet
  • 首肉 der Nacken
  • 胸肉 die Brust
  • バラ肉 der Bauch
  • 肩肉 die Schulter
  • もも肉 der Schenkel
  • もも肉、牛のそともも die Keule
  • (豚・子牛・羊などの)あばら肉 das Kotelett
  • ひき肉 das Hackfleisch
  • レバー die Leber
❸ 要望を伝える
  • 500gください 500 Gramm, bitte.
  • (ソーセージなど)5本ください 5 Stück, bitte.
  • 骨を取ってください Ohne Knochen, bitte.
  • 皮を取ってください Ohne Haut, bitte.
  • 薄切りスライスにしてください  Dünne Scheiben, bitte.

※「wie Schinken」(ハムのように)など、具体的に薄さのイメージを伝えると良い

最終更新 Mittwoch, 23 April 2025 14:24
 

本当においしい蜂蜜を求めて ドイツの養蜂家から学ぶ
ミツバチとハチミツのこと

ミツバチとハチミツのこと

気候変動や農薬使用によりミツバチの数が激減していることはたびたび報道され、世界中で警鐘が鳴らされてきた。そして昨年10月、ドイツのスーパーで売られている蜂蜜の80%が偽物である……という衝撃的な事実が発覚し、養蜂業界に激震が走った。いったい今、ミツバチや養蜂業界で何が起きているのか。本特集ではミツバチとの共存について考え、本当においしい蜂蜜を手に入れるため、ドイツ在住の養蜂家・メルヒャー華代子さんにお話を聞いた。 (文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

スーパーの蜂蜜の80%がフェイク⁉ 養蜂業界で今起きていること

パン食を基本とするドイツの食卓では、蜂蜜は欠かせない存在だ。ドイツにおける蜂蜜の消費量は年間1人当たりおよそ1キロと、世界でもトップクラスを誇る。また、趣味で養蜂をする人の割合も高い。しかし、ドイツで消費される蜂蜜の58%は外国産で、その多くはウクライナやアルゼンチン、メキシコなど欧州連合(EU)外から輸入されたものだ。その背景には、気候変動や昨今のインフレを理由とした生産コストの増加による蜂蜜の価格高騰がある。人々はより安価な外国産の蜂蜜を購入するようになり、ドイツ産が売れ残るような事態になっている。

低価格の蜂蜜が欧州市場に溢れているため、欧州の養蜂家たちは収入を得られず、一部の国では4分の3の養蜂家が事業を止めざるを得ない状況に陥っている。この危機に立ち向かうため、ドイツおよび欧州職業養蜂家協会は、2024年にドイツのスーパーマーケットで販売されている30の蜂蜜を無作為に選び、DNA検査を実施した。その結果、30のサンプルのうち25(83.3%)は蜂蜜以外が混じった不純物であることが発覚したのだった。さらに衝撃的なことに、これにはオーガニックやフェアトレードをうたうブランドの製品も含まれている。

ハチミツ

この不純物は、蜂蜜に主に米やトウモロコシ、てん菜などのシロップを混ぜたもの。従来のドイツの検査方法では本物の蜂蜜と見分けることができなかったが、今回エストニアで行われたDNA解析によって偽造が判明した。現時点で偽造された蜂蜜が健康に害があるかどうかは分かっていないが、味には明確な違いがある。偽物の蜂蜜は口の中ですぐに味がしなくなる一方、本物の蜂蜜は舌の上に風味が長く残るという。こうした状況を受け、現在ドイツや欧州の養蜂家たちは蜂蜜のDNA鑑定の義務化を求めている。

消費者としてできることの一つは、ドイツや欧州の養蜂家たちが生産する蜂蜜を購入すること。養蜂家を支援することは、農業に必要不可欠な花粉交配を担うミツバチたちを守ることにもつながる。次ページからは、ドイツで養蜂の一手を担うメルヒャー華代子さんに教わった、養蜂家の暮らしやミツバチの生態についてご紹介する。

参考: Deutscher Berufs- und Erwerbsimkerbund e.V.「Schock nach DNATest: 80 Prozent der Honigproben gefälscht!」、SWR「DNA-Analysen in der Lebensmitteluntersuchung Honig: Viel weniger von der Biene als gedacht?」

ドイツ人の蜂蜜愛

ドイツで養蜂家として生きる

フランクフルト郊外で、養蜂家として暮らすメルヒャー華代子さん。今年で養蜂を始めて12年目を迎える。養蜂家になったきっかけやその暮らしぶり、ミツバチの生態までたっぷりお話を伺った。(写真提供:メルヒャーさん)

お話を聞いた人

メルヒャー華代子さん

フランクフルト郊外に住む養蜂家。オーデンヴァルトの果樹園兼養蜂場で、家族と共にミツバチの飼育、蜂蜜と蜜蝋、蜜ろうプロダクトの販売をする。そのほかにも養蜂やミツバチに関するワークショップやセミナーを開催するなど、幅広く活動している。
https://gwuwk.hp.peraichi.com/melchers-honig

蜂蜜取扱店:飯守市場(フランクフルト)、ユニコン(ハイデルベルク)

養蜂場に並ぶ巣箱メルヒャーさんの養蜂場に並ぶ巣箱。下から一段目はミツバチの居住箱、二段目より上が蜂蜜だけを貯める蜜箱

ドイツの蜂蜜のおいしさに衝撃

日本にいた頃から蜂蜜が大好き……というわけではなかったメルヒャー華代子さん。蜂蜜に目覚めたのは、ドイツで義理の両親と住んでいたときだったと話す。「義理の父が養蜂家から蜂蜜を直接購入していて、それを食べさせてもらったことがあって。とてもおいしくて、衝撃を受けました。日本ではあまり見ない白っぽいクリーミーな蜂蜜でした」

その衝撃を受けてから、メルヒャーさんは自宅でも蜂蜜を採れたらいいなと考えるようになった。そんな折、自宅近くで養蜂を習えるコースがスタートするという話を耳にした。ドイツには「ドイツ養蜂協会」(Deutscher Imkerbund e. V.)という団体があり、各地で養蜂を始めたい人のためのコースが開講されている。メルヒャーさんが通い始めたのも、地域のドイツ養蜂協会が主催するコースだった。

養蜂場で作業するメルヒャーさんと夫のペーターさん養蜂場で作業するメルヒャーさんと夫のペーターさん

「最初は巣箱一つから始めました。ただ、遠心分離機などの機材が高額なこともあり、巣箱は複数ある方がより効率よく蜂蜜を生産することができます。毎年少しずつ巣箱を増やしていき、今では35箱くらいになりました。蜂蜜は1シーズンで一箱でおよそ30キロ、いい年では50キロくらい採れます」。巣箱の数が増えた現在、メルヒャーさんは新しく養蜂を始める人や自分たちのミツバチが死んでしまったという養蜂家に対して、コロニー(女王蜂と働き蜂からなる群のこと)の販売もしている。

また、ヘッセン州では蜂蜜のコンテストが毎年開催されており、メルヒャーさんも毎年参加している。コンテストでは養蜂家から提出された蜂蜜に対して、ラボで農薬、化学物質、抗生物質が混入していないか、栄養価、味や香りはどうかなど品質検査を行い、金・銀・銅にランク分けされる。メルヒャーさんの養蜂場は、コロナ禍の数年を除いて毎年金賞を受賞しており、質の高い蜂蜜の生産を続けている。

コンテストで金賞コンテストで金賞を受賞したことを示す賞状

ミツバチから考える環境のこと

養蜂の仕事は、天気や気温に左右される。昨今は気候変動の影響で雨が多い年があるが、蜂蜜の採取量にも大きな影響が出るという。「雨が降るとミツバチたちは外へ出て行かないので、巣箱に貯めた蜜を食べてしまうんです。特に2023年は各地で洪水が起こるなど雨が多かった年で、例年の10分の1ほどしか蜂蜜が採れませんでした」。また気温によっては花が開花しても蜜を吹かず、ミツバチが花蜜を集められない。花粉がないとミツバチの幼虫も育たない。さらにミツバチたちが花粉交配をしなければ、私たちの食の問題にも大きな影響を及ぼす。「つまり自然を守ることが大事なのです。2018年にグレタ・トゥーンベリさんの気候変動ストライキ『フライデーズ・フォー・フューチャー』で、子どもや若い人の環境への関心が高まりました。その影響もあってか、最近は若い人たちも養蜂家のコースに通っているなと感じます。今ではウェイティングリストがあるほどです」

ドイツでは、ミツバチの好む花にはミツバチのマークを付けて売られていたり、イベントなどで花の種が配られたりと、ミツバチ・フレンドリーな取り組みも多く見られる。メルヒャーさんの養蜂場でも、ミツバチや養蜂を通じて自然環境の大切さを広め、自然と共存することを理念に掲げている。その一環として、自宅や出張先で蜂蜜テイスティングを兼ねたワークショップを開いたり、日本人学校の職員研修、日本や海外の学校向けにオンラインで特別講師として授業をしたりするほか、養蜂場の敷地に毎年1~2本ずつ木を植えるといった活動にも力を入れる。

また、ミヒェルシュタットの城壁の一角には、市が管理するミツバチの巣箱が設置されており、メルヒャーさんの養蜂場から運んできたミツバチたちが暮らす。巣箱のある小径は「Naschgarten」(つまめる庭園の意味)と呼ばれ、ラズベリーやイチゴが植えられており、散歩中の人が自由に果実を食べられるようになっている。これもまた、環境を意識した取り組みの一つだ。

Naschgartenに設置された青色と黄色と巣箱Naschgartenに設置された青色と黄色と巣箱

「ミツバチが怖いと思っている方もいらっしゃると思います。でもハナバチであるミツバチやマルハナバチは、訪花している時は人を攻撃することはなく、静かに見ているだけであれば問題ありません。ただし巣に近づいたり、間違って触ってしまったりすると、自分たちを守るために刺すこともあります。ミツバチが私たちにとって大切な生き物であることはもちろん、こういったミツバチの生態を子どもの頃から知っていれば、大人になったときもミツバチを守るための行動が取れるのではないかと考えています」

ドイツに生きる養蜂家として、自然や環境を守ることを熱心に話してくださったメルヒャーさん。草木を飛び回るミツバチを見つけたり、パンに蜂蜜を塗ったり、日常の風景の中には、私たちの未来について考えるきっかけがたくさんある。そのことに、あらためて気づかせてもらった。

ミツバチ手を伸ばすと逃げてしまうことが多いミツバチだが、ちょこんと手に乗ることも

養蜂家の一年

春に活動を始め、夏から秋にかけて飛び回り、冬はじっと待つ……。季節によってミツバチの仕事が違うように、養蜂家にもさまざまな仕事がある。ここではメルヒャーさんの養蜂場を例に、養蜂家の一年の流れを追う。(写真提供:メルヒャーさん)

