頭から突っ込んでいく執念のダイビングヘッド。
日本代表として戦った国際試合では、
得点を挙げた試合は負け知らずという勝負強さ。
倒されては起き上がり、ゴールのために身を投げ出す、
その情熱を称えて「泥臭い」と表現されるプレーで
観る者の心を熱くさせるサッカー選手岡崎慎司。
ピッチを戦場と決めたサムライが、
アジア杯の優勝直後に海を越えてやって来た。
その心に秘めた、ドイツでの挑戦に掛ける想いを聞いてみた。
(編集部:高橋 萌)
1986年、兵庫県宝塚市生まれ。小学2年生の頃からサッカーを始め、サッカーの強豪として知られる滝川第二高校に入学。3年連続で全国高校サッカー選手権出場を果たす。2005年、高校卒業と同時に清水エスパルスに入団。2008年からは日本代表に選ばれ、3試合でのハットトリック達成を含む、21得点を決めた。2011年AFCアジアカップで優勝。その直後、同年1月に渡独。現在、VfBシュトゥットガルトに所属。
血液型 | O 型 |
身長/ 体重 | 174cm / 76kg |
現所属 | VfBシュトゥットガルト |
ポジション | FW / MF |
背番号 | 31 |
所属チームHP | http://ad.vfb.de/n2l/ |
オフの過ごし方 | 外にでることが多い。ショッピングやパリまで散歩へ行くことも |
食 | ドイツ料理も気に入った。今後は自炊を頑張りたい |
インタビューのその前に
3月初旬、春の陽気に包まれた南ドイツの産業経済都市シュトゥットガルトに足を踏み入れた。この日、「練習後にインタビューのための時間を確保してあるが、練習も見学したいなら、もちろん歓迎」と言ってくれた広報担当者の言葉を受け、15時から行われる練習を観るために練習場へ向う。中央駅からSバーンに乗り、オクトーバーフェストと並ぶビールの祭典「カンシュタッター・フォルクフェスト」の会場の最寄駅「Bad Cannstatt」を越え、「Neckarpark」で下車。駅からメルセデス・ベンツ・アレーナの姿を確認できるが、目指すは練習場。メルセデス・ベンツ・ミュージアムを横目にその場所を目指していくと、どんどん子ども連れの家族やおじいさんグループと合流していく。もしや、みんな練習を見に来ているの? 予想は大当たり。練習が始まる30分前から、すでに大勢のファンが待ち構えている。学校帰りの少年達はお目当ての選手や、チームの行く末について一人前のサポーター然として語っている。
練習を観に集まったサポーター
ざっと100人以上の観客を迎えて練習が始まる。実戦的な練習も多く、思わず観客からも声が上がる。「こらぁ!あっちにいる日本人がフリーだぞ!ボール回せよ~!!」と叫ぶベテランサポーターのおじいさんの姿も。私を日本人と見ると、「Okazakiは日本ではかなり有名な選手なんだろ?」「日本代表としても大量に得点してるよな」と話し掛けてくる。新しく加わったVfBシュトゥットガルト初の日本人選手は、早くもサポーターたちに受け入れられている様子だ。
伝統あるチームだ。創設されたのは1893年と古く、ドイツのプロサッカーリーグとして1963年にブンデスリーガが立ち上がった際の設立メンバー。74/75年からの2シーズンは、2部リーグで苦汁を舐めたが、それ以来一度も2部降格を経験せず、常に1部に君臨。国内タイトルは、ブンデスリーガ優勝5回、DFBポカール優勝3回、チャンピオンズリーグ出場も果たしている。シュトゥットガルトが才能を見出した選手には、現在ドイツ代表として活躍する選手も多い。ドイツ代表監督のヨギ(ヨアヒム・レーヴ)もシュトゥットガルトで手腕を発揮していた。
今シーズンは、監督が2度も交代するなどチーム状況は揺れていた。現在、監督を務めるブルーノ・ラッバディア監督の下、「NIEMALS 2. LIGA!」(絶対に2部には落ちない!)をスローガンにブンデスリーガを戦っている。目下、降格争いが異例の大混迷を極めている中で、シュトゥットガルトにもまだまだ1部残留のチャンスはあり、また、油断もできない厳しい状況にあると言える。
全体練習が終わってもシュート練習を続け、最後の1人となっても練習場から離れない岡崎選手。期待とプレッシャーをその背に受け、ドイツで武者修行中のサムライは前だけを向いている。
メルセデス・ベンツ・アレーナは現在、6万人収容のサッカー専用スタジアムに改装中。
このままじゃいけない、「世界」を意識
現在、日本からブンデスリーガに移籍してきた選手は1部だけで6人、これだけ日本人選手に注目が集まったことは、過去に例を見ません。日本を出る決意の裏には、それぞれの理由があると思います。岡崎選手が、海外でのプレーを考えたのはいつ頃からですか?
