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寒い季節を温かく彩る ドイツのクリスマス飾り

いよいよ始まるドイツのクリスマスシーズン。ドイツ各地でクリスマスマーケットが開かれ、クリスマスツリーやアドヴェントカレンダーなど、家も街もさまざまな装飾で温かく彩られる。実はそれらのクリスマス飾りの多くが、ドイツの発祥であることをご存知だろうか。本特集では、そうしたドイツの代表的なクリスマス装飾とともに、ドイツ各地のクリスマスマーケットで手に入るアイテムをご紹介する。
(文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

ドイツ

Weihnachtsbaum
クリスマスツリー 発祥地:フライブルク

クリスマスツリー

モミの木などの常に緑を保つ常緑植物は、かつてゲルマン民族の間では冬の精霊を追い払い、豊穣を約束するものとして崇拝されていた。1419年にフライブルクのパン職人組合がクリスマスに木を飾り、それがクリスマスツリーの始まりといわれる。1570年ごろにはドイツ北部でも習慣となり、ブレーメンのギルドハウスには、リンゴや木の実、ナツメヤシをつるしたツリーが飾られたという記録が残っている。当初はプロテスタントの家庭にしかなかったが、19世紀になるとカトリック家庭でも飾るように。宗派に関係なくクリスマスに欠かせないものとなった。

Weihnachtskrippe
クリッペ 発祥地:イタリア(ドイツではミュンヘン)

クリッペ

イタリアでは、古くからキリスト降誕の情景「クリッペ」が展示されていた。16世紀、対抗宗教改革の一環としてイタリアのイエズス会士がミュンヘンへやって来た際に、ドイツにクリッペが紹介されたという。1607年には、ミュンヘンの聖ミヒャエル教会にドイツ初のクリッペが設置された。文字を読めない人でもキリスト生誕の物語が分かるような教育的ツールとしても、クリッペはたちまち人気に。その後、教会にクリッペを設置することを禁止された時期もあったが、裕福な家庭や農家にも伝わり、家庭でも置かれるようになった。

Christbaumkugel
ガラスボール発祥地:ラウシャ

ガラスボール

テューリンゲン地方のラウシャでは、16世紀末からガラス製品を造っていた。クリスマスツリーが普及してくると、装飾としてリンゴや砂糖のお菓子がつるされたが、それらは貧しい住民にとって手の届くものではなかった。一方、ガラスの原料は手頃な価格だったため、1847年にガラス職人が色付きのガラス飾りを作ることを思い付く。この新しいツリー飾りは、すぐに小売店のカタログに掲載され、見本市でも紹介された。1880年には米国の実業家が大量に注文して需要が急増し、世界中に広まっていった。

Adventskalender
アドヴェントカレンダー発祥地:ミュンヘン

アドヴェントカレンダー

12月1日からクリスマスまでの日数を数えるためのカレンダー。24個の「窓」が付いており、毎日一つずつ開けるとその中に小さなプレゼントが入っていたり、絵が描かれていたりする。オリジナルで作るという家庭も少なくないが、現在売られているアドヴェントカレンダーを作ったのは、ミュンヘンのリトグラフ会社に勤めていたゲルハルト・ラング。幼いころに彼の母が、キャンディーの入った24個の小箱を毎日一つずつ彼に開けさせていたという思い出から、1908年にリトグラフを使ってアドヴェントカレンダーの製造を開始。1926年には窓の裏にチョコレートを入れたアドヴェントカレンダーも発売し、商業的に大成功を納めた。

Adventskranz
アドヴェントクランツ 発祥地:ハンブルク

アドヴェントクランツ

ハンブルクの神学者ヨハン・ヒンリッヒ・ヴィッヒェルンは、自ら設立した児童養護施設で、クリスマスがいつ来るのかを子どもたちが分かるようにと、1839年に車輪を使ってクリスマス・カレンダーのようなものを作った。車輪には大4本、小20本のろうそくを飾り、 平日は小さなろうそく、アドヴェントの日曜日は大きなろうそくと、毎日新しいろうそくに火を灯した。下の輪っかの部分がモミの木の枝で作られるようになったのは1860年頃で、20世紀初頭までに教会や一般家庭でも飾られるようになっていった。現在では、ろうそくが大4本のみのものが主流。

エルツ地方の手工芸品 発祥地:ザイフェン

くるみ割り人形やクリスマスピラミッドなどの手工芸品は、ドイツのクリスマスに欠かせない装飾の一つ。実はこれらのほとんどが、ザクセン州エルツ山地にあるザイフェンという人口約3000人の小さな村で作られている。もともと炭鉱業で栄えたザイフェンだったが、鉱山の衰退によって職を失った炭鉱夫たちが、それまで趣味で作っていた木工おもちゃを本業に変えたのが始まり。今日でも村人の半分以上が何かしら木工おもちゃに関わる仕事をしている。

Nussknacker
くるみ割り人形

くるみ割り人形

バレエなどでも有名なくるみ割り人形は、もともとは王様や衛兵など、「権力者の口をクルミでふさいでしまおう」という庶民のアイデアから生まれた。よく見るデザインのものは、ハインリヒ・ホフマンの絵本『くるみ割り王とあわれなラインホルト』に登場する「くるみ割り王」がもとになっている。

Engel und Bergmann
天使と炭鉱夫

天使と炭鉱夫

ろうそくを手にした天使と炭鉱夫がセットになったモチーフ。鉱山の中での作業は暗く危険なものであったため、古くからエルツ地方の炭鉱夫にとって「光」はクリスマスを祝う大切なシンボルだった。そこに、彼らを温かく見守る妻を天使に見立てたモチーフが加わり、ペアで飾られるようになった。

Schwibbogen
シュヴィップボーゲン

シュヴィップボーゲン

アーチ型のキャンドルスタンドで、この形は鉱山の入り口を象徴している。炭鉱夫たちが仕事を終えて家族のもとへと安全に帰る道しるべとして、各家庭が窓辺にシュヴィップボーゲンを置き、明かりを灯したという。

Weihnachtspyramide
クリスマスピラミッド

クリスマスピラミッド

ザイフェンの技術が集結した工芸品。数階建てのクリスマスピラミッドの中では、キリスト降誕のシーンや炭鉱夫のパレード、エルツ地方の風景などが再現されている。下で燃えるろうそくの熱によって、羽根車が静かに回転する仕組みになっている。

Räuchermann
煙出し人形

煙出し人形

クリスマスに飾る人形で、1830年ごろに初めて作られた。中にお香をセットすると、口からもくもくと煙を出す仕組み。炭鉱夫をはじめ、牧師やパン屋、おもちゃ屋さんなど、エルツ地方に暮らす人々の生活を表現したさまざまなモチーフがある。

ドイツのクリスマスマーケットで見られる 世界最大のクリスマス飾り

世界最大のピラミッド&キャンドルアーチ

ドレスデン
シュトリーツェルマルクト

2024年11月27日(水)~12月24日(火)
https://striezelmarkt.dresden.de

ドレスデン シュトリーツェルマルクト

1434年から続くドイツ最古のクリスマスマーケットであるドレスデンの「シュトリーツェルマルクト」。その見どころの一つといえば、世界最大のクリスマスピラミッド。サンタや天使たちが飾られたピラミッドの高さは14.62メートルで、ギネスブックにも記録されている。入り口にあるキャンドルアーチも高さ5.85メートル、幅13.03メートルの特大サイズ!

ドレスデン シュトリーツェルマルクト

世界最大のクリスマスツリー

ドルトムント
クリスマスマーケット

2024年11月21日(木)~12月30日(月)
www.weihnachtsstadt-do.de

ドルトムント クリスマスマーケット

世界最大のクリスマスツリーは、ドルトムントのハンザプラッツで行われるクリスマスマーケットで見られる。1996年に初めて設置されて以来、毎年このマーケットを華やかに照らしている。巨大なツリーは1700本のモミの木からできており、高さ45メートルで、重さは90トン。4万8000個のライトに彩られたツリーの頂上には、重さ200キロ(!)の天使が鎮座している。

世界最大のアドヴェントカレンダー

ゲンゲンバッハ
アドヴェンツマルクト

22024年11月29日(土)~12月23日(月)
www.gengenbach.info

ゲンゲンバッハ アドヴェンツマルクト

1996年以来、シュヴァルツヴァルトのゲンゲンバッハにある市庁舎は、毎年クリスマスシーズンになると巨大なアドヴェントカレンダーに変身する。市庁舎の24の窓が、アドヴェント初日から毎日18時になると一つずつ開けられていく。シャガールやウォーホルなどの芸術家から、現代のドイツ人イラストレーターの作品まで、毎年さまざまなコンセプトの絵を毎日楽しめる。

クリスマスマーケットで買いたいグッズ

わら細工のオーナメント

わら細工のオーナメント

ドイツ南部で伝統的に作られていたといわれる、麦わらのオーナメント。ドイツの伝承では、羊飼いの少年が誕生したばかりのイエス・キリストに贈り物をしたいと思い、麦わらで「ベツレヘムの星」を作ったのが始まりといわれる。代表的な星型をはじめ、雪の結晶や天使などがある。

すず細工のオーナメント

すず細工のオーナメント

すずは非常に柔らかく加工がしやすいため、19世紀ごろからツリーの飾りとしても使われるようになった。鋳造したすずのフィギュアには、職人によって繊細な絵付けがされている。こちらは、1796年創業の老舗すず製品工房ヴィルヘルム・シュヴァイツァー社のもの。

限定マグカップ

限定マグカップ

クリスマスマーケットの定番ドリンクといえばグリューワイン。提供されるマグカップは、それぞれのマーケットが毎年オリジナルで制作しており、気に入ったものは返却せずに持ち帰ることができる。各地のマーケットを周ってカップを集めるのも楽しい。

レープクーヘン

レープクーヘン

クリスマス菓子の定番であるレープクーヘン。その発祥の地はニュルンベルクで、シナモンやグローブ、コリアンダーなどの香辛料が効いていて食べ応えも抜群。マーケットでは、アイシングやチョコレートで装飾されたものが並ぶ。日持ちするので、クリスマス飾りとしても◎。

最終更新 Dienstag, 19 November 2024 09:43
 

ベルリンの壁崩壊35周年記念特集ベルリンの壁崩壊後のドイツで 「見えない壁」を見るために

来たる11月9日、ベルリンの壁が崩壊してから35年を迎える。東も西も関係なく喜びに沸いたあの日から35年。東西ドイツの経済格差をはじめ、2015年の難民危機や極右の台頭など、人々の間には今もさまざまな形で「見えない壁」が立ちはだかっている。ベルリンの壁崩壊から世界が学んだことは一体何だったのか、「壁」を壊す・越えるには何が必要なのか。国際関係学者である羽場久美子さんへのインタビュー、そしてさまざまな世代・文化的背景を持つドイツ在住・出身者の視点を通して考える。
(文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

ベルリンの壁崩壊

分断された二つのドイツ ベルリンの壁、建設・崩壊の歴史

参考文献:本誌 1108号「分断された2つのドイツの物語」、1109号「2つのドイツが迎えたあの日とそれからの30年」、Bundeszentrale für politische Bildung「Die Berliner Mauer」、Westdeutscher Rundfunk Köln「Geteilte Stadt Berlin」

冷戦による二つのドイツの誕生

ベルリンが東西に分断されたのは、第二次世界大戦後のこと。1945年7月のポツダム会談で米国、英国、フランス、ソビエト連邦(ソ連)による共同統治が決まる。首都ベルリンについては、ソ連が連合国軍が同市へ侵攻する前に東側を占拠していたため、残りの西側を米国、英国、フランスで分割・管理することになった。

もともとはドイツの再統一を目指しての決定であったが、西側では資本主義と議会制民主主義を、東側はドイツ社会主義統一党という形で社会主義を主張。ソ連代表が連合国統制評議会から脱退し、1949年5月、ドイツ連邦共和国(西ドイツ)とドイツ民主共和国(東ドイツ)が誕生した。西ドイツは米国、英国、フランスの占領地区が統一され、各国がソ連の軍力と共産主義の浸透を防ぐために経済的に支援した結果、奇跡的な経済復興を遂げた。一方、東ドイツの多くの個人商店は財産を没収され、生活協同組合への加入を強制された。農業生産は劇的に落ち込み、経済崩壊の危機に瀕していた。

突然現れた厚い壁

こうした不安定な状況により、1950年代に入ると東ドイツから西ドイツへの逃亡が急増。東ドイツ政府は市民の移動を阻止し西側へのルートを封鎖するため、1952年5月26日に連邦共和国とのドイツ内陸国境を閉鎖した。しかし、ベルリンは市全体が4カ国の共同管理下にあったため境界線がなく、西側に向かう抜け道だった。1949〜1961年までの13年間で、東ドイツの人口の約15%に当たる273万9000人が東から西へ流出したとされている。

突然現れた厚い壁

これに危機感を覚えた東ドイツ政府は、1961年8月12日から13日の真夜中過ぎにかけて、ついに壁の建設を始める。13日の午前1時45分ごろには西ベルリン全域が封鎖され、武装した東独部隊が国境に並んだ。壁建設からすぐは、まだ逃亡のチャンスも残っていたが、やがて国境には5キロにも及ぶ立入禁止区域が設置される。1970年代に入ると、世界の人々、そして多くの西ベルリンの人々も、ドイツが分断されている状況に慣れていった。

民主化の波とベルリンの壁崩壊

転機が訪れたのは1985年。ミハイル・ゴルバチョフがソビエト連邦共産党書記長に就任し、政治体制の改革「ペレストロイカ」を推進する。それに伴い、東欧諸国でも民主化を求める声が高まっていった。1989年5月には、ハンガリー政府が国境にあった有刺鉄線を撤去。これを知った東ドイツ市民たちは、ハンガリー経由でオーストリアの国境を越え、西ドイツへと渡った。内側から改革を目指す運動も広まり、1989年9月4日にライプツィヒで行われた市民デモでは「大量逃亡の代わりに旅行の自由を」というスローガンが掲げられた。

こうした状況に対応すべく、1989年11月9日に東ドイツ指導部が新たな渡航規制を発表した。新政令について正しく理解していなかったスポークスマンは、会見で記者の質問に対し、新しい旅行規則が「今すぐに」効力を発揮すると発言。このニュースを聞いた東ベルリン市民たちは、国境沿いのゲートに詰めかけ、その数は3万人にも及んだという。やがてゲートが限界を迎え、人々の安全のために遮断機が上げられた。こうしてベルリンの壁が崩壊。東ベルリン市民は、西ベルリン市民によって迎え入れられ、朝まで共にパーティーを楽しんだ。

鉄のカーテンと共産主義体制が崩壊した当時、多くの人がもう二度とこのような悲惨な壁が築かれることはないと思っただろう。しかしながら、ベルリンの壁が崩壊した35年前よりも、人々を分断する物理的・心理的な「壁」は世界中で増え続けている。その後の35年に築かれた「見えない壁」について考えることが、これからの未来を考える上でヒントとなるかもしれない。

人々の間に再び築かれた壁世界から「壁」はなくせるのか?