1~2月

冬越し中は家の中での仕事

ミツバチは自らの熱で巣箱を温めて冬を越す。養蜂家によっては冬季も巣箱の中をチェックするが、温度が下がるとミツバチにストレスがかかるため、メルヒャーさんのように春までノータッチという養蜂場も。またこの季節は、蜜蓋の蜜ろうを溶かして作る「巣礎」(蜜ろう板)を用意する作業や、蜜箱のメンテナンスなどをする。ちなみに、冬は仕事が少ないため、養蜂家にとって旅行などに出やすい時期でもある。

ミツバチ(写真左)「巣礎」を巣枠にセットする様子
(写真右)雪に包まれたメルヒャーさんの養蜂場の様子

3月

気温が上がったら養蜂の季節のスタート

巣箱の中は、ミツバチたちの体の熱により常に35度前後に保たれている。巣箱の温度が急に下がらないよう、しっかり気温が上がるまではそっとしておくことが大切だ。まだ気温が十分上がっていないときに巣箱のふたを開けると、ミツバチが驚き、刺されてしまう可能性もある。

4~7月

巣箱を定期的にチェック

ミツバチたちが活動を始めたら、きちんと産卵されているか、「王台」(女王蜂の生まれる特別な巣)ができているか、幼虫が育っているかなどを確認するため、毎週巣箱の中をチェックする。

5~6月

巣分かれの時期

5~6月は巣分かれの時期。新しい女王蜂が誕生すると、もともと巣にいた女王蜂は、半分に当たるおよそ2万匹の働き蜂を引き連れて、新しいコロニーを作る。そのため、あらかじめ人の手でコロニーを二つに分ける作業をする。

5~7月

4~6週間サイクルで採蜜

巣の中にいるミツバチたちは羽を動かして蜜を乾かし、蜜ろうで巣に蓋をする作業をしている。巣がしっかりと蜜ろうで覆われたら、フォークのような道具で蜜蓋を取り除く。蜂蜜の詰まった巣枠を遠心分離機にかけて蜂蜜を取り出し、ゴミなどを取り除いたものを瓶詰めする。早くて5月にその年最初の蜂蜜が採れる。一度のサイクルがおよそ4~6週間(天候による)で、これを7月頃まで繰り返す。

蜜ろうを採取蜜蓋(蜜ろう)を採取する様子

蜜遠心分離機遠心分離機で取り出された蜂蜜が出てくる様子

8月

冬の餌を用意

ミツバチは冬越しの間も眠らず、食事をしながら自ら熱を発して過ごす。夏の間、巣枠を6枚から10枚に増やし、巣の上に特別な餌箱を置く。その中に液体の餌を入れると、ミツバチたちは追加した4枚の巣枠にそれを貯める。

液体の餌(Weizenstärke)を入れているところ液体の餌(Weizenstärke)を入れているところ

9月

ダニの駆除意

蟻酸を使い、バロアミルべというミツバチにつくダニの駆除をする。ダニが寄生するとミツバチの免疫力が落ち、病気にかかりやすくなる。また奇形が生まれたり、成長不良が起きたりすることもあり、全滅してしまうことも。駆除が終わったら、冬越しの準備は完了!

ダニを駆除ダニを駆除するための準備をするメルヒャーさん

ドイツで養蜂家になるには?

ドイツ養蜂協会に所属して、養蜂を学ぶ

「Imkerverein+住んでいる地域名」で検索すると、近くのドイツ養蜂協会が見つかる。養蜂を始めたい人は、地域の協会が主催する養蜂コースに申し込む。地域によって多少違いはあるが、そのシーズン中は週に1回コースに通い、ミツバチの飼い方を座学と実践を通じて学ぶ。コースでは、励まし合ったり相談したりできる養蜂仲間も見つかる。

ミツバチを飼える環境を整える

養蜂をする場所には、気温差が激しくない、草木のある広いところが理想的。建物の屋上などは太陽の照り返しで暑かったり、冬の間は風が強く寒かったりすることもあるため、養蜂に適さない場合もある。

除草剤、農薬は使わない

EUでは、除草剤や農薬に対して厳しい規制が設けられているため、原則使わない。

近所の同意を得る

ミツバチは家畜として登録が必要。また、巣分かれの時期にミツバチが大群で飛び立つこともあるため(詳しくはp12)、養蜂を始める前に隣近所の同意を得ておくのがベター。

知らなかった! ミツバチの秘密

人間はミツバチなしでは生きられないにもかかわらず、実はミツバチのことをあまり知らないかも… …という人は少なくないだろう。ミツバチたちの生態を知って、さらに身近に感じてみよう。

ドイツで見られるミツバチは2種類

ドイツではもともと、自然に存在していたカーニカ(Kärntner Biene)と、人工交配によって生まれたバックファスト(Buckfastbiene)という2種類のミツバチが見られる。コロニーによってはどちらの種類も共存している。ミツバチが雑種になることはなく、オスの種類によって生まれる種類が決まる(女王蜂は複数のオスと交尾する)。

ミツバチは2種類

オスは1割しかいない

コロニーには女王蜂1匹のほか、オスが約1割、メスが約9割生息している。雌雄は女王蜂の産み分けによって決まる。働き蜂は全てメス。オスは交尾のみのために生まれ、晩夏になると巣箱から追い出されてしまう。ちなみにオスは針を持たず、外敵と戦うことはできない。冬越しはメスが女王蜂を囲んで温める。

女王蜂はローヤルゼリーのみを食べる

ローヤルゼリーは女王蜂のために抽出される特別な物質で、水分の多いヨーグルトのような形状をしている。女王蜂の寿命は4~5年と長く、その栄養価の高さが伺える。かつてローマ法王だったピオ12世(1876-1958)が危篤状態のときに、ローヤルゼリーを投与して回復したことから、その効能が注目されるようになった。

中央にいる体の大きい個体が女王蜂中央にいる体の大きい個体が女王蜂

採取したローヤルゼリー採取したローヤルゼリー

女王蜂は毎年生まれる

女王蜂は誕生から約1週間後、交尾のために一度だけ外へ飛び、その後は巣にとどまって毎日約2000個の卵を産む。新しい女王蜂は毎年生まれ、巣内で複数同時に誕生した場合は刺し合いで生き残れる女王が決まる。分蜂をすることで子孫(コロニー)を増やしていく。

働き蜂の仕事は内勤から始まる

春から秋までの働き蜂の寿命はおよそ40日間。成虫になった働き蜂は、掃除、幼虫への餌やり、ローヤルゼリーの分泌、蜜ろうの分泌、巣の建設のほか、蜜を乾かしたり、外敵が入らないように門番をしたりするなど、順番に内勤を行う。これをおよそ20日間行ったあと、残り20日間は命が尽きるまで、蜜と花粉を集めに外を飛び回る。

働き蜂は飛び回りながら食事する

働き蜂は蜜のう(蜜袋)がいっぱいになるまで蜜を集めるが、半分は自分で消化して、半分は巣に持ち帰る。採蜜の際は、幼虫を育てている一番下段の巣枠は手をつけずに残しておき、その上に積んだ巣枠から蜂蜜を採取する。

6~8キロ先まで飛行

ミツバチの体重はわずか80ミリグラム。働き蜂はコロニーから最大6~8キロの範囲を飛び、花の蜜と花粉をそれぞれ40ミリグラムまで運ぶことができる。これを1日30回往復する、文字通りの働き者だ。

ちゃんと自分の家が分かる

ミツバチは帰巣本能があり、太陽の位置を基準にして飛行する。巣の周りのランドマーク(木や建物等)や自分の巣箱の匂いを頼りに、蜜を集めて巣に帰ってくる。

「巣分かれ」で逃げ出すことも

分蜂(巣分かれ)の時期に雨が続き、翌日晴れて気温が上がると、ミツバチたちが一斉に逃げてしまうことも。ミツバチたちは仮の住まいとして近くの木に滞在していることも多く、見つかったら枝ごと切り取って新しい巣箱に入れる。ただし、高いところの場合は救出作業ができないことも。多くはそのまま冷たくなって死んでしまう。

メルヒャーさんがミツバチたちを救出する様子メルヒャーさんがミツバチたちを救出する様子。2024年は10回ほどこの作業が発生した

ミツバチを殺すと罰金!?

ドイツの野生動植物の保護に関する条例(BArtSchV)により、ミツバチは特別保護種に指定されている。そのため、捕獲のほか、傷つけたり殺したりすることは禁じられている。州によって異なるが、最大6万ユーロの罰金が科せられる。もし庭に蜂の巣や分蜂をしたミツバチの塊を見つけた場合は、自分で対処しようとせず、近所の養蜂家などに相談するのがよい。なお、スズメバチも同じく保護対象になっている。

おいしい蜂蜜を手に入れる&食べるポイント

手に入れる

養蜂家から直接購入しよう

スーパーで売っている大手ブランドの蜂蜜は、さまざまな場所から集めた蜂蜜を一つにまとめて瓶詰めしている。ラベルには基本的に「EU産」「非EU産」「EU産と非EU産」しか記されていないため、先述の不純物が混ざっている可能性が高い。また適正な期日を待たずに採取した水分の高い蜂蜜を加熱して、水分を飛ばしているという事実も消費者が判断することは難しい(ドイツでは水分18%以下の蜂蜜が流通している)。純粋な蜂蜜を手に入れたい場合は、養蜂家から直接購入するのが一番の近道だ。地域の養蜂家の蜂蜜を購入することは、養蜂家のサポートにもつながる。

メルヒャーさんが販売する蜂蜜各種メルヒャーさんが販売する蜂蜜各種

ドイツ養蜂協会の蜂蜜を買おう

ドイツ養蜂協会では、1925年から「Echter Deutscher Honig」(本物のドイツの蜂蜜)というブランドを展開している。この蜂蜜は法律よりも厳しい品質ガイドラインをクリアしたものだけに与えられ、専用のラベルと管理番号が付与される。購入可能な場所は協会の公式ホームページで調べることができる。ガラス瓶は再利用されるため、食べ終わったら購入場所などで返却しよう。

「Echter Deutscher Honig」のラベルと金賞のシール「Echter Deutscher Honig」のラベルと金賞のシールが貼られたメルヒャーさんが販売する蜂蜜

食べる

朝と晩に小さじ1杯ずつ食べよう

メルヒャーさんのおすすめは、朝と晩に蜂蜜を小さじ1杯ずつ食べること。2020年のオックスフォード大学の研究結果によると、せきや風邪の治療には、市販薬よりも蜂蜜が有効である可能性が指摘されている。また蜂蜜には、およそ180種類以上の栄養素が含まれているといわれる。賞味期限も半永久で、加熱せずにそのまま食べられるため、非常時への備えとしても◎。なお、蜂蜜は賞味期限を表示する義務はあるが、蜂蜜自体は密閉容器で室温20~25度、暗所で無期限に保存することができる。15度以下で結晶化が始まり、硬くなってしまうため、冷蔵庫には入れないこと。

蜂蜜に含まれる栄養素の例
  • ミネラル
    ナトリウム、カリウム、カルシウム、マグネシウム、セレン、鉄、亜鉛、銅など
  • ビタミン
    ビタミンB1、2、3、5、6、7、9、ナイアシンなど
  • アミノ酸
    必須アミノ酸9種類、リジン、バリン、アルギニン、ロイシン、イソロイシンなど
  • ポリフェノール
    カフェ酸、ρ- クマル酸、フェルラ酸、クリシンなど
  • 有機酸
    グルコン酸、乳酸、酢酸、クエン酸など

朝と晩に小さじ1杯ずつ食べよう

砂糖の代わりに蜂蜜を取り入れよう

蜂蜜は栄養豊富で、単糖である。花の蜜(ショ糖)は、ミツバチの蜜のう(蜜袋)の中で果糖とブドウ糖に分解される。蜂蜜を食べても胃で分解する必要がほとんどなく、体内での消化吸収が早い。そのため、砂糖の代用品として取り入れるのがおすすめ。スタンダードに、パンに塗ったりヨーグルトや果物にかけたりするほか、スムージーやジュース、レモネードに入れても合う。使い方に困った場合は、サラダのドレッシング、煮物やカレーの隠し味にも◎。ただし、蜂蜜は高熱にさらされると、ビタミンや酵素が破壊されるため、温かい飲み物に入れる時は40度くらいまで冷ましてからがベター。

【注意】蜂蜜は1歳を過ぎてから!

