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舞台はブンデスリーガへ!バドミントン ロンドン五輪 銀メダリスト藤井瑞希選手インタビュー

バドミントン 藤井瑞希選手 インタビュー

2012年8月、ロンドン五輪バドミントン女子ダブルスで、日本バドミントン界初の五輪での銀メダルを獲得した「フジカキペア」。その一人として一躍脚光を浴びた藤井瑞希選手。直後のペア解消やケガを経て、現在はドイツ・デュッセルドルフ在住。「なぜ藤井選手はドイツへ?」、ドラマチックなドイツまでの道のり、ドイツでのバドミントンと暮らしをじっくりと語っていただきました。(取材・文:編集部)

藤井瑞希選手PROFILE
1988年8月5日生まれ。熊本県出身。2012年ロンドン五輪バドミントン女子ダブルス銀メダリスト。2014年9月よりドイツブンデスリーガ1部 SCユニオン08 ルーディンハウゼン所属。チーム所属と並行して、ドイツバドミントン協会とのスパーリングパートナー契約も結ぶ。 ブンデスリーガでの試合出場のほか、ドイツ女子ナショナルチームの練習に参加。ダブルススペシャリストとしての技術と経験が、ドイツ代表チームの育成に役立つと期待されている。

気負うことなく楽しくプレーできた
ロンドン五輪での銀メダル

藤井さんは、熊本県出身でいらっしゃいますね。震災の被害が心配です……。

熊本県葦北郡芦北町という町の出身です。震災についてはとても心配です。ドイツにいる自分に何ができるだろうかといつも考えています。被害に遭われた皆さんにお見舞いを申し上げたいのと、5月からしばらく日本に里帰りする予定がありますので、自分のできることで何か手助けできることがあればぜひやりたいと思っています。

バドミントンを始めたのも熊本ですか?

はい。姉二人がバドミントンをしていたので、5歳のときに「私もやってみたい」と思い、始めました。それから地元の中学、青森山田高校、社会人のルネサスと、ずっとバドミントンを続けてきました。

垣岩令佳選手との「フジカキペア」で出場したロンドン五輪では、女子バドミントンダブルスで銀メダルを獲得。「フジカキ」は一躍オリンピックのスターに。これは、男女バドミントン初の快挙。急に注目が集まり、当時はどんな心境でしたか?

あまりメダルにはこだわっていなかったというのが、私たちの力を出せた要因かなと思っています。当時は世界ランキング5位。可能性はあるなとは思っていました。でも、メダルを狙っているというよりは、「自分たちのプレーをしよう」って二人で話していたんです。気負うことなく、パートナーと楽しくプレーできたというのが結果につながったのだと思います。ただ、勝ち進むにつれて、注目度が上がっていっていることに少し戸惑うこともありました。例えば、SNSのフォロワー数が1日おきに1000人、2000人と増えて、「えっ!すごい、大変!」と。そんな状況でも、自分たちは特に浮き足立たず楽しめたというのが一番でした。

「フジカキペア」の出会いやペアを組むきっかけを教えてください。

高校生のとき、私が高校2年で、令佳が1年。ダブルスの試合のオーダーに名前が入っていて「えっ、二人で練習したことないけど、いいの?(笑)」という感じでペアを組みました。でもやってみたら、運命を感じるような気持ち良いプレーができたんです。それで私が先に社会人になったときに「一緒のチームでやろう」って、令佳を誘いました。

フジカキペア
左)ロンドン五輪決勝、中国代表との熱戦は記憶に新しい 
右)銀メダルを手に笑顔の「フジカキペア」。藤井選手の銀メダルは日本のご実家に大事に保管してあるそう 

五輪直後の 「フジカキペア」解消。
その真相とは?

