VfBシュトゥットガルトから
1. FSVマインツ05に移籍し、
輝かしい活躍でブンデスリーガに
改めてその名を轟かせている岡崎選手と
4年ぶりに再会した。
弾ける笑顔の裏にある苦悩と、ゴールへの渇望。
今、乗りに乗っているストライカーから、胸に抱く想いを聞いた。
(編集部:高橋 萌)
2013/14シーズン最終節のハンブルク戦で15得点目を決め、喜びを爆発させる岡崎選手
Shinji Okazaki
1986年、兵庫県宝塚市生まれ。小学2年生の頃からサッカーを始め、サッカーの強豪として知られる滝川第二高校に入学。3年連続で全国大会出場を果たす。2005年、高校卒業と同時に清水エスパルスに入団。2008年からは日本代表に選ばれ、2015年3月末までに91試合に出場し、通算43得点を決めている。2011年AFCアジアカップで優勝。その直後、同年1月に渡独し、VfBシュトゥットガルトに移籍。2013年から1.FSVマインツ05に所属。人口20万人、小さくも歴史ある古都マインツに本拠地を置いて110年。カーニバルに情熱を燃やすこの町の人に愛され続けてきたサッカークラブは、創立100年の年に初めてブンデスリーガ1部に昇格した遅咲きの老舗クラブだ。ホームスタジアムは、2011年に完成した約3万4000人を収容するコファス・アレーナ。四方を農地に囲まれた平地に突如現れる、スタジアムの鮮やかな赤が遠目からもよく分かる。
今回、取材のために訪れたのは、ブルッフヴェークシュタディオン。コファス・アレーナができる前はこちらがホームスタジアムだったが、老朽化を理由に使われなくなった。その裏に練習場はある。ビッグクラブと言われるチームに比べると、環境が整っているとは言い難いかもしれない。
平日の午前中、熱心なサポーターに見守られながら行われた練習では、監督やコーチから細かい指示が飛び交う。「監督が代わってから、よく声が出るようになったよ」とは、マインツ・サポーターの言葉。2月17日にカスパー・ヒュルマンド氏が解任され、マルティン・シュミット氏が監督に就任。その体制下での初勝利、しかもこれがフランクフルトとのダービー戦だったというおまけ付きで、明るい雰囲気に包まれていた。この大きな変化を岡崎選手はどう受け止めたのだろうか。
シュミット監督については、そうですね。面白い監督だと思います。トーマス(トゥヘル監督)がいた頃は、キャンプ中の息抜きみたいなときに皆の前に出て歌ったり、そういう盛り上げ役のようなことをしていた姿も見ているし。そもそもトーマスが連れて来た人なので、似ている部分もいっぱいありますよ。厳しいところは厳しく言うし、ミスに対する指摘も鋭い。そういう意味では、前が静かな監督(ヒュルマンド氏)だったので、まただいぶ違うタイプ。チームの雰囲気も変わったと思います。
逃げじゃなく、負けを認めて、次の場所でリベンジ
シュトゥットガルトからマインツに移籍したのが2013年のこと。岡崎選手の獲得を熱望したのが、次期ドイツ代表監督との呼び声も高い知将トーマス・トゥヘル監督(当時)だった。岡崎選手が実際に移籍を決意するまでには、やはり葛藤があったと言う。
シュトゥットガルトでは、移籍するだいぶ前から出場機会が減っていたんです。でも、監督(当時:ブルーノ・ラッバディア)からは期待されていると思っていたし、自分もこのチームの状況(降格争い)ではほかのチームに移りたくないなという思いがあって……。あと、試合に出られないから移籍するっていうのは、自分の中では嫌だったんです。逃げているみたいで。ただ、求められていることが本当にいっぱいあって、その中で自分が本当に求められている部分が分からなくなった。やっぱり自分は、ここにいてもきついなと、最終的に判断したのは最後の2、3試合でした。代理人に移籍の相談をすると、ちょうどマインツが獲ってくれるということだったので、決めました。
前回のインタビューでも、「自分がしっかり守備に返ってあげて、そこから攻撃に移る」必要があると話していた。得点しなくても、監督にバランスを取ったプレーを評価されるとも。しかし、その監督の評価の軸がぶれたと感じた。
自分はどちらかというと、監督に求められていることをするタイプの選手だと思っていて、監督さえ自分を理解してくれていたら、移籍せずにとことんチームのためにやれるっていう思いはあったんです。
ただ、自分が今、一番欲しいものは何だ? と自問したとき、やっぱり点が欲しい! そのために、環境を変えたいという思いが強くなりました。逃げじゃなくて、負けを認めて次に進む。次の場所で絶対にリベンジしてやるっていう思いで、移籍しました。
ブンデスリーガ日本人最多得点記録を更新!