昨今ドイツでは極右・極左政党が支持率を大きく伸ばすなど、ベルリンの壁が崩壊して35年がたった今もなお、人々の間に見えない壁があることを感じる場面が少なくない。現在ドイツを含む欧州で右傾化が進んでいるのはなぜか、ベルリンの壁崩壊後の欧州がどんな経験をしてきたのかをひも解くことで見えてくるかもしれない。再び築かれた壁を私たちはなくすことができるのか、国際関係学者の羽場久美子さんにご自身の経験も併せてお話を伺った。(取材:ドイツニュースダイジェスト編集部)

羽場久美子さん Kumiko Haba 羽場久美子さん Kumiko Haba 青山学院大学名誉教授、世界国際関係学会副会長(2016-17)、世界国際関係学会アジア太平洋会長(2021-24)、現在早稲田大学招聘研究員、京都大学客員教授。著書に『ヨーロッパの分断と統合―包摂か排除か』(中央公論新社)、『移民・難民・マイノリティー欧州ポピュリズムの起源』(彩流社)など多数。 https://side.parallel.jp/kumihaba

壁崩壊の歓喜はどこへ?
東側の1年後

もともと冷戦は私自身の重要な研究テーマであり、ベルリンの壁崩壊に象徴される冷戦の終焉は自分自身の転機でもありました。ベルリンの壁が崩れたとき、テレビでは歓喜する若者たちが映し出されていましたが、ソ連からの解放と自立の道をずっと研究してきた私も、欧州の「ユーフォリア」(極度の幸福感)に共感するところがあり、当時多くの新聞や雑誌論文にも寄稿しました。他方で混乱を客観的に分析したいという気持ちもありました。なぜなら現地の知人たちが混乱を表明していたからです。

それから1年後、ベルリンにも行きましたが、東西の貧富の差が著しかったことを覚えています。あのテレビで見たような笑顔や歓喜は東西のどちらにもあまり見られず、特に道を歩く東ベルリンの人たちは本当に暗い顔をしていました。当時、共産主義的な知識人は亡命し、多くの人が元シュタージとして逮捕されています。実際に東ベルリンにあるフンボルト大学を訪れても、共産主義政権下で知っていた研究者の多くが解雇されたり亡命したりして、ほとんど残っていませんでした。またコール政権下で東西マルクを1対1で交換可能と宣言された結果、当初それは東ドイツで歓喜を持って迎えられたものの、旧東ドイツの国営企業の製品は誰も買わなくなり、倒産へと追い込まれていきました。旧東ドイツの働く人々の5割以上が失業したといわれています。

ドイツ銀行の窓口に押し寄せた東ベルリン市民東西マルクの換金のためにドイツ銀行の窓口に押し寄せた東ベルリン市民(1990年7月1日撮影)

一方ハンガリーは対照的で、多くの共産主義者が銀行員やマクロ経済学者になって生き残っていました。例えば、マルクス経済大学(現ブダペスト経済大学)で共産主義を教えていた人たちがマクロ経済を教えるというような状況で、とてもプラグマティックで興味深かったです。そもそもハンガリーにはポーランドなどと同様に、壁崩壊前から「市場社会主義」が実践され、マクロ・ミクロ経済が導入されていました。またそうした比較的自由な経済活動の中で、隣国のオーストリア国境周辺の住民は国外へ買い出しに行けるなど、東ドイツとの大きな違いがありました。

他方で冷戦終焉後、それまでロシア語が義務教育だった東欧でロシア語教師をしていた女性、また保育園の閉鎖により子どものいる女性が働くのが難しくなったことから、多くの女性たちが職を失います。旧社会主義国では共働きによって家庭が支えられていたので、そうした結果、西側諸国へ売春や人身売買などを含め、出稼ぎに行かざるを得ない状況も出てきたのです。実際に訪れた東側は、1年前にテレビを通じて切り取られて拡散されたユーフォリアとは大きく異なる混乱状況で、非常に強いショックを受けました。

冷戦時代のヨーロッパ

若者やエリートたちは西へ
大多数が貧しい生活に

少なくとも1990年初めまではユーフォリアがありましたが、1年も経つと、誰もベルリンの壁崩壊が「平和と自由の象徴」とは言わなくなっていたと思います。その当時、「鉄のカーテンは崩れたが、レース(ブリュッセルの特産)のカーテン、紙幣(西側の紙幣)のカーテンが東西を覆った。今度は西側から見えない壁が作られてわれわれを排除した」ということがよくいわれていました。東欧諸国の人々は、解放されて豊かな西側の一員になろうとしているのに、自分たちは貧しいまま差別され、排除されているという意識が、その後10年の間に強まっていくことになります。

そんななか、若者たちは次々に西側へ行きます。特に英語を駆使して西側で活躍できるポテンシャルのある大卒の若者たちや頭脳労働者は、英国やフランス、旧西ドイツ、ブリュッセルなどに移り、ほとんどが自国へ帰ってきませんでした。それから医師や大学教授、核技術を持った軍事科学技術者たちなどのエリートも、次々と国境を超えて西側へ移っていきます。給与も東側に比べて3倍や10倍にもなるので、著しい頭脳流出が起こりました。

一方で、新しい職場で働けないような中堅労働者や年金生活者の暮らしは厳しいものでした。社会主義時代は給与の7~8割程度の年金をもらえていたため、悠々自適の老後を過ごしていました。しかし、新しい時代に入って物価は西側並みに急上昇したにもかかわらず、賃金水準は変わらなかったため、社会主義時代の賃金のままでは生活できなくなります。さらに年金は目減りして、年金生活者たちはパンとミルクを買うのがやっとというような生活になってしまったのです。国に残った人たちは、社会主義時代よりもずっと厳しい物価高と賃金格差にあえぐことになります。

さらに国家破綻したウクライナやモルドバでは大量の人身売買が発生。ホテルや新聞社、テレビ局や城に至るまで、その多くが西側企業によって買い占められました。このように、東側では資本主義に移行できた人たちが豊かになった一方で、圧倒的多数の人たちが物価高にあえぎ貧しくなるような状況が90年代に広がり、21世紀になっても改善されないまま今日に至っています。

ドイツ再統一後に行われた東ベルリンのデモドイツ再統一後に行われた東ベルリンのデモでは、「1990年10月3日、私たちは故郷を失い、二度と見つけられなかった」と記されたプラカードが掲げられた(1991年撮影)

極右勢力の台頭は自分たちを守るため

『東欧にとって、89年、90年は資本主義、自由主義、民主主義が非常に美しいものに見えていたし、自分たちは本当に西欧や米国のようになれると思っていました。次々に社会主義を捨てて民主化・自由化を達成し、欧州連合(EU)にも入っていくわけです。ところが、それは個々人の生活にとっては幻想だった。逆に西側から見たら、東側は社会主義時代の四十数年間で著しく遅れていて資本主義も自由主義もあまり発達していない。鉄のカーテンは崩れましたが、東西の格差は現在に至るまで縮まることがないばかりか、東側に対する蔑視と非難が恒常的に投げつけられてきたのです。

冷戦時は東側に西側の資本主義が入ってこないように、あるいは社会主義の民衆が西側へ逃げないように、東側から壁が築かれました。一方冷戦終焉後は、豊かな西側が、東側の貧しい人々が大量に西側に入ってこないように壁を作ってきました。東側の壁は「イデオロギーの壁」だったのに対し、西側の壁は「格差を固定化する壁」だったといえます。

そうしたなか、東欧諸国の政府は西側批判として右傾化を正当化してきました。西側からすれば、東欧諸国は後進国だから右傾化したと思うかもしれません。ただ、これだけの社会転換を経験した東欧の国々としては、右傾化は自己防衛のための行動だったともいえるのです。

オルバーン首相2024年6月10日、欧州議会選挙での勝利を祝うハンガリーのオルバーン首相(中央)

その結果として、例えばハンガリーのオルバーン首相のような人物が出てきて、リベラルではなく「イリベラル(非自由主義的)な民主主義」が唱えられるようになりました。ハンガリーは、EUに入っても結局西欧から差別され排除されていると感じたとき、自分たちはどこの国と手を結べば国益になるかということを考えたのです。その結果、あれほど嫌っていたロシアや中国やシンガポール、トルコなどと連携して、自国経済を発展させようという方向に転換します。これはまさに、自己防衛本能でもありました。当時ハンガリーは極右の代表として非常に批判されましたが、ドイツでは東西の格差、西欧諸国でも都市と農村の間で深刻な格差があり、それが現在に至る自己防衛による右傾化の背景になったと考えられます。

ブリックスやグローバルサウスに見る未来像

2010年以降、ユーロ危機などでEUの成長が頭打ちになってきた一方で、中国やインドをはじめとしたブリックス(BRICS:ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)がものすごく成長してきました。その結果ハンガリーのように、これらの国と一緒に歩んだ方が自分たちの経済もよくなるのではないかと考える国がいくつも出てきます。

例えば、中国やインドは、周りの貧しい国々のインフラを整備し、高速道路や高速鉄道を作るなど投資をしています。インドに至っては、南アジア大学を設立し、アフガニスタンやスリランカなどの近隣諸国の若者たちを無償で教育しようとしている。現時点では国同士はけんかをしているかもしれないけれど、若者たちが共に学びそれぞれの国で働くようになったら、EUのようにお互いに助け合うだろうというビジョンを掲げ、共同発展を目指しています。

格差や差別、排除の壁は、資本主義が生み出したものです。本来、旧社会主義の体制というのは、中世から近世の帝国のように、貧しい地域を豊かにするため引き上げようとしてきました。中国やインドも問題を抱えながらそうした取り組みを進めています。排除ではなく、貧しい国を底上げして共に豊かにするという方向性が、今後は重要になってくるかもしれません。

今年9月、中国で開かれた国連平和デー記念式典に招聘され参加する機会がありました。80カ国130団体が来ていたのですが、面白いことに圧倒的にグローバルサウス(南半球を中心とした新興国・途上国の総称)の国々が多かったんですね。なかでも南アフリカの元大統領であるカレマ・モトランテ氏が「イスラエルのジェノサイドを止めることが私たちの使命である」という趣旨の発言をしていたのが印象的でした。われわれグローバルサウスの国々も戦争によって被害を受けている。われわれは平和、そして安定と発展を望むといわれていて、とても心に響きました。

実際に、戦場で犠牲になっているのはロシアとウクライナ東部の人々、イスラエルに爆撃されているガザの人々ですが、戦争の影響を受けて食物や石油が届かなくなった第三世界では飢餓が起きている。グローバルサウスは生活の中から平和を求めているんですね。戦争の終結や共同発展を望むグローバルサウスの国々を巻き込む形で、連携と共同による新しい国際社会を共に作っていくことが、今の不安定な状況を変え、戦争を終わらせていくことにつながるのではないかと思います。

壁をなくすためにこれからの100年を考える

そもそも物理的な壁がなくなっても、本能的に人の心の中には何重にも壁があるのだと思います。壁は、最初は物理的なものとして現れますが、徐々に社会構造の中に現れる心理的な壁、つまり格差や差別などの見えないガラスの壁として立ち現れてきます。例えば、ドイツに入ってきたムスリム系の難民などに対して、入国管理で物理的に排除するだけではなく、ヘイトなど心の中で差別して排除するようなイメージです。

今こうした心理的な壁の存在が、極右や極左を生み出していると思います。西側から差別されてきた東欧諸国側から見ると、自分たちの人権や発展の要求がなぜ認められないかという立場で、ぎりぎりのところで戦っている。その差別や格差は先進国の中にも内包されていて、内側からも極右や極左が現れてネオリベラルの自由競争を批判している。また逆にこの極右や極左を批判している人々も、無意識のうちに差別と排除を実行していることを認識していく必要があると思います。

これは日本の話ですが、これから急速に少子高齢化が進んで、あと40~50年もすると生産年齢人口は半分になるといわれています。欧州も同じ状況です。少子高齢化問題は、まさに移民問題につながります。歴史人口学者のエマニュエル・トッドはすでに30年前、白人の人口がイスラム系の人口に凌駕されていくという統計を出していました。今まさに日本や欧州は、移民が入ってくることをはじめ、新しい時代の多様な価値感を受け入れるのか、それとも壁を築いて移民を排除し、静かに衰退していくのか、いずれかを選ばなければならない状況に来ているといえます。

人類の歴史を振り返ってみると、古代や中世で500年以上続いた帝国というのは、基本的に多民族国家なんですね。例えばローマ帝国は法によって人々を支配しましたが、その中にはイスラム教徒もユダヤ教徒もいました。オスマン帝国もイスラム教が基本であるにもかかわらず、キリスト教徒も国に追従するのであれば認めるというような、非常におおらかな体制でした。実際に中国やインドのような人口が多いところでは、多民族・多宗教国家として国を統治しようとしています。そういった国々が欧米をしのいで成長していくとしたら、国民国家そのものの考え方も変わっていくような気がします。

今後の100年をどう作っていくかは、われわれにとって重要な課題だと思います。国連の人口統計が示しているように、G7に代表されるような欧米の民主主義・自由主義システムを取る国は75年後には1割ほどに減り、8割がブリックスやグローバルサウスの国々となります。今や中国とインドのIT・AI人口はそれぞれ10億人、6億人の計16億人で、これは欧米と日本のIT人口8億人の2倍に相当します。人口や経済で負けているばかりか、すでにIT人口の数で負けているという状況下です。先進国はイスラムやアジアの人々、考え方、価値観などを考慮することなしに果たして生き残れるのか、という時代に入っているのではないかと思います。ですから、先進国から貧しい国を排除する壁を作るのではなく、壁を開いて共に生き延びる時代を作っていかなければならないと考えています。

ハンガリーとセルビア国境に築かれたフェンスの壁難民が自由に入ってこられないように、ハンガリーとセルビア国境に築かれたフェンスの壁(2016年)

ドイツ出身・在住者と考える分断と再生「壁を感じる」のはどんなとき?

ベルリンの壁が35年前に崩壊し、ドイツを分断する物理的な壁はなくなった。一方で、社会にはさまざまな分断が存在し、それが強化されてしまうこともあれば、乗り越えようとする努力も絶えず行われている。そんなドイツ社会で私やあなたを隔てる「見えざる壁」の存在について、ドイツ在住のさまざまな世代・文化的背景を持つ方々の声を聞いた。※各回答は、あくまで個人の見解です。

旧東ドイツ人と旧西ドイツ人の壁

ハンス=ユルゲン・シュタルケによるカリカチュア(1994年)ハンス=ユルゲン・シュタルケによるカリカチュア(1994年)。
レンガの接着剤が入ったそれぞれのバケツには、
「オッシーは怠け者で、世間知らずで、鼻持ちならない」(左)、
「ヴェッシーは傲慢で、利己的で、冷酷」(右)と書かれている

  • 壁崩壊後のドイツで育った自分にとって、正直なところ、東西の境界線は必ずしも明確ではありません。一方で、もちろん社会的には大きな格差があります。西ドイツの人々は1990年以降、方向転換をする必要がなく、新しいシステムを学ぶこともなく、システムが消えていく様子や工場が大量に閉鎖されるのを経験しませんでした。こうした経験の違いが、異なる影響とお互いへの理解の難しさを生んでいると思います。(A、20代、ポーランド出身)
  • あるとき、旧東ドイツ出身の友人が「ドイツ再統一は、新たな機会を得たというよりも、祖国を失うという感覚だった」と言っていて、これは自分にとって全く知らなかった視点でした。このアイデンティティ・クライシスは、現在も旧東ドイツの社会的・政治的状況に影響を及ぼしていると思います。同時に、この視点に対する旧西ドイツ人の無知は、旧東ドイツ人が社会の中心から阻害されていると感じる原因でもあります。時間の経過とお互いへの理解こそが、本当の意味で助けになると思います。(A、20代、デュッセルドルフ出身)
  • 私は1990年の東西ドイツの統一をベルリンの東側で経験し、2015年の難民危機の際にはバイエルン州にいました。10月3日がドイツ統一記念日だという話をバイエルンの人と話していたときに「その日って、バイエルンも祝日なの?」と聞かれたことがあります。比較的最近の話です。州が変わるとこれほど関心も薄れるのかと、びっくりしたのを覚えています。(T、50代、日本出身)
  • 特に高齢者の間では、「他者」に対する偏見がまだ残っていると思います。「ヴェッシー」(Wessi、西ドイツ人)は傲慢で知ったかぶり、「オッシー」(Ossi、東ドイツ人)は愚かで怠け者。そうした先入観を持ち、お互いの意見に耳を傾けようとしないのは大きな問題です。こうした偏見は若い世代では薄まっていると感じます。(J、60代、エーレンフリーダースドルフ出身)
  • 旧西ドイツに住む自分の家族が(軽蔑的な意味で)旧東ドイツの人々について話すとき、あるいは自分が旧東ドイツの人と話しているときに「ヴェッシー」という言葉を聞いたとき、どちら側からも壁を感じました。連邦政治における旧東ドイツからの代表を増やすこと、東西分断を助長するようなソーシャルメディアの取り締まりなどがもっと必要なのではないでしょうか。(K、30代、ハノーファー出身)

