ぶどうは、世界で最も古くからある植物の1つといわれています。一説によれば、野生ぶどうはすでに1億年以上前に存在し、そのずっと後に登場する人類は、やがてぶどうの果実を圧搾し、ワインを生産するようになりました。ワイン造りは今から約8000年前にメソポタミア地域で始まったとされ、同地域ではその後、ビール造りも始まったそうです。ワイン造りはその後、エジプト、ギリシア、そして古代ローマへと伝えられます。
ドイツでワイン造りを開始したのは、ライン・ドナウ川戦線で活躍したローマの軍人皇帝プロブス(232~282)であるといわれています。また、ドイツにおけるワイン造りが描写されている最古の文献は、ガロ・ローマ期のボルドー出身の詩人アウソニウスが370年頃に書いた旅の詩「モゼラ(モーゼル / Mosella)」だそうです。
帝国の版図を拡大し、小ゲルマニアを領土としたローマ人は最初の頃、アンフォラと呼ばれる運搬・保存用の陶製の容器に入れたワインを故国から運び込んでいたそうですが、やがてゲルマニアの地でもぶどうを栽培するようになります。現在もモーゼル川沿いにローマ時代のぶどう圧搾場の遺跡がいくつか残っています。
476年に西ローマ帝国が滅亡し、481年にゲルマン系フランク族の国、フランク王国が成立します。その初代の王、メロヴィング朝のクローヴィス1世(466~511)はカトリックの洗礼を受け、ガリア一帯のローマ系市民の信頼を得ました。ワインに関しては、同じくメロヴィング朝のダゴベルト1世が、今日のラインヘッセン地方のヴォルムス大聖堂にネッカー川流域のぶどう畑を寄贈したという記録が残っています。
続くカロリング朝のカール大帝(742~814)はフランス名をシャルルマーニュ大帝と言い、ドイツ史においても、フランス史においても重要な人物です。彼が775年に、ブルゴーニュ地方のソリューの修道院にぶどう畑を寄贈したことはよく知られています。コート・ドールの特級畑、コルトン・シャルルマーニュがその畑に当たります。
カール大帝の時代のフランク王国は、現在のフランス、ベネルクス3国、スイス、オーストリア、スロヴェニアの全土、そしてバチカン市国、ドイツ、スペイン、イタリア、チェコ、スロバキア、ハンガリー、クロアチアのそれぞれの一部にまで及んでいました。彼は多くの勅令によって、官職者たちにぶどうの栽培を指示しました。また、征服地に教会や修道院を次々と建設させたことから、日々行われるミサ用のワインや、教会や修道院を訪れる人々にふるまうための大量のワインが必要となりました。同時期に修道院は、土地の有力者の寄進などによってぶどう畑を所有し始め、貴族のほか、聖職者たちもステータスのためにぶどう畑を所有するようになりました。
カール大帝の時代のドイツにおけるワイン造りは、ライン川の西側で集中的に行われていましたが、ローマ時代のワイン造りが修道院によって受け継がれていたモーゼル川支流域、さらにはナーエ川、アール川流域でも続けられていました。また、ライン川の東側でも聖職者たちがワイン造りに取り組み始めていました。今日、フランケン地方でワインの聖人として祀られている聖キリアン(640?~689?)は、その1人として知られています。
(ラインヘッセン地方)
写真)シュテファン・ヴィンターさん ©Weingut Winter
ディッテルスハイムの注目株の醸造所。醸造所の起源は15世紀半ばに遡る。2000年、当時まだ20歳だったシュテファン・ヴィンターが家業を継いで醸造責任者となった。シュテファンは、同じくラインヘッセン地方のケラー醸造所とプファルツ地方のヴァッサーマン・ヨルダン醸造所で修業を積んだ実力派。土壌の力を信頼する妥協を許さないワイン造りは、近年成果を上げ始めている。栽培品種は半分がリースリングで、ブルグンダー系の品種やドイツならではの品種、シルヴァーナー、ショイレーベなども大切に育てられている。ディッテルスハイムのガイアースベルク、レッカーベルクの2つの優れた畑からは、最高級のリースリングが生まれている。
Weingut Winter
Hauptstraße 17, 67596 Dittelsheim Hessloch
Tel.06244-7446
www.weingut-winter.de
2009 Dittelsheimer Riesling Kalkstein trocken
2009年産ディッテルスハイマー・リースリング、カルクシュタイン(辛口)
9,80€