リアルだけど、ロマンチック!?
子どもから大人まで楽しめる
ドイツ児童文学
ドイツ文学といえば、ゲーテやシラーなどの文豪が思い浮かびますが、「自分には難しいかも……」と本を開くのをためらってしまう人が多いかもしれません。でも、ドイツにはグリム童話をはじめとした子ども向けの文学も数多く残されています。今回は、そんなドイツ児童文学の魅力を、ドイツ文学者で作家の天沼春樹さんにお聞きするとともに、おすすめの本を世代別に教えていただきました。
お話を聞いた人
天沼春樹さん
Haruki Amanuma
埼玉県川越市生まれ。ドイツ文学者・作家・翻訳家。中央大学にて博士課程修了。日本児童文芸家協会元理事長。日本グリム協会副会長。日本ツェッペリン協会会長を務める。翻訳書に『グリム童話全集 子どもと家庭のむかし話』『アンデルセン童話全集Ⅰ~Ⅲ』(ともに西村書店)など多数。
ドイツ児童文学の魅力とは?
夢も見るけど現実も見る……
それがドイツ児童文学
「ドイツ児童文学には、大きく分けて二つの分野があります。一つは、子どもたちの豊かな夢や冒険を伝える、いわゆるロマン派❶的な作品。その代表として、ミヒャエル・エンデ❷やオトフリート・プロイスラー(P12)などのロマン派の流れをくむような優れたファンタジー作家がいます。
もう一つは、現代の子どもたちが直面しているシリアスな問題に切り込んだ作品。そういった作品からは、ナチ時代の負の歴史や現代における人種差別、今日で言えば難民問題などからも決して目をそらさないという姿勢が感じられますね。現実を深く捉えたノンフィクション的な作品に取り組むという、積極的な精神に富んだ作家たちも尊敬に値すると思っています」(天沼さん)
ドイツ文学にハマり
人生にもロマンを求めて
「私はというと、16歳の頃には、完璧な『独浪漫派文学少年』になっていました。団塊の世代に続く世代としては、ちょっと変わった趣味趣向です。ノヴァーリス❸やヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフ❹、E.T.A. ホフマン❺などの翻訳作品を読み漁り、大学でもドイツ文学を専攻すると決めていました。将来の仕事も大学教師になって小説を書いたり、翻訳をやるんだと勝手に決め込んでいて、本当にその通りに進んできました。しかし、ドイツ語教師の間でも趣味趣向が全く違っていたので、浮いた存在だったと思います。
というのも、文学と同じように、ドイツのツェッペリンを中心とする『飛行船の文化史』という『ロマン』にとりつかれたのです。調査のためにツェッペリンの本場である南ドイツ・ボーデン湖に出かけ、ツェッペリン伯爵のお孫さんと親しくなったり、日本にハイテク飛行船のツェッペリンNTを飛ばすための役員に選ばれるなど、ドイツ文学者がやらなさそうなことにまで、首を突っ込んでいました。つまり、空想のなかだけのロマン主義に留まらず、結果的に現実にもロマンを求めるようになったということです」(天沼さん)
ツェッペリン飛行船
用語解説
❶ ロマン派 ロマン主義。18世紀末~19世紀にかけて欧州で興った芸術上の理念や運動のことを指す。古典主義や合理主義に反抗し、感情や個性の尊重、自然との一体感、神秘的な体験などを表現した。
❷ ミヒャエル・エンデ Michael Ende(1929~1995) 南ドイツのガルミッシュ生まれ。演劇を学んだのち、ミュンヘンの劇場で舞台監督を務め、映画評論などの執筆も。著者に『モモ』『はてしない物語』(ともに岩波書店)など多数。
❸ ノヴァーリス Novalis(1772~1801) ドイツ・ロマン派詩人。天沼さんのおすすめは『青い花』(岩波書店)。青年ハインリヒの夢に現れた青い花をめぐる旅の物語。
❹ ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフ Joseph von Eichendorff(1788~1857) ドイツ後期ロマン派詩人。代表作は『予感と現在』。『のらくら者日記』(集英社刊『集英社ギャラリー「世界の文学」10 ドイツⅠ』に収録)は、ちょっと大人になってから読むのがおすすめ、と天沼さん。
❺ E.T.A. ホフマン E.T.A.Hoffmann (1776~1822) ドイツ後期ロマン派作家。代表作は、チャイコフスキーのバレエの原作として有名な『クルミわりとネズミの王さま』(岩波書店)。
幼児~小学低学年向け
小さなお子さん向けに、二つの作品をご紹介します。どちらの著者も、ドイツの書店の絵本コーナーで人気の現役ドイツ人作家です。ドイツ語版でもぜひお試しあれ。
人生で大切な三つのことって?