経済・教育格差の壁

  • 旧東ドイツでは、さまざまな職業の人が生活の中で混ざり合っている状態が望ましいと考えられていました。そのため私が子どもの頃住んでいたアパートには、職人、弁護士、医者、組立ライン労働者など、さまざまな隣人がいました。それが今日では、それぞれの経済状況によって住んでいる場所が異なるし、受けられる教育にも経済格差が明らかに反映されています。もっと公的扶助のある住宅が増えてほしいと思います。(F、40代、ヴェルニゲローデ出身)
  • 全ての人が質の高い教育を平等に受けられるような教育政策改革と、学校への財政支援が必要だと思います。教職員の給与を改善し、生徒への個別支援を強化する。今日でも、アカデミックな家庭の子どものほとんどが大学で学んでおり、非アカデミックな家庭の子どもで大学に行けるのはごく一部です。親が教育を重要な財産と考えなければ、どんなに優秀な子どもでも大学に入るのは非常に難しいと思います。(I、30代、エッセン出身)
  • もちろんドイツ東部の収入や仕事の少なさは問題ですが、東部の住宅は西部に比べてはるかに安価です。例えばライプツィヒでは、そうした安い家賃や生活費に惹かれて、西側や外国から若いアーティストやデザイナー、スタートアップが集まってきました。また教育制度でいえば、ザクセン州は優れた学校制度で知られているなど、ポジティブな面にも目を向けることは大事だと思います。(S、40代、ケムニッツ出身)
  • 地区間の境界線も、壁のように作用することがあると思います。住んでいる街を歩くと、どの地区が裕福かがはっきりと分かります。最も厚い壁は、貧富の差によるもので、残念ながら最近ますます厚くなっています。(E、60代、ブレーマーハーフェン出身)

ドイツ人と移民の壁

ドイツ各地にある難民キャンプドイツ各地にある難民キャンプでは、子どもたちのためのワークショップなども行われ、
インテグレーションの機会を提供している

  • 2016年に難民申請者としてドイツに渡り、申請と並行してドイツ語とドイツ文化を学びました。申請には長い時間がかかりますが、その間は働くことができず、自分が社会からはみ出た存在のように感じていました。その後、宅配ドライバーとして働いていたときも、荷物を届けに来ただけなのにすごく警戒されたり、怖がられたりすることがありました。難民による犯罪がメディアで強調され、「難民は危険」という固定概念がさらに強まっていると思います。(K、30代、アフガニスタン出身)
  • ドイツで外国人が滞在許可を得るためにはさまざまな申請が必要ですが、一般的なドイツ人でこのシステムについて理解している人はほとんどいません。私はよく外国人の友人をビザの申請などで助けてきましたが、用意すべき書類の多さや、複雑なプロセスにいつも驚かされます。ドイツ語ネイティブである私自身が、理解するのに時間がかかるような申請も少なくありません。(A、20代、ポーランド出身)
  • 難民危機の際、熱狂的に難民を受け入れて支援しようとした人たちと、難民に恐れを抱く人たちがいましたが、彼らの間に接点や対話はほとんど存在しないと思います。難民受け入れが地方自治体を圧迫し、一つの学校に難民の子どもたちが集中してしまっているといったニュースを昨今よく目にします。また、一人の難民による殺傷事件が国内で起こると、それが人々の心に恐怖心を植え付けてしまう。そして多くの人が、政治に対する信頼を失ってしまっていることも、この問題に大きな影を落としていると思います。 (T、50代、日本出身)
  • もちろんそれぞれの文化には違いがあります。私たちは何よりも、互いに学び合う覚悟を持つべきだと思います。(E、60代、ブレーマーハーフェン出身)

ジェンダー/セクシャリティの壁

  • ドイツにおける性差別は、まだまだ克服されていないと思います。例えば、大学で年配の教授が30年前なら受け入れられたような(差別的)発言をしたとして、私たちはそれをただ笑って受け流すことしかできない。また一部の社会層では、「フェミニスト」という言葉が侮辱的な意味合いで使われているように感じます。(A、20代、デュッセルドルフ出身)
  • LGBTQIA+にとっての壁。ベルリンはゲイパレードに象徴されるようにLGBTQIA+ フレンドリーな街ですし、当事者である私とパートナーはこれまでのところ不安なく暮らせています。一方で、日常で好奇な視線を向けられたり、雇用における差別を受けたりしたという知り合いも。誰もが自分らしく安心して暮らすには、法が整備されて終わりではないと思います。(D、30代、ブラジル出身)
  • 自分の仕事をきちんとこなし、お互いに敬意を持って振る舞う限り、性別の違いはますます少なくなっていると感じています。しかし、旧東ドイツ地域に引っ越して気づいたことがあります。ここでは、女性たちが西側よりもずっと自信を持っているように思えました。これは、彼女たちが東ドイツの統一前に完全な労働力として認識され、男性と平等に扱われていたからかもしれません。(J、60代、エーレンフリーダースドルフ出身)

ジェネレーションの壁

  • 若者と高齢者の間の価値観、ライフスタイル、テクノロジースキルの違いは、しばしば誤解を生む原因となりますが、私はこれは当たり前のことだと思います。どの新しい世代も、親の世代から何かを変えたいと考えます。ほかの世代の経験に対するオープンさや、お互いから学ぶことが重要ですし、これは政治的なレベルだけでなく、家庭教育によって形作られるものでもあります。私はこれを壁ではなく、歴史的に全ての世代が同じであることを映し出す鏡だと感じています。(I、30代、エッセン出身)
  • 高齢者の貧困は問題ですし、一方で若い人々の間では年金制度への信頼が薄れています。さらに、デジタルデバイド(情報格差)という問題もあります。つまり、年齢により人々が社会的な参加や関与から排除されることがあるのです。(A、70代、ベルリン出身)
  • 少子高齢化が進むドイツでは、「高齢者のために政策を進めている」と不満を持つ若い世代が少なくありません。なぜなら高齢者は多数派であり、若者よりも重要な有権者グループだからです。若者が高齢者と同じような経済的・社会的な機会を得ることができず、世代間で世界政治の見解や未来に対する印象、考え方が食い違ってしまいます。(D、30代、リューネブルク出身)

ドイツ語の壁

  • ドイツ社会への統合や社会包摂には、語学力がとても重要だと思います。プライベートな場面では、限られた語学力でも十分にやり取りできることがよくあります。しかし、言語は出会いや意思疎通の基盤であることに変わりはありません。お互いの言語を十分に理解できない人同士の会話は、本当の意味でのつながりを深めることが難しく、結果として関係が表面的になりがちです。(F、40代、ヴェルニゲローデ出身)
  • 移民である自分は、ドイツ語を一対一で話すときは理解できるのに、数人のネイティブスピーカーに囲まれると途端に話に入れなくなることがあります。一方で、自身の考えをつたないドイツ語でも言葉にし続けることで、面白がってもらえたり、仕事でアイデアが採用されたりする。また忍耐強く私のドイツ語に耳を傾けてくれる人たちとは、かけがえのない友人になることができました。(E、30代、ベトナム出身)

ほかにも感じる日常の中の壁

  • 民主主義に対する姿勢のギャップ、権威主義的なリーダーを強く求めたり、陰謀論にのめりこんだり。これらは全て、細分化されたメディアによって助長されていると思います。特にソーシャルメディアは、自分の中の「バブル」(閉ざされた環境)でのみ情報や意見を受け取る傾向を強めています。(A、70代、ベルリン出身)
  • 富める者はますます富み、貧しい者はどんどん貧しくなる新自由主義的な社会の中で、さまざまな分断が起こっています。ドイツ人は言論の自由を愛し、対話を愛する人たちだと思っていたけれど、問題と根本的に向き合う対話が失われてしまっているのを感じます。そういう分断という名の壁を社会のあちこちで感じます。(T、50代、日本出身)
  • 今回の特集制作のために、さまざまな人にアンケート協力を依頼するなかで、特に旧東ドイツ出身の方や移民・難民の方から「このテーマについて簡単に言葉にできない」「回答することが辛いので協力できない」というお返事をいただきました。そうした返答自体が、ドイツ社会の現状を反映しているのは言うまでもありません。回答くださった方々に感謝すると共に、「多数派に声をかき消されてしまった人」「歴史の中であえて沈黙を選んだ人」の存在についても、真摯に向き合いたいと思いました。(編集部O、30代、日本出身)
最終更新 Freitag, 08 November 2024 15:39
 

古典から若手作家の作品まで勢ぞろい! ドイツ生まれの絵本を読もう

読書の秋、今年はドイツ語の本も読んでみたい。でも長編はちょっと難しいかもという人や、子どもと一緒にドイツ作品を楽しんでみたいという人は、ドイツ語の絵本を読んでみるのはいかがだろうか。古典から現在活躍している作家の作品まで、思わず飾っておきたくなるようなデザインが美しい本も含め、ドイツ生まれの絵本を一挙にご紹介! 書店や図書館でお気に入りの一冊を見つけてみて。
(文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

100年以上読み継がれる古典絵本

ちょっと怖いのがクセになる!? Der Struwwelpeter
『もじゃもじゃペーター』 (ほるぷ出版)

もじゃもじゃペーター

著者:ハインリヒ・ホフマン
出版社:Thienemann-Esslinger Verlag
初版出版年:1845年
対象年齢:5歳以上

1年以上爪を切らず、髪の毛は伸び放題……ぎょっとする見た目の男の子が表紙にどーんと描かれている『Der Struwwelpeter』(もじゃもじゃペーター)は、なんと180年前に出版された絵本。開業医だったハインリヒ・ホフマン(1809-1894)は、クリスマス前に3歳の息子に絵本をプレゼントしたいと思っていたが、書店でなかなかいいものが見つからない。そこで絵本を手作りすることに。息子が夢中になったことをきっかけに、翌年に出版が決まり、現在も元祖ドイツ絵本として世界中で読み継がれている。不潔なペーターをはじめ、イヌをいじめる男の子、マッチで遊ぶ少女など、悪いことをする子がどんな仕打ちを受けるのか、ちょっと怖い展開は大人になっても忘れられないかも?

いたずら二人組の元祖コミック Max und Moritz
未邦訳:マックスとモーリッツ

Max und Moritz

著者:ヴィルヘルム・ブッシュ
出版社:Schwager & Steinlein Verlag
初版出版年:1865年
対象年齢:3~10歳

詩人でイラストレーターのヴィルヘルム・ブッシュ(1832-1908)は、「現代コミックの元祖」といわれている。1865年に出版された『Max und Moritz』(未邦訳:マックスとモーリッツ)は、そんなブッシュの作風が表れている作品の一つで、ドイツ児童文学の古典として広く知られる。人をからかったり何かを盗んだりするのが大好きなマックスとモーリッツは、未亡人のボルテさんのニワトリにいたずらを仕掛けることに。二人のいたずら模様が四コマ漫画のように描かれている。しかしそんな悪さばかりをしていたら、ハッピーエンドとはいかないのがお決まり。七つ目のいたずらで二人の身に起こることとは……。ドイツ的なブラックユーモアに笑えるか笑えないか、最後まで読んでみてのお楽しみ。

季節の移り変わりを美しく描く Mit den Wurzelkindern durchs Jahr
『ねっこぼっこ』 (平凡社)

ねっこぼっこ

著者:ジビュレ・フォン・オルファース
出版社:Thienemann-Esslinger Verlag
初版出版年:1906年
対象年齢:3歳以上

幼いころから絵を習っていたジビュレ・フォン・オルファース(1881-1916)は、24歳で修道女となり、リューベックの芸術アカデミーで学んだという経歴の持ち主。代表作『Mit den Wurzelkindern durchs Jahr』(ねっこぼっこ)は、19世紀末から20世紀初頭にかけてのアール・ヌーヴォーの美しさが詰まった絵本だ。子どもの姿をしたねっこぼっこ(Wurzelkinder)たちが目を覚ますと、色とりどりのドレスを縫ったり、虫の手伝いをしたりと、春の支度を始める。六つのお話を通じて四季の移り変わりが語られ、温かみあるタッチの挿絵と共に自然のサイクルを知ることができる。心が洗われるようなフォン・オルファースの優しい世界に浸ろう。

ウサギの子どもたちの一日 Die Häschenschule
『うさぎ小学校』 (徳間書店)

うさぎ小学校

著者:アルベルト・ジクストゥス 文、フリッツ・コッホ=ゴータ 絵
出版社:Thienemann-Esslinger Verlag
初版出版年:1924年
対象年齢:4歳以上

2024年で初版出版から100周年を迎えた『Die Häschenschule』(うさぎ小学校)は、何世代にもわたって愛されてきたドイツの定番絵本で、2017年には映画化もされている。学校へ行く日の朝、「キャベツのハンカチで鼻をかんでね!」とウサギのお母さんが子どもたちにてきぱきと身支度をさせるシーンから始まる本作。空想の世界の楽しさとどこか見覚えのあるようなリアルな光景が生き生きと描かれている。アルベルト・ジクストゥス(1892-1960)は、およそ70作品を残した20世紀の児童文学作家。一方、挿絵を担当したフリッツ・コッホ=ゴータ(1877-1956)はベルリンで人気を博したイラストレーターで、本作のウサギたちは当時の市民生活を反映している。

ドイツを代表するベストセラー絵本

小さなクマとトラのちょっとおかしな旅 Oh, wie schön ist Panama
『パナマってすてきだな』 (あかね書房、絶版)

パナマってすてきだな

著者:ヤーノシュ
出版社:BELTZ
初版出版年:1978年
対象年齢:5歳以上

ドイツの国民的作家といっても過言ではないヤーノシュ(1931-)は、柔らかい水彩画のタッチとユーモアのある言葉で子どもから大人まで夢中にさせてきた。そんな彼の作品を代表するキャラクターが、小さなクマとトラのコンビ。この『Oh, wie schön ist Panama』(パナマってすてきだな)にも彼らが登場する。ある日小さなクマが見つけたバナナの香りのする箱に「パナマ」と書いてあったことから、二人は夢の国パナマを目指して旅に出る。珍道中の末、生きる上で大切な何かを教えてくれる作品で、1979年にはドイツ青少年文学賞を受賞した。公式ホームページ(www.janosch.de)では動画版も公開されているので、併せて見てみよう。

いろいろな形のうんちが登場!? Vom kleinen Maulwurf, der wissen wollte, wer ihm auf den Kopf gemacht hat
『うんちしたのはだれよ!』 (偕成社)

うんちしたのはだれよ!

