ガソリン車の誕生からEVシフトまで自動車大国ドイツの過去・現在・未来
自動車大国として、数々の世界的な自動車ブランドを生み出してきたドイツ。ガソリン自動車を発明し、二度の世界大戦を経て疲弊したドイツ経済が車産業によって復興したように、自動車の歴史はまさにドイツの歴史と重なっている。さらに今日では、気候変動や少子高齢化など、時代の変化とともに自動車業界も大きなターニングポイントを迎えつつある。そんなドイツの自動車の歴史を名車とともにたどりつつ、来るべき自動車の未来について考えてみよう。
(文: ドイツニュースダイジェスト編集部)
目次
二人のパイオニアがつくり上げたドイツ車の黎明期
参考:メルセデス・ベンツ日本公式サイト、www.bertha-benz.de、WebCG「第39回:進撃のシルバーアローグランプリで磨かれた技術力」、ドイツニュースダイジェスト「ベンツから紡がれる車物語」
ガソリン車の誕生
ほぼ同時期にガソリン車を発明したダイムラー(上)とベンツ(下)
1886年1月29日、マンハイムを拠点とするドイツの技術者カール・ベンツは、当時のドイツ帝国特許庁から、自身が考案・設計・組み立てを行ったガソリンエンジン搭載の三輪車の特許を取得した。一般的にこの日が、自動車の誕生日だといわれている。発明者のベンツは、自動車ブランドでおなじみのメルセデス・ベンツの創業者の一人。1871年にドイツの国土が統一されてから、18世紀末に英国で始まった産業革命がようやく波及し、急速な近代化が進んでいる最中のことだった。蒸気機関や機械の導入が進み、交通もまた変革の時期を迎えていたのだ。
ほぼ時を同じくして、シュトゥットガルト近郊の街カンシュタットでは、ゴットリープ・ダイムラーが、ガソリンエンジンを取り付けた二輪車の開発を進めて特許を取得。さらにダイムラーは、駅馬車にガソリンエンジンを搭載することにも成功し、「世界初の四輪自動車の発明者」となった。
ベンツ夫人の冒険
しかし自動車の誕生は、必ずしも最初から受け入れられたわけではなかった。ベンツの三輪自動車も、ダイムラーの四輪自動車も、最高速度は毎時20キロ程度。この新時代の発明に飛び付く人は多くなく、売れ行きも思わしくなかった。そこで一役買ったのが、カール・ベンツの妻であるベルタ・ベンツだった。彼女は自動車のプロモーションのため、1888年に夫に内緒で息子二人を連れて、マンハイムからプフォルツハイムの実家まで、106キロの自動車旅行に出発。ガソリンの供給には、薬局で販売されているシミ抜き用のベンジンを買った。この世界初の長距離自動車旅行によって、ベンツの発明は世に知られることになる。
ARDのテレビ映画『Carl & Bertha』(2011)より、ベルタの運転シーン
さらにベルタは、長距離を走行するなかでさまざまな問題点に気づき、夫に提案を行った。例えば、急な坂道を上がれないため、変速ギアの追加を提案したり、ブレーキの利きが悪いため、ブレーキに摩擦材を取り付けたり。ベンツ夫人が行った世界初の長距離自動車旅行は、ただの広報にとどまらず、自動車の改良そのものに大いに貢献したのだった。やがてベンツとダイムラー、二人の自動車開発のパイオニアが創業した二つの自動車メーカーは合併し、1926年にはダイムラー・ベンツ社が誕生することになる。
レースへの熱狂と戦争
技術者たちは絶えず改良を加えながら、自動車のモデルチェンジを繰り返していった。馬車の代わり程度の存在だった自動車は、いつしか高性能な工業製品へと生まれ変わる。自動車の誕生当時は時速20キロ程度であったが、20年の時を経て平均時速100キロに到達するなど、目覚ましい技術の進歩がみられた。1906年には初めてグランプリと名の付くレースがフランスで行われ、その後もドイツをはじめフランスやイタリアなどの自動車メーカーは、莫大な資金をかけてレースに参加。第一次世界大戦により1915~1920年には一時中断されるが、1921年に再開されると、戦時中に培った航空機の技術が自動車エンジンにも取り入れられるなど、さらに磨かれていった。
