東日本大震災から10年
エネルギーシフトで変わりゆくドイツ
2011年3月11日に起きた東日本大震災。マグニチュード9.0という巨大な揺れを観測し、津波が押し寄せ、そして福島第一原発事故が発生した。この未曽有の災害により、関連死も含めて2万2000人以上が犠牲となった。この日を境にさまざまな価値観が捉え直されてきたが、ドイツが脱原発を決めたことは世界を驚かせた出来事の一つだ。この10年を節目に、ドイツで進行しているエネルギーシフトについて改めて俯瞰するとともに、独日を代表する市民電力に話を聞いた。人にも環境にも優しい未来を一緒に見据えてみよう。 (Text:編集部)
参考:『なぜドイツではエネルギーシフトが進むのか』(田口理穂)、Bundesregierung「Klimaschutzprogramm 2030」、Fraunhofer-Institut für Solare Energiesysteme ISE「Nettostromerzeugung in Deutschland 2020: erneuerbare Energien erstmals über 50 Prozent」
お話を聞いた人
田口理穂さん
ハノーファー在住ジャーナリスト、法廷通訳・翻訳士。長年シェーナウ電力を取材するなど、ドイツの環境問題について多数メディアへ寄稿してきた。近著に『コロナ対策 各国リーダーたちの通信簿』など。本誌では、「私の街のレポーター」でハノーファーを担当。
「脱原発」を決めるまでの3カ月
福島第一原発事故の発生は、ここドイツでも積極的に報道された。事故直後、市民からはすぐに原発に反対する声が上がり、各地でデモが開かれた。そうした状況からメルケル首相は事故発生から4日後に、1980年以前に稼働を始めた7基を含む8基を即時停止している。さらに、全ての原発の安全性を確かめるためにストレス調査の実施を決定した。
2011年3月15日に撮影された福島第一原発1~4号機
ドイツ人がこれだけ大きな反応を示したのには理由がある。1986年4月26日に旧ソ連で起きたチェルノブイリ原発事故だ。事故当時、チェルノブイリから2000キロ離れたドイツにも放射性物質が降り注ぎ、農作物が汚染され、子どもたちは外で遊べなくなった。福島原発事故はドイツ人たちのトラウマを想起させたのだった。
メルケル首相は物理学の博士号を取得しており、原発の危険性についてもよく理解していたといわれる。その上で事故は起きないだろうと想定しており、もともと前政権が2022年に脱原発をすることを決定していたが、事故の半年前にそれを2036年に先延ばしすることを決めていた。ところが、日本というハイテクな国でこのような事故が起き、メルケル首相の考えを180度転換させることになる。
2011年4月4日から5月28日まで、メルケル首相はさまざまな分野の専門家や議員17人からなる「安全なエネルギー供給に関する倫理委員会」を設置して議論を交わした。そして、どんなに安全性が高くても事故が起こりうる可能性はあり、原子力よりも安全なエネルギー源があると、同委員会は結論付ける。メルケル首相は6月6日に2022年までに原発を停止することを閣議決定し、ドイツは再び早期の脱原発へと大きく舵を切った。
気候変動がエネルギー転換を後押し
脱原発と同時に、褐炭および石炭による発電に頼らざるを得なくなったドイツ。同国の二酸化炭素(CO2)排出量は欧州連合(EU)加盟国の中でトップで、世界ランキングでは6位だ。一方、2018年の熱波による記録的な猛暑をはじめ、市民の間でも気候変動に対して改めて危機感が高まった。ちょうど、スウェーデンのグレタ・トゥーンベリさんが気候変動ストライキ「Fridays for Future」(未来のための金曜日)を始めた年でもあり、この運動は世界中に広まったが、とりわけドイツの若者は積極的に参加した。
2019年3月29日、ベルリンのFridays for Futureにグレタさん(中央)も参加した