著者:ヴェルナー・ホルツヴァルト 文、ヴォルフ・エールブルッフ 絵
出版社:Peter Hammer Verlag
出版年:1989年
対象年齢:2歳以上

ある日、モグラが地面から顔を出すと、頭にソーセージのような細長いものが落ちてきた。「うんちしたのは誰なの?」と怒るモグラに、ハトは自分ではないと白いフンをして見せる。そうやって犯人捜しをするモグラが次に出会ったのは? 同作は日本語を含む40カ国語以上に翻訳されたベストセラー。今年は、ザールラント州立劇場で子ども向けオペラが上演された。ヴェルナー・ホルツヴァルト(1947-)は、広告代理業界で活躍後、バウハウス大学で教べんを取っていた人物。ヴォルフ・エールブルッフ(1948-2022)は、息子の誕生をきっかけに児童書の執筆と挿絵を描き始め、2006年には国際アンデルセン賞の画家賞を受賞している。

昼の世界に憧れたおばけの物語 Das kleine Gespenst
『小さいおばけ』 (徳間書店)

小さいおばけ

著者:オトフリート・プロイスラー 文、フランツ・ヨーゼフ・トリップ 絵
出版社:Thienemann-Esslinger Verlag
出版年:1966年
対象年齢:6歳以上

『大どろぼうホッツェンプロッツ』や『クラバート』(いずれも偕成社)など、ドイツ児童文学を代表する作品の数々を世に送り出してきたオトフリート・プロイスラー(1923-2013)。出版された35冊以上の本は50カ国語以上に翻訳され、国内外の文学賞を受賞している。そんなプロイスラーの『Das kleine Gespenst』(小さいおばけ)は、昼の世界を見たいと願う小さなおばけが主人公。オイレンシュタイン城に住むおばけは、昼を見るために朝も目を覚ましていようとするが、何度も失敗してしまう。ところが、突然その願いが叶って……。フランツ・ヨーゼフ・トリップ(1915-1978)の素朴かつユニークなモノクロの挿絵が、さらに想像をかき立ててくれる。

小さいおばけ

何度読んでも新たな発見が! Herbst-Wimmelbuch
未邦訳:秋の探し絵本

秋の探し絵本

著者:ロートラウト・ズザンネ・ベルナー
出版社:Gerstenberg Verlag
出版年:2024年
対象年齢:2~6歳

イラストレーターとして活躍するロートラウト・ズザンネ・ベルナー(1948-)は、これまで何度もアストリッド・リンドグレーン記念文学賞や国際アンデルセン賞にノミネートされ、2016年に後者を受賞している。ベルナーの作品といえば、人や動物、建物、乗り物など、ありとあらゆるものが細かく描かれた文字のない絵本「Wimmelbuch」(探し絵本)。眺めながらお話をするのもよし、人やものを探して遊ぶのもよし、いろいろな読み方ができるのがうれしい。最新作『Herbst-Wimmelbuch』(未邦訳:秋の探し絵本)は、秋の季節をテーマに紅葉の風景、かぼちゃ祭り、ランタン行列など、ドイツの風物詩も登場。パズルやカレンダーもあるので、気になる人はチェックしてみて。

秋の探し絵本

今注目の若手作家たちの絵本

大学の卒業制作から生まれた絵本 Lindbergh
Die abenteuerliche Geschichte einer fliegenden Maus
『リンドバーグ 空飛ぶネズミの大冒険』 (ブロンズ新社)

リンドバーグ 空飛ぶネズミの大冒険

著者:トーベン・クールマン
出版社:NordSüd Verlag
出版年:2014年
対象年齢:5歳以上

ハンブルクに、人間の本を読むのが大好きな小ネズミが住んでいた。ある日、仲間のネズミたちが安全な場所を求めて海を渡っていることに気付く。そして、小ネズミは空を飛ぶことを決意したのだった。初めて単発機で大西洋横断に成功したチャールズ・リンドバーグにちなんだ作品で、同シリーズのタイトルはそれぞれ『アームストロング』、『エジソン』、『アインシュタイン』と偉人の名が付けられている。作者のトーベン・クールマン(1982-)は、幼いころから何かを発明したり、機械や飛行機の歴史に夢中だったという。本作はハンブルク応用科学大学の卒業制作として構想され、デビュー作にして日本語を含む20カ国語に翻訳された。

リンドバーグ 空飛ぶネズミの大冒険

丁寧に描く子ども同士のあるある Morgen bestimme ich!
未邦訳:明日は僕が決める!

Morgen bestimme ich!

著者:イョルク・ミューレ
出版社:Moritz Verlag
出版年:2024年
対象年齢:4歳以上

イョルク・ミューレ(1973-)は、デザイナーとして書籍や雑誌のイラストを手がけてきた。2007年から絵本の挿絵を担当するようになり、2015年、ウサギをお世話したり寝かしつけたりするという新しいコンセプトの「Hasenkind」シリーズで絵本作家としてデビュー。娘のために作った同シリーズは、日本では「バニーといっしょ!」シリーズ(キーステージ21)として人気だ。最新作『Morgen bestimme ich!』(未邦訳:明日は僕が決める!)は、クマとイタチが主人公。誰がアナグマと遊ぶかをめぐってクマとイタチが言い合いを始め、何をするにも「ああ言えばこう言う」状態に。なんでも自分で決めたい年頃の子どもたちの姿がそのまま描かれており、作者の鋭い観察眼が伺える。

Morgen bestimme ich!

森へ探検に出かけよう Waldtage!
未邦訳:森に行く日

Waldtage!

著者:シュテファニー・ヘーフラー 文、クラウディア・ヴァイカート 絵
出版社:BELTZ
出版年:2020年
対象年齢:4歳以上

ある日、幼稚園の掲示板に「来週はWaldwoche(森週間)!」と張り出された。ハリネズミ組は5日間続けて毎日森へ出かけることになり、みんなワクワクドキドキ。先生に連れられて歩く森の中で、何か音が聞こえ、子どもたちは動物たちをおびき寄せようと、いろいろなアイデアを出し合うが……。作者のシュテファニー・ヘーフラー(1978-)はドイツ児童文学界の新鋭で、数多くの賞にノミネートされている。教師として働くへーフラーは、家族と一緒に黒い森の街に住んでおり、森の魅力を分かりやすく伝えてくれる。森を親しみ深く描いたイラストは、ドイツ青少年文学賞にもノミネートされたクラウディア・ヴァイカート(1969-)が担当する。

ドイツで最も美しい哲学絵本 Ludwig und das Nashorn
未邦訳:ルートヴィヒとサイ

Ludwig und das Nashorn

著者:ノエミ・シュナイダー 文、ゴールデン・コスモス 絵
出版社:NordSüd Verlag
出版年:2023年 
対象年齢:4歳以上

『Ludwig und das Nashorn』(未邦訳:ルートヴィヒとサイ)は、2023年に「Die Schönsten Deutschen Bücher」(ドイツの最も美しい本)に選ばれた作品だ。本作は哲学者ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインが唱えた「この部屋にサイがいないことを証明せよ」をテーマにしている。「僕の部屋にサイがいる」と言うルートヴィヒに対し、全く信じないお父さん。たとえ目に見えない物だとしても、そこに存在する可能性を考えさせてくれる。作者のノエミ・シュナイダー(1982-)は、ジャーナリストとして映画やラジオ、印刷物などさまざまなジャンルで活躍する人物。ゴールデン・コスモスはベルリンで活動するアーティストデュオで、本作が初の絵本作品となる。

Ludwig und das Nashorn

誰もが主人公になれる時代へ
絵本における多様性を考える

さまざまな場面で「多様性」が語られるようになった今日、絵本の世界でも多様性は重要なテーマの一つだ。ここドイツの絵本や児童書でも、ジェンダーをはじめ、LGBTQがテーマになっているほか、マイノリティや障がいのある人物が主人公のものが次々と出版されている。

もともと絵本には、冒険の旅に出る男の子、お母さんのお手伝いをする女の子など、固定観念的なジェンダーロールが描かれていることが多い。2019年に南ドイツ新聞が過去70年に出版された5万冊のドイツの絵本や児童書、ヤングアダルト本を調査したところ、男性の主人公は女性の主人公に比べて2倍以上冒険をしていることが分かった。

さらにドイツでは、登場人物の肌や髪の色についてもしばしば指摘される。ドイツの主要都市に住む子どもの約半数が移民的背景を持っているにもかかわらず、児童書の主人公は白人やブロンドヘアが大半だ。2019年時点の児童文学研究において、ドイツの児童文学市場ではBAME(Black, Asian and Minority Ethnic)の登場人物は限られた範囲内でしか登場しないと結論付けられている。有色人種が主人公になるのは移民や人種差別をテーマにした物語であることが多く、おとぎ話に出てくることはほとんどない。

初等教育専門家のラース・ブルクハルト氏によると、児童書は子どものアイデンティティの形成に寄り添ってくれる存在だという。本の登場人物と自分を重ね合わせることは、子どもの成長にとって重要だ。しかし本の中に限られたアイデンティティしか描かれていなければ、自分自身の可能性を広げることも難しくなる。例えば、白人の医師や政治家しか描かれていないとしたら、有色人種の子どもは、自分はその職業に就くことができないと考える傾向にあるとする意見もある。さらに、AfroKids Germanyを主催するジャメ=ジーゲル氏は、作品に白人の登場人物しか出てこない場合、白人の子どもが「外国人」の存在を知ることができず、遠ざけることにつながると、シュピーゲル紙のインタビューに答えている。

そうした背景もあり、近年ドイツ国内では当事者が有色人種の子どもを主人公とした絵本を出版するなどの動きも見られている。さらに多様性を意識した絵本を取り扱う専門書店などが増えているほか、今年の「Deutscher Kinderbuchpreis」(ドイツ児童書賞)にも家族の多様化について取り上げた『Ach, das ist Familie?!』(未邦訳:ああ、これが家族⁉)がノミネートされ、多様性への意識はますます高まっているといえるだろう。ドイツの作品以外にも、さまざまな国で評価された多様性の絵本や児童書がドイツ語に翻訳されているため、書店や図 書館でぜひ手に取ってみよう。

Ach, das ist Familie?!

Ludwig und das Nashorn

著者:ブリタ・キヴィット 文、エミリー・クレア・フェルカー 絵
出版社:Edition Michael Fischer
出版年:2023年
対象年齢:5歳以上

参考:ze.t「t Vielfalt: Warum es nicht egal ist, was wir Kindern vorlesen」、Goethe-Institut「 Diversität in aktuellen deutschen Kinder-Bestsellern」、Deutschlandfunk Kultur「Diversität: Mehr Vielfalt in Kinderbüchern」、Spiegel Familie「Diversität in Kinderbüchern Von Schwarzen Prinzessinnen und männlichen Meerjungfrauen」

最終更新 Dienstag, 22 Oktober 2024 08:50
 

産前・産後に必要なことをチェック!ドイツで初めての妊娠・出産

日本とは言葉も習慣も違うドイツでの妊娠・出産。さまざまな喜びがある一方で、戸惑いの連続でもあるだろう。本特集は、そんな不安を少しでも解消するべく、ドイツならではの仕組みや制度について徹底解説! さらに、ドイツで妊娠・出産を経験した先輩ママ&パパたちに、体験談や驚きのエピソード、日本との考え方の違いなどについて聞いた。まだ見ぬわが子に出会う日を楽しみに、一歩ずつ準備を進めていこう。
(文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

参考:本誌1006号「産前産後の準備すごろく」、ドイツニュースダイジェスト連載「ドイツでマタニティーブルー」

ドイツで初めての妊娠・出産 - 産前・産後に必要なことをチェック!

妊娠前

定期的な婦人科検診を受ける

妊娠を望む・望まないにかかわらず、信頼できる産婦人科医院(Gynäkologie、Frauenarzt)を見つけておくと安心。ドイツでは20歳以上の女性は年に1回婦人科検診(Vorsorge)を受けることが推奨されており、多くの公的健康保険で無料検診が受けられる。また風しん・麻しんの抗体を持っていない場合、これらのワクチンは妊娠中に接種できないため、妊娠前に打つことが推奨されている。

ドイツの不妊治療(Kinderwunsch)

「不妊」が頭をよぎったら、まずはかかりつけの産婦人科に相談しよう。その後、紹介状を書いてもらい、「不妊治療センター」(Kinderwunschzentrum、Kinderwunschpraxis)を受診することになる。ドイツの公的健康保険に入っている場合、法的に結婚している25歳以上の男女(女性は40歳、男性は50歳まで)は、高度不妊治療(人工授精、体外受精、顕微授精)においても保険が適用される(一部自己負担、適用回数に制限あり)。治療を開始する前に、医師が発行した治療計画と費用計画を健康保険会社に提出する必要がある。2人目の不妊治療の際には、1人目のときの治療回数はリセットされ、1人目の時と同じ回数の治療が受けられる。

妊娠初期(1. Trimester:1〜12週)

妊娠の判定

妊娠の可能性がある場合は、ドラッグストアなどで売っている妊娠検査薬(Schwangerschaftstest)を使用して判定する。排卵予定日から2週間後に使うタイプが一般的だが、生理予定日4日目から使える「Frühtest」というものもある。陽性反応が出たら、かかりつけの産婦人科医院を予約しよう。

妊娠の判定

妊婦検診

通常、31週までは4週間に1回、32週からは2週間に1回、出産予定日を過ぎると2日に1回の妊婦検診が行われる。週数 (Schwangerschaftswoche=SSW)の数え方が日本とドイツでは違い、日本は0週目から、ドイツは1週目から始まるため1週間のずれがある。妊娠期間は、初期(1.Trimester:1〜12週)、中期(2.Trimester:13〜27週)、後期(3. Trimester:28〜40週)に分けられる。

ドイツの母子手帳「Mutterpass」

日本の母子手帳との一番の違いは、母親の妊娠の経過を記録するカルテの役割を果たすこと。医師が記録するもので、母親が記入する欄はない。これさえあれば緊急時にどこの病院でも受け入れてもらえるので、妊娠中は肌身離さず携帯しよう。

母子手帳「Mutterpass」


出産費用について

ドイツでは、出産までに最低限必要とされる費用は全て公的健康保険でカバーされる。有料となるのは、胎児の染色体異常のスクリーニング検査や規定以上の超音波検診などの追加で行う検査、入院の際に個室を選んだ場合や家族も宿泊する場合、規定以上の産前産後のケア(ヨガや鍼治療など)を受けた場合など。

職場への報告

仕事をしている妊婦の場合、適切なタイミングで職場への妊娠報告をすることになる。安定期に入ってからという人もいれば、つわりなどによる体調不良や、仕事内容に母体に影響を及ぼすような作業がある場合などは、なるべく早い段階で報告するという人も。どのくらい育児休暇を取るか、産後はどのような働き方を希望するかなど、雇用主と具体的にすり合わせをしよう。

ドイツにおける妊娠中の労働者の主な権利

  • 母性保護法(Mutterschutzgesetz)が適用されるのは、雇用主やフリーランス、自営業者、学生、公務員以外の、会社と雇用契約(正規社員だけでなく、アルバイトや研修生等も含む)を結ぶ妊婦
    ※公務員には別の法規が適用される
  • 妊婦健診などの公的健康保険でカバーされている受診は、勤務時間内に行くことが許される(給与から差し引かれない) 
  • 妊娠中~産後4カ月は解雇されない
  • 有毒物質や放射性物質を扱う作業や、定期的に5キロ以上の重さの荷を持ち運ぶ作業、一定のスピードが求められる流れ作業など、妊婦や胎児に負担となる作業は免除される 
  • 産前6週間~産後8週間(多胎の場合や早産の場合は産後12週間)は、母性保護期間(Mutterschutzfrist)とされ、就業から免除される。なお手取り額分は、母親手当(Mutterschaftsgeld)にて全額保障される。母親手当については後述

※母性保護期間も、妊婦本人が希望すれば就業可能。また、その就業希望については、いつでも撤回できる

へバメ(Hebamme)を探す

ドイツでは、「ヘバメ」と呼ばれる助産師が、母子の産じょく期ケア(Wochenbett-Betreuung)のため自宅に来てくれる制度がある。へバメは、産後の思わぬトラブルや育児への疑問や不安をプロの視点からサポートしてくれる強い味方であり、これらの訪問サポートは全て保険適用。産婦人科で紹介してもらうほか、口コミやインターネットサイト「www.kidsgo.de」や「Hebammesuche.de」などを通じで探し、自身でコンタクトを取る。昨今ではヘバメ不足が深刻化しているため、なるべく早くへバメ探しを開始しよう。

