6. オペラの誕生3
夕靄のヴェニス
前回の最後に触れた、メディチ家の結婚式でオペラなるものが上演されたお話から始めましょう。マリア・デ・メディチの結婚式は、フィレンツェのピッティ宮殿で華やかに営まれました。披露宴のメインイベントとして、作曲家ペリとカッチーニの共作によるオペラ2作目「エウリディーチェ」が上演されます。
この結婚式には、メディチ家から王妃が嫁ぎ、当時のイタリアに存在した国家マントヴァを支配したマントヴァ候のゴンザーガ伯爵も招待されていました。どの文献を探しても記載がないため、私の想像の域を出ませんが、恐らく当時のマントヴァ公国の宮廷楽長モンテヴェルディも同行し、この上演を観ているはずです。
そこで、この出し物をすっかり気に入ってしまったゴンザーガ伯爵は、お抱え楽長のモンテヴェルディに作品の制作を依頼します。そして生まれたのが、本連載第4回(984号、2014年8月15日発行)でご紹介した「オルフェオとエウリディーチェ」。現在、我々が観ることのできる最古のオペラです。
あくまでもギリシア劇を再現したつもりのカメラータ(文芸グループ)ですから、題材は当然ながらギリシア劇が基になっていますが、この目新しい出し物は瞬く間に評判となり、イタリア中に広まっていきました。そしてそこでは、各町の嗜好をも反映されます。カトリック教会が多いローマでは合唱が、青い空や海が美しいナポリでは歌が、そして音楽教育のレベルが高かったヴェネツィアでは器楽合奏が発展していきます。モンテヴェルディも後年はサン・マルコ寺院の楽長としてヴェネツィアへ移り住み、ヴィヴァルディをはじめ、多くの作曲家に影響を与えました。そして、時代はいよいよバロック(「いびつな真珠」の意)へと移ります。
17世紀末には、それ程大きくないヴェネツィアの町に15ものオペラ・ハウスが建設されたと伝えられています。いくら娯楽が少なかった時代とはいえ、驚きの数字です。市民の力が強かったヴェネツィアでは、彼らが自ら営む劇場として、チケットさえ買えば誰でも観ることができる今日の観劇スタイルが生み出されました。
そして、このイタリアでのオペラの評判は、アルプスを越えてザルツブルクやウィーン、ミュンヘンへと広まっていくのです。