1933年に政権を握ったアドルフ・ヒトラーは、 グランプリでドイツ車が優勝すれば、国力を世界に向けてアピールできると考え、最も優れた成績を上げたチームには50万マルクの賞金を与えることを発表。エンジニアたちはさまざまな試行錯誤を行い、実験データを集めていった。特に、1934年に登場したメルセデス・ベンツのレーシングカーW25は圧倒的な速さを誇り、「シルバー・アロー」という異名が付いた。その後、第二次世界大戦によってグランプリは終了。不幸にも自動車は軍用車へと姿を変え、自動車メーカーは暗黒期を迎える。二度の世界大戦の狭間、モータースポーツへの熱狂によって培われたこの自動車技術が、やがて敗戦国となったドイツが経済復興を遂げるための糧となることを、この時はまだ誰も知らなかった。
伝説的なレーシングカー「シルバー・アロー」に熱狂する人々(1935年)
夢とロマンに溢れた自動車ブランドヒストリー 一時代を築いたドイツの名車たち
メルセデス・ベンツ、ポルシェ、アウディ……車好きでなくとも、これらのドイツを代表する自動車ブランド名を聞いたことはあるだろう。各社の企業精神やテクノロジー、デザインは、第二次世界大戦後のドイツ経済の立て直しに大いに貢献してきた。そんなドイツの六つの自動車ブランドについて、今なお伝説的な人気を誇る名車と共にご紹介する。
お話を聞いた人
守屋 健さん
ベルリン在住のライター。幼い頃、歯医者の待合室で手に取った自動車図鑑に載っていたポルシェ911ターボに衝撃を受け、「将来必ずこの車に乗る」と決意するも、今日まで実現には至らず。自他共に認めるドイツ好きだが、現在までの愛車はフランス車ばかり。本誌では「私の街のレポーター」に隔月で寄稿中。
フォルクスワーゲン
創業年:1937年
創業者:-
本拠地:ウォルフスブルク
「一家に一台自家用車を所有し、休日にアウトバーンを通って行楽地に出かける」……ヒトラーは、そんな強い経済を持った国家を実現するために国民車構想を打ち立てる。そうして1937年に国策企業として創業されたのが、ドイツ語で「国民車」を意味するフォルクスワーゲン(VW)だった。戦後は会社として再出発し、ビートルやゴルフ、ポロなど数々のヒットを生み出した。
注目すべき名車
タイプ1 (ビートル)
販売期間: 1941-2003年
ヒトラーが国民車の設計を依頼したのは、ポルシェの創業者であるフェルディナント・ポルシェだ。大人2人と子ども3人が乗れ、時速100キロで巡行できること、壊れにくく維持費がかからないようになどの厳しい条件が課された。1936年には何とか試作段階に至るも、戦争により中断される。
戦後、連合国軍に研究成果を盗られないようにと、職人たちはウォルフスブルクの工場を自ら爆破した。それを見た英国軍の将校が工場の再建を進め、ようやく本来の国民車として、1945年から本格的に生産が開始。流線形のボディーから「ビートル」(英語でカブトムシの意味)の愛称で親しまれ、2000万台以上が生産された。
ポルシェ
創業年:1931年
創業者:フェルディナント・ポルシェ
本拠地:シュトゥットガルト
フェルディナント・ポルシェにより、自動車デザイン事務所としてスタート。高級自動車メーカーとして、スポーツカーとレーシングカーを中心に生産している。戦時中は戦車のデザイン等も手掛けた。1948年から再び自社で自動車の製造・販売を開始。1964年に発表された「ポルシェ911」は、高級スポーツカーの代表格として、改良を重ねながら今なお販売され続けている。
注目すべき名車
ポルシェ356
販売期間: 1948-1965年
