Walter Kohl 1963年7月16日ラインラント=プファルツ州ルートヴィヒスハーフェン生まれ。企業経営者。ライター。 ©Jan Frommel |
東西統一の歴史を刻んだ政治家、ヘルムート・コール(1930~)の長男として生きてきた半生の記録を、先頃『Leben oder gelebt werden(生きるか生かされるか)』のタイトルで出版。「党CDU(キリスト教民主同盟)がファミリーだった」父に対し、「対話を望んでも果たせなかった」息子からの訣別状とも言える内容に、波紋が広がっている。
物心がついたとき、父コールはすでにラインラント=プファルツ州の州首相だった。そのキャリアはやがて党首、さらに連邦首相へと突き進む。その過程で「妻と息子2人は幸せ家族の演技を求められ」、一方で「学友からは疎まれ、誰とも心を割って話せない」。
アビトゥア取得後に2年間の兵役を済ませてドイツ脱出。ハーバード大学、ウィーン大学、ビジネススクールINSEADで国民経済学を修め、1994年にドイツに帰ってきたときも父はまだ首相だった。しかし、4年後に権力を手放しても家族とは名ばかり。母ハネローレが色素性乾皮症でプファルツの自宅に閉じこもっても、父はベルリンを離れなかった。
父からではなく、その秘書から電話で母の自殺の報を聞いたのは2001年7月5日。08年に父が再婚したときも電報が来ただけ。親子の関係を絶ちたいのかと聞くと、父はしばらく躊躇した後に「Ja」と答える。
現在は05年に妻と起業したKohl & Hwangでドイツ・韓国間の自動車部品納入業を展開し、「父をありのまま受け入れることを学んだ」。執筆はそのためのプロセスだったのだろうか。
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