1951年4月1日、東ドイツ・ローゼンフェルト生まれ。
数学者。大学教授。CDU党員。2000年ブランデンブルク州科学相、10年ニーダーザクセン州科学文化相、13年2月より連邦教育・研究相。
©Michael Sohn/AP/Press Association Images
2010年、旧東ドイツ出身者として初めて旧西ドイツの州政権に入り、昨年2月には連邦政府の教育相に就任。11月9日のベルリンの壁崩壊25周年を前にインタビューに応じ、東ドイツ(DDR)時代を振り返った。
西への亡命を考えたことは一度もない。「DDRは私の祖国です。逃げたくないと思っていました」。青少年政治活動組織FDJ(自由ドイツ青年連盟)に参加させられたときの屈辱感を今でも思い出す。成績優秀なのに高校への進学許可が出ず、党中央部に嘆願書を送っても何も変わらなかったので、ついに父親が郡長の畑にコンバインを持ち込んで農作業をし、労賃の代わりに娘を高校へ行かせてくれと頼んだ。すると、FDJに入れば許可してやると言う。「これがDDRの現実。DDRはプロレタリアートの“独裁”国でした」。
数学を専門にしたのは、「数学オリンピックで優勝したくらい好きだったし、言論統制下であっても自由に考えられる科学だから」。1986年、教鞭を執る大学で軍縮問題を取り上げて懲戒委員会に呼び出され、抗議集会が激しさを増した89年9月には、国の自力更正を訴える知識人グループ“新フォーラム”に加わる。壁が落ちた11月9日、これで医者も芸術家も皆いなくなると思った。
現在、教育相として「西では変化への不安が強過ぎる」と辛言。「アビトゥアまでの学習年数の短縮を問題視するのは西だけ。働く母親を薄情だと言うことも東ではあり得ません」。メルケル首相とは「東ドイツ出身かつ科学者として反応が似ている」と語る。
< 前 | 次 > |
---|