妊娠中期(2. Trimester:13〜27週)

出産準備講座(Geburtsvorbereitungskurs)に参加する

妊娠から出産、赤ちゃんの世話の仕方など、妊婦やパートナーを対象に各病院や助産師が開催する講座。25〜29週ごろに受講するのが一般的。コースの開催期間にもよるが、参加人数が限られているので妊娠10~20週の間に申し込んでおこう。これからお兄さん・お姉さんになる子どもが、お母さんの体で何が起こっているのか、出産後の生活の変化などについて楽しく学べる「兄姉コース」(Geschwisterkurs)が開催されていることも。

出産準備講座

赤ちゃんグッズの準備

ベビーベッドやベビーカー、おむつ台など、赤ちゃんのために準備するべきものはたくさん!すぐにサイズアウトしてしまう赤ちゃんの洋服は、ベビー用品フリーマーケットや、地域の家族センター(Familienzentrum)などでお下がりを調達するのもおすすめ。

小児科を見つけておく

赤ちゃんの1カ月健診は小児科(あるいは家庭医)で受けることになるため、かかりつけの小児科を妊娠中から探しておくとよい。医院によっては新患を受け入れていないこともあるため、事前にメールや電話で問い合わせよう。

歯の治療

妊娠中はホルモンの変化によって歯茎にトラブルが起きやすく、虫歯のリスクも高まるため、安定期に入ったら歯のチェックとクリーニングに行くのがおすすめ。赤ちゃんの歯科検診などについても、このタイミングでリサーチしておくのがよい。

保育園・幼稚園リサーチ

職場復帰を予定している場合は、産まれる前から子どもの預け先のリサーチを行う。公立・私立の保育園のほか、Tagesmutter/-vater(保育ママ・パパ)に預けるという選択肢がある。ドイツでも待機児童の問題があり、希望の園に入園できるかどうかは運(とコネ)次第。地域によっても保育園事情や申し込み方法が異なるので、お住まいの地域の担当窓口に確認しよう。

出産する病院を予約する

ドイツでは、妊婦検診を産婦人科医院で行い、分娩は病院で行うという分業制が一般的。どの病院でも分娩室の見学会(Kreißsaalführung)を行っているので、事前に見学することでお産を具体的にイメージしやすくなる。病院に出産の予約申し込みをするのは、出産予定日の1カ月前からという病院が多い。どのようなお産にしたいか具体的に要望があれば、バースプラン(出産計画)を病院の予約の際に伝えよう。

出産場所の違い

● 総合病院や大学病院(Krankenhaus)
自宅からの距離、分娩方法の選択肢、リスク出産への対応(新生児集中治療室の有無)、病院内やスタッフの雰囲気、母乳指導への積極性(母乳育児を希望する場合)などをポイントに、自分たちに合いそうな病院を選ぼう。

● 助産院(Geburtshaus)
薬剤を使わず、アットホームな雰囲気で自然なお産をサポートしてくれる。帝王切開での出産経験がある人や、多胎妊娠などのリスクが高い出産には適さない。

● そのほか
ほかにも、自宅出産(Hausgeburt)や産前の検診を担当した医師や助産師が付き添う出産(Beleggeburt)もある。


出産のスタイル

ドイツの病院・産院では、好きな姿勢で産めるフリースタイルの自然出産(Natürliche Geburt)が一般的。水中分娩(Wassergeburt)を希望する場合、対応していない病院もあるので注意。覚えておきたい単語は、吸引分娩(Saugglockengeburt)や帝王切開(Kaiserschnitt)、誘発分娩(Geburtseinleitung)。

出産準備講座ドイツの一般的な分娩室の様子。
薄暗い室内には、分娩台だけでなく、体を温めるための浴槽やバランスボール、
天井からつるされたひもなどがあり、自分に合った分娩の姿勢を探せる

無痛分娩という選択

ドイツでは、無痛分娩(硬膜外麻酔=PDA)も保険でカバーされる。お産当日、どうしても陣痛に耐えられないという場合に、病院での出産であれば対応可能。分娩予約の際などに、PDAについての書類をもらっておこう。またPDAを強く希望する場合は、入院後早めにそのことを助産師らに伝えておく。ただしお産の経過によっては、PDAを受けられないこともある。

妊娠後期(3. Trimester:28〜40週)

出産・入院バッグの準備

妊娠後期に入ったら、出産バッグと入院バッグをそれぞれ準備する。内容は日本のそれとほとんど同じだが、入院中の赤ちゃんの衣服やおむつ、そのほかのケア用品、母乳パッド、産じょくナプキンや使い捨てパンツ、授乳枕などは、基本的に病院にそろっているので持参しなくてよい。

出産バッグ

  • 母子手帳
  • 健康保険カード
  • パスポート
  • 汚れてもよい、丈が長めのTシャツ
  • リップクリーム、水、のどあめなど(分娩中に乾燥を感じたり、のどが渇いたりすることがあるため)
  • ヘアゴムやヘアバンド(髪が長い場合)
  • スマートフォン、カメラ
  • 分娩室で音楽をかけたい場合は、スピーカーやプレイリスト

※病院にある可能性が高いもの:マッサージオイル、水やお茶、マッサージボールなど


入院バッグ

  • スリッパやサンダル(着脱しやすい室内履き)
  • 温かい靴下
  • 入院中の着脱が楽な服(授乳の際に便利な前開きのパジャマなど)
  • バスローブかカーディガン(入院中にパジャマの上に着用)
  • 授乳ブラ
  • 出生届けの提出に必要な書類(婚姻証明、戸籍謄本など)
  • 洗面道具や筆記用具など
  • 退院時の赤ちゃんの服(または入院中に記念撮影をする際に着せたい服、下着から上着、帽子、ミトンまで)
  • 退院時の母親の服(サイズの目安は、妊娠6カ月くらいに着用していた服)

母親手当(Mutterschaftsgeld)の申請

働く女性は、出産予定日の6週間前から8週間後まで母親手当の受給権があり、手取り給与額が満額保障される。健康保険組合から1日13ユーロ、それ以外は会社から支払われる。母性保護期間に入る前に、医師または助産師から出産予定日が記された妊娠証明書(Zeugnis über den mutmaßlichen Tag der Entbindung)を、雇用主と健康保険会社(プライベート保険の場合は Bundesversicherungsamtへ)に提出する。なおフリーランスの場合でも、公的健康保険に任意加入しているか、芸術家社会保障(Künstlersozialkasse)に加入している場合は母親手当の受給権がある。

出生届の準備

ドイツで出産する場合、両親とも日本人の場合でもまずはドイツで出生届を提出する。出生届用紙や両親のパスポート・滞在許可証に加え、両親それぞれの出生証明書(Geburtsurkunde)、婚姻証明書(Heiratsurkunde)の原本が必要。出産予定日の2〜3カ月前までには日本から戸籍謄本の原本(3カ月有効)を取り寄せ、これを根拠に大使館や領事館でドイツ語の書類を作成してもらう。自治体によっては、アポスティーユ(公印確認)や認証翻訳が必要な場合もあるため、事前に担当窓口で必要書類について確認しておくとよい。婚姻関係にないパートナー同士の場合は、父親による認知(Vaterschaftsanerkennung)と親権宣言(Sorgeerklärung)が必要になる。

産後の申請書類の準備

産後は想像以上に机に向かう時間が取れないもの。両親手当(Elterngeld)や子ども手当(Kindergeld)など、産後すぐに申請しなければならない各種申請用紙は、埋められる限り記入しておこう。

出産・入院

いよいよ出産!

規則的な陣痛など出産の兆候が見られたら、出産・入院バッグを持って病院へ。破水した場合や大量の出血がある場合などは救急車を呼ぶ(10ユーロ前後の自己負担あり)。タクシーは、場合によっては断られることがある。緊急の場合以外、一般的に問い合わせ先は分娩室。病院によっては直接、分娩室に来るよう指示されることもある。

いよいよ出産

カンガルーケア(Bonding)

ついにわが子が誕生! 生まれた直後、へその緒が付いた状態ですぐに母親の胸の上に。ドイツの多くの病院では、カンガルーケアの母子に与えるメリットが重視されている。帝王切開などで母親がすぐにカンガルーケアをできない場合は、父親が担当することも。

カンガルーケア


へその緒はどうする?

へその緒は、立ち会い出産をした父親が切ることが多い。日本では、へその緒をきりの箱に入れて大事に保管するが、ドイツではそういった習慣はない。取っておきたい場合は、前もって病院側に日本の習慣について説明し、「へその緒を10cmください」などと伝えておく。同様に産湯の習慣もないので、日本の風習にのっとったバースプランを実現したい場合は、しっかり相談しておこう。

母子同室での子育て開始

産後はすぐに母子同室となり、さっそく赤ちゃんの世話が始まる。短い入院期間中、病院の対応はあっさりしたもの。分からないことがあったり助けが必要だったりするときは、積極的に看護師に声を掛けよう。パートナーや家族も宿泊したい場合は、空きがあれば家族部屋に泊まれる(自己負担)。

母子同室

出生届の提出

出生届は、入院中に病院で提出するか、7日以内に戸籍役場に提出する。その後、戸籍役場から受理の連絡が入り、出生証明書(Geburtsurkunde)をピックアップするか、もしくは自宅に郵送してもらう。出生証明書は、両親手当や子ども手当の申請、子どもが外国籍の場合はパスポート申請などにも必要になるため、あらかじめ原本の必要枚数を確認しておこう。

退院へ

ドイツの入院期間は短く、自然分娩で2~3日、帝王切開で3〜 6日(体調によって延長可能)。赤ちゃんが2回目の新生児検診(U2)を受け、母子共に問題がなければ退院へ。子ども手帳 (Kinder-Untersuchungsheft)、母子手帳、日照時間が少ないドイツで処方される赤ちゃん用のビタミンD(処方せんの場合も)などを持って帰宅する。母乳育児の場合、産婦人科や小児科に処方せんを出してもらい、薬局でさく乳機(Milchpumpen)をレンタルすることもできる。

退院後

ヘバメによる自宅訪問ケア

子どもが生まれたら、入院中にへバメに連絡し、退院後の自宅訪問の日取りを相談しておく。生後10日間は1日1回(特にサポートが必要な場合は1日2回)、生後8週間までに計16回、その後の授乳トラブルや離乳食相談に計4回まで訪問してもらうことができる。赤ちゃんの発育の様子、産後の傷のケア、授乳指導や沐もくよく浴指導、そして何より育児の不安や悩みを打ち明けられる相談相手として、精神面の支えになってくれる。

日本の出生届の提出

ドイツの出生証明書が手元に届いたら、日本への出生届を提出する。日本の出生届2通、ドイツの出生証明書2通、所定の様式による出生証明書の和訳2通(それぞれ1通は原本、もう1通はコピーで可)を大使館または領事館に提出する。提出後、日本の市区町村の戸籍に反映されるまでに4〜 6週間程度かかる。子どもが外国の国籍も取得している場合(父または母がドイツ国籍の場合など)は、出生届とともに日本の国籍を留保する意思を表示し、出生の日を含めて3カ月以内に届け出なければならない。これを過ぎてしまうと、日本国籍を喪失するので注意しよう。

子どものパスポート、ビザの申請

日本の出生届が受理され、戸籍に反映されたことを本籍地の役場に確認後、最新の戸籍謄本を取り寄せて子どものパスポートを申請する。なおパスポートの引き取りには、本人(赤ちゃん)を窓口に連れていく必要がある。パスポートができる時期を見計らって、外国人局でビザの申請手続きも進める。

子どもの保険の加入

公的健康保険では、子どもは生まれた瞬間から健康保険が適用され、無料で家族加入ができる。また、保険カードが1カ月検診に間に合わなくても、後から自己負担分を請求できる。

1カ月検診と産後検診

子どもの1カ月検診(U3)は、退院後早めに小児科を予約する。またドイツの産後検診は産後6〜8週ごろに産婦人科で行われるため、こちらも退院後に予約しておこう。出産前に通っていた産婦人科に行き、検診の際にあらためて出産の報告をする。

補助金関連の申請

母親手当の産後申請
出生証明書をはじめとする必要書類を健康保険会社に提出すると、産後8週間分の母親手当を受給できる。

育児休暇と両親手当の申請
産後3年以内に取得できる育児休暇(Elternzeit)は、開始8週間前までに、職場に書面で申請する。両親手当(Elterngeld)を受給するためには、出生証明書と申請書類、所得証明などを合わせて管轄の課に提出する。

両親手当の種類

❶ 両親手当ベーシック(Basiselterngeld)
育児休暇の取得中、子どもが生まれる前の手取り賃金の67%を受け取れる。両親合わせて最長14カ月の受給が可能。

❷ 両親手当プラス(Elterngeldplus)
週32時間までのパートタイム勤務をしつつ、両親手当を受給することができる。両親手当ベーシックの半分の金額を両親合わせて最大24カ月受け取ることができる。ベーシックとプラスを組み合わせることも可能。

❸ パートナーボーナス(Partnerschaftsbonus)
母親と父親両方が週32時間までのパートタイムで働いている場合、両親手当プラスを最大4カ月追加で受け取ることができる。

子ども手当の申請
子どもが生まれた月から18歳(学生の場合は25歳)まで、2024年時点では1人当たり月額250ユーロが支給される。こちらは申請書と出生証明書、その他必要書類を労働局の家族公庫(Familienkasse)に提出する。

その他の申請できる補助金
上記のほかにも、両親の収入状況などによっては追加児童手当(Kinderzuschlag)、住宅手当(Wohngeld)、ひとり親の場合はひとり親支援(Unterhaltsvorschuss)などが得られる。どのような補助金を申請できるかについては、各自治体に相談窓口が設置されている。

産後コースや赤ちゃんサークルへの参加

生活が少しずつ落ち着いてきたら、産後8~10週後からの参加が勧められている産じょく体操(Rückbildungsgymnastik、保険適用)や、ベビーマッサージのコースに参加するのも◎。同じ境遇の新米・先輩ママとの交流や情報交換の場になっている。また家族センターなどでは、赤ちゃんが遊べる「はいはいサークル」(Krabbelgruppe)や、離乳食にまつわる講座などが定期的に開かれているので、赤ちゃんを連れてぜひ出かけてみよう。

赤ちゃんサークル

日本とドイツでこんなに違う!ドイツで出産した先輩ママ&パパたちの声

ドイツで妊娠・出産を経験した先輩ママ&パパたちに、ドイツならではの妊娠・出産事情をはじめ、日本から持ってきて良かったものや、へバメさんとの関係性など、さまざまな体験を語ってもらった。大切なのは、日本とドイツ、どちらのやり方が正しいかではなく、違いを踏まえた上でどのような選択をしていくか。先輩ママ&パパたちのリアルな声を、ぜひ参考にしてみて。
※あくまで個人の経験に基づいた情報です。

お話を聞いた先輩ママ&パパ

AさんAさん(夫婦で回答)
•ベルリン在住
•日日家庭
•双子(現在7歳)をドイツで出産
BさんBさん
•ヴィースバーデン在住
•日欧家庭
•1人目(現在11歳)は日本、2人目(現在9歳)はドイツで出産
CさんCさん
•ハンブルク在住
•日独家庭
•30年以上前に1人目を日本、2・3人目をドイツで出産。孫(現在3歳)もドイツで誕生
DさんDさん
•デュッセルドルフ在住
•日日家庭
•2人(現在3歳と0歳)をドイツで出産
EさんEさん(夫婦で回答)
•ライプツィヒ在住
•日日家庭
•1人(現在0歳)をドイツで出産

Qドイツで妊娠・出産をして良かったことは?

