4月23日は、ドイツのビールに関する有名な法律「ビール純粋令(Reinheitsgebot)」が誕生した日です。「ビールの原料を大麦、ホップ、水に限定する」と定めたこの法律は、1516年にバイエルン王ヴィルヘルム4世によって制定されました。その目的は、「ビールの品質向上」と「不足しがちだった小麦とライ麦(パンの原料)の使用制限」でした。しかし、当時人気があった、小麦を使ったビールの醸造権を一部の貴族が独占することで収益を得ていたという裏話もあります。
以前、この連載でご紹介しましたが、15〜16世紀にかけてバイエルンのビールは混ぜ物が多く粗悪だったので、貴族達はこぞって北ドイツ産のビールを買っていました。1447年にミュンヘン市議会がビール純粋令と同様の法律を出しましたが、法的拘束力が弱かったため、悪質な醸造家を取り締まることができませんでした。1516年に純粋令がバイエルン公国議会を通過したことにより、違反した醸造家には厳罰が課せられるようになります。
しかし、長年ヴァイツェンビールを造り続けていたデーゲンベルク家にだけは小麦の使用が認められました。この一族はバイエルン随一の軍事力を誇っていたため、バイエルン王も彼らのご機嫌を損ねるわけにはいかなかったのです。その後約90年にわたり、同一族がヴァイツェンビールの醸造販売を独占しました。しかし、1602年に当主が世継ぎのないまま他界すると、バイエルン王マキシミリアン1世はここぞとばかりに独占権を取り上げ、自ら醸造販売を独占します。有り余るほどに莫大だった唯一公認のヴァイツェンビールの収益は、そのまま三十年戦争の軍資金に使われました。純粋令の副産物であるヴァイツェンビールの独占販売がいたずらに戦争を長引かせることになったとは、皮肉なものです。
修道院では、例外的に小麦を使った
ビールの醸造が許可されていました
ところで初期の純粋令には、発酵に不可欠な「酵母」の記載がありません。当時はまだ、麦汁をアルコールに変える酵母の存在が明らかになっていなかったためです。1551年の法改定で、「Hefe」が原料に追加されました。今でこそHefeは微生物である酵母と理解されていますが、当時はビールを造ったときに出る澱(おり)という意味で使われていたようです。19世紀にパスツールが、酵母が発酵に関わる存在であることを突き止めて純粋培養に成功する以前に、すでに法律に酵母が加えられていたとは驚きです。
政治の裏事情も見え隠れするビール純粋令ですが、当初の目的であった「ビールの品質向上」が達成されるには、さらなる歳月と努力が必要でした。1553年夏の醸造禁止令(冷蔵設備がなかった時代は暑さによって雑菌が繁殖しやすかったのです)や1589年の王立醸造所ホフブロイハウスの設立などを経て、現在の美味しいビールは完成しました。
ビールを美味しくするために法律を作ってしまうなんて、いかにも法律好きのドイツらしいですよね。
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