ジャパンダイジェスト

修道院とビール

ヨーロッパを旅すると、各地の修道院でビールとの出会いがあります。ワインはキリストの血ですが、ビールは聖書には登場しませんよね。なのに、なぜ神の家である修道院でビールが造られているのかご存知ですか?

ドイツ人の祖先であるゲルマン民族は、紀元1世紀にはすでに麦汁を発酵させて香草で味付けした原始的なビールを飲んでいました。ビールがキリスト教と結び付いたのは紀元8世紀のこと。西ヨーロッパ世界の政治的統一を果たしたフランク王国のカール大帝は、小さな部族の住民たちをキリスト教に改宗させ、支配拠点として各地に修道院を建設しました。そして、その修道院にビール醸造所が併設されていたのです。

修道院とビール
修道院で食べ物を生産する名残は、
ミュンヘン郊外にあるアンデックス修道院で
今でも見られます

カール大帝と言えば大のビール好きで、勝利の宴では豪快にビールを飲み、兵士たちから慕われていたという逸話が残っています。しかし、ビールが好きという理由だけで修道院に造らせていたわけではありません。この時代の生水は不衛生でしたが、水を煮沸して造るビールは安全な飲み物。大帝は、伝染病から命を守る神の恵みとしてビールを広めたのです。

修道院には皇帝やその使者が度々視察に来たり、さらには大勢の聖地への巡礼者や物乞いたちが一夜の宿と食事を求めて訪れたりしたので、次第に彼らをもてなすために大量のビールが造られるようになりました。修道院では敬虔な修道僧たちが神に祈りを捧げ、自給自足することが理想とされていたので、それ自体が1つの村のような複合施設だったと言えます。

当時の様子は、紀元9世紀頃にヨーロッパで大きな影響力を持っていたザンクトガーレン修道院(現スイス)の設計図から垣間見ることができます。

設計図上では、聖堂を囲むように宿泊所や医療施設、薬草園、野菜畑、家畜小屋が配置されています。ビール醸造の部屋は3つあり、それぞれの部屋で巡礼者や物乞いの施し用の薄いビール、修道士たちが普段飲むビール、賓客のための高品質ビールの3種類が造られていたようです。ビール醸造室の隣には、パンを造る部屋がありました。ビールもパンも、製造過程で酵母の作用が必要不可欠。酵母の存在が発見される以前から、この2つを近い場所で造ると失敗が減ることを経験から学んでいたのです。

修道院は各分野の専門家が集まったシンクタンクでもあり、ビールも研究の対象でした。味付けにホップを使うと上質なビールができることを発見したのも、修道女なのです。修道院ビールは当然、巷と一線を画すような高品質なものだったので、市民にも販売されるようになった途端に人気が沸騰。次第に高値で取り引きされるようになり、修道院の貴重な収入源となりました。

喉を潤す安全な飲み物としてキリスト教と共に広がったビールは、いつしか修道院の懐まで潤していたのですね。(お後がよろしいようで・・・・・・)

 
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