私は東西ドイツが統一する前から、ドイツと日本を行き来していましたが、あの頃のドイツは今よりずっと人々の生きるテンポがスローだったような気がします。大学生は、日本と違って6年間でも7年間でも在籍するのが普通で、中には30歳を過ぎても学生生活を謳歌している人も少なくなく、夜遅くまでワインやビールを片手に時事問題や学問論争をしていました。電車の遅れやスーパーのレジでの大行列は日常茶飯事。東京育ちの私は、このスローテンポになかなか馴染めなかったものの、それがかえって“ドイツらしい”と好ましく思っていました。
イラスト: © Maki Shimizu
21世紀に入った現在、ドイツの生活テンポはだんだんと速くなっているように感じます。そうした変化をドイツのマスコミは一時期「ストレス社会」と表現していました。ストレス社会という言葉は日本ではすでに使い古されたものかもしれませんが、マイペースだったドイツがついに国際社会の競争の波にあおられるようになり、それは教育分野でも例外ではありませんでした。
前回もお話しした、OECD(経済協力開発機構)による第1回目の学力テスト「PISA」の実施後、半日制だった学校が全日制に移行し始めました。全日制学校が多い隣国フランスを手本にしようと主張した専門家もいましたが、当時はまだ「我が国は半日制のままで良いのだ」という意見が目立っていました。国内の学校の多くは半日制で、「教育の基本は家庭にあり」がドイツの方針。子どもたちがあまりに長く学校で生活すれば、それだけ学校という組織が子どもの人格形成に影響してしまうため、それは避けるべきだというのです。さらにドイツでは昼食を家族で一緒に食べる習慣があり、私が住んでいた地方都市ではまだそれが大切に守られていました。旧東独地域では全日制保育などが充実していましたが、西側に住んでいた私たちの校長は「母親は家にいて子どものためにきちんと昼食の用意をすべきだ」と言って、働くママさんたちの反感を買っていました。そんなドイツが、PISAをきっかけに40億ユーロという国家予算を投じて教育改革に乗り出したのです。
この改革は急にやってきました。ある日、娘が学校から持参したプリントを読んで驚きました。『教育省の通達により、当学校は来年度から全日制になります』。
来年度の開始まであと3カ月。学校には食堂も給食もキオスクもない。生徒に昼食を食べさせずに、一体どうやって午後まで授業を受けさせるのか。多くの親が半分呆れながら学校へ真偽を問い合わせました。しかしそんな保護者の心配をよそに、そして校内の食堂増築工事が始まる前に、学校のカリキュラムは全日制へと移行されたのでした。
娘の学校では全日制導入当初は、「まだ移行中」ということで、毎日午後遅くまで授業があるわけではなく、週に2日だけ全日制という形で始まりました。午後に授業がある場合、生徒は昼食を食べに一度自宅へ戻り、1時間後に再び学校へ戻って授業を受ける。そんな状態が続いたのです。
イラスト: © Maki Shimizu
“急がれる教育改革”の実態は、現場が対応できないのに行政だけが先走り。まさにそんな印象です。大学生も「のんびり勉強しすぎだ!」と叱られ、無償だった授業料が有料化され(現在は徴収廃止の傾向も)、ドイツ独自のDiplomやMagisterといったシステムは廃止となり、欧州共通の学位体系や単位制などが導入され始めました。学力への危機感から国際競争力の強化に向けて、ドイツの教育現場は今、大きく変貌しています。
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