ストリートペーパー(ドイツ語でStraßenmagazin)をご存じだろうか。それは、ホームレスに路上での販売を委ねることで彼らの仕事を創出して自立を支援し、ホームレス問題を世に喚起する意味を持つ雑誌や新聞のこと。販売価格の半分以上が販売者の現金収益になるという仕組みだ。ストリートペーパーそのものの存在を知らなくても、路上で販売者の姿を見掛けたことがあるという人は多いのではないだろうか。
世界で初めてストリートペーパーのビジネスモデルが誕生したのは1991年。英ロンドンでの「ビッグイシュー」だ。以後、その波は世界中に広がり、日本でも2003年に「ビッグイシュー日本版」が創刊された。ドイツでは、ある程度の規模以 上の都市には必ずと言って良いほど「ご当地ストリートペーパー」があり、一般紙さながらに豊かな地域色と個性を押し出している。ドイツを代表する2誌のストリートペーパーが創刊されたのは1993年。10月にミュンヘンの「BISS」、続く11月にハンブルクで「Hinz&Kunzt」が産声を上げた。ストリートペーパーの誕生はまさに、ドイツでは1990年の東西統一の熱狂が冷め、酷な現実を突き付けられていた頃、世界的には経済のグローバル化の波が加速した時代と一致する。
急激な社会の変化に伴って底辺に追いやられた人たちの姿は、私たちが生きる現代社会の1つの象徴でもある。ストリートペーパーは、そこから目を背けるのではなく、光を当てることで問題と向き合い、共生の道を探ろうとする試みなのだ。 ここでは、ドイツのストリートペーパー5誌を通して、その現状と取り組みを紹介したい。
(取材・文:見市 知)
ストリートペーパーの名前が語る「ホームレス」
ストリートペーパー販売の担い手となる「ホームレス」と呼ばれる人々は、一体誰なのか。それは、いくつかのストリートペーパーの名前がいみじくも示している。例えばミュンヘンの「BISS」は、「社会的困難の中にある市民(Bürger in Sozialen Schwierigkeiten)」の頭文字。ハンブルクの「Hinz& Kunzt」は「Hinz und Kunz =どこにでもいる人」という慣用句からきている。そのクンツに「芸術(Kunst)」を掛けて、「Lebenskünstler=生き抜く術を知っている人」という意味も込められている。
ミュンヘンBISS ビス
販売者のマルティン・ベラバーさんは正社員として働いている
「BISS」
創刊:1993年10月
発行部数:平均3万8000部(月刊)
販売地域:ミュンヘン
従業員数:46人(うち40人が正規雇用の販売者)
販売者数:約100人
価格:2.20ユーロ(販売者の収益:1.10ユーロ)
www.biss-magazin.de
人々がホームレスになってしまう原因は何か。この問い掛けに対し、 「BISS」発行人のヒルデガルト・デニンガーさんはこう説明してくれた。「貧困家庭に生まれ、学歴が低く、職業訓練を受けたり、資格を得たりする 機会を逃してきたというのが一番多いパターンです。そこに借金や病気、離婚などの不運が重なり、自分の人生を抱えきれなくなる。ホームレス1人ひとりに、そこに至るまでの長く複雑な経緯があるのです」。
月刊で発行される「BISS」の誌面は30ページ。南ドイツ新聞など、高級紙出身のプロのジャーナリストが、社会的テーマから時事問題、娯楽まで幅広いコンテンツを手掛け、読み応えは十分だ。中でも、販売者たちが プロの編集者の指導を受けて書く「雑記工房」はちょっとした名物。日常 生活のことや自分の子ども時代の思い出などが飾り気のない筆致で綴られており、彼らの人生がぐっと身近に感じられる。
「BISS」では、販売者の社会福祉手当の申請やアパートへの入居も積極的にサポートし、その一方で、仕事を求めて訪れる若いホームレスには、提携する自転車修理工場などへの職業訓練を斡旋。1998年以降は、販売者の正社員雇用も行っている。
ドルトムント / ボーフムBODO ボド
販売者のロジーさん。膝が悪いため、外に立てるのは1日3時間のみ
「BODO」
創刊:1995年2月
発行部数:平均2万部(月刊)
販売地域:ドルトムント、ボーフム
従業員数:6人