健康保険でさまざまな費用がカバー

Aさん:公的健康保険で、検診や出産、産後の入院の費用、全てがカバーされること。またフリーランサーでも、出産準備期間や育児休暇に手当金が受給できたことが何より助かりましたし、心強かったです。産後のケアも充実。産後の体調不良などで育児に支障を来すほどの状況に陥った親へのサポートとして、家事代行サービスの費用を健康保険がカバーしてくれました。また産後の尿もれに悩んでいましたが、妊娠によって伸びきった骨盤底筋を鍛えるトレーニングコースを受講し、その費用も保険で全てカバーされました。

いい意味で適当なところ

Bさん:日本では妊娠中、体重が増えすぎないよう注意されましたが、ドイツでは全く何もありませんでした。また1人目は日本で出産しましたが、「〇時間おきに必ず起きて授乳してください」、「おしっこやうんちを見て健康チェックをしてください」など、健康管理を徹底することを教えてもらいました。一方、ドイツで出産した2人目のとき、出産2日目に子どもが授乳時間になっても起きず、不安になっていることを病院側に伝えると、「寝たいのだから、寝かせてあげたらいいんじゃない」と言われただけ。この一言で、私は気が楽になりました。

妊婦さん・子どもに寛容な社会

Bさん:子どもが泣いていたりすると、知らない人がそっと手伝ってくれるなど、街全体で子育てをしてくれているように感じることが多々あります。2人目を妊娠している時に、疲れ過ぎて上の子の幼稚園のお迎え時間を過ぎても寝てしまっていたことがありました。幼稚園の先生から連絡があり起きましたが、「大丈夫よ。分かるわ~。ゆっくり迎えに来てちょうだい」と言われただけでした。状況を温かく理解してくださって、とてもうれしかったです。

Dさん:おなかが目立つようになってからは電車やバスの座席はもちろん、スーパーのレジの順番を譲ってもらえることも多く、ドイツの人々の妊婦に対する優しさを感じました。日本では「慎重に」といわれがちなマタニティ期間の旅行も、ドイツの方が比較的寛容だと感じます。私自身も、第二子の時は体調を見ながらあちこちと旅行に行きました。

自然分娩か帝王切開かを選べたこと

Aさん:多胎出産は必ず帝王切開になると思っていましたが、私の病院では、自然分娩を推奨していました。出産予定日の4週前には誘発剤を用いて分娩する予定でしたが、私の場合はそれよりも早くに産気づいたため、誘発剤を使用することなく、自然分娩で出産しました。

Dさん:2人目を自然分娩で産めたのは良かったです。1人目は緊急帝王切開だったのですが、それと比べて産後の回復が随分と早かったので。日本では帝王切開歴がある場合、2人目以降も基本的には帝王切開になるそうですが、ドイツでは予定帝王切開にするか、自然分娩にトライするか、医師からそれぞれのメリットとリスクの説明を聞いて相談しました。

家族部屋に泊まれたこと

Eさん:病院のベッドに空きがあったため、出産の翌日から退院まで、家族3人で個室に泊まることができました。家族部屋は日本だと数十万円かかると聞いていましたが、私たちの場合、パートナーの宿泊費は一泊30ユーロでした(母親の分は保険でカバー)。出産後もずっと家族3人でいられて、かけがえのない時間でした。私たち以外にも、パートナーや上の子を含めて宿泊している家族も多くいました。

プロのカメラマンによる写真撮影

Eさん:生後2日目に、プロのカメラマンさんが赤ちゃんの写真撮影に来てくれました。さまざまな角度やポーズで撮ってもらい、後日、オンラインで注文するシステムでした(1枚好きなものをプレゼントしてもらえました!)。私やパートナーも撮影のアシスタントを務め、楽しかったです。

プロのカメラマンによる写真撮影

Q 反対に、大変だったことは?

各種申請や情報収集

Aさん:受診や各種申請をドイツ語でしなくてはならないのが大変でした。情報収集にも苦労しましたが、周りの経験のある友人たちにとても助けられました。

慣れないドイツの病院システム

Bさん:妊娠・出産に限らず、ドイツの病院ではどこでもそうだと思いますが、検診時には自分の体調や症状を細かく医師に伝えることをおすすめします。こちらから言わなければ、相手からは何も聞かれません。

Dさん:病室について、日本の大部屋は仕切りカーテンがあると思いますが、ドイツの病室(二人部屋)には特にカーテンでの仕切りなどがありません。結果的に話しやすい環境で良かったし、すぐに慣れましたが、最初は少し戸惑いました。

デュッセルドルフの病院デュッセルドルフの入院先の病院にて(Dさん)

サポートに来てくれる家族のフォロー

Cさん:出産前後には、実家の母がドイツに来てくれました。とても助かった一方で、母とドイツ人夫との間に入ってそれぞれをフォローする必要があり、大変な面もありました。ドイツ人にとって子どもは夫婦二人で育てるもので、実家の親にはあまり頼らないし、口出しされるのを嫌がる傾向にあるかもしれません。日本は今でも里帰り出産の習慣がありますが、ドイツの人にはあまり理解できないかもと思いました。

Bさん:日本から来てくれた私の両親は一人で外出したり買い物に行ったりしてくれましたが、友人のなかには、親が一人で買い物などに行けなくて、逆にやることが増えて大変だと言っている人もいました。また欧州出身のパートナーの両親には、赤ちゃんと一緒の部屋で寝ていることにびっくりされたり(新生児から一人で寝かせるのが当たり前のようで)、授乳で疲れていたので夜早く寝ようとすると、「なぜ大人の時間を持たないのか」と不思議がられたり。いろいろな文化の違いがあるなと思いました。

入院食がパン・チーズ・ハム

Bさん:大変だったところは、やっぱり食事です。日本では「授乳は体力を奪うからしっかり食べましょう」と言われ、栄養バランスの良い食事が1日3食出ましたが、ドイツでは毎回パンとチーズで飽き飽きしました。

入院中の食事を大公開

入院中のお昼ごはんDさん:入院中のお昼ごはん。なぜか毎回デザートが二つ付いてきました

夫による手作りの差し入れDさん:夫による手作りの差し入れ。疲れた体におだしがうれしかったです

帝王切開翌日の朝食Eさん:帝王切開翌日の朝食

お寿司の差し入れEさん:妊娠中、ずっとがまんしていたお寿司を差し入れしてもらいました

Q 日本から持ってきて(送ってもらって)良かったものは?

サラシの腹帯

Aさん:日本から送ってもらったサラシの腹帯が役立ちました。一日一日大きくなるお腹のサイズに合わせて、まき具合を調整できるので便利でした。

ベビーサインの本

Bさん:出産祝いに友人が送ってくれて、子どもに言語を教えていくのにとても役に立ちました。わが家は夫がドイツ語圏出身ではないため、親それぞれが子どもと話す言語、夫婦間の言語、外出時の言語が異なります。子どもがまだ話せない頃から、私たちの違う言語を一つのベビーサインで伝えてくれたので、子どもの言葉の理解度を知ることもできました。

日本語の育児本&離乳食作り用の調理器具

Cさん:出産したのは大昔でネットもなかったので、妊娠、出産、育児関連の日本語の本を持ってきました。長男を日本で出産した時に買った、離乳食作り用の小さなおろし器、裏ごし器、果汁搾り器がセットになったものは、すごく便利でずっと使っていました。

日本のガーゼタオル

Dさん:ドイツには小さいサイズのものがなく、日本サイズがちょっとした吐き戻しを拭いたり、お風呂に入れない日の体を拭いたり、離乳食の際に口周りや手を拭いたりと万能です。

Q 育児休暇は取った?

育児と仕事のバランスを話し合うきっかけに

Aさん:私は産休と育休を、パートナーは育休を2カ月取りました。両親手当を申請する段階で、手当を受給できる最大14カ月間にどうやって二人で育児と仕事を交互に進めていくか、生活プランを事前によく話し合えたのは良かったです。

駐在員の場合は給付金なし

Dさん:うちの夫は1人目、2人目共に2週間の育休を取得しましたが、駐在員のため給付金はありませんでした。夫の会社のドイツ現地スタッフの方々は、2カ月取得するケースが多いようなので、日本よりもフォローが充実していると思います。

両親手当プラスを受給

Eさん:夫婦二人ともフリーランスですが、芸術家社会保障に加入しているため産休・育休ともに給付金を得ることができました。二人とも産後2カ月から仕事に復帰したい、かつ育児もできるだけ半分ずつ行いたいとの方針から、パートタイムで働きつつ給付できる、両親手当プラス(Elterngeld Plus)とパートナーボーナス(Partnerschaftsbonus)を受給しました。

まだまだ男女差があるドイツの育休事情

2023年にドイツ連邦情報局が6歳以下の子どもがいる20〜49歳の両親を対象に行った調査によると、女性の約4分の1が育児休暇を取得しているのに対し、父親はわずか1.8%。3歳以下の子どもがいる両親では、女性は43.9%、男性は3%だった。出産後に育児休暇を取得する男性は年々増えているが、一方、2022年の連邦人口研究所の分析によると、男性の平均育休期間は3.6カ月で、2カ月以上の育休を取得する父親は10%となっている。一方で女性は平均14.6カ月の育児休暇を取得している。日本よりも男性が育休を取りやすいイメージのあるドイツだが、その実情はというと、まだまだ男女差が大きいようだ。

参考:Statististches Bundesamt「Personen in Elternzeit」、tagesschau「Viele Männer nehmen nur zwei "Vätermonate"」

Q へバメの訪問サポート、実際どうだった?

現状に合ったアドバイスが受けられる

Aさん:ヘバメさんの指導のもと、ベッドやおむつ台の置き場所を決めたり、ベビーカーや授乳枕などを用意できたので心強かったです。ヘバメさん自身も双子の母なので、経験をいろいろと分けてもらったり、双子向けの割引サービスなどの情報も教えてもらったりしました。資格取得のための勉強をしっかりされているので、現状に合った育児方法やアドバイスをもらえましたし、職業として客観的に接してくれるので、遠慮なく頼りやすかったです。最長9カ月は訪問費用を健康保険が負担してくれるので、離乳食への移行の際も相談できて助かりました。

どうするか迷った時の指針に

Eさん:初めての育児で、毎日のように心配ごとや分からないことが出てくるので、それを毎日確認できるのがすごくありがたかったです。今の時代、ネット上にはさまざまな育児情報が溢れており、さらに日本とドイツでやり方が異なることも多いので惑わされることも多いかもしれません。夫婦で意見が異なるときや迷ったときは、へバメさんの意見を第一に信頼して、それに従ってやってみるという方針を夫婦間でも共有していました。

ドイツらしい自然派療法も

Aさん:うちのへバメさんは自然療法を推進している方で、子どもの舌が白く「鵞口瘡」になった際に、砂(医療用の特別なもの)を口に含ませるように言われたときは驚きました。

Dさん:赤ちゃんのお風呂は週に1回、入浴剤として、牛乳200ミリリットルとオリーブオイル少々を入れるようにへバメさんから指導されました。昔ながらの自然療法が体に合ったのか、3歳になった長女は今も肌が丈夫で肌トラブルがありません。赤ちゃんのおむつかぶれには紅茶、へその緒の掃除は母乳を垂らして綿棒でなど、ドイツならではの方法も伝授いただきました。

Eさん:うちのへバメさんは自然派で、お風呂の入浴剤として母乳、引っかき傷にも母乳、という感じでした。ほかにも、おむつかぶれには、医療用のウールを貼り付けることで通気性を良くして、羊毛のオイル成分で治癒するなど。また日本だと産後1カ月間は外出しないイメージでしたが、母子共に無理のない範囲であれば散歩してOKと言われ、気軽に外出できたのがうれしかったです。

へバメさん寝返りの練習方法を指導してくれるへバメさん(Eさん)

そもそもヘバメが見つからず

Cさん:へバメ制度はとても良いですが、ドイツでは全国的に深刻なへバメ不足。早めに探すのは必須で、特に夏休みなどの休み期間中に出産が重なると、なかなか見つからないそうです。実際、うちの孫の出産のときは結局見つからず。何かあれば小児科や婦人科に相談できるものの、基本的には自分たちだけで乗り切ることになったそうです。

へバメさんとの相性は重要

Eさん:産後の1カ月間は、母子共にとても繊細な時期だと思います。自宅のベッドルームというプライベートな空間にへバメさんが毎日通ってくれるので、その人との相性はとても大事。私たちは幸い、とても良いへバメさんに出会えましたが、ある友人はへバメ探しが遅かったために、1人のへバメさんが担当するのではなく、数人のへバメさんが交代で訪問する形に。情報共有が不十分だったり、信頼関係を築くのが難しかったと言っていました。ほかにも、毎日へバメさんが来るのが苦痛になってしまい、途中で訪問サポートを断ったという知り合いも。妊娠中からへバメさんと面談し、お互いに相性を確認しておくのも大事だと思いました。

最終更新 Montag, 04 November 2024 16:31
 

産前・産後に必要なことをチェック!ドイツで初めての妊娠・出産

日本とは言葉も習慣も違うドイツでの妊娠・出産。さまざまな喜びがある一方で、戸惑いの連続でもあるだろう。本特集は、そんな不安を少しでも解消するべく、ドイツならではの仕組みや制度について徹底解説! さらに、ドイツで妊娠・出産を経験した先輩ママ&パパたちに、体験談や驚きのエピソード、日本との考え方の違いなどについて聞いた。まだ見ぬわが子に出会う日を楽しみに、一歩ずつ準備を進めていこう。
(文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

参考:本誌1006号「産前産後の準備すごろく」、ドイツニュースダイジェスト連載「ドイツでマタニティーブルー」

ドイツで初めての妊娠・出産 - 産前・産後に必要なことをチェック!