北京オリンピック(2008年)での3連敗。それがめちゃくちゃ悔しくて。どこでも良いから出たい、このままじゃいけないって強く思ったんです。そこからっすね。「世界」を意識し始めたのは。
念願叶っての海外移籍。とは言え、現在は2部降格も危ぶまれる難しい状況にあるチームです。ここシュトゥットガルトに来ることに迷いはありませんでしたか?
それはなかったです。ギリギリまでオファーが来ていることを知らなかったこともあり、むしろ行かせてくれるんだっていう驚きの方が先でした。チーム(清水エスパルス)にはずっと(海外に出たいと)言ってましたから。ボビッチさん(シュトゥットガルトのスポーツディレクター、フレディ・ボビッチ)が日本に来てくれて、そのときに初めて可能性があると聞いて、そこからは「オレ、ドイツかぁ」って。それはもう、希望が湧いてきたっていうか、いつ海外に行っても良いぞっていう準備はずっとできていて、オファーさえ来ればと願っていた期間が長かっただけに、「やっと、やっと出れる」っていうのが、正直な気持ちでした。
チームに関しては、伝統あるチームだということは知っていたし、ドイツに来てからも実際に、その伝統というものを感じる場面があります。そんなチームでプレーできるのは、とても光栄なこと。しかもそのチームが戦力として呼んでくれているんですから、選手としては嬉しい限りだし、このチームでチャンスもあるだろうと思いました。だから、こっちに来る不安っていうのは全くなかったんです。でも、現地に来て、こんなに期待されて良いのか? という別の不安がちょっとだけ・・・・・・。初めてブンデスリーガに挑戦する日本人に対して、現地の人がこんなに希望を抱いてくれている。結果を出さなきゃだめだな、と強く感じています。
インタビュー中に見せる笑顔も、試合で見せる鬼神のような迫力も、
岡崎選手の芯の強さを感じさせる。
予想以上の期待に、喜びとプレッシャーを一身に受けている岡崎選手。その中で、突如として国際移籍証明の発行問題が、ドイツ・デビューの前に立ちふさがりました。
自分は、マイナスなことが起こったときに、逆にプラスなことを探すのが得意な方なんです。こういう上手くいかないことは、これまでもたくさんあったわけだから。今回も、チームと合流してすぐに試合に出るより、少し時間を掛けて「自分はこういうプレーをしますよ」っていうことをほかの選手にアピールして、自分がどういう選手か分かってもらった上で試合に出場した方が良いじゃないかとか、例えばそういうことを考えたり。これは良い方向に進むための悪いことなんだ。そのために、ちょっと移籍が遅れただけなんだと考えていました。もちろん、周りの人がいろいろ元気付けてくれて、その支えが自分のモチベーションを上げる要因になっていましたね。
ようやく試合への出場が認められてのデビュー戦は2月17日、ヨーロッパリーグのベンフィカ(ポルトガル)戦でした。どんなお気持ちでしたか?
正直、慌し過ぎて・・・・・・。試合開始3時間前くらいに、証明書が来て、試合に出られるっていう状況になった。通訳をしてくれているタカさんが電話で知らせてくれたんです。自分はチームからの連絡より先に、Yahooニュースで見て知ってたんですけどね。(国際移籍証明が)いつ頃届きそうかとか、そういう情報は全部Yahooニュースを頼ってました(笑)。
VfBシュトゥットガルトU10のコーチ・河岸貴さん(タカさん)が、岡崎選手の通訳も務めています。河岸さんがボビッチ氏から「今日、慎司いけるから!」と一報を受けたのが15時のこと。試合は18時から。「出れるかもしれない」から「先発で出場」へと、大きく状況が変わりました。
逆にそれが良かった。待ってた分、喜びも大きかったし、慌しいっていうのもあって、あまり緊張せずに入れた。やることは1つ、自分の運動量でかき乱していこうって。今のチームに足りないのは、そういう所だと試合を観てて思っていたので。結果として、それはできたけど負けてしまった。でも、終始自分の喜びを表現できたんじゃないかな。試合が終わってようやく、ヨーロッパリーグ出たんやぁって実感しました。このデビューに関しては、チームに感謝しているし、何と言っても監督がね。この状況で使ってくれるっていうのは普通ありえないと思うんですよ。
第25節シャルケ戦、先制したクズマノビッチ(中央)を称える岡崎選手。
満足できていないことが今は楽しい
壮絶なデビュー戦までの経緯ですね。ドイツでの試合を通して、Jリーグとの違いは感じていますか?
まずは芝とかグランド自体が違う。それに、サポーターの声の太さとか、スタジアムの雰囲気も違う。それから、ブンデスリーガでは(ボールを)とにかく前に出す。何回か繋いでゴールまで行くよりも、行けるなら前へ出して、ドリブルで仕掛けていくという、そういうことを大切にしている。違いを挙げたらきりがないんですけど、ドイツがすごいなっていう所もあるし、日本も負けてないぞって感じる部分もあって、その発見が嬉しいです。でもね、まだ自分の力を存分には出せていないんで。そういう意味では満足できてないというか、その満足できていないことが今は楽しい。そんなうまいこと、ブンデスリーガで点が取れて、すぐに活躍できたら面白くない!
