テレビのニュースでベルリンの壁の歴史的映像が流れるのは、大抵壁が建設された8月13日(1961年)、そして壁が崩壊した11月9日(1989年)前後と決まっている。ところが、今年は様子が違った。1月末からベルリンの地元のテレビ局rbbは夜のニュースで壁の時代をテーマにした特集を連日放映した。一体なぜこのタイミングでと思ったが、2月に入ってからようやくそれがわかった。この2月5日、ベルリンの壁が崩壊してから10316日が経過したという。壁が建設されてから崩壊に至るまでの10316日(約28年と3カ月)についに並んだのである。私は壁があった時代の全貌はわからないけれど、壁が崩壊してから今日までの時間の長さははっきりと実感できる。改めてこの間の時間に想いを馳せた。
パンコウ博物館があるかつて小学校だった建物内の様子
その1週間後、プレンツラウアー・ベルク地区にあるパンコウ博物館を訪れる機会があった。作家の友人が、月に一度ここで行われている室内コンサートのシリーズに関わっており、それを聴くためだった。
コルヴィッツ広場からほど近い給水塔に面して博物館があることは知っていたが、その敷地は思っていたよりもずっと広い。この四半世紀の間にすっかり綺麗になった界隈で、昔からあり、同時に誰でも入れるスペースがあることに嬉しくなった。友人はこの近くに住む難民の子供たちにボランティアで毎週音楽を教えている。この日のファミリーコンサートでは子供たちも出演し、温かい雰囲気の中で音楽を楽しんだ。
この建物の歴史が気になって、後日もう一度訪れた。プレンツラウアー・アレーとミュールハウザー通りに囲まれた敷地に、中庭を囲んで並ぶレンガ造りの建物群は、もともと小学校として建てられたという。1871年にベルリンがドイツ帝国の首都になると、この地域には外から多くの労働者が移住するようになる。公共施設の拡充が求められる中、1886年にここに学校が開校した。当時は男女別学だったため、同じ敷地内にそれぞれ別々の入口があったそうだ。
帝政時代、ナチス時代、そして東独時代を経てきたこの学校は、ドイツ再統一後も存続したが、児童数の減少から1997年に廃校が決まる。その後、博物館、そして市民学校や図書館などを含めた地域の文化・教育センターとして生まれ変わることになった。
常設展では、さまざまな時代の子供たちの写真に加え、20世紀初頭この界隈にあったイタリアンレストランの写真が目を引いた。19世紀末にイタリアから移民としてやって来た最初の世代の人たちが始めた店だという。この地区の多くの人たちが、最初は「よそ者」として生活の基盤を築いてきたことがよくわかる展示になっていた。
旧東独の都市で難民への排斥の動きが強まっているというニュースをこのところよく聞く。最近会った西ベルリン出身の年配の知人は、「東独の人たちはナチス時代の後に共産主義の独裁を経験したから、本当の意味で民主主義を学ぶ機会がなかったのよ」とやや突き放すようにいった。確かに一理あるとはいえ、このようなスタンスでは壁が残した東西の溝は今後もなかなか埋まらないのではないかという気がする。
コンサートの後、難民の子供たちを滞在施設のそれぞれの親の元に連れ戻すために奔走する友人の姿があった。いくつもの風景が交わったこの2月だった。
パンコウ博物館
Museum Pankow
パンコウ区プレンツラウアー・ベルク地区にある博物館。現在はいくつもの常設展に加えて、「ゼバスティアン・ハフナー文化・教育センター」として、市立図書館や市民学校(フォルクスホッホシューレ)など地域の市民のためのスペースが多く集まっている。トラムM2の停留所Knaackstraßeから徒歩すぐ。
開館:土曜・日曜10:00〜18:00(常設展)
住所:Prenzlauer Allee 227/228, 10405 Berlin
電話番号:030-902953917
URL:www.berlin.de/museum-pankow
プレリュード・コンサーツ
Prelude Concerts
パンコウ博物館の講堂で月に一度行われている室内楽のコンサートシリーズ。幅広い世代の聴衆に楽しんでもらえるよう、夜のコンサートのほか、毎回午後の時間帯にファミリーコンサートを用意している。下記のサイトからニュースレターを登録すると、次回のコンサートの情報が届くようになっている。