妊娠前

定期的な婦人科検診を受ける

妊娠を望む・望まないにかかわらず、信頼できる産婦人科医院(Gynäkologie、Frauenarzt)を見つけておくと安心。ドイツでは20歳以上の女性は年に1回婦人科検診(Vorsorge)を受けることが推奨されており、多くの公的健康保険で無料検診が受けられる。また風しん・麻しんの抗体を持っていない場合、これらのワクチンは妊娠中に接種できないため、妊娠前に打つことが推奨されている。

ドイツの不妊治療(Kinderwunsch)

「不妊」が頭をよぎったら、まずはかかりつけの産婦人科に相談しよう。その後、紹介状を書いてもらい、「不妊治療センター」(Kinderwunschzentrum、Kinderwunschpraxis)を受診することになる。ドイツの公的健康保険に入っている場合、法的に結婚している25歳以上の男女(女性は40歳、男性は50歳まで)は、高度不妊治療(人工授精、体外受精、顕微授精)においても保険が適用される(一部自己負担、適用回数に制限あり)。治療を開始する前に、医師が発行した治療計画と費用計画を健康保険会社に提出する必要がある。2人目の不妊治療の際には、1人目のときの治療回数はリセットされ、1人目の時と同じ回数の治療が受けられる。

妊娠初期(1. Trimester:1〜12週)

妊娠の判定

妊娠の可能性がある場合は、ドラッグストアなどで売っている妊娠検査薬(Schwangerschaftstest)を使用して判定する。排卵予定日から2週間後に使うタイプが一般的だが、生理予定日4日目から使える「Frühtest」というものもある。陽性反応が出たら、かかりつけの産婦人科医院を予約しよう。

妊娠の判定

妊婦検診

通常、31週までは4週間に1回、32週からは2週間に1回、出産予定日を過ぎると2日に1回の妊婦検診が行われる。週数 (Schwangerschaftswoche=SSW)の数え方が日本とドイツでは違い、日本は0週目から、ドイツは1週目から始まるため1週間のずれがある。妊娠期間は、初期(1.Trimester:1〜12週)、中期(2.Trimester:13〜27週)、後期(3. Trimester:28〜40週)に分けられる。

ドイツの母子手帳「Mutterpass」

日本の母子手帳との一番の違いは、母親の妊娠の経過を記録するカルテの役割を果たすこと。医師が記録するもので、母親が記入する欄はない。これさえあれば緊急時にどこの病院でも受け入れてもらえるので、妊娠中は肌身離さず携帯しよう。

母子手帳「Mutterpass」


出産費用について

ドイツでは、出産までに最低限必要とされる費用は全て公的健康保険でカバーされる。有料となるのは、胎児の染色体異常のスクリーニング検査や規定以上の超音波検診などの追加で行う検査、入院の際に個室を選んだ場合や家族も宿泊する場合、規定以上の産前産後のケア(ヨガや鍼治療など)を受けた場合など。

職場への報告

仕事をしている妊婦の場合、適切なタイミングで職場への妊娠報告をすることになる。安定期に入ってからという人もいれば、つわりなどによる体調不良や、仕事内容に母体に影響を及ぼすような作業がある場合などは、なるべく早い段階で報告するという人も。どのくらい育児休暇を取るか、産後はどのような働き方を希望するかなど、雇用主と具体的にすり合わせをしよう。

ドイツにおける妊娠中の労働者の主な権利

  • 母性保護法(Mutterschutzgesetz)が適用されるのは、雇用主やフリーランス、自営業者、学生、公務員以外の、会社と雇用契約(正規社員だけでなく、アルバイトや研修生等も含む)を結ぶ妊婦
    ※公務員には別の法規が適用される
  • 妊婦健診などの公的健康保険でカバーされている受診は、勤務時間内に行くことが許される(給与から差し引かれない) 
  • 妊娠中~産後4カ月は解雇されない
  • 有毒物質や放射性物質を扱う作業や、定期的に5キロ以上の重さの荷を持ち運ぶ作業、一定のスピードが求められる流れ作業など、妊婦や胎児に負担となる作業は免除される 
  • 産前6週間~産後8週間(多胎の場合や早産の場合は産後12週間)は、母性保護期間(Mutterschutzfrist)とされ、就業から免除される。なお手取り額分は、母親手当(Mutterschaftsgeld)にて全額保障される。母親手当については後述

※母性保護期間も、妊婦本人が希望すれば就業可能。また、その就業希望については、いつでも撤回できる

へバメ(Hebamme)を探す

ドイツでは、「ヘバメ」と呼ばれる助産師が、母子の産じょく期ケア(Wochenbett-Betreuung)のため自宅に来てくれる制度がある。へバメは、産後の思わぬトラブルや育児への疑問や不安をプロの視点からサポートしてくれる強い味方であり、これらの訪問サポートは全て保険適用。産婦人科で紹介してもらうほか、口コミやインターネットサイト「www.kidsgo.de」や「Hebammesuche.de」などを通じで探し、自身でコンタクトを取る。昨今ではヘバメ不足が深刻化しているため、なるべく早くへバメ探しを開始しよう。

妊娠中期(2. Trimester:13〜27週)

出産準備講座(Geburtsvorbereitungskurs)に参加する

妊娠から出産、赤ちゃんの世話の仕方など、妊婦やパートナーを対象に各病院や助産師が開催する講座。25〜29週ごろに受講するのが一般的。コースの開催期間にもよるが、参加人数が限られているので妊娠10~20週の間に申し込んでおこう。これからお兄さん・お姉さんになる子どもが、お母さんの体で何が起こっているのか、出産後の生活の変化などについて楽しく学べる「兄姉コース」(Geschwisterkurs)が開催されていることも。

出産準備講座

赤ちゃんグッズの準備

ベビーベッドやベビーカー、おむつ台など、赤ちゃんのために準備するべきものはたくさん!すぐにサイズアウトしてしまう赤ちゃんの洋服は、ベビー用品フリーマーケットや、地域の家族センター(Familienzentrum)などでお下がりを調達するのもおすすめ。

小児科を見つけておく

赤ちゃんの1カ月健診は小児科(あるいは家庭医)で受けることになるため、かかりつけの小児科を妊娠中から探しておくとよい。医院によっては新患を受け入れていないこともあるため、事前にメールや電話で問い合わせよう。

歯の治療

妊娠中はホルモンの変化によって歯茎にトラブルが起きやすく、虫歯のリスクも高まるため、安定期に入ったら歯のチェックとクリーニングに行くのがおすすめ。赤ちゃんの歯科検診などについても、このタイミングでリサーチしておくのがよい。

保育園・幼稚園リサーチ

職場復帰を予定している場合は、産まれる前から子どもの預け先のリサーチを行う。公立・私立の保育園のほか、Tagesmutter/-vater(保育ママ・パパ)に預けるという選択肢がある。ドイツでも待機児童の問題があり、希望の園に入園できるかどうかは運(とコネ)次第。地域によっても保育園事情や申し込み方法が異なるので、お住まいの地域の担当窓口に確認しよう。

出産する病院を予約する

ドイツでは、妊婦検診を産婦人科医院で行い、分娩は病院で行うという分業制が一般的。どの病院でも分娩室の見学会(Kreißsaalführung)を行っているので、事前に見学することでお産を具体的にイメージしやすくなる。病院に出産の予約申し込みをするのは、出産予定日の1カ月前からという病院が多い。どのようなお産にしたいか具体的に要望があれば、バースプラン(出産計画)を病院の予約の際に伝えよう。

出産場所の違い

● 総合病院や大学病院(Krankenhaus)
自宅からの距離、分娩方法の選択肢、リスク出産への対応(新生児集中治療室の有無)、病院内やスタッフの雰囲気、母乳指導への積極性(母乳育児を希望する場合)などをポイントに、自分たちに合いそうな病院を選ぼう。

● 助産院(Geburtshaus)
薬剤を使わず、アットホームな雰囲気で自然なお産をサポートしてくれる。帝王切開での出産経験がある人や、多胎妊娠などのリスクが高い出産には適さない。

● そのほか
ほかにも、自宅出産(Hausgeburt)や産前の検診を担当した医師や助産師が付き添う出産(Beleggeburt)もある。


出産のスタイル

ドイツの病院・産院では、好きな姿勢で産めるフリースタイルの自然出産(Natürliche Geburt)が一般的。水中分娩(Wassergeburt)を希望する場合、対応していない病院もあるので注意。覚えておきたい単語は、吸引分娩(Saugglockengeburt)や帝王切開(Kaiserschnitt)、誘発分娩(Geburtseinleitung)。

出産準備講座ドイツの一般的な分娩室の様子。
薄暗い室内には、分娩台だけでなく、体を温めるための浴槽やバランスボール、
天井からつるされたひもなどがあり、自分に合った分娩の姿勢を探せる

無痛分娩という選択

ドイツでは、無痛分娩(硬膜外麻酔=PDA)も保険でカバーされる。お産当日、どうしても陣痛に耐えられないという場合に、病院での出産であれば対応可能。分娩予約の際などに、PDAについての書類をもらっておこう。またPDAを強く希望する場合は、入院後早めにそのことを助産師らに伝えておく。ただしお産の経過によっては、PDAを受けられないこともある。

妊娠後期(3. Trimester:28〜40週)

出産・入院バッグの準備

妊娠後期に入ったら、出産バッグと入院バッグをそれぞれ準備する。内容は日本のそれとほとんど同じだが、入院中の赤ちゃんの衣服やおむつ、そのほかのケア用品、母乳パッド、産じょくナプキンや使い捨てパンツ、授乳枕などは、基本的に病院にそろっているので持参しなくてよい。

出産バッグ

  • 母子手帳
  • 健康保険カード
  • パスポート
  • 汚れてもよい、丈が長めのTシャツ
  • リップクリーム、水、のどあめなど(分娩中に乾燥を感じたり、のどが渇いたりすることがあるため)
  • ヘアゴムやヘアバンド(髪が長い場合)
  • スマートフォン、カメラ
  • 分娩室で音楽をかけたい場合は、スピーカーやプレイリスト

※病院にある可能性が高いもの:マッサージオイル、水やお茶、マッサージボールなど


入院バッグ

  • スリッパやサンダル(着脱しやすい室内履き)
  • 温かい靴下
  • 入院中の着脱が楽な服(授乳の際に便利な前開きのパジャマなど)
  • バスローブかカーディガン(入院中にパジャマの上に着用)
  • 授乳ブラ
  • 出生届けの提出に必要な書類(婚姻証明、戸籍謄本など)
  • 洗面道具や筆記用具など
  • 退院時の赤ちゃんの服(または入院中に記念撮影をする際に着せたい服、下着から上着、帽子、ミトンまで)
  • 退院時の母親の服(サイズの目安は、妊娠6カ月くらいに着用していた服)

母親手当(Mutterschaftsgeld)の申請

働く女性は、出産予定日の6週間前から8週間後まで母親手当の受給権があり、手取り給与額が満額保障される。健康保険組合から1日13ユーロ、それ以外は会社から支払われる。母性保護期間に入る前に、医師または助産師から出産予定日が記された妊娠証明書(Zeugnis über den mutmaßlichen Tag der Entbindung)を、雇用主と健康保険会社(プライベート保険の場合は Bundesversicherungsamtへ)に提出する。なおフリーランスの場合でも、公的健康保険に任意加入しているか、芸術家社会保障(Künstlersozialkasse)に加入している場合は母親手当の受給権がある。

出生届の準備

ドイツで出産する場合、両親とも日本人の場合でもまずはドイツで出生届を提出する。出生届用紙や両親のパスポート・滞在許可証に加え、両親それぞれの出生証明書(Geburtsurkunde)、婚姻証明書(Heiratsurkunde)の原本が必要。出産予定日の2〜3カ月前までには日本から戸籍謄本の原本(3カ月有効)を取り寄せ、これを根拠に大使館や領事館でドイツ語の書類を作成してもらう。自治体によっては、アポスティーユ(公印確認)や認証翻訳が必要な場合もあるため、事前に担当窓口で必要書類について確認しておくとよい。婚姻関係にないパートナー同士の場合は、父親による認知(Vaterschaftsanerkennung)と親権宣言(Sorgeerklärung)が必要になる。

産後の申請書類の準備

産後は想像以上に机に向かう時間が取れないもの。両親手当(Elterngeld)や子ども手当(Kindergeld)など、産後すぐに申請しなければならない各種申請用紙は、埋められる限り記入しておこう。

出産・入院

いよいよ出産!

規則的な陣痛など出産の兆候が見られたら、出産・入院バッグを持って病院へ。破水した場合や大量の出血がある場合などは救急車を呼ぶ(10ユーロ前後の自己負担あり)。タクシーは、場合によっては断られることがある。緊急の場合以外、一般的に問い合わせ先は分娩室。病院によっては直接、分娩室に来るよう指示されることもある。

いよいよ出産

カンガルーケア(Bonding)

ついにわが子が誕生! 生まれた直後、へその緒が付いた状態ですぐに母親の胸の上に。ドイツの多くの病院では、カンガルーケアの母子に与えるメリットが重視されている。帝王切開などで母親がすぐにカンガルーケアをできない場合は、父親が担当することも。

カンガルーケア


へその緒はどうする?

へその緒は、立ち会い出産をした父親が切ることが多い。日本では、へその緒をきりの箱に入れて大事に保管するが、ドイツではそういった習慣はない。取っておきたい場合は、前もって病院側に日本の習慣について説明し、「へその緒を10cmください」などと伝えておく。同様に産湯の習慣もないので、日本の風習にのっとったバースプランを実現したい場合は、しっかり相談しておこう。

母子同室での子育て開始

産後はすぐに母子同室となり、さっそく赤ちゃんの世話が始まる。短い入院期間中、病院の対応はあっさりしたもの。分からないことがあったり助けが必要だったりするときは、積極的に看護師に声を掛けよう。パートナーや家族も宿泊したい場合は、空きがあれば家族部屋に泊まれる(自己負担)。

母子同室

出生届の提出

出生届は、入院中に病院で提出するか、7日以内に戸籍役場に提出する。その後、戸籍役場から受理の連絡が入り、出生証明書(Geburtsurkunde)をピックアップするか、もしくは自宅に郵送してもらう。出生証明書は、両親手当や子ども手当の申請、子どもが外国籍の場合はパスポート申請などにも必要になるため、あらかじめ原本の必要枚数を確認しておこう。

退院へ

ドイツの入院期間は短く、自然分娩で2~3日、帝王切開で3〜 6日(体調によって延長可能)。赤ちゃんが2回目の新生児検診(U2)を受け、母子共に問題がなければ退院へ。子ども手帳 (Kinder-Untersuchungsheft)、母子手帳、日照時間が少ないドイツで処方される赤ちゃん用のビタミンD(処方せんの場合も)などを持って帰宅する。母乳育児の場合、産婦人科や小児科に処方せんを出してもらい、薬局でさく乳機(Milchpumpen)をレンタルすることもできる。

退院後

ヘバメによる自宅訪問ケア

子どもが生まれたら、入院中にへバメに連絡し、退院後の自宅訪問の日取りを相談しておく。生後10日間は1日1回(特にサポートが必要な場合は1日2回)、生後8週間までに計16回、その後の授乳トラブルや離乳食相談に計4回まで訪問してもらうことができる。赤ちゃんの発育の様子、産後の傷のケア、授乳指導や沐もくよく浴指導、そして何より育児の不安や悩みを打ち明けられる相談相手として、精神面の支えになってくれる。

日本の出生届の提出

ドイツの出生証明書が手元に届いたら、日本への出生届を提出する。日本の出生届2通、ドイツの出生証明書2通、所定の様式による出生証明書の和訳2通(それぞれ1通は原本、もう1通はコピーで可)を大使館または領事館に提出する。提出後、日本の市区町村の戸籍に反映されるまでに4〜 6週間程度かかる。子どもが外国の国籍も取得している場合(父または母がドイツ国籍の場合など)は、出生届とともに日本の国籍を留保する意思を表示し、出生の日を含めて3カ月以内に届け出なければならない。これを過ぎてしまうと、日本国籍を喪失するので注意しよう。

子どものパスポート、ビザの申請

日本の出生届が受理され、戸籍に反映されたことを本籍地の役場に確認後、最新の戸籍謄本を取り寄せて子どものパスポートを申請する。なおパスポートの引き取りには、本人(赤ちゃん)を窓口に連れていく必要がある。パスポートができる時期を見計らって、外国人局でビザの申請手続きも進める。

子どもの保険の加入

公的健康保険では、子どもは生まれた瞬間から健康保険が適用され、無料で家族加入ができる。また、保険カードが1カ月検診に間に合わなくても、後から自己負担分を請求できる。

1カ月検診と産後検診

子どもの1カ月検診(U3)は、退院後早めに小児科を予約する。またドイツの産後検診は産後6〜8週ごろに産婦人科で行われるため、こちらも退院後に予約しておこう。出産前に通っていた産婦人科に行き、検診の際にあらためて出産の報告をする。

補助金関連の申請

母親手当の産後申請
出生証明書をはじめとする必要書類を健康保険会社に提出すると、産後8週間分の母親手当を受給できる。

育児休暇と両親手当の申請
産後3年以内に取得できる育児休暇(Elternzeit)は、開始8週間前までに、職場に書面で申請する。両親手当(Elterngeld)を受給するためには、出生証明書と申請書類、所得証明などを合わせて管轄の課に提出する。

両親手当の種類

❶ 両親手当ベーシック(Basiselterngeld)
育児休暇の取得中、子どもが生まれる前の手取り賃金の67%を受け取れる。両親合わせて最長14カ月の受給が可能。