1歳未満で蜂蜜を食べることにより、乳児ボツリヌス症という死に至る病気にかかることがある。そのため、腸内環境の整う1歳を過ぎるまでは蜂蜜そのものや蜂蜜の入った飲み物や食べ物は与えないことが強く推奨されている。(参考:厚生労働省)

砂糖の代わりに蜂蜜を取り入れよう

季節ごとに採れる蜂蜜の種類*

蜂蜜を楽しむには、好みの味を見つけるのが一番。また、自分の体調によって味が違って感じられることも。ここでは、メルヒャーさんの養蜂場で採れる蜂蜜を紹介。いろいろ食べ比べて、お気に入りを探してみて!
*花の種類と開花時期

3月

メープル(Ahorn)

メープル(Ahorn)

ドイツでは珍しいタイプの蜂蜜。メルヒャーさんの養蜂場の近くにはカエデの並木道があるため、最初に採れる種類。濃厚で奥深く優しい甘みがある。なお、メープルシロップは樹液を採取してに煮詰めたもの。

メープル(Ahorn)

4月

菜の花(Rapsblüte)/ タンポポ(Löwenzahn)

菜の花/タンポポ

菜の花やタンポポはブドウ糖を多く含むため、結晶化しやすい。固まる前に攪拌させて空気を含ませることで、日本では珍しい白っぽいクリーミーな蜂蜜に仕上がる。パンに塗るのはもちろん、お菓子のような感覚でそのまま食べてもおいしい。

菜の花/タンポポ

5月

アカシア(Akazien)

アカシア

アカシアの白い花は、満開になると藤の花のような上品な甘い香りが漂う。色はクリアで、クセが少なく甘みが強い、日本でもなじみのある蜂蜜の一つ。気候変動で開花時期に雨が続くと、ほかの蜜と混ざってしまうこともあり、希少性が高い。

アカシア

6月

ボダイジュ(Linden)

ボダイジュ

初夏に鈴のような小さい白い花をつけるボダイジュの蜂蜜は、すっきりとしたハーブのような風味が特徴。好き嫌いがはっきり分かれるが、ぜひお試しを。夏の熱中症対策として、水にボダイジュの蜂蜜、レモン、塩を混ぜて飲むのがおすすめ。

ボダイジュ

3~7月

百花蜜(Blütenhonig)

百花蜜

百花蜜は、各季節に咲く花の蜜を集めた蜂蜜。ドイツでは一つの花の蜜が全体の50%以下の場合、百花蜜に分類される。ミツバチが飛んでいく範囲の蜜源により、蜂蜜の味も変わってくる。

7月

甘露蜜(Honigtau)

甘露蜜

夏に針葉樹につくアブラムシが樹液を吸って抽出する甘い蜜をミツバチが集めたもの。濃い褐色で、黒糖のような深い甘味がある。また食物繊維が豊富なため、腸活にもうれしい。ナッツやチーズとの相性もよく、煮物の味付けに使うとまろやかな仕上がりに。

最終更新 Montag, 24 März 2025 16:25
 

ザウアークラウトから納豆まで ドイツで楽しむ発酵食品

ドイツで楽しむ発酵食品

近年、世界的なトレンドとなっている発酵食品。ドイツでもコロナ禍以降、ドイツを代表する発酵食品であるザウアークラウトが再び注目を集めたほか、コンブチャやキムチ、そして日本のこうじをはじめとする発酵食品を楽しむ人が増えている。本特集では、そんなドイツの発酵食品ブームやザウアークラウトの背景を紐解くと共に、ドイツ在住の発酵ファンの方々にご協力いただき、さまざまな発酵食品を自宅で手作りする方法を聞いた。 (文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

参考:zdf heute「Super-Food - alte Technik, neuer Trend」 、Hogapage「Fermentation als neuer Foodtrend」、Der Feinschmecker「Fermentation: Milchsäuregärung ist wieder Trend」、NDR「Kimchi, Sauerkraut & Co: Wie gesund sind fermentierte Lebensmittel?」

健康促進&サステナビリティで注目! ドイツでもブームの「発酵食品」とは

そもそも発酵とは、酵母や乳酸菌、カビなどの微生物の働きを利用することで食品を加工する技術のこと。その歴史は古く、紀元前6000年ごろには中東で発酵飲料が作られていた記録が残っている。古代エジプトではパンやビール、古代中国では発酵させた豆や魚を使った調味料が広く普及していた。これらの技術は交易や移住を通じて広まり、ドイツのザウアークラウト、日本の味噌や醤油、韓国のキムチ、バルカン半島や中央アジアが発祥とされるヨーグルトなど、地域の気候や食材に合わせて多様な発酵食品が誕生してきた。

近年、そうした発酵食品は世界中で注目を集めている。その理由の一つが、腸内環境を整える働きだ。発酵食品にはプロバイオティクス(善玉菌)が豊富に含まれており、消化を助けたり免疫力を高めたりする働きがあるとされている。発酵過程で生成されるビタミンやアミノ酸は、栄養価を向上させるだけでなく、独特の風味を生み出す。

さらに、環境面でもサステナブルな食文化として評価されている。発酵は食品を長期間保存可能にするため、冷蔵保存や化学保存料に頼る必要が少ない。また、傷みかけた野菜や余剰作物を活用してピクルスやキムチ、ザウアークラウトに加工することで、冷蔵技術が普及する以前から食品ロスを減らす方法として利用されてきた。

ドイツではザウアークラウトやピクルスといった伝統的な発酵食品が長く親しまれてきたが、近年はこれらの伝統食品に加え、海外の発酵食品が新たなトレンドとして台頭している。キムチや納豆、コンブチャ(発酵飲料の紅茶キノコ)が人気を集め、多文化的な食の融合が進んでいる。このように発酵食品は伝統的・地域的な枠を超えて、現代の料理や新しい食文化に取り入れられている。健康意識やサステナビリティの高まりを背景に、発酵食品を使った新しい味や、持続可能な食文化がさらに生み出されていくことだろう。

発酵食品

ドイツの発酵食品の代表格 ザウアークラウトの秘密

ドイツが誇るスーパーフードの「ザウアークラウト」。その歴史や地域性、ドイツ人とザウアークラウトの関係性などから、ザウアークラウトの魅力に迫る。

古代ローマ人も食べていた!?

ザウアークラウト(Sauerkraut)は、キャベツを塩で発酵させた保存食であり、ドイツを代表する伝統食品の一つ。その歴史は古く、アジアでは紀元前221年に建設された中国・万里の長城の建設労働者たちが、キャベツを発酵させた食料を食べていたという記録もある。ドイツにおいては、ローマ時代に伝えられたとされ、寒冷な冬を乗り越えるための貴重な保存食として発展した。

中世ヨーロッパでも、発酵食品は重要な栄養源であった。ザウアークラウトはビタミンCを豊富に含み、長期保存が可能であるため、航海に出る船乗りたちにも重宝されたのだ。特に18世紀には、英国海軍のジェームズ・クックがザウアークラウトを取り入れ、英国海兵たちの壊血病の予防に役立てたという。

地域ごとに一味違うザウアークラウト

現代のドイツにおいても、ザウアークラウトは家庭料理やレストランでは欠かせない存在。特に肉料理との相性が良く、ブラートヴルスト(焼きソーセージ)やアイスバイン(豚のすね肉の煮込み)と組み合わせることが一般的。その酸味が肉料理の脂っこさを中和し、食欲を増進させるのだ。

また、ザウアークラウトの味や調理法は地域ごとに異なる。南ドイツでは白ワインで風味を付けたものが好まれ、バイエルン地方ではキャラウェイシードやジュニパーベリーが加えられることが多い。東部や北部では、シャキシャキした食感を残すために加熱せずに食べることが一般的。一方、西部や南部ではしっかりと火を通し、まろやかに仕上げたザウアークラウトが好まれる。

ザウアークラウト

「クラウト」と呼ばれたドイツ人

ザウアークラウトは、ドイツ人の食文化を象徴する存在であるがゆえに、歴史的にはドイツ人を指す揶揄としても使われてきた。特に第一次世界大戦や第二次世界大戦の時期には、英国や米国でドイツ兵やドイツ人を「クラウト」(Kraut)と呼ぶ風潮が広まったという。なお、近年では「クラウト」という言葉が持つネガティブなイメージも薄れつつあり、むしろ自国の文化を象徴するものとして受け入れられている。

「クラウト」という言葉がユニークな形で転用された例の一つが、「クラウトロック」(Krautrock)だ。これは、1960年代末〜1970年代にかけてドイツで発展した実験的なロック音楽のムーブメントのこと。プログレッシブロックや電子音楽の要素を取り入れ、従来のロック音楽とは異なる独特の音響体験を生み出した。この名称自体は、英国の音楽メディアがドイツのバンドを形容するために用いたもので、当初はやや皮肉を含んだニュアンスがあった。しかし、このジャンルは世界的に評価され、後のテクノやアンビエント音楽にも大きな影響を与えた。

コロナ禍でザウアークラウトがブームに!