販売者数:約110人
価格:2.50ユーロ (販売者の収益:1.25ユーロ)
www.bodoev.de
「サッカーとビールに興味がなければ、この街では生きていけない」と言われるルール工業地帯の主要都市ドルトムント。かつて鉄鋼業で栄えたこの地域も、構造不況の波にさらされ、深刻な貧困が広がりつつある。
「ルール地方には、労働者の街特有のユーモアとオープンな気質があります。現状を悲観していても始まらない。そのような精神は『BODO』の中にも流れています」。編集長のバスティアン・ピュッターさんはそう語る。誌面は、セレブインタビューなどの華やかなページが目を引く、ちょっとおしゃれなシティーマガジンといった体裁だが、20%程度は読む人に貧困問題の切実さを感じさせるような構成にしているという。「問題提起は必要ですが、プロパガンダでは人の心を掴むことはできません」。
「BODO」の販売者の20%は、アルコール依存や薬物中毒の問題を抱えた人たち。精神疾患を患っていたり、多額の借金を抱えている人も多い。さらに最近では、ルーマニアやブルガリアなどからの移民が20%を占めているという。
「販売者になりたいと希望する人に対しては、最初に必ず面談を行います。そして彼らの問題の根幹がどこにあるのかを認識する。今、ただ少しお金が必要なだけなのか、それとも本当は薬物中毒の治療を必要としている人なのか、見極めることが重要です」とピュッターさんは語る。個々のケースに対応したサポートが可能な公的機関とのネットワークも機能している。
ベルリンstrassenfeger シュトラーセンフェーガー
編集長のアンドレアス・デュリックさん
「strassenfeger」
創刊:1994年
発行部数:平均2万部(隔週)
販売地域:ベルリン
従業員数:4人
販売者数:約1700人
価格:1.50ユーロ(販売者の収益:0.90ユーロ)
www.strassenfeger.org
高い失業率を抱え、国内16 州の中で最も深刻な財政難を抱える首都ベルリン。「ここには、人 生に失敗したあらゆる人々が流れ着く」と、「strassenfeger」の編集長アンドレアス・デュリックさんは言う。近年では外国人、特にルーマニア人の販売希望者が増え、販売者が必ず目を通して同意しなければならない規約は、ドイツ語と英語、そしてルーマニア語の3カ国語で書かれている。
ベルリンのストリートペーパー事情は、他都市と比べて深刻さの度合いが異なる。同じ大都市 でもミュンヘンやハンブルクの場合、社会的意識の高い富裕層の存在がストリートペーパーを支え ていると言われるが、ベルリンは貧富のバランスにおいて貧困層の割合が突出している。そのため、 ベルリンでのストリートペーパーの販売はホームレスの人々にとって、「自立支援」というよりは「とりあえず現金を稼げる応急手段」という意味合いが強い。30ページにわたる誌面は、ホームレスと貧困問題についてのテーマが多くを占める。
「strassenfeger」は、ホームレスのための簡易宿泊所を運営する団体の一部として機能してい る。デュリックさんはこう語る。「私たちに問題を解決することはできない。できるのは、事態を緩和することだけです」。
デュッセル ドルフfiftyfifty フィフティーフィフティー
販売者のベルノーさんは、販売を始めて2~3年になる
「fiftyfifty」
創刊:1995年4月
発行部数:平均4万部(月刊)
販売地域:デュッセルドルフ
従業員数:7人
販売者数:約700人
価格:1.90ユーロ(販売者の収益:0.95ユーロ)
www.fiftyfifty-galerie.de
「ルール工業地帯の事務デスク」と呼ばれ、アートの街としても名高いデュッセルドルフは、同じノルトライン=ヴェストファーレン州にありながら、ドルトムントと比べると圧倒的に裕福な土地柄。その分、貧富の差が大きい場所とも言える。「fiftyfifty」販売者のベルノーさんは、「クリスマスの時期は雑誌がよく売れる。この時期、人は販売者を見ると良心が痛むんじゃないのかな」と話す。
