ソチ冬季五輪が開催される2014年が明けた。そこで新春号では、同五輪での活躍が期待される欧州各国の注目選手へのインタビューを実施。ドイツからは、国内の大会でデビュー当初から抜きん出た才能を発揮して「ドイツ・バイアスロン界のホープ」と評され、その期待に応え続けてきたアンドレアス・ビルンバッハー選手。この競技に全身全霊を捧げ、今やベテランの域に達しつつある彼にとって唯一欠けているもの、それが五輪での勝利だ。自身のスポーツキャリアにおいて大一番となる大会を前にした同選手に、心の内を聞いた。
1981年9月11日、バイエルン州プリーン・アム・キームゼー生まれ。12歳のときにバイアスロンを始め、2000、01年 のジュニア世界選手権でメダルを量産して一躍注目を集め、02年に同州スポーツ賞の「次世代優秀選手」に選ばれる。国内では02年のリレーでの優勝を皮切りに、現在までに金24個、銀5個、銅4個の驚異的な記録を樹立している。世界選手権デビューは07年のラズン・アンテルセルヴァ(イタリア)大会。マススタートで銀を獲得した。五輪は、10年バンクーバー大会のマススタート15位が最高と振るわず、ソチ大会には並々ならぬ気合いで挑む。所属クラブはSCシュレッヒング。
www.andi-birnbacher.de
「射撃と滑走という相反する行為が、
僕を魅了してやみません」
ジュニア時代から世界の舞台で金メダルを総なめにしてきました。ドイツ代表として表彰台のトップに立つときの気分は。
表彰台では、ただひたすら喜びに浸ります。でも、ドイツ代表として大会に出場することに関して栄誉だとか、逆にプレッシャーだとかを感じたことはほとんどありません。僕は根っからのバイアスロン選手。このスポーツを心から愛していて、楽しいからやっているだけです。ですから、どの勝利も自分にとっては特別なもので、どの表彰台も、そこに立つためにしてきた努力、味わってきた苦難が報われた証しだと思うと、感極まるものがあります。
バイアスロンとの出会いについて教えてください。
僕の地元はウィンタースポーツが盛んな地域で、子どもの頃からスポーツは常に身近な存在でした。そのような環境下でスポーツに明け暮れていた当時、父の紹介で、アルベールビル冬季五輪のバイアスロン金メダリスト、フリッツ・フィッシャーと出会いました。彼と僕の父は、共に連邦軍に所属していた仲間でした。そのフィッシャー氏に勧められて地元バイエルン州のルーポルディングという町で体験レッスンを受けたのが最初です。そこでこの競技に魅了されて以来、今まで続けているというわけです。フィッシャー氏は、当初から現在までずっと僕のトレーナーをしてくれています。
また、家族をはじめ周囲の人々が僕を支えてくれたことも、この道に進んだ理由の1つ。バイアスロンは、僕が人生において全情熱を注いでいるものです。
あなたにとって、バイアスロンの最大の魅力とは。
クロスカントリー(滑走)と射撃という、性質的に相反する2種目のコンビネーションでしょうか。滑走で求められるのは高い持久力。そして次の瞬間に行われる射撃では、極限の集中力が求められます。滑走で激しく体を動かした直後に、精神の静寂を見いださなければならないのです。滑ることと撃つことは、互いに対照的な行為であり、その分、この競技の難易度を高めています。これが僕を魅了してやみません。
手本としている選手はいますか。
ノルウェーのオーレ・アイナル・ビョルンダーレン選手です。彼は2002年のソルトレイクシティ冬季五輪で史上初の4種目(スプリント、個人、パシュート、4リレー)制覇という輝かしい成績を残しただけでなく、とても気さくで心が温かく、優れた人格の持ち主なのです。まさに僕が、こうありたいと願っている理想像です。
日本にも、永井順二選手や猪股和也選手、井佐英徳選手など、熱心な選手がそろっていますよね。言葉の壁があり、彼らと直接話したことはありませんが、皆優しくて優秀な選手というイメージがあります。
2012年12月、W杯のオーストリア大会10kmスプリントで優勝したビルンバッハー選手(中央)。
2位はフランスのマルタン・フールカデ選手(左)、
3位はスロヴェニアのヤコブ・ファク選手(右)
「これといった弱点がないことこそが、自分の強み」
選手生活の中で、最も大変なことは何ですか。
一番過酷なのは、シーズンを通して続く大会を乗り切ることです。1つの大会が終わって、ひと息つく間もないのですよ。体を休めて「さあ、次へ!」と気持ちを切り替える時間が許されない。だからこそ、夏の間の体力作りがものをいう世界なのです。
基礎トレーニングではサイクリングやジョギング、人工ゲレンデでのトレーニング、水泳、カヤック、山登りなどをします。これらを退屈だと思ったことは一度もありません。もちろん、きつい練習ですから「絶対に投げ出さない」というのは簡単ではありませんが、僕の場合、家族がいつもモチベーションを与えてくれています。両親と妻、そして生まれたばかりの長男が、可能な限りトレーニングや大会に付いて来て、間近で僕を応援してくれるのです。
ご自身の強みや弱点をどう分析されていますか。