そうしたなか、ドイツは2019年1月26日に2038年までに脱石炭を目指すことを発表。また、同年5月26日に行われた欧州議会選挙で、ドイツでは緑の党が得票率を約2倍に伸ばし、人々の気候変動への危機感が顕著に現れた。さらに、メルケル政権は同年10月9日に「気候変動保護プログラム2030」(詳細は以下)を閣議決定した。
この10年で脱原発だけでなく、脱石炭、ゼロエミッションを目指すことでエネルギーシフトを推し進めることになったドイツ。そのいくつかのポイントを、キーワードとともに紹介しよう。
ドイツのエネルギーシフトをもっと知る「キーワード」
「脱原発・脱石炭」
今のところ計画は順調に進行中
2021年3月時点で国内の原発6基が稼働しているが、2022年までに操業停止となり、脱原発を達成できる予定だ。しかし、高レベルの核廃棄物の最終処理場をニーダーザクセン州のゴアレーベンとする計画が2013年に白紙撤回となり、新たな候補地を探さなければならない状況が続いている。本当の意味での脱原発はまだまだ先となる。
一方、脱石炭が決定される前は経済界から猛反発があった。褐炭はドイツで100%採掘でき、ほかのエネルギー源と違って輸入に頼らなくて済むため、経済に大きな影響を与えるからだ。しかし、最終的に連邦政府が労働者、企業、地方政府に対する補助金として400億ユーロ(5兆円・1ユーロ125円換算)を充てることで同意した。脱石炭は数年に1度進捗を確認し、3年前倒しての2035年に石炭・褐炭火力発電所の停止が可能かどうかを決定する予定だ。
「再生可能エネルギー」
2020年発電量の50%以上を占める
昨年、ドイツの総発電量における再生可能エネルギーの割合が初めて半分に到達。コロナ禍で産業用電力の需要が減ったことも一因となっているが、なかでも風力が27%と大きく貢献した。風力発電は1台の発電量が多く、効率がいい。北ドイツを中心に主要電源となっており、福島原発事故後はクリーンなエネルギーとして再度注目され、シェアを拡大してきた。しかし、昨今では景観を損ねることや野生動物などへの影響から、市民団体が新設に反対する事例も多い。
一方で、バイオマスや地熱のほか、川の流れを利用した小水力発電などのシェアを増やし、小規模で地域分散型に移行していくことも一つの道だ。送電ロスが少なく、地域おこしにもつながるため、持続可能な方法として期待される。
2020年ドイツの総発電量 参考:Fraunhofer ISE
「気候保護プログラム」
交通と建物におけるCO2削減
ドイツでは、家庭のエネルギー消費の約8割を暖房が占めている。また、交通におけるCO2排出量を2030年までに1990年対比で40〜42%削減する必要があるという。
2019年時点で全体の発電量に占める再エネのシェアは42.1%だったのに対し、建物の冷暖房など熱における再エネの割合が14.5%、交通ではその割合が5.6%しかない。そういった背景からも気候保護プログラム2030では、特に交通と建物に重点を置いた計画が立てられた(詳しくは右記参照)。
また、電力、交通、熱(建物)の三つのセクター(分野)を超えてエネルギー融通し合うことを「セクターカップリング」という。例えば太陽光発電の余剰電力を使って温水を作ったり、電力から水素を作って燃料電池自動車を走らせたりすることができる。センターカップリングを推進し、いかに交通と熱のセクターで再エネの割合を高めていくかも今後の課題となっている。
気候保護プログラム2030の主な施策
・今年1月から、化石燃料を販売する企業に対してCO2排出権証書の購入を義務付け。現在は1トン当たり25ユーロで、2025年に55ユーロに引き上げる
・暖房効率を上げるためのリフォームにかかった費用の税金控除を設けるほか、灯油からガスの暖房に交換する場合、政府が40%まで補助する
・2030年までにEV台数を1000万台に引き上げるため、購入補助金の助成期間を2025年まで延長。また充電ステーションを100万カ所に増やす
・国内の列車移動を促進させるため、長距離列車の運賃の付加価値税を7%に引き下げる
「市民」
一人ひとりが考え行動する