「fiftyfifty」は、カトリック教会のフランシスコ会が後援者となって設立された。創刊者は、アート系のジャーナリストだったフーバー・オステンドルフさん。彼はアート界の人脈を活かし、独自の経営基盤を作ることに成功した。ギャラリーを運営し、そこに故イェルク・インメンドルフやゲルハルト・リヒターなど、デュッセルドルフとゆかりの深い著名アーティストが自身の作品を寄付。その収益がストリートペーパーの発行を支えてきた。さらに、7人の常勤スタッフのうち3人はソーシャルワーカーで、誌面作りそのものに力を入れるというよりも、どちらかというと慈善事業的側面が強い印象だ。
「fiftyfifty」では販売者の人数制限を設けておらず、希望者を断ることは基本的にしない。販売者の男女比はだいたい男性8割、女性2割だという。
ハンブルクHinz&Kunzt ヒンツ・ウント・クンツト
編集長のビルギット・ミュラーさんは創刊時からのスタッフ
「Hinz&Kunzt」
創刊:1993年11月
発行部数:平均6万8000部(月刊)
販売地域:ハンブルク
従業員数:26人(うち10人が元販売者)
販売者数:約500 人
価格:1.90ユーロ(販売者の収益:1ユーロ)
www.hinzundkunzt.de
「私たちが作っているのはホームレスマガジンではありません。ストリートペーパーです。また、ライフスタイルマガジンではなく、生身の人間の物語を綴っているのです」。ハンブルガー・アーベントブラッ ト紙のジャーナリストだったビルギット・ミュラー編集長は、「Hinz&Kunzt」の創刊時からのスタッフだ。
「本誌が創刊された1993年は、東西ドイツ統一から3年が経って世の中全体が悲観的になり、人の心も冷たくなっていた頃でした。そこへ登場した『Hinz&Kunzt』は、失われつつあった人々の良心に訴え掛ける力を持っていたのでしょう、予想外の支持を持って迎えられました。最初の10日で3万部が完売したんです」。
しかし、ホームレス問題というのは一朝一夕に解決するものではない。東西統一によって社会的地位や職を失った人々、若年ホームレス、そして最近ではルーマニアやブルガリアからの貧困移民と、販売者のプロフィールは常にその時々の世相を反映しながら変遷してきた。「貧しい人々と富める人々の間に、どうしたら橋を架けられるのか。そのために対話を続けることが、私たちの仕事なのです」。
「Hinz&Kunzt」では、1年半前から販売者のための社会福祉住宅を運営し、学校などでのホーム レス問題の啓蒙活動にも力を入れている。また、26人の常勤スタッフのうち10人は元販売者で、内「Hinz&Kunzt」勤業務に従事している。
ストリートペーパー販売者のプロフィールは、その国の社会問題を映し出す。
今、ドイツで発行されているストリートペーパーの間で共通のテーマとなっているのは「貧困移民(Armutseinwanderer)」と呼ばれる、ルーマニアおよびブルガリア出身の販売者の増加問題だ。
2013年夏、ストリートペーパーの国際ネットワーク「INSP」の総会がミュンヘンで開催され、29カ国が参加した。ドイツ国内からは最多の14誌が集い、オーストリア、スイスも交えたドイツ語圏の分科会では、「貧困移民」の急増が主要な議題となった。欧州連合(EU)の新規加盟国からドイツ語圏のストリートペーパーに仕事を求めてくる人々が急増しており、中でも多いのが、本国での差別や貧困から逃れるようにやって来るロマの人々だ。
左)INSP会議のドイツ語圏分科会。 写真中央がBODO編集長のバスティアン・ピュッターさん
右)BISS発行人のヒルデガルト・デニンガーさん
ハンブルクの「Hinz&Kunzt」誌は、このような事態に直面して現地調査を行い、ルーマニ アとブルガリア出身の販売者を50人まで受け入れることを決めた。ほかの媒体でも、無料のドイツ語講座を提供したり、ルーマニア語やブルガリア語の通訳を臨時スタッフとして雇ったり、ストリートペーパーのスタッフ自身がルーマニア語の勉強を始めたりと、具体的な対応がなされつつあるという。
助けを求めている困窮者がいる。それが誰であろうと排除せず、まず包摂の道を探る。そして問題そのものを顕在化させて世に訴える。それがストリートペーパーに共通する哲学であり、闘い方なのだと感じた。