ヴァイオリニスト
1941年東京生まれ。5歳の時から長野県松本市にて鈴木鎮一に師事(才能教育第一期生)。国立音大卒業後、69年旧西ベルリンに留学、翌年ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団に入団し、73年よりバイロイト祝祭管弦楽団のメンバーにもなる。82年以来、ベルリンのカイザー・ヴィルヘルム記念教会のバッハ合唱団の理事、バッハ・コレギウムの責任者を務めている。
9月9日、ベルリンのカイザー・ヴィルヘルム記念教会で、東日本大震災のチャリティーコンサートが開催される。ベルリンのプロオーケストラに在籍する約15人の日本人音楽家が一同に会するという初めての試みだ。このコンサートのまとめ役を引き受けているのが、ヴァイオリニストの眞峯紀一郎さん。長年、ベルリン・ドイツ・オペラとバイロイト祝祭管弦楽団で弾き、定年後は教育活動でドイツ中を奔走、また <バイロイト・フェスティバル・ヴァイオリンカルテット>のメンバーとしても演奏活動を続ける眞峯さんに、このコンサートに向けての意気込みを伺った。
ベルリンのプロオーケストラに在籍する日本人音楽家のほぼ全員が集まって、1つのコンサートをするというのは初めてのことだそうですね。どういう経緯で実現することになったのでしょう?
事の発端は全くの偶然でした。今年5月、路上で久し振りにヴァイオリニストの知人に会いました。彼女の子どもが通っているベルリン日本語補習校の父兄の間で、ベルリンのオーケストラに在籍する日本人音楽家が集まって、何かできないだろうかという話が出たそうです。どなたかまとめてくれる人がいないだろうかと、その役に私の名前が挙がっていたところで、ちょうど私にばったり会ったというのです。正直言いまして、最初は無理だろうと思いました。こういうことは今までベルリンで実現したことがないし、私の時代に比べたら日本人音楽家の数もずっと増えている。1つにまとめ上げるのは大変でしょう。
そこでまず、ヴァイオリニストの町田琴和さん(ベルリン・フィル)と日下紗矢子さん(コンツェルトハウス管)に御相談したところ、大変協力的で、そこからすうっと決まっていきました。会場に関しても、長年お付き合いのあるカイザー・ヴィルヘルム記念教会に問い合わせてみると、候補の9月9日が運良く空いていました。ベルリン・フィルの樫本大進さんにもお尋ねしてみたら、「この日に予定されていたコンサートがキャンセルになりそうなので、その場合は喜んで出演します」と言ってくださいました。皆さんがとても意欲的なことに加え、いくつもの幸運が重なって実現できることになりました。
「なぜ日本人じゃないといけないのか」「なぜオーケストラの団員でないといけないのか」と叱責も受けました。多くの仲間たちに声を掛けられず、残念に思っていますが、決して国粋主義でもエリート主義でもありません。今回が初めてですし、20人以上をまとめるだけでも大変。もちろん皆さんに手 伝っていただいていますが、これ以上増えると私1人では難しい。そこでベルリンのオーケストラのメンバーで固めて、足りないパートは補うというやり方にしました。間口を広げ過ぎるとキリがありません。アンサンブルの特徴も大切です。ベルリンの オーケストラの日本人メンバーが集まって何かをやるということで、対外的にアピールできるのではないかと思ったのです。
今回のコンサートのプログラム構成について教えていただけますか。
練習時間が限られているので、プログラム構成には吟味を重ねました。皆で演奏するのは、まずエルガーとアイヴズの曲。4年ほど前、ヴォルフガング・ヴァーグナーのグドルン夫人が亡くなった際、追悼式典でバイロイトの仲間がアイヴズ作曲の『答えのない質問』という曲を演奏しました。地震、津波に加えて原発問題と、どうやって対処するべきなのか、解決策が見えていない(まさに「答えのない」)状況の中、ふとこの曲のことを思い出しまして、今回絶対入れたいと思いました。この曲には管楽器が必要なのですが、これもうまい具合に編成に合うメンバーが見付かりました。
それから、親交のあるスロヴァキア人の作曲家、ラディスラフ・クプコヴィチ教授が、私たちの編成に合わせて『2011年3月11日の犠牲者のために』という新曲を書いてくださいました。彼は一時期、前衛作曲家のシュトックハウゼンとも仕事をしていましたが、「こういう音楽に将来はない」と考え、調性音楽に戻った作曲家なので、どんな曲になるのか楽しみにしています。
それ以外に、ベルリン在住の作曲家、番場俊之さん作の < Odor of Time > というヴァイオリンのデュオ、モーツァルトのオーボエ四重奏曲、ドヴォルザー クの弦楽三重奏曲、バッハの2つのヴァイオリンのための協奏曲を演奏します。指揮はベルリン在住歴の長い沼尻竜典さんにお願いしました。今回のライブ録音をCDにして、売り上げを寄付する計画も決まりました。
集まった募金は仙台フィルに届けられるそうですね。
せっかくこれだけのメンバーが集まるのだから、募金の目的や送り先を明確にしたいと考えました。私たちはオーケストラプレーヤーなので、仙台フィルには知っている仲間もいるし、指揮者の山下一史さんや小泉和裕さんは昔ベルリンで学んだ人たち。オーケストラ同士で励まし合いたいと思ったのです。ありがたいことに、日本大使館をはじめ、ベルリン日本商工会や日独センター、独日協会、日本語補習校も全面的に後援してくださることになりました。
震災直後は、「こんな時、音楽は何の役にも立たないのでは」と感じている音楽家も私の周りにはいました。今、日本は大きな危機に直面していますが、こういう困難な時期において音楽が果たせる役割は何でしょうか。
終戦直後、私は疎開先の松本(長野県)で鈴木鎮一先生にヴァイオリンを習い始めました。「日本が戦争に負けて貧しい時に、男の子にヴァイオリンなんかやらせて何の役に立つのか」と言って石を投げる人もいたので、母は目立たぬよう、風呂敷に包んでヴァイオリンを運んだそうです。
私は30年近くベルリンのバッハ・コレギウムのコーディネートを仰せつかっているのですが、先輩の話では、戦後間もない頃にバッハのカンタータを演奏した時、オーケストラのメンバーのギャラは(燃料の)コークス1本だけだったそうです。そういう時代でも聴衆はいっぱいだったそうで、音楽を求める心は、生きているんですよ。
心を潤す、豊かにする。動物と人間との違いはそこにあるように思います。心の豊かさというのは、私たちが人間として誇りに思っていいこと。音楽が人間の活力に、と言わないまでも、何か心に温かさや喜びを与えるものであれば、それで良いのではないでしょうか。それは、秤にかけてプラスマイナスで計算できるものではありませんよね。
日本では、有名な曲をやらないとコンサートにお客さんが入らないとよく言われます。でも、皆さんの心に安らぎを与えられるのならば、それでもいいじゃないですか。音楽や芸術というのは、目に見えないところで人々にとってプラスになると私は信じています。今度の僕らのコンサートは、ポピュラーな曲ばかりではありません。でも、新作だからといって耳をふさがなくてはならない曲はないと思います。ですから、1人でも多くの方に聴きにいらしていただきたいです。
チャリティーコンサート
カイザー・ヴィルヘルム記念教会
2011年9月9日(金)20時〜
入場無料
Kaiser-Wilhelm-Gedächtniskirche
Breitscheidplatz, 10789 Berlin
gedaechtniskirche-berlin.de
インタビュー・構成:中村 真人