ポルシェ博士は、第二次世界大戦中にナチスに協力した軍事責任を問われ、戦後は連合国軍に捕まっていた。戦後、ポルシェを再出発させようと創業者の息子がデザインしたのが、ポルシェ356だ。ポルシェは戦時中、戦火を逃れてオーストリアに疎開しており、さらに戦後になると、シュトゥットガルトの本拠は連合国によって接収される。そのため資材や部品の調達もままならないなかで、ポルシェ356の試作は始まった。エンジンはフォルクスワーゲンのビートルのものを使用し、ボディーは職人がハンマーを叩いて造ったという。そうして完成したポルシェ356を原型として、後に創業者の孫が名車ポルシェ911を生み出すことになる。
メルセデス・ベンツ
創業年:1886年
創業者:カール・ベンツ
本拠地:シュトゥットガルト
ベンツとダイムラーが1926年に合併したことにより、正式に「メルセデス・ベンツ」がブランドとしてスタート。「メルセデス」とは、当時ダイムラー社のディーラーをしていたオーストリア=ハンガリー帝国の領事の娘の名前にちなむ。日本では高級車メーカーとしてのイメージが強いが、大型バスやバンなどの商用車をはじめ、救急車や軍用車両など、幅広い車種を製造している。
注目すべき名車
300SL
販売期間: 1954-1963年
ベンツがモータースポーツに熱心だった1950年代に作った市販車で、レーシングカーを原型としている。美しいデザインと強力なエンジンが特徴。ベンツの集大成として売り出され、発売当時は世界最速の車の一つだった。
上に跳ね上げて開けるタイプのドアは、カモメの翼のような形から「ガルウィングドア」と呼ばれるが、これはもともとデザイン目的ではなく、レーシングカーの軽量化と強度確保のため、構造上横開きのドアを付けることができなかったことに由来する。そこからガルウィングドアの流行が生まれたが、乗降性や乗車中の快適さは重視されていないこともあり、後に横開きのドアが付いたオープンカーのバージョンも造られた。
オペル
創業年:1862年
創業者:アダム・オペル
本拠地:リュッセルスハイム
1862年にアダム・オペルがリュッセルスハイムで創業したミシン製造会社をもとに、息子たちが1899年に自動車の生産を開始。1929年には米国ゼネラルモーターズの子会社となる。創業当初から「あらゆる人にイノベーションを民主化して届ける」という企業精神のもと、社会的なステータスを示すための高級車よりも、一般の人々の生活に寄り添った大衆車をメインとしている。
注目すべき名車
カデットB
販売期間: 1965-1973年
もともとは、1930年代にナチス政権がフォルクスワーゲンのビートル(左)を開発するなか、それに対抗できるモデルをつくろうと考えられた車だった。1936年に初代カデットが発売されるも、戦争による混乱で生産も打ち切りに。戦後、1962年に22年ぶりに「カデット」の名前が付いたカデットAを発売。その3年後にはカデットBの生産が始まる。
当時のドイツ車は2ドアが一般的だったため、カデットBで4ドア式を採用したことも注目を集めた。それまでフォルクスワーゲンのビートルの一強状態が続いていたが、1972年、ついにカデットBがビートルの販売台数を上回り、旧西ドイツのベストセラーになったのだった。
BMW
創業年:1916年
創業者:グスタフ・オットー
本拠地:ミュンヘン
航空機用のエンジンメーカーとして創業し、1922年から自動車やオートバイの開発を本格的に開始。第二次世界大戦中は、軍需産業として航空機を中心に製造し、敗戦後に3年間の操業停止処分となる。さらに東西ドイツ分断によって、東ドイツの主力工場を国営企業として吸い上げられた。幾多の苦難を経験したが、高い技術力によって高級自動車メーカーとしての地位を確立した。
注目すべき名車
2002ターボ
販売期間: 1973-1975年