岡崎選手の持ち味として、その献身的なプレーと運動量が挙げられる。シュトゥットガルト時代は、そこに多くを求められていた。しかし、マインツが求めたのは岡崎選手のゴールへの嗅覚。「彼は本物のFWだと思う」、そう評価し、トゥヘル監督は岡崎選手をワントップに起用した。移籍直後の2013/14シーズンは、振り返ってみれば1シーズンで15得点と、ブンデスリーガ日本人最多得点記録を更新していた。
マインツに来てからはもう得点だけを求め、そこにこだわろうという思いが、結果に繋がりました。「お前に求めるのはゴールだけだ」と、トゥヘル監督が言い続けてくれたことも大きいです。ただ、シュトゥットガルト時代の癖というか、いろんなことが見えてしまって、思い切ってゴールまで行けなかったり、チャンスが来たときに外してしまったり。移籍直後、10試合で1得点だけという時期は、そういう悩みをまだ引きずっていました。すでに練習のときから、何となく点が取れない雰囲気があって、自分の中でそういう感覚があるときは、やっぱり点が決まらない。
FWなら、とことんゴールを目指さなければいけない。そんな風に意識を切り替えてから、自分自身は変われたように思います。もっと自分らしくプレーしようと。また、海外に出てきて初めてワントップに立たされたことで、清水エスパルス時代のFWの感覚を取り戻しつつあることも感じていました。その後は、ゴールを決めることで、自信を取り戻していきました。
(ブンデスリーガ日本人最多得点記録の更新については)やっぱり、何も残せずに日本に帰るのは嫌ですし、年齢的にも残された時間は少ない。何より一番大きいのは、記録という確かなものを得て、海外でやっていけるという自信を持てたということですね。簡単なゴールばかりではなく、自分の中で感覚を研ぎ澄ましてこそ、決めることができたゴールも味わってきました。日本でも1シーズン14得点が自分の最高記録だったので、その記録をドイツで更新できたというのも、分からないものですね(笑)。
ゴールが選手にとって自信の源であることを知る岡崎選手が、粋なプレーでサッカーファンを魅了したのが3月31日の国際親善試合JALチャレンジカップ。この試合で、ウズベキスタン代表と対戦した日本代表のFWとして岡崎選手も出場し、5-0で快勝した試合の2点目をダイビングヘッドで決めた。そして3点目、柴崎岳選手が放った超ロングシュートをゴール前にいた岡崎選手はあえて触らずに守った。「自分もそうだけど、ゴールを決めるか、決めないかがバロメーターになる。次のモチベーションになればと思った」と。
満足しない、コンプレックスを抱えて前へ
2014年のワールドカップ・ブラジル大会(W杯)、そして今年のアジアカップ、目標にしていた舞台では期待した結果が得られなかった。
W杯もアジア杯も、ものすごく意気込んで行ったのに結果を残せず、本当に消化不良というか、どれだけこちらが意気込んだからといって、結果がついて来るわけじゃない。それなら、真剣にというのとは逆に、もっと気楽に臨んだ方が良いのかもしれません。もちろん、気合いを入れ、気持ちを出すというのは自分の持ち味でもあるので、それはそのままで。だけど、得られた結果に対してイライラしない方が良いんです。負けを受け入れ、すぐに消化して、次に向かっていくことが大切だから。
今期も第28節終了時点で10得点を決め、2季連続で2桁得点を記録。ブンデスリーガに移籍してからは通算記録を35ゴールに伸ばし、奥寺康彦氏が打ち立てたブンデスリーガ日本人最多得点記録を29シーズンぶりに更新。歴代単独トップに立った。日本代表としては通算43ゴールで歴代3位。歴史に名を残す選手となったことはもはや疑いようがないが、まだまだ満足していない。
サッカーは勝ったり負けたりするスポーツなので、常に満足しないというか、たぶん(現役)最後まで満足しないんだろうと思います。今のままではいけないという、そういう危機感に駆られているし、自分の才能、身体能力に対しては、今でもたくさんのコンプレックスを抱えています。ただ、自分にできることはと言えば、1日1日をきちんと充実したものにできているかどうか、それだけなんだろうとも思います。
読者の皆さんへのメッセージ
海外でサッカーをやるということは、それ自体が自分の中ではチャレンジで、それがすでに4年間続いている。良いときも悪いときもあるけど、常に充実していて、海外のサッカーをすごく楽しんでいます。これからも、もっと結果を出せるように頑張っていこうと思っているので、ぜひマインツに足を運んで、応援しに来てください! よろしくお願いします!!
「シンジがチームに残ってくれて本当に良かった」。今季開幕前、プレミアリーグへの移籍が噂され、サポーターも気をもんだ。「彼はやってくれる選手だよ。いつも一番最後まで練習しているのはシンジなんだ」。マインツは、岡崎選手のことをちゃんと見ている。