ドイツで伝える広島のあの日
今、ヒバクシャたちが
世界に望むこと
2018年8月、広島と長崎に原爆が投下されてから73年を迎えた。存命するヒバクシャの平均年齢は82歳を超え、その体験を直に聞く機会はますます減っている。そんななか、ヒバクシャの声を届けようと日本からはるばるドイツまでやってきたのは、平田道正さん。広島での被爆体験に加えて、自身が伝えたいこととは?ドイツ滞在中の平田さんからお話を伺った。(Text:編集部)
平田道正さん (ひらたみちまさ)
1935年広島市生まれ。広島で被爆した後、父親の転勤で東京へ移る。大学卒業後、アメリカへ留学する。
企業勤めの頃から、核廃絶運動に携わってきた。
あの日、広島は地上の地獄だった
1945年8月6日、当時9歳だった平田さんは爆心地から2kmほどの広島市内の自宅にいた。「突然青白い閃光が走り、父親が私を庭の防空壕に押し込みました。そして、父が入ろうとした瞬間、爆風がやってきたのです。4~5分して防空壕から出ると、自宅の屋根は吹っ飛び、かろうじて家の形が残っている状態で、木製の塀や空き地の草がちょろちょろ燃え始めていました。
しばらくすると、火の海となった中心地からボロボロの衣服を来た人たちがぞろぞろと歩いてきました。頭の毛は逆立ち、熱線で皮膚が垂れ下がった腕を前に突き出していました。外見からは男なのか女なのかもわからず、いわば『地上の地獄』でした」
その後、父親と一緒に火を避けながら、母親と妹の疎開先に向かったという。平田さんは火傷などの外傷は免れたものの、放射能の影響で今もなお白血球の数が通常の半分以下だ。肺炎などの感染症にかかりやすいが、幸いこれまでガンなどにはかかっていない。
ヒバクシャであることを忘れたくて
ヒバクシャとして自身の体験を語り出したのは、定年間近になってからだという平田さん。それまでは、あの日のことを思い出したくなかったと話す。
「ヒバクシャというだけで差別があり、被爆したことを隠していた人もたくさんいましたし、もう広島や長崎にはいたくないと言って東京に移り住んだ人も少なくありません。私自身も、忘れるために仕事に打ち込みました」
しかし、ある出来事をきっかけに、ヒバクシャとしての役目を意識するようになったと続ける。「1995年、アメリカのスミソニアン博物館で開催される予定だった原爆展が、政治的な理由で急遽中止になった時のことです。テレビを見ていたら、それに反対する現地のデモが報道され、そこに知っている顔が映っていました。なんと、会社の先輩でした。後日、彼に尋ねると、わざわざ年休を取ってデモに参加したことを話してくれ、そこで初めて、彼もヒバクシャだと知ったのです」
ヒバクシャとして自分も何かしなければ……。定年退職前だった平田さんは、平日の夜や週末をヒバクシャの活動に充てるようになった。退職後はアメリカやニュージーランドでの講演のほか、世界中を旅するピースボートに乗船し、自身の体験を語ったこともある。「毎回海外に出ると、意識を持った若い世代と知り合うことも多く、とても心強い」と笑顔を見せた。
一刻も早く、核禁止条約の批准を
今年で83歳になる平田さん。ここまで熱心に活動に打ち込むのには理由がある。
「核保有国は、アメリカやロシアなどの9カ国。その保有数は約1万5000発で、もしいずれかの国がミサイルを発射したら、ものの数分で報復のミサイルが発射されます。ですから、『一触即発』の状況であることを、多くの方に知っていただきたいのです。
2017年7月に国連で『核禁止条約』が採択されました。しかし、実際に批准した国はわずか14カ国。条約発効には50カ国の署名が必要ですが、核保有国は会議にすら参加していません。信じられないことに、原爆を投下された日本も政治的な理由で参加していないのです。私たちヒバクシャの願いは、早急に条約を発効すること。そのために、国際署名※を集め、より多くの声を国連に届けたいと思っています。
また、原子力発電も原爆と根っこの部分は同じ。チェルノブイリや福島から分かるように、いったん事故が起こると被害は甚大です。人間は原子力を完全にコントロールできないと思います。ですから、私は核兵器と同じように原発にも反対します」
今年8月6日にケルンのヒロシマナガサキ公園で開かれた祈念集会をはじめ、ケルンとデュッセルドルフで計4回の講演をした平田さん。自分の話を次の世代に伝えてほしい、と繰り返し強調した。「私たちヒバクシャが生きている間に、核のない世界を見ることはできないでしょう。ですから、お子さんやお孫さん、周りの友人に今が危険な状態であることをどうぞ伝えてください。ご一緒に、戦争のない平和な世界を実現していこうではありませんか」
2018年3月末時点で、認定被爆者は15万4859人になった。戦争を知らない世代として、核兵器のない世界をつくるというヒバクシャの願いを強く受け止めたい。
※ヒバクシャ国際署名:http://hibakusha-appeal.net
8月6日にケルンのヒロシマナガサキ公園の祈念集会で登壇した平田道正さん。集会には50〜60人が参加した
笙奏者の清水美郎さん(ケルン天理文化工房主宰)の演奏を聴きながら、祈念碑の前で参加者1人ずつが黙とうを捧げた
日本語の歌「原爆を許すまじ」などが演奏され、集会の最後は公園内の池「Aachener Weiher」での灯篭流し(上写真)で締めくくられた