自分としては、これといった弱点がないことこそが強みだと考えています。トレーナーやほかの選手仲間がどう考えているかは分かりませんが(笑)。どんな課題でも、割と難なくこなせる自信があります。だからこそ、複合的な能力を要求されるバイアスロンで好成績を出せるのだと思っています。
ただ、滑走ではどうあがいても勝てない選手がいます。近年、世界大会で上位に食い込んできているフランスのマルタン・フールカデやノルウェーのエミル=ヘグレ・スヴェンセンなど、僕がライバル視している選手たちです。そこで巻き返しの鍵となるのが射撃。今はそのトレーニングに、特に重点を置いています。しかし射撃は、自分が100%のコンディションで挑んでも、霧や風、雨、雪など、当日の天候に大きく左右され、それが常に自分に味方してくれるとは限らないのが難しいところです。
思うような結果が出せなかったとき、それをどのように克服していますか。
僕は、悪かった結果を省みて長々と分析し、思い悩むようなことはしません。それよりも、ひたすら先を見て、改善すべき点について考えるようにしています。
スポーツとは、常に「転んでは起き上がり、また挑戦する」という行為の繰り返しです。もちろん、失敗して落胆することはざらにあります。しかし、このような苦い経験こそが、スポーツ選手にとって、次の機会にポジティブな結果を生むために必要なことなのではないでしょうか。僕自身は、フィジカル面を鍛えることのほか、目的意識、向上心を持ち、そして自分自身を励まし続けることを心掛けています。シーズンの目標を定めたら、エネルギーとモチベーションは自ずと付いてきます。例えば、僕は今季の目標をワールドカップ(W杯)総合3位以内と決めています。今すべきことは、目標達成に向けて努力を重ねるのみ。そうして日々、気持ちを高めています。
13年2月、同チェコ大会4x7.5kmリレーのクロスカントリー。手前がビルンバッハー選手。
ドイツ・チームはこの大会で3位に入った
「目の前の課題に集中し、
極めることを全身で楽しんでいます」
五輪で勝つために心掛けていることは何ですか。
世界トップレベルの大会では、選手たちの技術や運動能力はほぼ互角です。では、何が勝敗を分けるのかというと、先に述べたように当日の天気、自身のコンディション、そして何より精神力です。ごく些細なミスが命取りになるだけに、競技中の失敗は決して許されません。そこで僕は、射撃では不命中ゼロ、滑走ではトップを行く選手が100%だとしたら、そこから1ないし2%以上の差を付けて滑らないことを必須条件として自身に課しています。
それを満たすために必要なのは、勝つために計算し尽くされた1日6~8時間のトレーニング・プログラムをきちんとこなすこと。規律や秩序、正確さというのはスポーツ選手に限らず、ドイツ人が得意とするところです。目の前の課題に集中し、自分が100%納得できるまで繰り返し、極める。これを全身で楽しみながらやっています。
今は現役生活の真っただ中ではありますが、すでに引退後の在り方について考えていますか。
引退後はバイアスロンに限らず、次世代のスポーツ選手の育成に全力を注ぎたいと思っています。バイアスロンはドイツで根強い人気を誇るスポーツなので、若い世代がどんどん育っています。例えば、僕の姪のマリーナ・シュタードラーもその1人。それから、この競技ではないですが、カヤックのトビアス・カーグル選手にも注目していて、すでにトレーニングに付き添うなど、可能な範囲で支援しています。
多数の若手選手の中から世界の舞台で闘えるごく一握りの優秀な才能を見いだすのは、非常に難しいことです。そこで、自分がトレーナーとなってその手伝いをしたいのです。競技に必要な技術を教えるだけでなく、精神的な面でも若者を鼓舞していきたいと思います。
メディアで「ミスター・マススタート」と評されるほど、この種目が得意だそうですね。やはり、読者にとっても同種目が見どころとなりそうですか。
そうですね。得意な種目はマススタートと追い抜きですが、基本的に全種目が好きで、ソチでも個人、団体共に全種目に出場する予定です。五輪では、とにかくベストを尽くし、勝ちに行きます! ですので皆さん、ぜひ見ていてください。僕にとって観客の応援はとても励みになりますし、それが良い結果をもたらしてくれます。バイアスロンは、ルールをよく知らなくても見て楽しめる競技です。滑走と射撃が織り成すスリリングな展開には、初めて見る方もきっと魅了され、最後まで目が離せないはずです!
バイアスロン Biathlon
クロスカントリースキーとライフル射撃を組み合わせた複合競技。スキーで山中を駆け回り、獲物を撃っていた北欧の冬の狩猟に端を発し、18世紀後半には当地で軍人の戦闘技術として用いられるようになったことが、競技の原型とされる。
冬季五輪競技に加わったのは、男子が1960年のスコーバレー(米国)大会、女子は92年のアルベールビル(フランス)大会から。
五輪実施種目は、個人、リレー、スプリント、複合、マススタートの5種目で、大きな相違はクロスカントリーの距離、そして射撃の数(2回もしくは4回)と予備弾使用の有無。また、個人とスプリントでは1人ずつスタートする一方、その他の種目では全選手が一斉にスタートするという違いもある。