Dr. Roger Kusch 1954年8月19日シュトゥットガルト生まれ。元CDU。元ハンブルク法務大臣。(写真 ©Bild:WDR/Ziebe) |
「積極的な死のほう助」合法化を求め、自分の名前を冠した自殺ほう助協会を設立。6月末、重病ではないが死を望む79歳女性の自殺を実際にほう助し、世論を敵に回した。
2001年までは司法界の人だった。出発は故郷バーデン=ヴュルテンベルク州少年刑務所の司法官。やがてカールスルーエ少年裁判所の裁判官になり、連邦法務省に勤務後、シュトゥットガルト検察庁に入庁、00年には連邦最高裁の検事正に昇る。これで司法キャリア組の有望な未来は決まったようなものだった。
しかし転機が01年10月に訪れる。ハンブルクで新政権を樹立したオーレ・フォン=ボイスト(キリスト教民主同盟=CDU)市長に請われて法務大臣に就任し、強行な保守改革を始めたのだ。わざわざ米国アリゾナ州まで少年刑務所の視察に出かけ、帰国後、少年刑の廃止を要求。外国人犯罪者を即退去させる法改正も唱える。
こうした一連の提案は、当時連立を組んでいた新右派党の副市長ロナルド・シルも同調するものだったが、03年、市長と対立したシルの口から「フォン=ボイストとクッシュの関係の実態を明かす」との脅し文句が飛び出して、致し方なく同性愛のカミングアウト。以後、世論を騒がす挑発的なスタイルがこの人のキャラクターになった。
今回も死の責任を追求されると、「私はほう助を依頼された人物、殺人者ではない」と馬耳東風。尊厳死法の制定を話し合うきっかけを作ったことは事実だが、人物評価には赤信号が灯ったかもしれない。
< 前 | 次 > |
---|