ポツダム広場から近い文化フォーラム地区の裏手に、シュタウフェンベルク通り13番地はある。大きなホテルに面した表通りはいつも雑然としているが、一歩中庭に入ると、そこは木陰に涼しい風が吹き抜け、静けさが支配している。
抵抗運動の記念碑が置かれるベンドラーブロックの中庭
ベンドラーブロックと呼ばれるこの場所には、かつてドイツ陸軍最高司令部があった。1944年7月20日、クラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐は、東プロイセンの総統本営でヒトラー暗殺を試みたが、あと一歩というところで失敗に終わり、翌日未明、同士と共にこの場所で銃殺された。
あれから70年が経った日、現在はドイツ連邦国防軍の敷地であるこの中庭で、連邦政府による追悼式典が行われた。抵抗運動に携わった人々は、今でこそ「自らの良心に従った勇気ある者」とドイツの国内外で称えられているが、ガウク大統領は演説の中で、「1950年代当時、シュタウフェンベルクとその同士は『国への裏切り者』として家族に中傷が及ぶこともあった」と、彼らの名誉回復に至るまでの長い道のりについても言及した。また、東ドイツの反体制派の牧師だったガウク氏らしく、東独ではもっぱら共産主義の抵抗運動にのみ焦点が当たっていた「偏り」にも触れた。この節目の年、ベンドラーブロックに面したドイツ抵抗運動記念館の展示内容が一新され、私は先日訪れた。
展示は18のカテゴリーに分かれている。戦時中シュタウフェンベルクの執務室があった部屋では、7月20日の事件について詳しく紹介され、1939年にミュンヘンでやはりヒトラー暗殺を試みたゲオルク・エルザーについても、大きく焦点が当てられるようになった。それ以外にも労働運動、キリスト教徒、芸術家、若者、ユダヤ人、少数民族のシンティ・ロマなど、様々な立場からの抵抗運動が取り上げられているのが特徴だ。ナチスへのレジスタンスが社会の幅広い層から生まれ、多様な広がりを見せていた様子が分かる。
ドイツ抵抗運動記念館の様子。手前に写っているのはゲオルク・エルザー。
奥にシュタウフェンベルクの執務室があった
ミュンヘンの学生による抵抗運動のグループ「白バラ」は、映画『白バラの祈り』などでご存知の方も多いだろう。彼らは1942~43年に掛けて、6種類のビラを作成し、配布した。「白バラ」の展示室には、彼らが実際に配布したいくつかのビラのコピーが置かれていた。「全ドイツ人への訴え」と題された5枚目を手に取ると、「あなた方の心を覆っている無関心というマントを引き裂きなさい!」というシンプルなメッセージが心に突き刺さった。
ガウク大統領の演説を改めて読んでいたら、こういう箇所に出会った。「例えば、ユダヤ人を1日だけでもかくまったり、逃げ道を提供した。発禁とされた本をほかの人に回した。強制労働をさせられていた人にパン一切れをこっそり渡した。そういった小さな行為が、大きな抵抗運動よりも重要さにおいて劣るというわけではなかったのです」。社会を覆う不寛容から目をそらさず、民主主義の精神を守るために、ささやかでも実行できることはないかと問うてみる。それこそが、私たちが過去から学ぶべきことではないか。
ドイツ抵抗運動記念館
Gedenkstätte Deutscher Widerstand
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1952年、ヒトラー暗殺計画に携わったフリードリヒ・オルブリヒト大佐の未亡人が同席して、記念碑の定礎式が行われた。89年に現在の場所に記念館がオープンして以来、今回が3度目のリニューアルとなる。多くの部屋には、オリジナルの資料のコピーが用意され、1部10セントで入手できる。パネル説明は独英表記。入場無料。
開館:月〜水、金9:00〜18:00、木9:00〜20:00、
土日祝10:00〜18:00
住所:Stauffenbergstr. 13-14, 10785 Berlin
電話番号:030-26995000
URL:www.gdw-berlin.de
プレッツェンゼー記念館
Gedenkstät te Plötzensee
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1933~45年に掛けて、ナチスに抵抗した国内外の2891人が処刑された場所。現在は記念館として一般に公開されている(本誌902号(2012年1月20日発行)でも紹介)。44年7月20日のヒトラー暗殺計画に関わった89人もここで絞首刑に処された。123番バスの同名のバス停から徒歩3分ほど。こちらも入場無料。
開館:(3〜10月)毎日9:00〜17:00、
(11〜2月)毎日9:00〜16:00
住所:Hüttigpfad, 13627 Berlin
電話番号:030-3443226
URL:www.gedenkstaette-ploetzensee.de