コロナ禍に人々の健康意識が高まったことを受けて、ザウアークラウトは「古くて新しいスーパーフード」として再び注目されるようになった。特に、ザウアークラウトの持つ免疫力向上や腸内環境改善の働きが見直され、多くの人々が家庭で手作りするように。パンデミック初期のロックダウン中には、食料の備蓄が求められたこともあり、長期保存が可能なザウアークラウトは再評価された。自宅で発酵食品を作ることが新たな趣味として広まり、SNS上では「#homemadefermentation」や「#sauerkraut」などのハッシュタグが人気を集めた。こうした流れのなかで、ザウアークラウトは単なる伝統食品ではなく、現代の健康意識に合ったスーパーフードとしての地位を確立しつつある。

「簡単おいしいレシピ」より ザウアークラウト&アレンジレシピ

手間がかかるほど愛も深まる! ? 発酵食品を手作りしてみよう

今日、スーパーやネット通販を利用すれば、ドイツでも日本食も含めてあらゆる発酵食品を手に入れることができる。しかし発酵食品をあえて手作りする面白さは、そのトライ&エラーにあり。ここでは、「発酵愛」に溢れたドイツニュースダイジェストゆかりのお二人に、お気に入りのレシピをはじめ、ドイツで買える食材や気候などの違いなど、さまざまなヒントを教えてもらった。

お話を聞いた人 ①

久次貴子さん おんせん県出身。ドイツ人の夫と、二人の子どもと日独いいとこどりの暮らし。昼間はリロケーションサポートのお仕事、趣味は夜な夜な糀作り。台所はいつも実験室のようになっている。本誌連載「私の街のレポーター」では、シュトゥットガルトを担当。

糀との出会いは15年前のドイツニュースダイジェスト!

私がドイツで糀を作り始めたのは、世界各地で糀を醸している人たちの話を読んだり聞いたりして、その工夫や知恵に自分も挑戦してみたい! と心を動かされたのがきっかけです。 特に影響を受けたのが、塩糀を江戸時代の文献から発見した、大分県佐伯市の糀屋本店の女将・浅利妙峰あさりみょうほう先生。妙峰先生との出会いは、なんとドイツニュースダイジェストなのです。15年前、ニュースダイジェストで浅利先生がドイツで糀ワークショップを開催するという記事を読みました。当時、私は子どもが生まれたばかりで参加することができず、浅利先生に「来年はぜひ参加したいので、これからもドイツでワークショップを続けてください!」 と手紙を書いたのです。帰国の際に会いに行ったところ、お手紙のことを覚えていてくださって感動しました。

濾したどぶろくと酒かす濾したどぶろくと酒かす。
どぶろくを作ってみると、全ての工程に意味があり、何一つ無駄がなく、美しくて感動します

糀の柔らかい手触りと音と香りは心を落ち着かせてくれますし、味噌作りや糀のワークショップで糀に触れた人が「気持ち良くてずっと触っていたい」とおっしゃる気持ちがよく分かります。ちなみにドイツではオーガニックの穀物が手に入りやすいので、発酵食品を作る人たちにとってはとてもありがたいです。ただ、麹菌だけは日本の種麹屋さんから購入しています。

最近作って感動したのが、お酒好きにはたまらない「こぼれ梅」(みりんの搾りかす)。まずは、みりんを作ることが必要で、さらにみりんを作るには糀が必要で、1年がかりです。この経験を通して、みりんの甘さは砂糖ではなく、もち米由来だと知りました。こぼれ梅は想像していた以上のおいしさでした。

こぼれ梅完成した「こぼれ梅」にドライフルーツを混ぜてみました。とんでもなくおいしい!

久次さんお気に入りのレシピ

糀と共に生活する

糀はあらゆる日本の調味料に必要なものであり、糀を育てることで自分が日本人であることを再認識している気がします。初めて作るという方には、かわしま屋さんのものがスタンダードで良いと思います。ただし、ウェブサイトにある多くのレシピは、日本に住んでいて、日本の米と水を使っている人のためのもの。ドイツでは米も水質も、温度も湿度も違います。「そこをどうやってフォローするか」というのが燃えるポイント。私自身は、昔の人のように電気を通さずに、人の知恵で工夫して作ってみたい! という好奇心(もはや意地)から、湯たんぽ、鍋帽子、人肌(!)を使いながら糀を育てています。

糀

塩糀と玉ねぎ糀

自分で育てた糀を使って、さまざまな調味料をつくることができます。わが家では、塩の代わりに塩糀、コンソメの代わりに玉ねぎ糀を使用。さまざまな作り方がありますが、私は浅利妙峰先生のレシピを参考にしています。旨味の詰まった塩味があり、酵素も取れて消化に優しいです。酵素にでんぷんやタンパク質を分解する働きがあるので、肉や魚を柔らかくしたりするのにもおすすめ。
参考:糀屋本店「こうじ屋ウーマン浅利妙峰直伝!塩糀(塩麹)のつくり方」

芽キャベツ茹でた芽キャベツに塩糀をまぶすだけで、とってもおいしいです!

材料
塩麹 生糀または乾燥糀 90g
  30g
  お湯(55度くらい) 120ml
玉ねぎ糀 生糀または乾燥糀 100g
  玉ねぎ 300g
  35g
道具
  • 清潔な容器(蓋が金属でないもの)
  • ボウル
  • 計り
  • 箸またはロングスプーン
  • フードプロセッサーまたはブレンダー
作り方
  1. ボウルに塩と糀を入れ、清潔な手で塩と糀を擦り合わせる。しっとりとして糀のいい香りがするまで混ぜる。
  2. 塩糀:熱湯消毒した容器に、❶とお湯を入れる。 玉ねぎ糀:熱湯消毒した容器に、❶とフードプロセッサーで刻んだ玉ねぎを入れる。
  3. 常温で保管する。1日1回、熱湯消毒したスプーンか箸で混ぜて空気に触れさせる。5日後から味見をして、塩の角が取れてまろやかになっていたら完成!お好みでブレンダーで攪拌かくはんしても。

甘酒

甘酒は酒粕甘酒と糀甘酒がありますが、糀甘酒はアルコールゼロ。「甘酒」は、実は夏の季語なんですよ。体を冷やす効果があり、汗をかいて疲れた体に甘酒の糖分が沁みます。
参考:かわしま屋「甘酒の作り方全集|米糀だけ・もち米で作る甘酒を、炊飯器や魔法瓶などで作ろう」

材料
生糀または乾燥糀 300ml
お湯(55度くらい) 300ml
道具
  • ヨーグルトメーカーや炊飯器
  • 温度計
作り方
  1. 糀にお湯を入れ、温度計を使って50〜60度に保ちながら混ぜる。60度以上になると糀菌が死んでしまい、反対に40度以下になると乳酸菌が活発に働いて酸っぱくなるため、温度管理が大切。
  2. ヨーグルトメーカーや炊飯器の保温モードを使って、❶の温度を55〜60度に保ちながら約6時間保温する。
  3. 糀の甘い香りが漂ってきたら、よくかき混ぜて出来上がり。
お話を聞いた人 ②

高橋亜希子さん IT系の翻訳者・プログラマー。三度の食事と、手に入らない食材を自分で育てるのが何よりの楽しみ。食やガーデニングにまつわるプロダクトの製作やスタートアップ事業も行っている。本誌連載「私の街のレポーター」では、ライプツィヒを担当。

菌と時間に委ねつつ、気楽に取り組むのもポイント!

もともと何でも自分で作るのが好きで、加えてアジアショップに買い出しに行ったりするのが面倒になってきたため、発酵食品も自分で作るようになりました。自分の納得できる材料で作れるし、何より時間と菌がほとんどの仕事をしてくれるので、私がほかのことをしている間においしい食べ物が出来上がっているというのが最高です。あと、天然酵母であるサワードウ(サワー種)のスターターや、野菜や果物を発酵させて作る酵素シロップが発酵しているときに出るぷつぷついう音を子どもと聞くのも、目に見えないお友だちがいる感じで大好きです。

ルバーブの酵素シロップルバーブの酵素シロップ。残った果実は煮詰めてジャムのようにしても◎

いつも作っているものとしては、サワードウのパンは週に一度程度、自分で作ったスターターを使って焼いています。ほかにも納豆は1〜2週間に一度にまとめて作って冷凍したり、野菜の塩水漬けは台所の片隅に瓶を常に置いておいて、野菜の端を入れて時々塩を足したりします。季節のものとしては、年初に普通のお味噌を仕込んで、秋口には冬に使う白味噌を仕込みます。キムチは白菜の旬に、酵素シロップはルバーブなどを使って夏にと、季節感を味わえるのもいいですね。

発酵食品作りには失敗もつきものですが、それも含めて魅力だと思います。サワードウのパンでも、スターターが元気すぎて容器からあふれたり、反対にうまく膨らまず石のようなパンができたり、想像の斜め上を行くパンが焼けて大笑いしたり。発酵食品を作り始めた頃は、神経質に細部にこだわっていましたが、最近では気楽に取り組むのが継続のコツだなと思います!

サワードウのパン発酵してふかふかに膨らんだサワードウのパン

高橋さんお気に入りのレシピ

サワードウのパン

サワードウとは、小麦粉と水を発酵させて作る天然酵母。こちらのレシピは、ドイツでパン作りが趣味という人で知らない人はいない有名ブログ「Plötzblog」を参考にしたものです。ごく基本的で食べやすい白いパンが焼けます。
参考:Plötzblog「Mildes Weizensauerteigbrot」

サワードウのパン

スターターの作り方
材料
50ml
全粒粉. 100g
作り方
  1. まずは5日くらいかけてスターターを作る。清潔な瓶に全粒粉20gと水10mlを加えて混ぜる。混ぜにくければ、ほんの少し水を多くしてもOK。室温で保存する。
  2. 翌日、❶に全粒粉20gと水10mlを加えて混ぜる。この作業を5日くらい繰り返す。3日くらいすると小さな泡が出てきて、5日ほどで大きめの泡が見えるようになれば完成。冷蔵庫で保管する。
パンの焼き方
材料
スターター 60g
245ml
小麦粉(550番の白いもの) 345g
8g
作り方
  1. ボウルにスターターと水45ml、小麦粉45gを入れて混ぜ、3〜6時間室温で置く(残りのスターターには、全粒粉40gと水20mlを入れて混ぜ、一日室温に置いてから冷蔵庫に戻す)。
  2. ❶のボウルに水200ml、小麦粉300g、塩8gを入れて、ひとまとまりになるまで5分ほどこねる。
  3. 次の3時間で、30分ごとに10回ずつくらいこねる。徐々に生地がつるっとして扱いやすくなる。市販のイーストよりもゆっくり発酵するので、時間は正確でなくてもOK。
  4. 発酵かごに小麦粉を振るい、生地を丸めて入れる。発酵かごがない場合は、ザルやボウルにキッチンタオルを敷き、小麦粉を振って代用できる。キッチンタオルを被せて冷蔵庫で12時間以上寝かせる。
  5. 十分寝かせて膨らんでいるのを確認したら、オーブンを200度に予熱する。
  6. オーブンの余熱が終わったら、発酵かごをオーブンシートを敷いた天板にひっくり返し、パンの上部に包丁で切れ目を入れてオーブンの中へ入れる。
  7. オーブンに入れて10分ほど経ったら、オーブンの温度を220度に上げ、さらに30分ほど焼く。途中、焼き色を見ながら焼き時間を調整する。

Heizung納豆

納豆を作るための納豆菌は、「枯草菌こそうきん」と呼ばれる細菌の一種。さまざまな植物にこの枯草菌が付いているため、庭に生えているハーブを使って納豆を作ることができるのです。さらに、ドイツの住宅ではおなじみの暖房機器Heizungを使えば、ほったらかしでおいしい納豆の出来上がり!