『きみがしらないひみつの三人』
あらすじ
「きみ」が生まれた日にやってきた3人の友だち。その3人は、「きみ」の体の中で働き始め、ずっと「きみ」についていく……。人の一生の頭と心と体の不思議な働きを、詩的に描いた作品。
天沼さんより一言
2004年とずいぶん以前の出版にもかかわらず、11刷となったロングセラー絵本です。人間が生きるための三つの大事なことを分かりやすく語っています。
ヘルメ・ハイネ Helme Heine
1941年ベルリン生まれ。ボローニャ国際児童図書展グラフィック賞などを受賞。ドイツで人気のある絵本作家の1人。翻訳されている絵本に『ぞうのさんすう』(あすなろ書房)、『ともだち』(ほるぷ出版)など。
空を飛ぶのはすごいことだけれど……
『空とぶペーター』
あらすじ
空を飛べる男の子・ぺーターは、家族で南の島へ旅行に行くことになった。パパとママは飛行機だけど、ペーターは一人空を飛んで向かうことに。ところが、途中で渡り鳥に会って……。
天沼さんより一言
ペーターくんができるのは、ただ一つ、空を飛ぶこと。それだけでもすごいのですが、本当はもっとすごいところを見つけてほしい、というのがこの絵本の心ではないでしょうか?
フィリップ・ヴェヒター Philip Waechter
1968年フランクフルト生まれ。翻訳されている絵本に、ボローニャ国際絵本原画展入賞作『ロージーのモンスターたいじ』(ひさかたチャイルド)、『ひとりぼっち?』(徳間書店)ほか。
小学校中高年向け
小学校中高年におすすめの2冊は、ドイツ児童文学を代表するロングセラー作品。20世紀に活躍した作家だけれど、ロマン主義の影響が色濃く残っています。
仲間ってこうでなくっちゃ!
『飛ぶ教室』
あらすじ
寄宿学校のクリスマス集会に向け、オリジナル劇「飛ぶ教室」を準備する5人の仲間。貧しい家庭に生まれた秀才マルティン、親と生き別れた詩人ジョニー、喧嘩に強いボクサー志望のマッツ、いつも冷静なゼバスティアーン、誰よりも臆病なウーリ。喧嘩に巻き込まれたり、仲間が悩み事を抱えていたり……クリスマス前に起こるさまざまなハプニングを、5人はどう乗り越えるのか?
天沼さんより一言
ナチスが政権をとった1933年にケストナーが発表した児童文学で、30カ国以上の国の言葉に翻訳されている名作です。ギムナジウムの寄宿舎の生徒たちが知恵と勇気をもって、日常に起こる問題を自由の精神から解決してく物語。本作をもとにした2003年のドイツ映画『飛ぶ教室』もおすすめです。
エーリヒ・ケストナー Erich Kästner
1899年ドレスデン生まれ。師範学校に進むが、大学卒業後、新聞社に勤める。『エーミールと探偵たち』(岩波書店)で成功するも、やがてナチスにより圧迫を受ける。1960年、国際アンデルセン大賞を受賞した。1974年没。
伝説をもとにしたファンタジー
『クラバート』
あらすじ
ある日、不思議な声に導かれ荒れ地の水車場を訪ねた、孤児の少年クラバート。この水車場の親方から、魔法を習うことになる。しかし、親方には恐ろしい秘密があって……。ドイツの一地方に伝わる伝説をもとにした壮大な物語。
天沼さんより一言
プロイスラーといえば、〈大どろぼうホッツェンプロッツ〉シリーズが人気ですが、小学校高学年には『クラバート』がおすすめ。ドイツのハリー・ポッターともいえる映画『クラバート闇の魔法学校』の原作にもなっています。プロイスラーは本作を書くにあたり、ドイツの水車小屋の歴史とその仕事について詳細に調査した上で物語にしたと語っています。現実の裏付けがあってこそ、ファンタジーも生き生きするという貴重な教えでした。
オトフリート・プロイスラー Otfried Preußler
1923年ボヘミア(現在のチェコ北西部)生まれ。第二次世界大戦後にドイツ南部に移り、小学校教師・校長を務める。1970年代より執筆に専念し、その全業績に対し国際アンデルセン賞作家賞推薦を受ける。2013年没。
中高生&大人向け
ティーンエイジャーはもちろんのこと、大人も夢中になって読んでしまうこと請け合いの2作品。秋の夜長にゆっくりと時間をかけて読んでみて。
ドイツにおける難民問題に重ねて
『列車はこの闇をぬけて』
あらすじ
舞台は南米・グアテマラ。少年ミゲルは、米国に出稼ぎに行ったきり帰ってこない母親を探しに行くため、国境を越えてメキシコ縦断の旅を決意する。しかし、パスポートを持たない難民たちの旅は、想像を絶するほど危険なものであった。ミゲルは仲間とともに無事に米国にたどり着けるのか?著者の現地取材をもとに詳細に描かれる現代児童文学。