BMWの2002ターボは、1973年のフランクフルトモーターショーで、世界初のターボエンジンを搭載した車として発表された。当時、市販車を用いたツーリングカー選手権では、BMWとポルシェがターボエンジンを実用化しようと競っていた。「ターボ」とは、航空機などが上空を飛ぶ時に、空気中の酸素濃度を圧縮してエンジンに送り込むことによってエンジンの出力を高める技術。BMWは航空機エンジンの開発で培ったこの技術を一般車にも応用することで、ポルシェを打ち負かしたのだった。より燃費の高い車を作るため、現在でもBMWのエンジンにはターボ技術が搭載されていることがほとんど。
アウディ
創業年:1901年
創業者:アウグスト・ホルヒ
本拠地:インゴルシュタット
ベンツ社で工場長を務めていたアウグスト・ホルヒが1901年に独立したのが始まり。もとは「ホルヒ」という社名だったが、ホルヒは自動車技術と品質を重視するあまり、経営陣と衝突。独立するも「ホルヒ」という社名・車名の使用を差し止められたため、社名を「アウディ」(ドイツ語の「ホルヒ=聞く」と同義のラテン語)に変更した。モータースポーツ業界でも活躍。
注目すべき名車
アウディ・クワトロ
販売期間: 1980-1991年
アウディ・クワトロは、それまで山道などのオフロードを走るために使われていた四輪駆動(4WD)のシステムを、一般道などのオンロードにも応用した世界最初の車。アウディが採用したフルタイム式四輪駆動とは、文字通り四つの車輪全てにエンジンの動力を送り続ける技術のこと。アウディはクワトロで世界ラリー選手権に参加し、出場からわずか2年目に年間チャンピオンを獲得した。クワトロに当時のほかの車が追いつくのは非常に難しく、その後のラリー選手権に出場する車のほとんどが四輪駆動に代わっていったほど、自動車業界に衝撃を与えた。アウディは現在でも、4WD車に「クワトロ」の名前を使用し続けている。
自動車産業は持続可能な社会をつくれるか?ドイツと自動車の未来予想図
自他共に認める自動車大国として成長を遂げてきたドイツ。日本や世界でもドイツ車に憧れを抱く人は少なくないが、EV転換や自動運転技術など、ドイツの自動車メーカーもまた、時代の変化への対応が求められている。引き続き、守屋さんにドイツ車の魅力、そしてこれからの自動車業界についてお話を聞いた。
伝統と革新が支える車づくり
ドイツが長年クオリティーの高い車をつくり続けて来られた理由の一つには、マイスターやアウスビルドゥングなどの教育制度があります。まずアウスビルドゥングの制度があることで、研修を受けた人なら、ある程度の精度の車を組み立てられるような設計になっている。さらにその車を、熟練のマイスターがワンランク上に仕上げるのです。その両方によって、ドイツの自動車メーカーは他国をリードする存在になったと思います。
また、例えばメルセデス・ベンツのスポーツ部門であるAMGでは、今でも一人の職人が1台のエンジンを全て組み立てています。熟練の手の感覚を大切にしている一方、ネジを留める機械が工場内のネットワークに接続されていて、職人が何時何分にどれくらいの強さでネジを締めたかが記録されていて、製品に問題が起これば、どの時点のどの行動が原因かをたどれるのです。これはあくまで一例ですが、伝統的な職人気質なところもあれば、ものすごく合理的にやっているところもある。その絶妙なバランス感覚もドイツ車の魅力の一つです
ドイツのEV転換とその課題
そんなドイツの自動車メーカーも、電気自動車(EV)への転換という大きな挑戦の真っ只中。ドイツ政府は2030年までにEV台数を1000万台に引き上げるため、新車購入補助金の助成期間を2025年まで延長しました。またドイツ自動車工業会(VDA)は、2050年までにモビリティーのカーボンニュートラルを達成することを目標としています。現時点の各メーカーのラインナップでいうと、純粋なEVは20%程度で、プラグインハイブリット(PHV)を含めると5~6割くらいです。さらに少数ではありますが、EV車を開発するスタートアップも登場しており、例えばボディーにバイオプラスチックを使用した環境に負荷の少ない車など、持続可能な車づくりを模索しています。