納豆

材料
乾燥大豆 1カップ
お好みのハーブ 適量
作り方
  1. 乾燥大豆を一晩浸水する。
  2. 吸水した大豆を圧力鍋で茹でる。圧がかかってから20分弱火で蒸したら、圧を解放する。
  3. お好みのハーブを用意する。枯草菌がなくならないよう、軽く水で流すくらいにしておく。春はネギ、夏はシソ、秋冬はパセリやセージのほか、ローズマリーやパクチーなどでも。分量としては、ネギの青い部分だと10cmを5本くらい、シソだと5〜6枚、パセリだと5〜6枝くらい。
  4. 蒸し上がった大豆とハーブを交互に容器に詰める。容器と蓋の間にふきんやキッチンペーパーを挟み、湿気が程よく逃げ、かつ乾燥しすぎないようにする。
  5. ❺Heizungの上にふきんを敷き、その上に❹を置いて12〜24時間寝かせる。表面が一部白くなり、乾燥して糸を引いていたらOK。
  6. 冷蔵庫で一晩寝かせて出来上がり。ハーブも一緒に食べてOK。多めに作って冷凍し、その都度解凍して食べてもおいしい。
最終更新 Dienstag, 25 Februar 2025 15:06
 

オーストリア「ワルツ王」生誕200周年 ヨハン・シュトラウス2世の軌跡

ヨハン・シュトラウス

「ワルツ王」として今日でもオーストリアの国境を越えて広く親しまれている作曲家、ヨハン・シュトラウス2世。ダンス音楽を根本的に改革し、洗練されたコンサート音楽へと発展させた。ワルツだけではなく、オペレッタやオペラも手がけ、時代の寵児に。そんなシュトラウスの生誕200年を記念して、波乱に満ちた生涯をはじめ、才能溢れる親族やその成功を支えた人物など、ヨハン・シュトラウス 2世の軌跡をたどる。 (文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

ヨハン・シュトラウス2世 (1825-1899)
Johann Strauss II

「ワルツ王」として名高いオーストリアの作曲家。父も音楽家だったが、それを超える成功を収めた。代表作に「美しき青きドナウ」やオペレッタ「こうもり」など。軽快なワルツや華やかな音楽でウィーン文化を象徴する存在であり、今も世界で愛されている。

シュトラウスが生きた19世紀のウィーン

ヨハン・シュトラウス2世が活躍した19世紀は、ウィンナ・ワルツが社会に浸透し、音楽文化として世界にも認められた時代だった。ウィンナ・ワルツの起源は、18世紀末のオーストリアやバイエルンの農村で踊られていた民族舞踊にある。当初は速いテンポと力強いステップが特徴であったが、次第に優雅で流れるような形式へと進化。従来の貴族のダンスが距離を保つスタイルであったのに対し、ウィンナ・ワルツはパートナー同士が抱き合う画期的な形式で注目され、自由な生活の象徴として受け入れられた。

ウィンナ・ワルツを踊る人々ウィーンのホーフブルク宮殿で行われた宮廷舞踏会にて、ウィンナ・ワルツを踊る人々

ウィンナ・ワルツ発展の契機となったのが、1814~15年に開催されたウィーン会議だ。この会議では、オーストリア皇帝のフランツ1世やメッテルニヒ外相が連日豪華な舞踏会や宴会を開催。ウィーン会議で人気を博した後、ワルツは上流階級や宮廷にも浸透し、音楽としての発展を遂げることとなる。社交場では階級を超えた人々が一晩中踊り明かし、メディアを通じてワルツ熱は欧州全土からロシア、米国にまで拡大した。

しかし、この楽観的な時代は長く続かなかった。ウィーンはその後、不況やメッテルニヒ政権による厳格な統制政策により抑圧され、大衆は監視や検閲の中で苦しい生活を強いられた。このような時代背景のなか、パブや郊外のステージ、ダンスホールでは厳格な風習に反抗する文化的逃避が広がり、ワルツは人々に束の間の自由を与える存在となった。特にヨハン・シュトラウス2世は、ワルツの形式をさらに拡大し洗練させることで、舞曲をクラシック音楽として完成させた。現在、ウィンナ・ワルツはユネスコ無形文化遺産に登録され、大切に受け継がれている。

ヨハン・シュトラウス2世の人生

「ワルツ王」として知られるヨハン・シュトラウス2世は、まさに旋律に満ちた生涯だった。6歳で作曲を始めた早熟な才能、父との確執と競争、そしてウィーンの音楽を国際的な舞台へと押し上げた功績。その背景には、家族の複雑な関係や、時代の波に翻弄されながらも音楽への情熱を貫いた彼の姿がある。

01 6歳で作曲する才児

1825年10月25日、作曲家であり「ワルツの父」として知られるヨハン・シュトラウス1世とその妻アンナの第一子としてウィーンで生まれたヨハン・シュトラウス2世(以下、ヨハン)。父も同名なので、家族からは「Schani」(シャニ)の愛称で呼ばれていた。ヨハンは6歳で作曲を始め、オーケストラとのリハーサルや指揮の振り方など、音楽家としての多くの重要な側面を父から学ぶ。しかし父は、音楽家の苦労を知っていたため、ヨハンやほかの息子たちが音楽家になることには厳しく反対した。

1837~41年まで、ヨハンはウィーンのギムナジウムに通い、成績も優秀だったという。しかし家庭環境が複雑で、父には実は愛人がおり、彼女との間に子どもまでもうけていたのだ。ヨハンの母は、夫の不貞への復ふくしゅう讐のためか、ヨハンの才能を早くから認めていたためか、夫の怒りを買いかねないことを承知で、ヨハンにこっそりと音楽のレッスンを受けさせていた。しかしヨハンはギムナジウムを卒業後、父に勧められるがまま、工科大学で公務員になるための道を歩むことになる。

シュトラウス家の人々 1
ウィンナ・ワルツの 礎を築いた革新者ヨハン・シュトラウス1世(1804-1849)
ヨハン・シュトラウス1世

「ワルツの父」と呼ばれるヨハン・シュトラウス1世は、過酷な少年時代を送った。7歳で母を亡くし、その5年後には借金に苦しむ父がドナウ川で溺死体となって発見される。孤児になった彼は、後見人の勧めにより製本職人の職業訓練を受けたが、この職業に就くことはなかった。彼がいつどこで音楽を習ったのかについてはあまり知られていないが、21歳の時に最初のオーケストラを結成。1825年に宿屋の娘アンナと結婚し、同年にヨハン・シュトラウス2世が生まれた。1833年以降、自身のオーケストラを率いて、欧州各国を演奏旅行で周遊。1835年にはウィーンの宮廷舞踏会音楽監督に任命された。1848年、今日まで知られる代表作「ラデツキー行進曲」を創作した。1849年9月、猩紅熱にかかり45歳で亡くなった。

02 19歳で音楽家の道へ

1843年、父親が若い女性と同棲するために家を去ると、ヨハンは家族のためにお金を稼がなければならないと感じた。その年に父のライバルであり、ウィンナ・ワルツの様式を確立したヨーゼフ・ランナー(1801-1843)が死去。ヨハンはランナーの後を継ぐことを目標に、大学の勉強を自主的に中断し、作曲家としてのキャリアを計画的に準備し始めた。母に支えられながら、半年の間に必要な技術を身に付け、1844年10月15日、ヒーツィング地区のカフェ・ドンマイヤーで、オーケストラを率いて初めて聴衆の前に姿を現した。父は息子の公演を阻止するため、公式の嘆願書を提出したが無駄だった。このデビューは大成功を収めた。

こうしてウィーン音楽界のトップの座を巡り、父と息子の激しい闘いが始まった。父が宮廷や高貴な聴衆にアピールしたのに対し、ヨハンは若者を狙って聴衆を獲得。ただ全体としては父親が優勢だった。その後、二人は和解したが、1849年に父が急死。ヨハンは父のオーケストラを引き継いだ。父の肩書きだった「宮廷舞踏会音楽監督」も引き継ぎたいという思いがあったが、その願いは拒否されてしまう。実はヨハンには、ウィーン体制の崩壊を招いた1848年革命の思想に共感していたことを公言していた過去があり、当然ながら宮廷はヨハンに対して不信感を持っていたのだ。それからは、ヨハンも宮廷のための曲を献上するなど努力を惜しまず、1851年からウィーンのホーフブルク宮殿で頻繁に演奏することになった。そして1854年バイエルン王女エリザベートとのフランツ・ヨーゼフ1世の結婚式の際に、宮廷舞踏会を指揮するまでに至った。

シュトラウス家の人々 2
シュトラウス帝国の凄腕マネージャーマリア・アンナ・シュトレイム (1801-1870)
マリア・アンナ・シュトレイム

宿屋の娘だったアンナは1825年にヨハン・シュトラウス1世と結婚し、その3カ月後にヨハン・シュトラウス2世が誕生した。しかし夫の不倫が発覚し、アンナは夫から経済的に自立することを望むようになる。ヨハンの音楽家デビューが成功し、さらに2年掛かりで夫婦の離婚が成立すると、アンナは息子たちのキャリアを巧みに管理した。離婚した夫の死後は、子どもたちを売り込むために、当時非常に有名だったヨハン・シュトラウス1世の正統な子孫であるという立場を強調。アンナの厳格な家長的リーダーシップのおかげでシュトラウス家は成長し、繁栄したといっても過言ではない。1870年に亡くなるまで、ヨハンの人生の中心的存在で在り続けた。

03 ウィーンのワルツを世界へ

1856年の夏、ヨハンはロシアに招かれた。パヴロフスクのヴォクソール・パビリオン館でコンサートや舞踏会を指揮。ヨハンの人気は絶大で、その後1865年までの10年間、毎年夏パヴロフスクに招かれるようになった。父の影からようやく抜け出したのである。さらにコンサートツアーを行い、欧州と北米を巡った。ヨハンのコンサートは常に観客で埋め尽くされ、ウィーンの音楽を世界中に広めるのに役立ったのだ。ヨハンがウィーン不在の間は、弟のヨーゼフとエドゥアルトが、父から引き継いだシュトラウス管弦楽団を守っていたことも後のシュトラウス家の財産となった。

ウィーン宮廷舞踏会でのヨハン・シュトラウス2世ウィーン宮廷舞踏会でのヨハン・シュトラウス2世(中央)と、シュトラウス管弦楽団の面々

1862年、ヨハンは7歳年上の歌手ヘンリエッテ・シャルぺツキーと結婚。同年に初めて、ヨハンは念願であった「宮廷舞踏会音楽監督」の称号を与えられた。その後も順調にキャリアを積んできたが、1870年に最愛の母が亡くなる。さらに音楽活動を支えてくれていた弟ヨーゼフが急死すると、ヨハンは作曲意欲を失ってしまった。

