1926年7月31日仏ストラスブール(独名シュトラスブルク)生まれ。
ジャーナリスト。テルアビブ在住。
©Peter Kneffel/AP/Press Association Images
アウシュヴィッツでボクサーになり、戦後はユダヤ人武装組織ハガナーに加わって、英国統治領パレスチナへの非合法移住を計画。ユダヤ人難民4553人を乗せてハイファ港まで接近し、英軍に拿捕された運搬船「1947年エクソダス号」のクルーだった。
イスラエル建国を助け、第1次中東戦争では戦闘員。英国統治時代からのヘブライ語新聞「イェディオト・アハロノト」でスポーツと時事問題を執筆する。ホロコーストの体験を次世代に伝えることを義務と心得てきた。ナチスドイツ敗戦から70年の今年、ドイツのメディアからも招かれ、鮮明な記憶を完璧なドイツ語で淡々と語っている。
アウシュヴィッツに送られた1943年1月17日、ほかの600人と共に裸でマイナス25度の戸外に22時間放置され、半数が死亡した。翌朝SS将校がボクサーを募ったので、プロ3人に混じって手を挙げた。嘘がばれたらガス室送り。だが仲間の巧みなごまかしのおかげでチームに居残り、肉入りスープをもらって生き延びた。そして“選別”の日、医師メンゲレの補佐役に自分と同郷のユダヤ人医師が出ていた。だから「左(=死)」と宣告されたとき、反射的に「医長殿、私はまだ若くて働けます」と口走ったのだろう。父はシュトラスブルクの作家だと説明する彼を、メンゲレは面白そうに眺め、ユダヤ人補佐に「こいつ、欲しければやる」と言った。生存は、ただただ運によるものだった。
現代イスラエルのヒーロー、レジェンドだが、子どもたちからたまに「方舟のノア?」と聞かれる。まんざらでもない。(Y.T.)
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