原発施設から軍事飛行場までドイツの廃墟×再利用=最高の遊び場!
古いものを大切にするといわれるドイツ人。建築の分野においても、歴史的建造物が今も数多く残されているだけでなく、例えば元防空壕やビール工場をアートギャラリーに、元空港や工場を市民公園になど、古い建築物や廃施設を再利用することで魅力的な街づくりを行っている。本特集では、そんな一度は廃れてしまったり、負の歴史を背負ってしまったりした場所が、多くの人を楽しませるユニークな場所へと変貌を遂げた例をご紹介する。かつての姿に思いをはせつつ、最高の遊び場へと出かけよう! (文: ドイツ・ニュースダイジェスト編集部)
目次
建物を魅力的に再生する「コンバージョン」って?
「コンバージョン」(転換などの意味)とは、建築の分野では建物の用途を変更して再利用することを指す。すでにある施設を解体して新しい施設を建てるよりもコストがかからず、環境への負荷も少ないため、サステナブルの観点からも注目されている。古い建物の個性を生かした魅力的なデザインが可能なだけでなく、その場所が持つ歴史や記憶を保存するという意味でも重要な都市再生の手法だ。
ドイツ各都市には「コンバージョン」によって生まれ変わった場所が数多く存在するが、特に東西再統一後インフラ再編が行われたベルリンでは、コンバージョンによって多くの建物を再生。ベルリンからハンブルク方面へ向かう長距離列車駅を現代美術館にした「ハンブルク駅現代美術館」(1996年開館)をはじめ、旧東ドイツの発電所をクラブに改造し、今やテクノ音楽の聖地と呼ばれる「ベルクハイン」(2004年開業)、ナチスが建設した空港跡地を利用した広大な「テンペルホーフ公園」(2008年オープン)など、その街の記憶を残しつつ、新たな文化拠点や市民の憩いの場を生み出している。 参考:www.bsmf.de「KONVERSION」、コア東京Web「世界コンバージョン建築巡り」
テンペルホーフ公園の滑走路跡は、開放的な雰囲気が魅力
ハンブルク駅現代美術館の広大なエントランスホール。ダイナミックなインスタレーション作品が引き立つ
原発施設から夢の国へWunderland Kalkar ワンダーランド・カルカー
ライン川沿いに位置するワンダーランド・カルカーは、年間約60万人が訪れるドイツ屈指の人気テーマパークだ。もとは第二次世界大戦後、原子力発所に建設された高速増殖炉。しかし、 1986年のチェルノブイリ原発事故をきっかけに反対運動の波が高まり、あとは核燃料を運び込むだけというところでカルカー高速増殖炉も廃止になった。その後、オランダの実業家がこの地を買い取り、2005年に遊園地を含む大型テーマパークとして開業。パークを訪れた人が元気になるようにと、「エナジー・ファクトリー」というコンセプトを掲げている。入場料さえ支払えば、アトラクションも乗り放題で、フライドポテトやアイスクリーム、ドリンクなども食べ飲み放題。
パーク中央にそびえ立つ旧冷却塔をはじめ、かつての原発施設の名残も散見される。もしここが予定通り原発施設として稼働していたら、ドイツが脱原発を達成させる今年、誰も足を踏み入れることなくその終わりを迎えていただろう。そう考えると、ここは多くの人の笑顔を生む場所に生まれ変わった、まさに奇跡のワンダーランドなのだ。
「夢の国」に残る原発の残像
ケルニーくんとケルナちゃん
遊園地のマスコットキャラクターである、ケルニーくんとケルナちゃん。ドイツ語で「核」を意味する二人の名前は、ここがかつて原子力発電所であったことを物語っている。二人は2012年8月12日に結婚し、パークの真ん中にあるスカイブルーの家で仲良く暮らしている。ケルニーくんの趣味はパーク内を延々と散歩することなので、パーク内で出会えるかも?