まさに「運命のフジカキペア」だったわけですね。しかし、ロンドン五輪で銀メダルを取ったのが8月、そしてペア解消の発表が9月。五輪の凱旋試合ともいうべきゲーム直後の、あまりにも突然の発表でした。

実は、ペア解消はロンドン五輪前から決めていました。オリンピックを二人で目指し始めてから、「私はロンドン五輪までしか目指さない」ということを常にパートナーにも言っていました。だから、私たちにとっては唐突なことではありませんでした。「もったいない」とも言われましたが、前から決めていたし、銀メダルを取れたことでやり切った感がすごくあったので、迷いはなかった。それと、パートナーが次のオリンピックを目指していたので、それに対して半端な気持ちで私がずっと付き添っていると、結局パートナーにも悪い。新しいスタートを切るんだったら早めがいいということもありました。

「フジカキペア」は解消されましたが、今の垣岩選手との関係は?

今もとても仲良しで、メールのやりとりをしたり、日本に帰ったときには会ったり。ペアを組んでいたときも仲は良かったのですが、試合に勝つため、オリンピックを目指すためのビジネスパートナーのような関係でした。だから、オフになったら完全に離れるとか、怒るところは怒らないといけない。先輩後輩という関係でもあるので、私が怒ると、令佳にとっては壁もできる。でも離れてみてから、「先輩が言ってくれたことを今すごく感じる」というメールを令佳がくれて、ペアでなくなったからこそ見えてきたことがありました。今は令佳の悩みを聞いたり、ずっと応援したいって思うようになりました。親友や家族に近い関係ですね。

ペア解消発表直後のケガ。
ドイツへの思いを秘めて

なぜ、ドイツに活動拠点を移すことになったのでしょうか?

もともと海外に行きたいという気持ちがありました。その中でもヨーロッパはまだバドミントンのリーグに日本人が参加したことがなかった。さらに、ヨーロッパの中でもドイツリーグが一番アジアの選手を受け入れる体制ができていると聞いて、バドミントンをしながらヨーロッパのことを知れたらいいなと思うようになりました。それと、後輩に新しい道を作ってあげるというのも理由の一つです。

フジカキ
最近のフジカキ2ショット。
まるで姉妹か親友みたいな関係

ペア解消発表が2012年9月。12月まで「フジカキペア」で試合をして、順調にドイツ行きの準備を?

実は、ペア解消発表のときには、ドイツ行きがほぼ決まっていました。ところがその後、12月の最後の大会でケガをしてしまったんです。しかも、右ひざの前十字靭帯断裂という大ケガでした。「フジカキペア」での「これで本当に最後」というときでした。前十字靭帯のケガは完治までに1年くらいかかります。1カ月後に手術をして、その後半年間はラケットを握らず、筋トレなどのトレーニングだけの日々でした。

試合に集中していなかったわけではないのですが、ケガをしてしまったのは、「この試合が終わったらドイツに行ける」というワクワク感が強過ぎたからではないかと思っているんですよ。だから、リハビリ期間中はドイツ行きのことは一切考えずに1年間過ごしました。1年かかって日本での復帰試合を迎えましたが、その年内はドイツの話は誰にもしませんでした。そして、日本のシーズンが12月に終わり、2014年1月からですね、具体的にドイツのチーム探しを始めたのは。

1年遅れで夢だったブンデスリーガに向かって走り始めたわけですね。

2014年1月後半に一度ドイツに来て、声がかかりそうなチームで練習をして、契約の話などもして、日本に帰ってきました。でも結局、チームからの返事が一切なくて……。ドイツに行きたくて日本の所属チームも辞めたのに、なかなかチームが決まらずどうしようって、焦燥感ばかりが募りました。日本の所属チームのWebサイトから私の名前が消え、「えっ藤井選手引退しちゃうの!?」みたいな噂が流れ、不安に思っていたときに今のドイツのチームを紹介され、やっとチームが決まりました。

ドイツでは日本以上にバドミントンはマイナースポーツ。だから、メダリストとか関係なく、需要ってそんなにないのかなって思いましたね。ほしいと言ってくれるチームがほとんどなかったので、難しさを実感しました。

言葉の壁を越えて分かり合える喜び

所属チームが決まり、単身、ドイツで暮らし始めた頃はどんな気持ちでしたか?

