1959年6月26日クヴェートリンブルク(旧ドイツ・ハレ県)生まれ。映画監督、舞台監督、俳優。
©Riccardo De Luca/AP/Press Association Images
旧東独(DDR)にはドイツ社会主義統一党とシュタージ(秘密警察)以外に “普通の市民”の泣き笑い人生があったことを、映画『Sonnenallee』で示したのは1999年。以後、映画監督として知られているが、シェイクスピアなどの舞台演出で評判を得ている劇場監督でもある。先頃、自嘲たっぷりの自伝小説『Buh. Mein Weg zu Reichtum, Schönheit und Glück(ブー! 僕の富と美と幸運への道)』を発表し、40歳代に何度も心療内科への入退院を繰り返していたことを告白した。
「心に刃物を抱えているような感じで、いつしかベッドから起き上がれなくなった」が、当時はそれが鬱うつだと分からず、アルコールに逃げて強制入院させられた。医者から「治療不能」と突き放されたことを、「正しい診断だね。自分に治す気がなきゃダメなんだと初めて理解した」と語る。
退屈を異常に恐れる心理が背景にあると言う。「DDRは退屈な国だったから自分で笑いを作り出さなければならず、皆で酔っぱらってフリークになった。その結果だね」と。
芸術一家に育ったということもあるだろう。父方の曾祖母はスイスの女流作家、その娘(レアンダーの祖母)はオペラ歌手で、最初の夫がヘルマン・ヘッセ、再婚相手のエリック・ハウスマン(祖父)とその息子(父)エツァードは共に有名な舞台俳優だった。『毛皮の朝食』で知られるシュールレアリストのメレット・オッペンハイムは祖母の姉の娘に当たる。
11月21日からベルリーナー・アンサンブルで手掛けているのは『ハムレット』。ワーカホリックは治らないようだ。(Y.T.)
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