ジャパンダイジェスト

世界を動かすビジネスリーダーに聞く!ドイツ発グローバル時代を生き抜くチカラ

海外進出が、大企業だけではなく、中小企業や個人にとっても必要不可欠な選択肢となっている時代。欧州の中心部に位置する地の利を活かして、ドイツを活躍の拠点としているビジネスパーソンが見いだした海外での挑戦の意義や魅力とは?


第7回

有松鳴海絞りがヨーロッパで花開く
suzusan クリエイティブ・ディレクター
鈴三商店5代目

村瀬 弘行村瀬 弘行 氏
Murase Hiroyuki

プロフィール


1982年名古屋市生まれ。suzusan クリエイティブディレクター。2002年に渡欧、サリー美術大学(英)を経て、ドイツのデュッセルドルフ国立芸術アカデミー立体芸術及び建築学科卒。在学中の2008年にsuzusan e.K. を設立。デュッセルドルフと有松を拠点にオリジナルブランドsuzusan をスタートし、ファッションとインテリアにおけるデザインのディレクションを手がける。 www.suzusan.com

外の視点を持つチカラ

村瀬さんが欧州に渡ったのは2002年。「跡取りとして」ではなく、アーティストを志して英国とドイツの大学に入学し、彫刻やアートを学んだ。日本有数の絞りの産地・有松鳴海で生まれ育ったが、「父親は、一度も家業を継げと言わなかった」と村瀬さん。それは、息子を想う父の愛ゆえ。つまり、400年の伝統を持つ有松鳴海絞りは、それほどまでに存続の危機に瀕していたともいえる。しかし、父であり4代目でもある村瀬裕さんは伝統の技を守ることをあきらめたわけではなく、活路を求め積極的に海外に目を向けていた。そこへ、転機が訪れる。

「欧州の見本市に参加していた父が、たまたま自分の部屋においていった布地を、当時ルームシェアしていたドイツ人が見て、一目で気に入ってくれたんです。これはビジネス・チャンスだ!と」。経営を学んでいたルームメイトのクリスティアン・ディーチと、大学在学中の村瀬さんの二人で2008 年に会社suzusanを設立。「絞りの浴衣をそのまま売るのではなく、欧州の消費者の生活の中で生きる日本の伝統工芸」をコンセプトに、オリジナルのストールや照明を販売。製造の下請けではなく、オリジナルブランド「suzusan」として勝負することも、新しい試みだった。

樽見和明氏
(左) 布を糸で「括る・縫う・巻く」という基本動作で
100以上の染色技法を持つ有松鳴海絞り
(右)絞りのランプシェードは耐熱性のある
ポリエステルを用い、洗濯機で洗ってもOK

継続し、継承するチカラ

若い二人の経営者は、アポなしで欧州各地のショップに売り込みをかける日々からスタートした。しかし、「まず、『絞り』の価値を理解してもらうのが大変でした。500ユーロのストール、1500ユーロの照明を売りながら、300ユーロの家賃が払えない生活」と、設立当時の苦労を振り返る。「何度もやめようと思った」でも、「自分達がやめてしまったら、『有松鳴海絞り』という伝統が、目の前でどんどん消えていってしまう。100もの染めの技術を持っている地域は、世界 中探しても他にない」と、奮い立った。

しかし、問題は販路だけではなかった。「地元の職人は、手抜きはできないからと、最高の技術を見せようとしてくれるけど、それが本当にデザインに必要か」と、村瀬さんが欧州向けにデザインしたものは当初、「こんなもの作れるか!」と父や職人を怒らせた。村瀬さんは、何度も何度も有松に通って職人達と話し、欧州で求められているものを父に説得し、一歩一歩理解を得てきた。

2011年、村瀬さんは世界が注目するパリのセレクトショップ「レクレルール」に、いつものようにアポなしで絞り染めのストールを持ち込んだ。バイヤーは、一目見てショップに置くことを即決。2012年からはパリ、2014年からはミラノのファッションウィークでコレクショ ンを発表。Yohji Yamamoto、Lacoste、Christian Wijnantsなどのブランドとのコラボレーションを手掛け、クリスチャン・ディオール等フランスを代表するラグジュアリーブランドのオートクチュールに生地を提供している。「一目で、業界の目利きたちを納得させる。それだけの価値と魅力が『有松鳴海絞り』にはあるんだ」と、確かな手応えを得た。

変化するしなやかな伝統のチカラ

有松鳴海絞り
洋服も展開しており、
トータルコーディネートを楽しめる

現在、suzusanの商品は20カ国以上で販売されている。成功の理由を、「見せ方も使い方も、日本と同じままでは難しい。でも、日本で伝統工芸を使って海外向けの商品を作ろうとするとさまざまな反対も出てくる。自分の場合、離れているからこそ好き勝手なことを言える」と分析。ドイツからの風を受け、地元も変わってきた。「昔は、地元の外から習いに来た人達を門前払いにしていたほど閉ざされた世界。今では日本のみならず、海外から研修生が来て、身振り手振りでなんとか技術を教えようとしている」。15年後に消滅してしまうと言われていた技術が、若い世代に継承され始めた。この技術を根絶やしにしないこと。それが、村瀬さんの決意。

「やっとスタート地点に立った気がする」という村瀬さんの次の目標は?「 エルメスのブランディングに興味があります。 彼らは家族経営で伝統を引き継ぎながら、現代はトップブランドになっている。suzusanが、『エルメス』になったっていいじゃないですか。僕の代でできるかどうかは分からないけれど、その次くらいでは・・・・・・」。

 
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