❷ 両親手当プラス(Elterngeldplus)
週32時間までのパートタイム勤務をしつつ、両親手当を受給することができる。両親手当ベーシックの半分の金額を両親合わせて最大24カ月受け取ることができる。ベーシックとプラスを組み合わせることも可能。

❸ パートナーボーナス(Partnerschaftsbonus)
母親と父親両方が週32時間までのパートタイムで働いている場合、両親手当プラスを最大4カ月追加で受け取ることができる。

子ども手当の申請
子どもが生まれた月から18歳(学生の場合は25歳)まで、2024年時点では1人当たり月額250ユーロが支給される。こちらは申請書と出生証明書、その他必要書類を労働局の家族公庫(Familienkasse)に提出する。

その他の申請できる補助金
上記のほかにも、両親の収入状況などによっては追加児童手当(Kinderzuschlag)、住宅手当(Wohngeld)、ひとり親の場合はひとり親支援(Unterhaltsvorschuss)などが得られる。どのような補助金を申請できるかについては、各自治体に相談窓口が設置されている。

産後コースや赤ちゃんサークルへの参加

生活が少しずつ落ち着いてきたら、産後8~10週後からの参加が勧められている産じょく体操(Rückbildungsgymnastik、保険適用)や、ベビーマッサージのコースに参加するのも◎。同じ境遇の新米・先輩ママとの交流や情報交換の場になっている。また家族センターなどでは、赤ちゃんが遊べる「はいはいサークル」(Krabbelgruppe)や、離乳食にまつわる講座などが定期的に開かれているので、赤ちゃんを連れてぜひ出かけてみよう。

赤ちゃんサークル

日本とドイツでこんなに違う!ドイツで出産した先輩ママ&パパたちの声

ドイツで妊娠・出産を経験した先輩ママ&パパたちに、ドイツならではの妊娠・出産事情をはじめ、日本から持ってきて良かったものや、へバメさんとの関係性など、さまざまな体験を語ってもらった。大切なのは、日本とドイツ、どちらのやり方が正しいかではなく、違いを踏まえた上でどのような選択をしていくか。先輩ママ&パパたちのリアルな声を、ぜひ参考にしてみて。
※あくまで個人の経験に基づいた情報です。

お話を聞いた先輩ママ&パパ

AさんAさん(夫婦で回答)
•ベルリン在住
•日日家庭
•双子(現在7歳)をドイツで出産
BさんBさん
•ヴィースバーデン在住
•日欧家庭
•1人目(現在11歳)は日本、2人目(現在9歳)はドイツで出産
CさんCさん
•ハンブルク在住
•日独家庭
•30年以上前に1人目を日本、2・3人目をドイツで出産。孫(現在3歳)もドイツで誕生
DさんDさん
•デュッセルドルフ在住
•日日家庭
•2人(現在3歳と0歳)をドイツで出産
EさんEさん(夫婦で回答)
•ライプツィヒ在住
•日日家庭
•1人(現在0歳)をドイツで出産

Qドイツで妊娠・出産をして良かったことは?

健康保険でさまざまな費用がカバー

Aさん:公的健康保険で、検診や出産、産後の入院の費用、全てがカバーされること。またフリーランサーでも、出産準備期間や育児休暇に手当金が受給できたことが何より助かりましたし、心強かったです。産後のケアも充実。産後の体調不良などで育児に支障を来すほどの状況に陥った親へのサポートとして、家事代行サービスの費用を健康保険がカバーしてくれました。また産後の尿もれに悩んでいましたが、妊娠によって伸びきった骨盤底筋を鍛えるトレーニングコースを受講し、その費用も保険で全てカバーされました。

いい意味で適当なところ

Bさん:日本では妊娠中、体重が増えすぎないよう注意されましたが、ドイツでは全く何もありませんでした。また1人目は日本で出産しましたが、「〇時間おきに必ず起きて授乳してください」、「おしっこやうんちを見て健康チェックをしてください」など、健康管理を徹底することを教えてもらいました。一方、ドイツで出産した2人目のとき、出産2日目に子どもが授乳時間になっても起きず、不安になっていることを病院側に伝えると、「寝たいのだから、寝かせてあげたらいいんじゃない」と言われただけ。この一言で、私は気が楽になりました。

妊婦さん・子どもに寛容な社会

Bさん:子どもが泣いていたりすると、知らない人がそっと手伝ってくれるなど、街全体で子育てをしてくれているように感じることが多々あります。2人目を妊娠している時に、疲れ過ぎて上の子の幼稚園のお迎え時間を過ぎても寝てしまっていたことがありました。幼稚園の先生から連絡があり起きましたが、「大丈夫よ。分かるわ~。ゆっくり迎えに来てちょうだい」と言われただけでした。状況を温かく理解してくださって、とてもうれしかったです。

Dさん:おなかが目立つようになってからは電車やバスの座席はもちろん、スーパーのレジの順番を譲ってもらえることも多く、ドイツの人々の妊婦に対する優しさを感じました。日本では「慎重に」といわれがちなマタニティ期間の旅行も、ドイツの方が比較的寛容だと感じます。私自身も、第二子の時は体調を見ながらあちこちと旅行に行きました。

自然分娩か帝王切開かを選べたこと

Aさん:多胎出産は必ず帝王切開になると思っていましたが、私の病院では、自然分娩を推奨していました。出産予定日の4週前には誘発剤を用いて分娩する予定でしたが、私の場合はそれよりも早くに産気づいたため、誘発剤を使用することなく、自然分娩で出産しました。

Dさん:2人目を自然分娩で産めたのは良かったです。1人目は緊急帝王切開だったのですが、それと比べて産後の回復が随分と早かったので。日本では帝王切開歴がある場合、2人目以降も基本的には帝王切開になるそうですが、ドイツでは予定帝王切開にするか、自然分娩にトライするか、医師からそれぞれのメリットとリスクの説明を聞いて相談しました。

家族部屋に泊まれたこと

Eさん:病院のベッドに空きがあったため、出産の翌日から退院まで、家族3人で個室に泊まることができました。家族部屋は日本だと数十万円かかると聞いていましたが、私たちの場合、パートナーの宿泊費は一泊30ユーロでした(母親の分は保険でカバー)。出産後もずっと家族3人でいられて、かけがえのない時間でした。私たち以外にも、パートナーや上の子を含めて宿泊している家族も多くいました。

プロのカメラマンによる写真撮影

Eさん:生後2日目に、プロのカメラマンさんが赤ちゃんの写真撮影に来てくれました。さまざまな角度やポーズで撮ってもらい、後日、オンラインで注文するシステムでした(1枚好きなものをプレゼントしてもらえました!)。私やパートナーも撮影のアシスタントを務め、楽しかったです。

プロのカメラマンによる写真撮影

Q 反対に、大変だったことは?

各種申請や情報収集

Aさん:受診や各種申請をドイツ語でしなくてはならないのが大変でした。情報収集にも苦労しましたが、周りの経験のある友人たちにとても助けられました。

慣れないドイツの病院システム

Bさん:妊娠・出産に限らず、ドイツの病院ではどこでもそうだと思いますが、検診時には自分の体調や症状を細かく医師に伝えることをおすすめします。こちらから言わなければ、相手からは何も聞かれません。

Dさん:病室について、日本の大部屋は仕切りカーテンがあると思いますが、ドイツの病室(二人部屋)には特にカーテンでの仕切りなどがありません。結果的に話しやすい環境で良かったし、すぐに慣れましたが、最初は少し戸惑いました。

デュッセルドルフの病院デュッセルドルフの入院先の病院にて(Dさん)

サポートに来てくれる家族のフォロー

Cさん:出産前後には、実家の母がドイツに来てくれました。とても助かった一方で、母とドイツ人夫との間に入ってそれぞれをフォローする必要があり、大変な面もありました。ドイツ人にとって子どもは夫婦二人で育てるもので、実家の親にはあまり頼らないし、口出しされるのを嫌がる傾向にあるかもしれません。日本は今でも里帰り出産の習慣がありますが、ドイツの人にはあまり理解できないかもと思いました。

Bさん:日本から来てくれた私の両親は一人で外出したり買い物に行ったりしてくれましたが、友人のなかには、親が一人で買い物などに行けなくて、逆にやることが増えて大変だと言っている人もいました。また欧州出身のパートナーの両親には、赤ちゃんと一緒の部屋で寝ていることにびっくりされたり(新生児から一人で寝かせるのが当たり前のようで)、授乳で疲れていたので夜早く寝ようとすると、「なぜ大人の時間を持たないのか」と不思議がられたり。いろいろな文化の違いがあるなと思いました。

入院食がパン・チーズ・ハム

Bさん:大変だったところは、やっぱり食事です。日本では「授乳は体力を奪うからしっかり食べましょう」と言われ、栄養バランスの良い食事が1日3食出ましたが、ドイツでは毎回パンとチーズで飽き飽きしました。

入院中の食事を大公開

入院中のお昼ごはんDさん:入院中のお昼ごはん。なぜか毎回デザートが二つ付いてきました

夫による手作りの差し入れDさん:夫による手作りの差し入れ。疲れた体におだしがうれしかったです

帝王切開翌日の朝食Eさん:帝王切開翌日の朝食

お寿司の差し入れEさん:妊娠中、ずっとがまんしていたお寿司を差し入れしてもらいました

Q 日本から持ってきて(送ってもらって)良かったものは?

サラシの腹帯

Aさん:日本から送ってもらったサラシの腹帯が役立ちました。一日一日大きくなるお腹のサイズに合わせて、まき具合を調整できるので便利でした。

ベビーサインの本

Bさん:出産祝いに友人が送ってくれて、子どもに言語を教えていくのにとても役に立ちました。わが家は夫がドイツ語圏出身ではないため、親それぞれが子どもと話す言語、夫婦間の言語、外出時の言語が異なります。子どもがまだ話せない頃から、私たちの違う言語を一つのベビーサインで伝えてくれたので、子どもの言葉の理解度を知ることもできました。

日本語の育児本&離乳食作り用の調理器具

Cさん:出産したのは大昔でネットもなかったので、妊娠、出産、育児関連の日本語の本を持ってきました。長男を日本で出産した時に買った、離乳食作り用の小さなおろし器、裏ごし器、果汁搾り器がセットになったものは、すごく便利でずっと使っていました。

日本のガーゼタオル

Dさん:ドイツには小さいサイズのものがなく、日本サイズがちょっとした吐き戻しを拭いたり、お風呂に入れない日の体を拭いたり、離乳食の際に口周りや手を拭いたりと万能です。

Q 育児休暇は取った?

育児と仕事のバランスを話し合うきっかけに

Aさん:私は産休と育休を、パートナーは育休を2カ月取りました。両親手当を申請する段階で、手当を受給できる最大14カ月間にどうやって二人で育児と仕事を交互に進めていくか、生活プランを事前によく話し合えたのは良かったです。

駐在員の場合は給付金なし

Dさん:うちの夫は1人目、2人目共に2週間の育休を取得しましたが、駐在員のため給付金はありませんでした。夫の会社のドイツ現地スタッフの方々は、2カ月取得するケースが多いようなので、日本よりもフォローが充実していると思います。

両親手当プラスを受給

Eさん:夫婦二人ともフリーランスですが、芸術家社会保障に加入しているため産休・育休ともに給付金を得ることができました。二人とも産後2カ月から仕事に復帰したい、かつ育児もできるだけ半分ずつ行いたいとの方針から、パートタイムで働きつつ給付できる、両親手当プラス(Elterngeld Plus)とパートナーボーナス(Partnerschaftsbonus)を受給しました。

まだまだ男女差があるドイツの育休事情

2023年にドイツ連邦情報局が6歳以下の子どもがいる20〜49歳の両親を対象に行った調査によると、女性の約4分の1が育児休暇を取得しているのに対し、父親はわずか1.8%。3歳以下の子どもがいる両親では、女性は43.9%、男性は3%だった。出産後に育児休暇を取得する男性は年々増えているが、一方、2022年の連邦人口研究所の分析によると、男性の平均育休期間は3.6カ月で、2カ月以上の育休を取得する父親は10%となっている。一方で女性は平均14.6カ月の育児休暇を取得している。日本よりも男性が育休を取りやすいイメージのあるドイツだが、その実情はというと、まだまだ男女差が大きいようだ。

参考:Statististches Bundesamt「Personen in Elternzeit」、tagesschau「Viele Männer nehmen nur zwei "Vätermonate"」

Q へバメの訪問サポート、実際どうだった?

現状に合ったアドバイスが受けられる

Aさん:ヘバメさんの指導のもと、ベッドやおむつ台の置き場所を決めたり、ベビーカーや授乳枕などを用意できたので心強かったです。ヘバメさん自身も双子の母なので、経験をいろいろと分けてもらったり、双子向けの割引サービスなどの情報も教えてもらったりしました。資格取得のための勉強をしっかりされているので、現状に合った育児方法やアドバイスをもらえましたし、職業として客観的に接してくれるので、遠慮なく頼りやすかったです。最長9カ月は訪問費用を健康保険が負担してくれるので、離乳食への移行の際も相談できて助かりました。

どうするか迷った時の指針に

Eさん:初めての育児で、毎日のように心配ごとや分からないことが出てくるので、それを毎日確認できるのがすごくありがたかったです。今の時代、ネット上にはさまざまな育児情報が溢れており、さらに日本とドイツでやり方が異なることも多いので惑わされることも多いかもしれません。夫婦で意見が異なるときや迷ったときは、へバメさんの意見を第一に信頼して、それに従ってやってみるという方針を夫婦間でも共有していました。

ドイツらしい自然派療法も

Aさん:うちのへバメさんは自然療法を推進している方で、子どもの舌が白く「鵞口瘡」になった際に、砂(医療用の特別なもの)を口に含ませるように言われたときは驚きました。

Dさん:赤ちゃんのお風呂は週に1回、入浴剤として、牛乳200ミリリットルとオリーブオイル少々を入れるようにへバメさんから指導されました。昔ながらの自然療法が体に合ったのか、3歳になった長女は今も肌が丈夫で肌トラブルがありません。赤ちゃんのおむつかぶれには紅茶、へその緒の掃除は母乳を垂らして綿棒でなど、ドイツならではの方法も伝授いただきました。

Eさん:うちのへバメさんは自然派で、お風呂の入浴剤として母乳、引っかき傷にも母乳、という感じでした。ほかにも、おむつかぶれには、医療用のウールを貼り付けることで通気性を良くして、羊毛のオイル成分で治癒するなど。また日本だと産後1カ月間は外出しないイメージでしたが、母子共に無理のない範囲であれば散歩してOKと言われ、気軽に外出できたのがうれしかったです。

へバメさん寝返りの練習方法を指導してくれるへバメさん(Eさん)

そもそもヘバメが見つからず

Cさん:へバメ制度はとても良いですが、ドイツでは全国的に深刻なへバメ不足。早めに探すのは必須で、特に夏休みなどの休み期間中に出産が重なると、なかなか見つからないそうです。実際、うちの孫の出産のときは結局見つからず。何かあれば小児科や婦人科に相談できるものの、基本的には自分たちだけで乗り切ることになったそうです。

へバメさんとの相性は重要

Eさん:産後の1カ月間は、母子共にとても繊細な時期だと思います。自宅のベッドルームというプライベートな空間にへバメさんが毎日通ってくれるので、その人との相性はとても大事。私たちは幸い、とても良いへバメさんに出会えましたが、ある友人はへバメ探しが遅かったために、1人のへバメさんが担当するのではなく、数人のへバメさんが交代で訪問する形に。情報共有が不十分だったり、信頼関係を築くのが難しかったと言っていました。ほかにも、毎日へバメさんが来るのが苦痛になってしまい、途中で訪問サポートを断ったという知り合いも。妊娠中からへバメさんと面談し、お互いに相性を確認しておくのも大事だと思いました。

最終更新 Donnerstag, 17 Oktober 2024 11:12
 

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