ドイツには市民が運営するエネルギー協同組合が900以上ある。ほとんどの組合が再エネのみを扱うプランを提供しており、地域の再エネ推進に一役買っている。また、多くの自治体が無料の省エネ相談を用意。省エネに関するアドバイスやグッズがもらえ、相談者は出費を抑えることもできるのだ。
一方ドイツの学校では、例えば物理の授業で核と放射能のことをじっくり学ぶことで原発について客観的な知識を得ることができる。危険性や利用の是非については、個々が考えるという教育方法なのだ。そういった知識や森などに出かけて自然を身近に感じる経験を通じて、子どもたちは自ら考え行動するのである。さらに子どもから学び、環境保護に対する意識が変わったという大人も少なくない。
このような事例からも、ドイツにおけるエネルギーシフトを支えたきたのは市民一人ひとりともいえる。 まさに草の根の活動が、やがて大きなうねりとなって社会を変えていくことを、ドイツの姿から学ぶことができるだろう。
ドイツと日本の元祖市民電力の10年とこれから
シェーナウ電力(取材協力:セバスティアン・スラーデクさん)
シェーナウ電力は、チェルノブイリ原発事故をきっかけに南ドイツ・シェーナウの市民がつくった電力会社。市内の送電線を買い取り、1997年から電力供給を行ってきた同社は、脱原発と再生可能エネルギーを推進しており、現在は全国に18万5000人以上の顧客を持つ。
福島原発事故後、同社の社員の多くが原発停止を求めるあらゆるデモに参加したという。原子力の危険性と代替エネルギーについて再び議論され始め、シェーナウ電力もメディアや新規顧客から注目を浴びるようになった。さまざまな環境賞を受賞してきたシェーナウ電力だが、同社もまた志を同じくする国内外の人に独自の賞を授与してきた。例えば、2014年には福島から岡山へ自主避難し、福島の母子を助ける活動をしてきた大塚愛さん、事故後に地元福島で電力会社を立ち上げた酒造家の佐藤弥右衛門さん、元俳優で反原発活動家の山本太郎さんがそれぞれ「電力革命児賞」を受賞。さらに、佐藤さんが代表理事を務める「ふくしま自然エネルギー基金」に2万5000ユーロを寄付し、福島のエネルギーシフトを積極的に支援している。
最近では、交通と熱の分野でさらに再エネの割合を増やしていくことに力を入れている同社。例えば、黒い森地方の村々に再生可能エネルギーによる暖房ネットワークを構築したほか、エネルギー産業のデジタル化を進めるプロジェクトにも取り組んでいるという。この10年で代表の世代交代もあったシェーナウ電力では、新たな挑戦が始まっている。
共同創業者のウルズラ・スラーデクさんとDr.ミヒャエル・スラーデクさん。現在は息子さんら3人が共同代表を務めている
おひさま進歩エネルギー株式会社(取材協力:柏木愛さん)
おひさま進歩エネルギーは長野県飯田市にある地域エネルギー会社だ。温暖化防止とエネルギーの地産地消を目指して、2005年に市民ファンドを立ち上げ、市内38カ所に太陽光パネルを設置して発電事業を開始。その後、さまざまな環境賞を受賞するなど、日本の市民電力の草分け的存在として知られる。
同社へは毎年100団体ほどが視察に訪れていたが、福島原発事故後は真剣さが増し、市民団体からの相談が急増したという。また同社スタッフは、環境団体が企画するドイツ・オーストリア再エネツアーにほぼ毎年参加。新電力の動向などをはじめ、市民組合の取り組みや政府のエネルギー政策からアイデアを得ることが多いという。さらに同社は、2017年にベルリンで開催された日独エネルギーシフト評議会に出席し、意見交換をする機会もあった。
日本のエネルギーシフトはなかなか進まないという印象があるが、2012年の固定価格買取制度の導入後、太陽光を中心とした再生可能エネルギーがシェアを伸ばし、最新統計では電力の6.7%を占めるまでに成長。ゆっくりではあるものの、全国各地に蒔かれたエネルギーシフトの種が育ちつつある証拠だ。今後は地域の環境に影響が少ない小水力発電への取り組みを強化したり、自治体へのコンサルティングなど、支援事業にも力を入れていくという同社。ドイツの市民電力のように、地域で再エネを増やし、経済の活性化にも貢献していくことが大きな目標となっている。
飯田市の鼎みつば保育園に設置されている太陽光パネル