旧冷却塔のクライミング&空中ブランコ
直径約40メートル、高さ約58メートルの旧冷却塔は、ワンダーランド・カルカーのシンボルでもある。外壁には雪山の絵がぐるりと一周描かれており、こちらではロッククライミングができる。また冷却塔の中は、高さ50メートル以上まで上昇する空中ブランコ。スリルを味わいながら周囲のパノラマを楽しめる。
ブリューターミュージアム
パーク内にあるブリューターミュージアムは、高速増殖炉や原子力によるエネルギーの生成について学ぶことができる展示施設。展示内容は、当時の原子力発電所の建設員たちによって企画された。館内には原子力発電所だった時の写真や実際の機械などが残されており、1980年代の建設当時の様子をうかがい知ることができる。
Wunderland Kalkar
Griether Str. 110-120, 47546 Kalkar
www.wunderlandkalkar.eu
ナチスが残した幻のリゾートProra プローラ
ドイツの人気避暑地リューゲン島には、「プローラの巨人」と呼ばれる巨大な建築群が残されている。かつてナチス・ドイツの指導者アドルフ・ヒトラーが、約2万人の国民が余暇を過ごすことができるようにと構想したもので、1棟につき500メートルの長さのビルが八つ連なっており、全長約4キロにも及ぶ。 1936年に建設が始まったが、1939年には第二次世界大戦の勃発によって中止に。戦後は旧東ドイツの軍事施設としても使われたが、東西再統一後は長らく手つかずの状態になった。近年いくつかの棟の売却が進み、2011年にはベット数約400のユースホステル、2016年には複合リゾート施設が誕生して人気を博している。ヒトラーが1930年代に描いた保養地の夢は、期せずして現実となった。
一方で、近年のプローラの急速なリゾート化を受け、プローラの歴史を通してナチスの過去を保存することがますます課題に。2000年に設立されたドキュメンテーションセンター・プローラをはじめとする資料館では、ナチスがプローラを建設した歴史や政治的背景などについて、展示や教育プログラムなどを実施している。
Prora
Prora, 18609 Binz
www.ruegen.de/ueber-ruegen/inselorte/seebad-prora
元飛行場に生まれた常夏の楽園Tropical Islands トロピカルアイランド
近未来的な巨大ドームの中に広がる熱帯雨林、そしてプールとウォータースライダー……いつ訪れても南国気分に浸ることができる、まさに地上の楽園がベルリン近郊にあるのをご存知だろうか? この敷地一帯はもともと1938年にドイツ空軍の飛行場となり、1945年の第二次世界大戦末期にはドイツ国防軍の最前線部隊によって使用された。戦後はソ連によって占拠され、その後も旧東ドイツ政府が軍事飛行場として利用。東西再統一後には民間企業がこの土地を引き継ぎ、その時に建設されたのがこの巨大な飛行機の格納ドームだった。しかし2002年に同企業が破産すると、マレーシアの民間企業が敷地を購入して再開発を行い、2004年にトロピカルアイランドとしてオープンした。
インパクトがある見た目に劣らず、砂浜のあるプールをはじめ、サウナやスパ、ウォータースポーツやパターゴルフ、気球(!)などのアミューズメントも充実。屋内外にテントやロッジなどの宿泊施設があるほか、夏には屋外プールやビーチバレーなども楽しむことができる。
Tropical Islands
Tropical-Islands-Allee 1, 15910 Krausnick
www.tropical-islands.de
工業汚染を乗り越えた市民公園Landschaftspark Duisburg-Nord
ラントシャフツパーク・ デュイスブルク=ノルド
ルール地方に残る工業遺産といえば、エッセン市にあるツォルフェラインが有名だが、その近郊都市であるデュイスブルク北部にも、製鉄所跡地を公園として再生した場所がある。デュイスブルクはルール地方における物流拠点として栄えたが、戦後の産業構造の大転換によって経済が衰退。その流れでこの製鉄所も1985年に操業を停止し、その後は土壌や周辺の環境が汚染されたまま放置されていた。疲弊したルール地方の都市を再生するプロジェクトが1989年から開始され、その一つとして生まれたのがラントシャフツパークだ。