天沼さんより一言
難民が国境を越えてくるという現実は、日本では馴染みがないことですが、やがて日本も多民族を受け入れなくてはならないかもしれません。難民危機でいち早く国境を開いたドイツにとって、物語の舞台が中南米であっても切実なテーマです。国境の「壁」とは心の「壁」でもあると分かるはず。
ディルク・ラインハルト Dirk Reinhardt
1963年ベルクノイシュタット生まれ。ミュンスター大学で歴史学の博士号を取得し、研究員を経て、フリージャーナリストなどの傍ら、作家として活躍中。本作はドイツ最古の児童文学賞フリードリヒ・ゲルシュテッカー賞を受賞した。
注目の新世代ファンタジー作品
『ドラゴンゲート』
あらすじ
その昔、ドラゴンはあらゆる種族から神のように尊敬されていた。しかし、いつしか人間がすべてを支配するようになり、エルフ族以外は滅び、ドラゴンは戦争の道具と化した。人間の強国ハラドーンとミルドハンの戦いが激しさを増すなか、エルフ族の王がある予言を告げる。予言によれば、世界を変える子どもたちが生まれるという。選ばれし人間の少年2人と、2人の王女の運命が交錯する純愛ファンタジー。
天沼さんより一言
16歳の時に執筆した長編ファンタジー『ニジューラ』でデビューしたジェニー=マイ・ニュエン。本作は彼女の2作目で、上下巻合わせて1000ページにわたる長編です。今後の活躍がますます期待できる若手作家ですね。
ジェニー=マイ・ニュエン Jenny-Mai Nguyen
1988年ミュンヘン生まれ。ベトナム系ドイツ人。13歳から小説を書き始めた。ニューヨークで映画製作を学んだのち、ベルリンに住み始める。18歳で執筆した本作は、10カ国語以上に翻訳された。
www.jennymainuyen.de
東京が舞台の「ロマン派」作品……?
『くらやみざか 闇の絵巻』
東京のはずれに住む「わたし」の身に起こることは、夢なのか現実なのか、いつも曖昧である。目の前を横切 るゾウ、カラスの通夜を執 り行う女、「わたし」に救い を求める巫女……主人公とともに闇に迷い込んでいく幻想譚。
「少年時代に傾倒したドイツ・ロマン派は、観念的に理想郷に憧れる傾向が強かったように思います。作品としては惹かれるけれど、自分がそれをまねて耽美的になってしまっては、単なる『オタク』なんだろうと思い、20 代からはリアリズムも嫌わずにむしろ積極的に関わろうとしまし た。でも、生来のロマン派の尻尾はどこかにぶら下がっているようです。自分が書く小説は、どちらかと言うと幻想文学と言って良いほど、現 実と幻想の境が曖昧なものが多いですね。つまり、現実と幻想が地続き で語られているような……。近著の『くらやみざか』はそんな作風ですね」(天沼さん)
文学こぼれ話
ドイツ人が好きなグリム童話のお話は?
「私のお気に入りのお話でもあるのですが、『幸せハンス』(作品番号:KHM83)はドイツ人のなかでも人気だと聞きます。7年奉公した親方からせっかくもらった金の塊を、家に帰る間にどんどんつまらないものに交換していって、最終的に手に入れた石ころさえも井戸に落としてしまいます。それでも、大好きなお母さんのもとに帰り、再会を喜んだというお話です。ハンスは一見まぬけでお人好しみたいですが、本当に大事なものがなんなのかを教えてくれます。そういえば、ドイツの児童文学賞に『幸せハンス賞(Der Hans-im-Glück- Preis)』というのがありますね。このお話がドイツで愛される理由は、お金や宝よりも、家族に会えることが一番の幸せということなんだと思います」(天沼さん)
翻訳家の「愛」と「苦悩」
「例えば、ケストナーの『飛ぶ教室』はいくつかの出版社から刊行されていますね。岩波少年文庫の池田香代子さんの訳は、いかにも切れ味の良い個性的訳者の文体。偕成社文庫の若松宣子さん版は、あまり飛躍していない原文に忠実な丁寧な訳、というふうにそれぞれ持ち味があります。読み手の好みによって印象は違うと思うのですが、翻訳者は苦心しながら仕事をしているので、良し悪しはつけられるものではないと思います。児童文学だからと言って、決して翻訳が簡単なわけではありません。読者が子どもなだけに、分かりやすく意訳したり、いろいろと工夫をしています。翻訳は、本への愛情があって初めてできる仕事だと感じています」(天沼さん)