自分の好奇心とか、「がんばろう」という気持ちが勝っていたので、不安や寂しいというのはなかった。でも、言葉の壁とか、分からないことがあり過ぎて、誰かを頼らないと何かができなという状況が続いたときは苦しかったですね。

ドイツに来て半年くらいたったとき、練習中に泣いてしまったことがあったんですよ。ドイツ語がしゃべれない分、ほかの人たちに気を使い過ぎてしまって。でも、みんなは私に気を使わない。だから、それに対してモヤモヤしたものがあって、バーって涙が出ちゃった。そうしたらその後、選手全員からメールをもらいました。「どうしたの? 大丈夫?」って。そのときに私、必要とされてるんだなと。みんなが気にかけてくれているのがうれしかった。ナショナルチームの中に一人、大親友がいるんですけど、彼女とは何から何まで話せる仲になった。言葉は拙いけど、ずっと気にかけて助けてくれる。ドイツに親友ができたのは自分の中ではすごく大きなことですね。

ダブルスミックス左)この試合では男女混合ペアのダブルスミックスに出場 
右)団体戦の試合のスコアボードはこんな感じ。ルーディンハウゼンの勝利!

ルーディンハウゼンのチームメイトルーディンハウゼンのチームメイトと。試合のときは真剣、でも試合が終わったら楽しい仲間

ドイツでの生活の様子を教えてください。

ミュールハイムでのナショナルチームとの練習は朝と夜に2時間半ずつほぼ毎日。土日は、ルーディンハウゼンの試合がなければお休み。日本では土曜の午前まで練習があって、それ以外もバドミントンがメインの毎日でした。今は自由な時間が増えましたね。ドイツ語の学校に行ったり、バドミントン関連の講習会で指導したり、友達とご飯を食べに行ったり、旅行に行ったり。自分のペースで生活を楽しんでいます。

ブンデスリーガでの試合の雰囲気は?

チームの事前練習はなくて、試合の日に集合します。「自分がやるべきことをやろう」というのが、こちらのバドミントンの雰囲気。日本だと団体戦の前は、「みんなでがんばろう」みたいな感じなんですけど、こちらでは当日の1時間前に集合して、「久しぶりー!」って言って、パッと試合に入る感じ。最初は戸惑いましたね。今年は試合ごとに全員違うパートナーでした。しかもそれが当日に分かるんです!

ドイツのナショナルチームと練習をされていますが、選手に対してアドバイスをすることもありますか?

技術的なアドバイスをすると、すごく喜ばれますね。だから本当はもっと言いたいのですが、練習中はすべてドイツ語。言葉の問題でちゅうちょすることもあります。でも、「これは絶対言っとかなきゃ」ということは、言うようにしています。そのためにドイツ語の勉強もがんばりました。日常会話で困らない程度ですが、ドイツ語がしゃべれるようになったからアドバイスもできるし、コミュニケーションもとれる。一番うれしい瞬間ですね。

ブンデスリーガのシーズンは、毎年9月~翌年5月。藤井選手曰く「バドミントンは試合会場で見ると本当におもしろい! 選手の緊張感やプレッシャーがダイレクトに伝わってくるメンタルスポーツの醍醐味を楽しんで」とのこと。一度試合に足を運んでみてはいかがでしょうか。(ホームでの次戦は、5月8日のプレーオフ、ルーディンハウゼン対TV レフラート。ルーディンハウゼンのリーグ戦での順位は2位!)

サインしてください「サインしてください!!」試合後は子供たちに大人気

講習会も開催デュッセルドルフでは在住日本人親子などを対象に講習会も開催

素顔の藤井選手

サイン入りユニフォームを1名様にプレゼント!

藤井瑞希選手のプレゼント藤井瑞希選手が練習時に着用していたユニフォームに
直筆サインを入れていただきました。
抽選で1名様にプレゼントします。

応募方法
名前、住所、電話番号、Eメールアドレス
および「藤井選手ユニフォーム希望」 と明記のうえ、
以下までお申し込みください。
応募の宛先このメールアドレスは、スパムロボットから保護されています。アドレスを確認するにはJavaScriptを有効にしてください
応募締め切り:2016年5月31日(火)

 
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