1943年10月22日ブレスラウ(現ポーランド領)生まれ、東ドイツ育ち。SPDの政治家。
©FRANKA BRUNSS/AP/Press Association Images
東西統一から20有余年を経て、お洒落なスポットへと大変身した旧東ベルリン内のプレンツラウアー・ベルク地区。住民の90%が入れ替わった中で、40年以上同地区に住み続けている。そのことで昨年の大晦日、ベルリーナー・モルゲンポスト紙に「シュヴァーベン式清掃のせいで街が奇麗になってしまった」「ここの小型パンはSchrippen、Wecken(シュヴァーベン方言)じゃない」と口を滑らせ、非難の集中砲火を浴びている。
東ドイツ時代は文化省で辞書編纂を手掛けていた。壁崩壊後、1990年1月に東ドイツのSDPに入党し、初の自由選挙で同年3月に議員初当選。直後に東側党代表となり、その数カ月後には東西統一による統一SPDで副党首に選ばれる。これぞ適時、適所に居合わせた適材と言うべきか。98年から2005年まで連邦議会議長、以後現在まで同副議長の責務を担い、カトリック教徒として社会問題に発言。反ネオナチ・アクションでも知られている。
しかし、今回の発言では反響に自分でも驚いてしまったらしい。シュヴァーベンとはバーデン=ヴュルテンベルク州からバイエルン州南西部一帯を表す歴史的名称。かの地出身のエツデミール緑の党党首、エッティンガー欧州委員会委員はもとより、シュヴァーベン紙からも公開書簡で反論が寄せられ、沈静化のつもりで「以前は多種多様な人々の街だったが資金のある若いシュヴァーベン人に取って代わられ、今は中産階級ばかり」と言い訳をしたら火に油。「自分だって中産階級の俗物だろうが」とベルリン子にまで批判されてしまった。さあ、この始末、どうつける?
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