シュトラウス家の人々 3
弟(次男) 技術者から音楽家の道へヨーゼフ・シュトラウス(1827-1870)
ヨーゼフ・シュトラウス

もともとは製図技師として働いていたが、兄のように密かに音楽を習っていたヨーゼフ。1853年に兄のヨハンが過労で倒れたため、シュトラウス管弦楽団の指揮者の仕事を引き継ぐことになった。それから1カ月も経たないうちに、初めて作曲したワルツを披露し、ウィーン市民はヨーゼフの音楽の才能に感激。兄と母からの願いに応じて、音楽の道へと進んだ。ヨーゼフの才能は、兄ヨハンの影に隠れて過小評価されることも多かったが、「天体の音楽」(Sphärenklänge) や「 わが人生は愛と喜び」(Mein Lebenslauf ist Lieb' und Lust )などの有名なワルツを数多く作曲している。1870年、彼はワルシャワでのコンサート中に突然ステージで倒れ、数日後に42歳で帰らぬ人となった。


弟(三男) シュトラウス家の作品を残すことに尽力エドゥアルト・シュトラウス(1835-1916)
エドゥアルト・シュトラウス

外交官を目指していたエドゥアルトだったが、ヨーゼフと同様に兄のヨハンに説得され、音楽の道へ進むことに。1855年にハープ奏者として、1861年にはシュトラウス管弦楽団の指揮者としてデビューした。二人の兄と比較されてばかりのエドゥアルトだったが、それでも彼は音楽を続けた。1870年にヨーゼフが亡くなると、エドゥアルトは30年以上にわたってシュトラウス管弦楽団を取り仕切った。1872年に「宮廷舞踏会音楽監督」の称号を授与され、1878年からはシュトラウス管弦楽団を率いてドイツや米国、カナダと海外を訪れ大成功を収めた。1901年、エドゥアルトは楽団を解散し、引退。 1907年、彼はシュトラウス管弦楽団の膨大な音楽資料を焼却。この狂気の行為の理由は、いまだに解明されていない。

04 第2のキャリアを開始

しばらく意気消沈していたヨハンだったが、妻ヘンリエッテの勧めもあり、オペレッタ作曲家としての第2のキャリアを考えるように。そして1871年に宮廷舞踏会音楽監督の地位を末弟エドゥアルトに譲り、作品作りに集中した。この試みは予想以上に困難なものとなったが、同年「インディゴと40人の盗賊」(Indigo und die 40 Räuber)が完成。ヨハンは新天地を切り開いたのだ。ヨハンのデビューから30周年に当たる1874年に発表した「こうもり」(Die Fledermaus)は、オペレッタの最高傑作の一つといわれている。こうしてオペレッタの分野でも頭角を現した。ほかにもよく知られているものとして、「ヴェネツィアの一夜」(Eine Nacht in Venedig)や、ヨハンの60歳の誕生日の前夜に初演された「ジプシー男爵」(Der Zigeunerbaron)などがある。また唯一手掛けたオペラ「騎士パズマン」(Ritter Pasman)は、今日ではオペラとして上演されることはほとんどないが、その楽曲はさまざまなコンサートで演奏されている。

シュトラウス家の人々 4
1番目の妻 ヘンリエッテ・シャルぺツキー(1818-1878)
ヘンリエッテ・シャルぺツキー

オペラ歌手「イエッティ・トレフツ」として成功を収めていたヘンリエッテは、ヨハンより7歳年上の姉さん女房。1862年にヨハンと結婚するまでの約20年間、彼女は実業家のモーリッツ・フォン・トデスコと暮らしており、7人の子どもがいた。そのためヨハンが彼女と結婚したことは、ウィーン社交界にとってそれなりのスキャンダルだったという。華やかなキャリアを持つヘンリエッテだったが、写譜を行っていたほか、秘書として夫を支えた。ヨハンがヘンリエッテと過ごした数年間は生涯で最も創造的な時期であり、「美しき青きドナウ」もこの時期に生まれた。ヨハンにとって欠かせないパートナーであったが、1878年、脳卒中が原因と思われる突然の死を遂げた。


2番目の妻 アンゲリカ・ディットリヒ(1850-1919)

2番目の花嫁は、「リリ」として知られる、ヨハンより25歳年下の女優アンゲリカ・ディットリヒ。結婚の数週間前に前妻を亡くしていたヨハンは、前妻ヘンリエッテのようにアンゲリカに自分を支えてほしいと願っていたが、二人の結婚は最初からかみ合っていなかったようだ。ヨハンは、アンゲリカの希望でウィーンのイゲルガッセにある優雅な宮殿でぜいたくな生活することを許したが、妻が演劇のキャリアを追求するという野心は支援しなかった。アンゲリカは次第にいらだち、彼女の父が経営していた「アン・デア・ウィーン劇場」の後継者である30歳のフランツ・シュタイナーの恋人となった。 1882年12月9日、ウィーン地方裁判所でヨハンとアンゲリカは離婚に至った。


3番目の妻 アデーレ・ドイッチュ(1856-1930)
アデーレ・ドイッチュ

ヨハンの30歳下だったアデーレは、1番目の妻と同様、献身的かつビジネス・センスに溢れており、ヨハンの名声を高めるのに貢献した。だが当時、結婚時に誓った「死が二人を分かつまで」という言葉は、カトリック教国オーストリアでは絶対的な効力を持つ法律と考えられていた。前妻との民法上の離婚は成立しても、前妻が生きている限り再婚はできないのだ。唯一の選択肢は、宗教と国籍を変更することだった。ヨハンとアデーレは1885年にオーストリアの市民権を放棄し、プロテスタントに改宗してザクセン=コーブルク・ゴータ公国の市民となる。翌年に晴れて夫婦となった二人だったが、1899年にヨハンが死去。アデーレは、ヨハン・シュトラウス2世の遺産管理人となった。

05 愛と葛藤が彩るヨハンの晩年

1878年に妻のヘンリエッテが急死したが、ヨハンは数週間後に25歳年下の女優アンゲリカ・ディットリヒと結婚した。しかし夫婦間の価値観が異なり、わずか4年で結婚生活に終止符を打つ。その後ヨハンは、30歳年下で未亡人のアデーレ・ドイッチュと急速に関係を深め、結婚した。

晩年、ヨハンは徐々に公の場から遠ざかっていく。心臓や循環器系の疾患、慢性肺炎など、健康上の問題を抱えるようになったのだ。 これらの病気により、定期的に指揮をしたりコンサートを開いたりすることが難しくなった。しかし、健康上の制約があったにもかかわらず、彼は高齢になってもオペレッタや舞曲の作曲を続けていた。そして1899年6月3日、ヨハンは肺炎のため73歳でこの世を去った。彼の死は、ウィーンの音楽史における一時代の終わりを意味した。ウィーンの中央墓地に埋葬されたヨハンの眠る場所は、その天才的な音楽家を偲ぶ記念碑として今日でも多くの人が訪れる。

ウィーン中央墓地にあるヨハン・シュトラウス2世のお墓ウィーン中央墓地にあるヨハン・シュトラウス2世のお墓。ウィーン市民たちは偉大な音楽家の死を悲しみ、葬儀はウィーン全市をあげて行われた

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサート毎年1月1日にウィーン楽友協会の大ホールで行われている、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサート。今日でも、主にヨハン・シュトラウス2世を中心とするシュトラウス家の楽曲が演奏される

ヨハン・シュトラウス2世の代表曲

「美しき青きドナウ」の誕生秘話

ヨハン・シュトラウス2世の3大ワルツとされる「美しき青きドナウ」(1867年)、「ウィーンの森の物語」(1868年)、「皇帝円舞曲」(1889年)。「美しき青きドナウ」は、その中でも特に人気の高い楽曲だが、もともとはカーニバルで歌う合唱曲で風刺を意図したものだった。作曲されたのは、1866年の普墺戦争でプロイセン軍がオーストリアを打ち破ったケーニヒグレッツの戦いの直後。ウィーンは軍事的にも道徳的にも地に堕ち、ドナウ川は濁っていた。ヨハンは同ワルツを合唱のために作曲し、 詩人ヨーゼフ・ヴァイルはパロディ的に「カーニバルがやってきた! そうだ、時間に逆らおう。悔やんで何になる、嘆いて何になる、だから楽しく陽気になれ!」と書いたのだ。1867年に初演され、すぐに世界で最も有名で最も人気のあるメロディーの一つとなった。20年後、作曲・作詞家フランツ・フォン・ゲルネルスは歌詞を書き換えた。「ドナウはとても青く、とても美しい。谷と草原を穏やかに流れ、私たちのウィーンがあなたを迎える」。今日、この歌は非公式のオーストリア国歌とみなされている。

オペレッタの最高傑作「こうもり」

「こうもり」(1874年)は、ウィーンを舞台にした喜劇的オペレッタで、ウィーン・オペレッタの最高傑作といわれる。役人を侮辱した罪で投獄されることになった主人公のアイゼンシュタイン。その前夜、友人のファルケに誘われて舞踏会へ行くと、妻ロザリンデや友人の策略に引っかかることに……。華やかな音楽と笑いに満ちたドタバタ劇だ。この作品が作られた時期は、コレラの流行やウィーン証券取引所の株価大暴落など、街はよどんだ雰囲気に包まれていた。作品にはそうした時世も反映されており、作品中の「もはや変えることのできないものを忘れる者は幸せである」(Glücklich ist, wer vergisst, was nicht zu ändern ist)という台詞は、今日ではことわざのように使われている。

1961年にオーストリアで映画化された「こうもり」のワンシーン1961年にオーストリアで映画化された「こうもり」のワンシーン

生誕200周年を祝おう! ヨハン・シュトラウス2世の特別イベント

オーストリア
Johann Strauss 2025

Johann Strauss 2025

ヨハン・シュトラウス2世の生誕200年を記念して、ウィーン市は市内の69の会場で約250日間、65作品を上演する。クラシックのコンサートはもちろん、オペレッタや演劇、展覧会まで多彩なプログラムで構成されている。詳細は公式サイトで確認しよう。

2025年12月31日まで
www.johannstrauss2025.at

オーストリア
Johann Strauss - Die Ausstellung

Johann Strauss - Die Ausstellung

ウィーンの演劇博物館では、ヨハン・シュトラウス2世の生誕200周年を記念する展覧会を開催。この展覧会では、オペレッタ「こうもり」のオリジナル楽譜を含むヨハンのさまざまな遺品が公開される。

2025年6月23日まで
Theatre Museum
Lobkowitzplatz 2 1010 Wien
www.theatermuseum.at

ドイツ
200 Jahre Johann Strauß - Die große Jubiläums-Gala

200 Jahre Johann Strauß - Die große Jubiläums-Gala

ガラシンフォニー・オーケストラ・プラハによる公演。国際的に有名なソリストたち、2人のソプラノ、1 人のテノール、そしてヨハン・シュトラウス・バレエと共に、シュトラウス一家のメロディーの高揚感がよみがえる。

2025年10月12日まで
ターレ、エルスニッツ、イルメナウ、ポツダム、ライヒェンバッハ、ハレ、ノイブランデンブルクの8都市で開催
www.strauss-gala.de


