今年7月から、ドイツの2000万人の年金生活者が受け取る年金が1.1%引き上げられることが決まった。年金額はここ数年据え置きされてきたので、物価上昇率を考えると、実質減らされてきた。年金生活者たちにとってはグッド・ニュースだが、社会全体の視点で長期的に考えると手放しでは喜べない。
旧西ドイツは、高福祉国家として充実した公的年金制度を持っていた。しかし統一によって旧東ドイツの市民を受け入れた上、高齢化と少子化が急速に進んでいることから、このままの状態では破綻することが目に見えていた。このため前のシュレーダー政権は、年金制度が創設されて以来、最も抜本的な改革を行った。端的に言えば、公的年金の大幅な削減が始まったのである。
具体的には、保険料を払い込む人口が減ると支給額の伸びにブレーキがかかるように、年金の計算方法を変更した。また年金の受給開始年齢も、65歳から67歳に引き上げられた。
シュレーダー改革は「ドイツ企業の国際競争力向上につながる」として、財界からは大歓迎された。しかし、労働組合や市民の間では不評だった。社会民主党(SPD)への支持率が急落し、社会主義政党であるリンクス・パルタイがヘッセンやハンブルクでの地方議会選挙で大幅に得票率を伸ばした背景には、市民が社会保障改革に強い不満を抱いているという事実がある。リンクス・パルタイは、特に高齢者の間で着実に支持者を増やしている。
今回の年金引き上げは、来年の連邦議会選挙で得票率が大幅に下がることを恐れた、キリスト教民主・社会同盟(CDU/CSU)の一部の政治家の強い要望に基づく。メルケル首相自身は、シュレーダー氏が始めた改革を続行することを基本路線にしているので、年金引き上げに批判的だったが、党内で亀裂が拡大することを恐れてしぶしぶ首を縦に振った。9月にバイエルン州議会選挙で得票率が下がることを危惧しているCSU内では、所得税減税を提案する声も強まっている。これもまた選挙対策にほかならない。
確かに現在、連邦政府の財政状態は数年前に比べて改善しつつある。その利益を市民に還元するべきだという意見も理解できる。しかし、シュレーダー改革の狙いは公的年金制度を長期的に安定させることにある。本来は財政状態が良い時に、将来に備えて蓄えを行うのが筋であろう。そう考えると、有権者を喜ばせるために一時的に年金を引き上げるというのは正しい政策だろうか。シュレーダー改革による年金の大幅カットで将来最も皺寄せを受けるのは、現在30代から50代の働き盛りの世代なのである。
今回の決定は、公的年金が選挙の道具として利用されつつあることをはっきり示しており、CDUなど与党が来年の選挙についていかに悲観的な見通しを抱いているかを浮き彫りにしたと言えるだろう。
30 Mai 2008 Nr. 716