ただし、本格的なEV転換を達成するためには大きな課題も。一つは、EVの充電ステーションが足りていないこと。ドイツには今年7月時点で4万1751カ所の公共の充電ステーションがありますが、ドイツ政府は2023年までにこれを100万カ所に増やそうと考えています。もう一つは、バッテリーの性能のアップ。今の性能では長く走れないし、充電の時間がかかりすぎるのが難点です。そんななか注目されているのが、電解液を使わない「全固体電池」の開発。実用化に成功すれば、バッテリーのサイズが縮小され、充電時間の短縮や、航続距離の問題も解決されるなど、自動車の未来を大きく変えることになります。開発競争を制した企業は、言わずもがな巨額の富を得ることになるため、世界中のメーカーが躍起になって取り組んでいます。
自動運転技術が高齢化社会を支える?
現在のドイツの自動車業界にとって、EVと同じくらい大きなテーマが自動運転技術です。特にアウディ、BMW、メルセデス・ベンツが力を入れていて、ドイツでは今年5月にレベル4の自動運転にも対応した道路交通関係の法改正案が可決されました。ドイツでは高齢化が進んでいますが、高齢者が一人で地方に住んでいる場合、その人が車を運転できなければ移動手段が絶たれてしまう。しかし自動運転があれば、自分で病院や買い物にも行くことができます。つまりドイツでは自動運転技術を発達させることで、将来どんどん増えていく高齢者が、地方であっても自分らしい生活をしながら余生を過ごせる、という未来を描いているのです。もちろんAIや、常時インターネットに接続している状態に対して懐疑的な声もありますが、自動運転技術はこれからも推し進められていくと考えられます。
誰も予想できない未来の「車」
マーク・リヒテ氏が率いるアウディのデザインチームは、異口同音に「これからは車を『外側』ではなく『内側』からデザインする時代になる」と言っています。馬車の時代から今日まで、自動車はステータスシンボルでもあり、外見や大きさなど、私たちは車を外側から見ていたんですね。ところが自動運転技術が実用化されれば、そもそも運転手が運転席に座る必要はなくなり、お客さんを前の席に乗せて景色を楽しんでもらうこともできる。もしくは、運転する人・乗る人という役割分担すらなくなるかもしれません。車は単なる移動手段ではなく、移動の時間そのものを心地よく過ごせる空間になっていく……そのような意味で、「車を『内側』からデザインする」時代が到来するかもしれません。
メルセデス・ベンツによる自動運転が搭載されたEV車のプロトタイプ
そうなると、各メーカーも新しい移動の仕方やコンセプトを考えていくことになります。これから先、私たちが今まで見てきたような形の車は走っていないかもしれません。一方で車好きとしては、純粋に「運転を楽しむこと」が無くなってしまうとも思えなくて。自分でハンドルを切って運転したい人、自動運転を選ばない人たちのための電気自動車も生まれるかもしれないし、自動運転の人たちと折り合いを付けながら道路を走れるようなシステムも登場するかもしれません。そういう意味で、今までの車のあり方にとらわれず、新しい移動の仕方を考えられた人が、次の時代をつくっていくのだと思います。
ドイツ車の世界をもっと知りたい人へ
今回お話を聞いた守屋さんが、「外車王 SOKEN/Webマガジン」にて記事を執筆中! ドイツの名車やEV転換をはじめ、ドイツの交通ルールやカーシェアリング、キャンピングカーなど、さまざまなテーマでドイツ車の魅力を掘り下げている。
www.gaisha-oh.com/soken/writer/moriya