記念年を迎える偉人たち
2018年から過去を振り返る
過去を振り返る時、今がどのような歴史の流れの中にいるのかを確認することができる。
今年、記念年を迎える、ドイツが生んだ偉大な人物に焦点を当ててみよう。
(執筆:見市 知)
「資本論」を著した天才思想家
カール・マルクス
Karl Heinrich Marx 1818年〜1883年
フリードリヒ・エンゲルスとの共著「資本論」によって、19世紀末以降の国際政治に多大な影響を与えた思想家のカール・マルクスは、生前の知名度は決して高くなく、多くの時間を亡命者として経済的困窮の中で過ごしたと言われている。
マルクスは1818年、プロイセン王国領だったライン地方のトリアー(現ラインラント=プファルツ州の都市)で、代々ユダヤ教のラビを務めたユダヤ人家庭に出生する。当時の時代背景は、絶対的勢力を誇ったナポレオンがロシア遠征で敗れ、フランス支配下にあったライン地方が1814年のウィーン会議でプロイセン領となった頃だった。産業革命による経済構造の劇的な変化、労働者階級の出現と、思想的には自由主義が活性化した時代にマルクスは生きた。
「宗教はアヘンだ」、「すべての財産は盗品である」といった有名な言葉を残したマルクスの思想はその後ロシア革命の基盤となり、ソ連をはじめとする旧共産圏を誕生させた。その共産主義体制の国々のほとんどが崩壊した今、マルクスの思想はすでに時代遅れなのだろうか?「 はじめてのマルクス」を著した作家で元外務省主任分析官の佐藤優氏はマルクスの偉業を「資本主義の根本的な矛盾が、労働力の商品化にあることを解明したこと」と述べている。
今、私たちはかつてマルクスも想像し得なかった、グローバル資本主義の世界で生きている。マルクスが説いた「資本主義の矛盾」を今も抱えながら生きるこの社会は、200年前よりも豊かな社会になったのだろうか。
「性のアインシュタイン」と呼ばれた医学者
マグヌス・ヒルシュフェルト
Magnus Hirschfeld
1868年〜1935年
昨年、ドイツでは同性間における婚姻が完全合法化され、またパスポートなどの公式書類に男性でも女性でもない「第三の性」を表記する権利が連邦憲法裁判所で認められた。そんな現在のドイツにおける「性」の捉え方からすると想像しがたいが、男性同性愛を禁止する刑法175条は、実は1994年までドイツで効力を持っていた。刑法175条の歴史は1817年、ドイツ帝国時代に遡る。これに対し、廃止を唱えた著名な医学者がマグヌス・ヒルシュフェルトだった。
ヒルシュフェルトは同性愛に対する科学的理解を訴え、同性愛者の権利擁護を目指して「科学人道委員会」を創設、帝国議会にも働きかけた。しかしナチスの台頭と共に改革はとん挫し、ヒルシュフェルトは1935年、亡命先のフランスで死去した。
独仏関係を大きく変化させた信念と決断の人
ヘルムート・シュミット
Helmut Schmidt
1918年~2015年
1918年、第一次世界大戦が終結し、これによりドイツは敗戦国の汚名と多額の負債を負った。のちに西ドイツ首相として、戦後ドイツの国際政治における地位を大きく飛躍させたヘルムート・シュミットは、ドイツが失意と混とんの中にあったこの年、ハンブルクで誕生した。
シュミットに関する逸話として広く記憶されているものの一つが、ハンブルク市内相時代に同市を洪水が襲った際、憲法違反を恐れず連邦軍の出動を要請して市民を救った功績だ。一方、赤軍派テロリストによる要人誘拐やハイジャック事件などに対して、「テロリストとは取り引きしない」という信条を貫き、妥協を許さない姿勢でも知られた。また、フランスと協力して欧州理事会の設立などにも尽力。長い間敵対関係にあったフランスとドイツとの関係を大きく変えた影の功労者でもあった。