参考文献:Wiener Institut für Strauss-Forschung、Die Welt der Habsburger「Die Strauß-Dynastie – ein Familienunternehmen」、Bayerischer Rundfunk「Vom Wiener Walzerkönig zum Oberfranken」、stadt-WIEN.at「Walzer Tanzkurse in Wien」、Wiener Hofburg-Orchester「Johann Strauss」、profi「„Nervendämon“ & Walzermafia: Die Strauss-Dynastie als Seifenoper」、Deutschlandfunk「Donauwalzer – Österreichs heimliche Nationalhymne」、Salzburger Nachrichten「Der Donauwalzer als erster Schlager der Musikgeschichte」

最終更新 Dienstag, 11 Februar 2025 17:20
 

おすすめコンベンション6選付き ドイツのアニメ・漫画ブームを
ひも解く

近年ドイツでも日本のアニメ・漫画が以前よりもずっと身近になってきた。特にコロナ・パンデミックによるステイホームを機にアニメを見る人が増えたと同時に、ドイツ国内でも漫画の売上は右肩上がりで、ますます人気が高まっている。本特集では、そんなドイツのアニメ・漫画ブームの歴史をひも解くとともに、ドイツ国内でアニメ・漫画の世界をもっと楽しむことができる選りすぐりのコンベンションをご紹介!
(文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

参考:松澤淳「ドイツにおけるアニメの受容-1970年代のテレビシリーズから考える-」(明治大学教養論集刊行会)、細川裕史「ドイツにおける日本マンガの受容について」、 J-BIG「漫画の人気は上昇中、ドイツでも大きな可能性を秘めている」、Carlsen「Meilensteine der Carlsen Manga!-Geschichte」、Laura Byell; Karishma Schumacher「Die deutsche Cosplayszene」、日本経済新聞「コスプレじゃ物足りない 日本アニメ演劇、ドイツで進化」、tagesschau「Erfolg der Manga: Japanische Comics erobern den Buchmarkt」、buchreport「Manga: Der anhaltende Boom」、iammangaka.com

Prolog

欧州で最も日本のアニメ・漫画を愛してやまない国……それは残念ながらドイツではなく、フランスである。もともと「バンド・デシネ」と呼ばれるコミック文化があった同国は、早くから日本の漫画を受け入れ、今や日本に次ぐ世界第2位の漫画市場だ。欧州最大の日本文化イベント「ジャパンエキスポ」の開催地でもあり、欧州のアニメ・漫画文化をリードしてきた。隣国ドイツはそんなフランスの影響も多かれ少なかれ受けていると思われるが、独自の歴史をたどって今日のアニメ・漫画ブームを迎えることになる。

Folge 1
1970年代に日本アニメが進出
初の放映作品は3話で打ち切りに!?

西ドイツで初めて日本のアニメが放送されたのは1971年のこと。記念すべき最初の放映作品はARD(ドイツ公共放送協会)が放送した、カーレースアニメの金字塔「マッハGoGoGo」(Speed Racer)だった。すでに放送していた米国では大変な人気で、ドイツでもヒット間違いなし……のはずだったが、そうはいかなかった。同作に含まれていた暴力表現(車が炎に包まれて人が死ぬなど)に対して視聴者から厳しい批判の声があったのだ。シュピーゲル誌やヴェルト紙などのメディアからもこてんぱんに批判され、「マッハGoGoGo」は3話で打ち切りとなってしまう。ARDはそれ以降、日本の独自のシナリオによるアニメの放送を躊躇したのだろう、1990年代まで例外を除いて日本アニメはほとんど放映されなかった。

そのころZDF(ドイツ第2テレビ)では、限られた予算で新しいスタイルの子ども番組について模索していた。経費節約のため複数の国による共同制作の案が持ち上がり、各国の言語や文化の障壁を比較的簡単に越えられるものとして、アニメを制作することが決まる。そうして注目されたのが、すでにアニメ制作で定評のあった日本だった。

しかしARDの「マッハGoGoGo」の一件もあったため、日本に制作を全面的に依頼することは避けられていた。最終的にZDFとオーストリアのテレビ局、そして日本のアニメスタジオの3カ国共同制作が決まり、ドイツが中心となって考えたコンセプトとストーリーを日本でアニメーション化するという形に落ち着いた。そうして1974年に誕生したのが、アニメシリーズ「小さなバイキングビッケ」(Wickie und die starken Männer)だ。1976年には「みつばちマーヤの冒険」(Die Biene Maja)を放送。欧州の児童文学を原作としながら、日本の優れた技術によってアニメ化したことで大当たりし、両作とも特に批判を受けることなく最後まで放映された。その後も同じ手法でさまざまなアニメが日本で制作されることになる。

みつばちマーヤの冒険「みつばちマーヤの冒険」は日本では1975~76年、ドイツでは1976~77年に放映された

そして1977年、ZDFはアニメ「アルプスの少女ハイジ」(Heidi)のライセンスを購入し、放送をスタートさせた。ビッケ、マーヤと共に、ハイジは今もなおドイツで人気を誇り、何度も再放送され、リメイクもされている。これらのアニメを見て育ったドイツ人のなかには、ビッケもマーヤもハイジも、全て自国のアニメだと思っている人も少なくない。実際に、これらの作品のクレジットからは日本に関するものが取り除かれていた。その背景には、「マッハGoGoGo」の一件による日本アニメへのマイナスイメージがあり、「意図的に日本のものだと分からなくさせた」という当時のドイツ側の思惑があったとも考えられる。1980年代にはコストの都合で日本制作であることが分かるクレジットが記載されるようになったが、ドイツで純粋な日本のアニメが知られるようになったのはもう少し先である。

アルプスの少女ハイジ「アルプスの少女ハイジ」は、スタジオジブリ作品でおなじみの高畑勲監督、宮崎駿監督が制作に携わったことでも知られる不朽の名作

Folge 2
右綴じは「必ず失敗する」
一足遅くやってきた漫画ブーム

日本のアニメが比較的早い段階でドイツ市場に参入した一方、日本の漫画はまだまだ時間が必要だった。最初にドイツ語に翻訳されたといわれている漫画は、1982年にロヴォールト社から出版された『はだしのゲン』(Barfuß durch Hiroshima)。しかし、ドイツでは思うように受け入れられず、1巻のみの発売で終わっている(現在はカールセン社から全巻発売)。そもそもドイツでは、漫画(コミック)は子ども向けのものであるという偏見があった。本来、日本の漫画の多くは子どもから大人まで読めることが魅力の一つだが、ドイツでは子ども向けのものというレッテルが売れにくさの障壁となっていたのかもしれない。

転機は1991年。ドイツにおける大手漫画出版社の一つとして知られるカールセン社から、同社初のドイツ語訳漫画として『AKIRA』が刊行された。同作のアニメ映画上映もあったことから話題となったが、出版された『AKIRA』は欧州のコミックスタイルに合わせて全編カラー、日本語オリジナルの絵を反転させた左綴じだった。モノクロでは漫画は売れないとされていた時代に、日本特有の右綴じはもってのほかで「必ず失敗する」と言われていたという。

この右綴じの壁を打ち破った作品が『ドラゴンボール』(Dragon Ball)だった。そのきっかけは至って単純で、ライセンス購入の条件として、右綴じとすることが決められていたのである。カールセン社と並ぶ大手漫画出版社のエグモント社はこれを拒否。しかしカールセン社はこの条件を受け入れ、1997年にドイツで初めて右綴じスタイルの漫画として『ドラゴンボール』を出版した。まさかこの条件を受け入れる出版社はないだろうと考えていた日本のエージェントも、この決断には驚いたという。また、印刷の方向が間違っているとして、同社に漫画を送り返してくるドイツの書店もあったとか。ところが、ドイツの読者たちは思っていたよりずっと柔軟だった。「右綴じは必ず失敗する」というジンクスは見事に破られ、『ドラゴンボール』は大成功を収めたのである。現在では、ドイツで出版されている漫画は、原則的に日本と同様に右綴じとなっている。

Dragon Ball 1Dragon Ball 1
Akira Toriyama
発行元:Carlsen Verlag
発行日:1997年9月22日
定価:7.00€(税込)

その後、カールセン社は次々と日本の漫画を翻訳して出版。『ドラゴンボール』の出版を断念したエグモント社も、1997年に『美少女戦士セーラームーン』(Sailor Moon)を発売してヒットし、ドイツに漫画ブームが到来した。さらに2001年には、カールセン社から日本の少年漫画誌をモデルとした月刊「BANZAI!」が刊行される。『NARUTO』や『HUNTER×HUNTER』など日本でもおなじみの作品がドイツの漫画ファンに届けられた。残念ながら2005年で休刊となったが、2003年にスタートした少女漫画誌「DAISUKI」は、2012年まで続いた。

「BANZAI!」250ページ以上のボリュームで刊行されていた月刊「BANZAI!」。日本の漫画誌のように付録のある号も

Folge 3
本格的なアニメブームの到来
コスプレ文化が花開く

1970年代以降もZDFは日本制作のアニメを放映していたが、「世界名作劇場」の作品が中心で依然子ども向けであった。しかし1993年に民間放送RTL2が開局すると、さまざまな日本のアニメが放映されるようになる。同局はドイツの無料放送で最も多くの日本アニメを放映したテレビ局として知られる。なかでも、1997年に放送がスタートした「美少女戦士セーラームーン」が大ヒット。1999年には「ドラゴンボール」や「ポケットモンスター」(Pokémon)の放送がスタートした。その後も「ONE PIECE」や「NARUTO」など、次々と人気作品がドイツ全土で放送され、多くの子どもたちがこれらのアニメを見て育った。

一方、セーラームーンのヒットにより、ドイツでもコスプレ文化が花開くことになる。1998年には、「Neo Moon Project」と呼ばれるセーラームーンに特化したイベントが開催され、セーラームーンのコスチュームに身を包んだファンたちが集まった。翌年には、ドイツ初のアニメ・漫画コンベンションである「AnimagiC」がコブレンツで開かれる。同コンベンションは、1994年に同人誌としてスタートしたアニメ専門誌「AnimaniA」が主催。AnimaniAは現在も月刊誌として発行が続けられており、多くのアニメファンに読まれている。AnimagiCではコスプレイヤーが集まっただけでなく、関連書籍やフィギュア、ビデオ、CDなどの販売が行われた。当時のファンたちにとって夢のような空間だったに違いない。

セーラームーンのコスプレセーラームーンのコスプレは今でも男女問わず人気が高い。写真は2022年にエアランゲンで開かれたComic-Salonのコスプレイヤーたち

その後も、2002年に始まった「Connichi」、国内最大で知られる「DoKomi」などをはじめとする、大小さまざまな規模のアニメ・漫画コンベンションやコスプレ大会などが行われるようになった。ちなみにドイツのコスプレ文化の一つの特徴として、コスプレイヤーによる二次創作劇「ショーアクト」(Showact)がある。コスプレイヤーたちが自らオリジナルの脚本や衣装を用意して披露する演劇やミュージカルで、ドイツのアニメ・漫画コンベンションに欠かせないものだ。今日では、日本アニメ専門のショーアクト集団がドイツ国内に100以上あるという。