ブンデスリーガでの初めての日本人対決はシャルケの内田篤人選手との対戦でしたね。
不思議な経験でした。代表でも仲が良くて、同じ右サイドでプレーしてきたウッチーと、対面してやるっていうのは。ウッチーの速さとか、中に切り返す時のうまさとかを、よく知っているので、気にすることが多かった。「初めてのドイツでの日本人対決」。これは、自分としてはやりきれなかった。相手を知ってる分考え過ぎちゃって。次にやったら、もっとできると思ってます。もちろん楽しかったですけどね。
チームの精神的支柱に。
まずは必死にやることが一番
このシャルケ戦は、ホームでの初勝利でもありましたしね。
そうですね。でも、この点でもポジティブ思考なんですけど、レヴァークーゼン戦でも僕が出ていたときは2-2だったし、「負けてない!」っていう気持ち。「自分をあの時間に替えてなかったら・・・・・・」と、強気に思っています。僕は今のチームの中ではベテラン組みに入るんですよ。若い選手がいっぱいいるんで。そう思ったら、新しく入ってきたからといって遠慮するんじゃなく、堂々とやろうと。自分の意識さえ変えたらチームの精神的支柱にだってなれる、このチームを自分がプレーで支えて行こうっていう想いでやっています。すると、やりがいありますし、すっごい楽しいですよ。
先発のスタメンとして出場回数を重ねています。どんなプレーでシュトゥットガルトに貢献できると思いますか?
僕の気持ちとしては、もっとゴール前で、と思いながらやっているんですけど、実際に貢献できているのは運動量の方ですね。冷静な目で見て、どうしてこのチームは失点が多いのかなって考えると、問題はすぐにバランスが乱れるところ。早く切り替えができなかったり、サイドが絞れなかったりするので、そこで自分がしっかり守備に返ってあげて、そこから攻撃に移る。その反復ですね。今はまだ点を決められていないにもかかわらず、「良いプレーだったよ」って言ってもらえるのは、求められているプレーができているからだと思っています。まず必死にやることが一番。自分の必死さが選手に伝わっていけば良い。これからです。
「これほどまでに受け入れられるものなのかというくらい、チームに受け入れられている。素晴らしい!」(河岸さん談)と周囲が驚愕する岡崎選手の人柄。笑顔がコミュニケーションツールになっているようですが、チーム内での意思疎通についてはどうですか?
通訳をしてくれるタカさんが、ただの通訳じゃなくてサッカーを知ってる人なので、すごく助かっています。ドイツサッカーのことも教えてくれるし。そのすぐ側で会話を聞くことで、ドイツ語の勉強にもなっています。僕自身は、簡単な単語だけを使ってなんとなく選手たちとコミュニケーションが取れているというのが現状。チームの皆とは仲良くやれるようになってきていますが、今後は僕自身でしゃべれるようにしたい。筆記とか嫌いなので、しゃべりの方を伸ばしたていきたいです。
ラッバディア監督はどんな人ですか?
若くて(45歳)、選手と一緒にミニゲームに参加することもあるんですけど、選手以上に本気です。それに、最初はびっくりしてしまって。40過ぎのプレーとは思えないくらい。筋トレも一緒にやるし、気持ちは選手みたいなものなんだと思います。ベンチでも相当熱いですからね。かっこいい監督ですよ。ドイツでは、ケンカがコミュンケーションみたいな世界。日本人としては、それについていくのがちょっと大変です。
夢に向かって成長を続ける岡崎選手
小学生の頃の夢は?
サッカー選手としてプロになろうと思ったのはいつ頃ですか?
小学校の頃には漠然と、プロになって、日本代表になりたいって言っていたと思います。僕らの時代には目標にできるプロもありましたからね。小・中学生の頃は、「こいつより上手くなりたい」とか、その時のことで精一杯で、実際に、プロの世界っていう夢が見えてきたのは、高校の頃です。
今の夢、目標は?
目標は残留。ブンデスリーガに来たからには、このチームでブンデスリーガ優勝を果たすこと、そしてチャンピオンズリーグに出ることです!
岡崎選手がデビューした第23節から第28節まで、彼が出場した時間帯は今だ負けなし(黒星を喫したレヴァークーゼン戦も前述の通り)。岡崎選手加入前までは、今季通算13敗と苦戦していたシュトゥットガルトにとって、彼の存在がポジティブに作用していることは間違いない。ボールを求め、前傾姿勢で鋭く走りこむ執念が、ゴールを求める闘志が、チームに新たな勝利を呼び込む活力となる。あと一歩のところで日本ではJリーグ制覇の夢に届かなかった岡崎選手が、日本での成長の限界を超える新たな挑戦に今、挑んでいる。