来年、ドイツは連邦議会選挙を控えているが、メルケル政権の一翼を担う社会民主党(SPD)で激しい内部抗争が起きている。そのきっかけを作ったのは、党首のクルト・ベック氏である。
1月末に行われたヘッセン州議会選挙ではSPDが勝利を収めたが、単独で政権を作れるだけの得票率は確保できなかったので、他党と連立しなくてはならない。ベック党首は、イプシランティ候補が連立政権を作る際に、必要ならば左派政党リンクスパルタイと協力してもよいと発言したのだ。つまり、SPDが社会主義者と手を組み、急激に左旋回することを容認したのである。この発言は、SPDの保守派だけでなく、中央政界でSPDと大連立政権を組んでいるメルケル首相にとっても、驚きだった。
今回ヘッセンだけでなく、ニーダーザクセンとハンブルクでも初の州議会入りを果たしたリンクスパルタイの母体は、統一前の東ドイツで独裁的な権力を握っていたドイツ社会主義統一党(SED)の後身、社会主義民主党(PDS)である。旧東ドイツでは30%の支持率を持っているが、最近は旧西ドイツでも社会保障の削減などに不満を持つ人の支持を急速に集め、10%近い有権者が共感を抱いている。特に、シュレーダー政権の保守的な政策を批判して、SPDを脱党したオスカー・ラフォンテーヌ氏らの左派政治家が加わったことで、同党の人気はがぜん高まった。
逆に、SPDに対する支持率はジリ貧傾向にある。このためベック党首は、「ハルツIV」に象徴されるシュレーダー前首相の「弱者切り捨て路線」に背を向け始めている。彼が旧西ドイツでも左派政党との連立を容認したのは、庶民の意識が左傾化するなか、SPDも政策を修正しなければ、来年の選挙で惨敗する恐れがあるという危機感を持っているからだ。そのためには、ミュンテフェリング氏のような大物を切り捨てることも辞さなかった。
まだシュレーダー氏が首相だったころ、連邦首相府で開かれた懇談会で私は同氏と話をしたことがあるが、「伝統的なSPDの政治家というよりは、企業の社長みたいな人だなあ」という印象を持った。実際、彼が実行した法人税の引き下げや社会保障サービスの削減によって、市民の負担は増えたが、企業の業績は大幅に改善しつつある。「ドイツ病」を治して国際競争力を高めることを目的とした彼の政策は、財界からは大歓迎されたが、労働組合など伝統的なSPDの支持基盤からは総スカンを食った。
ベック党首がSPDのトップとなったいま、シュレーダー時代に大きく右に寄っていた振り子が、左に大きく振れようとしているのだ。だが、リンクスパルタイとの協力を、すんなりと受け入れられない人も多い。1946年、ソ連が占領していたベルリン東部で、スターリンに操られていたドイツ共産党はSPDを強制的に併合し、SEDを作ったからだ。その際にSPD党員の意見はまったく聞かれず、ソ連に批判的なSPD党員は追放された。この現代史の暗い1ページは、リンクスパルタイにとって重荷である。そうした党との協力は、SPDにとって大変デリケートな問題であり、慎重な舵取りが必要とされるだろう。
14 März 2008 Nr. 705