Folge 4
コロナ禍で再びブーム!
コミックの3冊に2冊は漫画の時代

アニメ専門のクランチロールをはじめ、ネットフリックスなどの動画配信サイトが普及したことで、ここ10年でアニメはさらに身近になった。RTL2の黄金期であった1990~2000年代、ドイツでは年に数本のアニメシリーズしか見られなかったのが、現在は数多くのアニメ作品をいつでも合法的に視聴することができる。さらに、コロナ・パンデミックのロックダウンでステイホームを余儀なくされたことが、世界中でアニメ需要を押し上げたのは言うまでもないだろう。最近では、日本の新作アニメがドイツ語を含む多言語で同時配信されることも増えてきている。

コロナ・パンデミックは、漫画の売上にも大きな影響を与えた。2023年時点で、ドイツで販売されるコミックの3冊に2冊は日本スタイルの漫画だという。 buchreportによると、ドイツ市場における2021年の漫画の売上は前年比75%という記録的数字を打ち出している。ドイツ国内のメディア分析を行っているMedia Controlによれば、2017年には年間945冊の漫画が出版されたのに対し、2022年にはそれが1390冊に増加。実際に、カールセン社の漫画の売り上げもコロナ禍からの3年間で2倍以上になっているといい、ほかの出版社も同様の傾向がみられる。なお、カールセン社の読者層は13~40歳が中心で、『ドラゴンボール』や『美少女戦士セーラームーン』で育った世代が含まれているほか、この数年でそれらの「古典漫画」を初めて知った若い読者も増えているという。

同時に、アニメ・漫画コンベンションの数や規模も年々拡大している。デュッセルドルフで開催される「DoKomi」は、2023年に開催期間をそれまでの2日間から3日間に拡大し、2024年には過去最高記録となる計18万人が来場した。

今ドイツで人気の漫画

2024年の売り上げ上位25位までに入っていた作品
カッコ内は日本語タイトル

  • Jujutsu Kaisen(呪術廻戦)
  • Naruto(NARUTO - ナルト-)
  • Solo Leveling (俺だけレベルアップな件)
  • Dragon Ball (ドラゴンボール)
  • One Piece (ONE PIECE)
  • Chainsaw Man (チェンソーマン)
  • Spy x Family (SPY×FAMILY)
  • Die Tagebücher der Apothekerin (薬屋のひとりごと)
  • Demon Slayer (鬼滅の刃)
  • Berserk (ベルセルク)

出典:ドイツ図書流通連盟(2024年1月1日~12月10日)
※売り上げ順(複数巻ランクインしていた作品も含む)
※「俺だけレベルアップな件」は韓国の漫画作品

Folge 5
より多くの人に届けるために
ドイツのアニメ・漫画の未来は?

さらに漫画文化を広げようと、ドイツ語圏では「MANGA DAY」と呼ばれるプロジェクトが行われている。これは大手のカールセン社やエグモント社をはじめとした漫画を刊行する出版社が垣根を越えて企画したもので、ドイツ、オーストリア、リヒテンシュタイン、スイスの書店や図書館で、試し読み用の無料コミックを配布するという試みだ。第3回を迎えた2024年は9月21日に開催され、およそ1300のスポットで30種類のサンプル漫画を配布。まだ漫画を知らない人が漫画に触れる機会になっているといい、漫画からアニメにハマる人も間違いなくいるはずだ。

MANGA DAY2023年に開催されたMANGA DAYのポスター

2023年に実施されたMANGA DAYでは、出版社altraverseから初お披露目となったドイツ語漫画『Children of Grimm』が配布リストに加えられていた。二人の若手作家による日本スタイルの漫画で、同作品は当時未完成だったが、人々の反応を見る目的も兼ねてMANGA DAYで配布。同社のヨアヒム・カプス氏は、長年にわたってドイツにおける漫画ブームを支えてきた人物で、同作品の立役者でもある。きっと好感触を得られたのだろう。2024年12月には、『Children of Grimm』の第1巻が出版されている。

日本のアニメ・漫画に影響を受け、ドイツで漫画家を目指す人も少なくない。漫画ブームが到来して間もない2001年には、すでにカールセン社からドイツ語話者による漫画が出版されている。ドイツ初の女性漫画家として知られるクリスティーナ・プラカ氏も、2002年に同社の月刊「DAISUKI」で連載デビュー。現在は、漫画家を目指す人々へのコース「i am mangaka!」を開講している。同コースはオンラインで受講可能で、ドイツ全土に多くの受講者がいる。ほかにも多くのワークショップやコンペティションなどが、出版社やコンベンション主催で存在する。今もドイツ各地の漫画家の卵たちが、デビューの日を夢見ながら日々机に向かっている。

MANGA DAYChildren of Grimm, Band 01 Aljoscha Jelinek / Blackii
発行元:altraverse
発行日:2024年12月16日
定価:10.00€(税込)

Epilog

ここ数年のアニメ・漫画ブームを受けて、カールセン社の漫画部門で編集長を務めるカイ=シュテファン・シュヴァルツ氏は、将来的にドイツ生まれの漫画作品がもっと増える見込みがあると考えているという。ドイツの漫画が日本語に翻訳される日もそう遠くないかもしれない。ドイツではすでにブームの段階を越えて、アニメ・漫画がメインストリームとして認識されつつあるともいえる。一方でドイツの2024年の漫画総売上は約1億ユーロと予想されているが、フランスの3億8100万ユーロ(2022年)にはほど遠い。まだまだ伸びしろのあるドイツで、さらにアニメ・漫画の文化が広まっていくことに期待したい。


2025年に行ってみたい
ドイツのアニメ・漫画
コンベンション6選

昨今のアニメ・漫画ブームにより、コンベンションもますます人気に。数あるコンベンションの中から、ドイツのアニメ・漫画ファンが「一度は行ってみたい!」と思うものをピックアップ。実際に足を運んで、ブームを体感しよう!

ブックメッセの中で開催! Manga-Comic-Convention
漫画・コミックコンベンション

Manga-Comic-Convention

「Manga-Comic-Convention」(MCC)は、フランクフルトと並んで有名なライプツィヒ・ブックメッセ内で2014年から開催。4日間で28万人近くが訪れる同メッセでMCCをお目当てに来場する人はおよそ40%(約10万人)、MCC来場者の5人に2人はコスプレで訪れる。レベルの高いコスプレ大会のほか、国内外のゲストとの交流、新人アーティスト横丁などのほか、2025年はインディーズ系の漫画ブースが特別に設置される。公式キャラクターのMacoco(写真)は、オリジナルグッズ化もされているので、お土産にいかが?

日程 2025年3月27日(木)~30日(日)
会場 Leipziger Messe(ライプツィヒ)
www.manga-comic-con.de

ドイツ最大のアニメと日本エキスポ DoKomi
ドコミ

DoKomi

ドイツ最大のアニメ・漫画コンベンション「DoKomi」は、2009年にアニメ好きの若者たちが始めたエキスポ。第1回目は1800人規模だったが、現在はその100倍の18万人の来場者を誇る。「Doitsu Komikku Maketto」の略称で、日本の「コミケ」へのオマージュになっている。ドイツ初のメイドカフェやコスプレ舞踏会を企画するなど、常に新しいものに挑戦することがドコミのモットーだ。総面積20万平方メートルの会場は、1日では回り切れないくらい多くの出展者とイベントでにぎわう。チケットは毎年完売するほど人気なので、早めの予約がベター!

日程 2025年6月6日(金)~8日(日)
会場 Messe Düsseldorf(デュッセルドルフ)
www.dokomi.de

ライン=マイン地域のファンたちに! Wie.MAI.KAI
ヴィー・マイ・カイ

Wie.MAI.KAI ヴィー・マイ・カイ

2007年にライン=マイン地域のアニメ・漫画ファンたちによって始まった「Wie.MAI.KAI」(WieはWiesbaden、MAIはMainz、KAIは日本語の会)。2009年からは同名の非営利団体として活動しており、コンベンションのほかにコスプレイベントなども開催する。会場はフランクフルトとマインツの中間に位置するフレールスハイム。来場者は2日間でおよそ3000人と比較的小規模だが、ワークショップ、カラオケボックス、メイドカフェ、ショーアクト、コスプレ舞踏会、日本伝統文化や日本食の紹介など、盛りだくさんの内容になっている。

日程 2025年6月21日(土)~22日(日)
会場 Stadthalle Flörsheim(フレールスハイム)
www.wiemaikai.de

テーマパークを会場にコスプレ撮影 Anime Messe Babelsberg
アニメメッセ・バーベルスベルク

Anime Messe Babelsberg

「Anime Messe」は2016年にベルリンで始まったコンベンションで、2022年からはブランデンブルク州バーベルスベルクで開催されている。その特徴はなんといっても、テーマパーク「Filmpark Babelsberg」が会場になっていること。撮影にぴったりな中世や西部劇の街並みなどのセットが並び、コスプレイヤーたちにとっては夢のような場所だ。2024年は3日間で2万2000人が来場。土曜夜には花火大会が行われ、日本の夏も体験できる。12月5~7日にはカッセルで「Anime Festival Kassel」も開催されるので、こちらもチェック。

日程 2025年7月4日(金)~6日(日)
会場 Metropolis-Halle / Filmpark Babelsberg(バーベルスベルク)
www.animemesse.de

ドイツ最古のアニメ・漫画コンベンション AnimagiC
アニマジック

AnimagiC

1999年に始まった「AnimagiC」は、アニメ雑誌「AnimaniA」が主催するドイツ最古のアニメ・漫画コンベンション。25年にわたってドイツのアニメ・漫画ファンのための交流の場として愛され続け、2024年は3日間で3万5000人が来場した。長年ドイツのアニメ界を引っ張ってきたアニマジックの特徴の一つといえば、ドイツ国内外からの豪華ゲスト。2024年は漫画家の伊藤潤二さんやアニメ「名探偵コナン」でおなじみの声優・山口勝平さんをはじめ、人気アニメの監督など多数登壇。2025年のゲストも続々発表される予定なので、お楽しみに!

日程 2025年8月1日(金)~3日(日)
会場 Rosengarten(マンハイム)
https://animagic.de

ファンによるファンのための祭典 Connichi
コンニチ

Connichi コンニチ

2002年に初開催された「Connichi」は、ドイツ最大のアニメファン団体「Animexx e.V.」のボランティアによって運営されるアニメ・漫画コンベンション。「ファンからファンへ」をモットーにしており、2014年にはドイツで日本文化を伝えることに貢献したとして外務大臣表彰を受賞している。豪華ゲストの登壇やショーアクトはもちろん、日本のお祭りの屋台をイメージした「Matsuri」エリアも人気だ。2023年からはヴィースバーデンに会場を変更。2024年には3日間で3万8000人が来場し、ますます盛り上がりを見せている。

日程 2025年9月5日(金)~7日(日)
会場 RheinMain CongressCenter(ヴィースバーデン)
www.connichi.de

最終更新 Dienstag, 28 Januar 2025 12:18
 

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