再生計画では、この溶鉱炉で働いていた人たちが自分の子どもや孫を連れてきた時に、自分がここで何をしていたのか、この場所がどんな意味を持っていたかを説明できるようにと、製鉄所の建築物を保存することを重視したという。周辺環境の改善を行いつつ、燃料庫は庭園に、ガスタンクはスキューバダイビング用のプールに、コンクリートの壁面はロッククライミングの練習場に、製鉄所は劇場へと転用。壮大なスケールの溶鉱炉跡地を体感しながら、リラックスした時間を過ごせる場所となっている。
Landschaftspark Duisburg-Nord
Emscherstr. 71, 47137 Duisburg
www.landschaftspark.de
2022年ついに一部オープン予定!シュプレーパーク再生の舞台裏
ベルリンのトレプトウ地区にかつて存在した遊園地「シュプレーパーク」。2001年に閉園して以来、手付かずの状態となっていたが、このたび再生計画を経て2022年に再オープンを予定している。この事業を担当するGrün Berlin GmbHのプレス担当のカリナ・ティニウスさんに、その舞台裏を聞いた。
眠りについた遊園地が動き出すまで
1969年、旧東ドイツ唯一の遊園地として開園された「カルチャーパーク・プレンターヴァルト」。東西再統一後は「シュプレーパーク」として西独出身者によって経営されたが、2001年に借金苦によって倒産した。それ以降、たまに園内ツアーが行われるものの、放置されたアトラクションや敷地は荒れ果てたまま。そんなシュプレーパークが2014年、再生に向けて動き出した。
大観覧車もアトラクションとして稼働予定
「2014年2月にベルリン州政府がシュプレーパークを前所有者から買い取り、その後2016年から私たちGrün Berin GmbHが再生事業を担当しています。プランナー、建築家、アーティストと協働し、また市民参加によるアイデアや提案をもとに、新しいシュプレーパークの構想を練ってきました」と語るのは、同社のプレス担当であるティニウスさん。Grün Berlin GmbHはベルリン市の公営企業であり、気候保護や経済的な発展、社会的な結束を促進し、ベルリンを持続可能で住みやすい都市にすることを使命としている。これまでにテンペルホーフ公園をはじめとするさまざまな場所で、その土地の歴史や環境を生かした公共空間やインフラをつくってきた。
コンセプトは「アート・カルチャー・自然の融合」
未来のシュプレーパークが目指すのは、芸術・文化・自然が調和し、この地域固有の歴史が息付く、全ての市民のための緑豊かな公共スペース。遊園地だった時に使われていた乗り物や建物の大部分は保存され、芸術的・建築的な再解釈のもと、新たな用途で利用できるようになるという。
元ジェットコースターは散策道に
「例えば元ジェットコースターのSpree Blitzは、レールを歩きながら敷地内を散策できる道に、元レーシングサーキットのMonte Carlo Drivは、目の錯覚を利用したアート散歩コースになる予定。また1969年に建てられた、敷地面積1800平方メートルのレストランMERO-Halleは、オープンエアーのギャラリーとステージに生まれ変わります」。総工費は約7200万ユーロに上り、ベルリン州や連邦政府をはじめとする資金によって賄われている。
完全オープンは2026年を予定
そして2022年末から、シュプレーパークの段階的なオープンを予定。その第一弾となるのが、歴史あるレストランのEierhäuschenだ。ここは19世紀に建てられ、パークに編入されてからも観光名所として親しまれていたが、パークの閉鎖に伴い朽ち果ててしまっていた。「そんな歴史的背景も踏まえ、Eierhäuschenは、地域のサステナブルで手頃な価格の料理とビアガーデンを楽しめる水辺のレストランとしてよみがえります。さらに、アーティストが宿泊しながら作品制作・発表をできるレジデンスとしても使用します」。
Eierhäuschen周辺エリアの完成イメージ
Eierhänschenは今年末にプレビューイベントの一環としてお披露目され、 2023年から通常営業を開始する。さらに2024年には大観覧車周辺のメインエリア、2026年には完全オープンを目指す。オープンのあかつきには、新生シュプレーパークを体験しに、ぜひ訪れてみてはいかがだろうか。
Kiehnwerderallee 1-3,12437 Berlin
www.spreepark.berlin