活版印刷技術の発明家
ヨハネス・グーテンベルク
Johannes Gutenberg
1400年頃~1468年
2017年、ドイツでは宗教改革500周年が盛大に祝われた。これは1517年10月31日、マルティン・ルターがヴィッテンベルク城教会の扉に、「95か条の論題」を貼り付けた日から500年を記念するものだが、今年はこれに先駆けて世紀の大発明をし、「95か条の論題」やルターの訳したドイツ語聖書の普及を可能にして、宗教改革を大きく後押しすることにもなったグーテンベルクの没後550周年に当たる。
活版印刷技術の発明は、羅針盤、火薬と並んでルネサンスの三大発明の一つに数えられており、今でいうならばインターネットの発明に匹敵するほどの画期的な出来事だった。彼は職人であり発明家である一方、チャレンジ精神に富んだ実業家だったともいれている。
反ナチス運動の悲劇の戦士
ハンス・ショル
Hans Scholl
1918年~1943年
ナチスに対する学生抵抗運動組織「白ばら」のリーダーとして活動し、わずか24歳の若さで国家反逆罪で処刑されたハンス・ショルは、1918年にシュトゥットガルト北部のインガースハイムで生まれた。
父親はリベラル派の市長で、ナチスに対して否定的な見解を持っていたが、少年時代は父親の考えに反してナチスに心酔し、ヒトラーユーゲントに加入していたという。しかし、やがてナチスのさまざまな政策に疑念を抱くようになり、ヒトラーユーゲントを離脱。
ミュンヘン大学医学部に入学したのち、「白ばら」運動を組織した。「白ばら」運動は、学生たちの純粋さと若くして亡くなった彼らの悲劇から伝説化し、語り継がれている。
関連記事:ミュンヘンに散った正義の「白バラ」
ベーキングパウダーの発明者
アウグスト・エトカー
August Oetker 1862年~1918年
アウグスト・エトカーは1862年、ニーダーザクセン州のオーバーキルヒェンにパン職人の息子として生まれた。
その後、薬剤師となったエトカーは、ベーキングパウダーの開発を皮切りに「ドクター・エトカー」社を創業。同社は今では、菓子の材料をはじめとした多様な食品を扱う大手食品メーカーに成長している。
ドイツの伝統的な日曜日の午後の過ごし方は、自宅で焼いたケーキを囲んでコーヒーの時間を楽しむこと。この国でベーキングパウダーが発明されたというのも偶然ではないのかもしれない。
「量子論の父」と呼ばれた不屈の物理学者
マックス・プランク
Max Planck 1858年~1947年
「量子論の父」と呼ばれ、ドイツを代表する物理学者、マックス・プランク。物理の授業を選択した人ならば、「プランク定数」に触れたことがあるはず。
キールに生まれたプランクはミュンヘン大学に進学、その後ベルリン大学に転学して1879年に熱力学の研究で博士号を取得。1918年にエネルギー量子の発見に対してノーベル物理学賞を受賞した。
ナチス時代はユダヤ系研究者の迫害に対して直接抗議を行ない、さらに次男がヒトラー暗殺計画に加担した罪状で処刑される悲劇を経験したが、生涯ドイツを離れなかった。
大衆に愛されるオペラを残した作曲家
エンゲルベルト・フンパーディンク
Engelbert Humperdinck 1854年~1921年
ドイツでクリスマスシーズンの定番といえるオペラ「ヘンゼルとグレーテル」。今年はこの名作がワイマールで初演されてから125周年目に当たる。同作を作曲したのがエンゲルベルト・フンパーディンク。
生涯で6つのオペラ作品を作曲したフンパーディンクは、大衆的な作曲家として位置付けられている。
彼の代表作「ヘンゼルとグレーテル」でも、民謡を取り入れて子供にも親しみやすい作品に昇華させており、現在も多くの人々から愛され続ける作品として、受け継がれている。