Hanacell
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Vol.10 試合の空気を変える2 列目

乾 貴士 VfL ボーフム(2部)

1988年6月2日生まれ。滋賀県立野洲高校2年生の時に、高校選手権での優勝に貢献した。当時の野洲のサッカーは「セクシーフットボール」と呼ばれ、高校生らしからぬセンスフルなサッカーを見せていた。テクニックに長けた選手が揃い、ショートパスがどんどんつながる魅力的なサッカーの中心にいたのが乾だった。卒業後は横浜F・マリノスに入団し、2年所属した後、セレッソ大阪に移籍。同学年の香 川との出会いも大きく、彼はここで花開いた。

乾 貴士

そもそも、ボーフム加入前からクラブやドイツ人関係者、サポーターの、乾への期待は高かった。なぜなら、J リーグのセレッソ大阪で香川真司と共にプレーし、昇格に貢献したという実績は誰もが知るところだったからだ。彼がボーフムに加入した今季序盤、すでに香川のプレーはドイツ中を魅了していた。

その香川の同僚、しかも同じ2列目(攻撃的MF)で、これまた魅力的な攻撃を見せていたと知れば、期待しないわけにはいかない。2010年のセレッソ大阪は、香川、乾、家長昭博(現蔚山現代)の2列目が機能している試合は特に、観ていて面白いものが多かった。Jリーグの2部と言うと、ロングボールを多用した攻撃が多いのだが、その中で3人が絡み合った攻撃は1ランクも2ランクも上のものだった。

ボーフムに加入しても、最初の試合から記者もサポーターも乾の虜になった。彼がボールを持つ度にスタジアム中が沸く。ドイツでも2部のサッカーは、やはりロングボールが多用され、ラフなぶつかり合いも多い。とにかく点を取るか取られるかが重要であり、その間のプロセスはあまり気にしない。しかし、乾が入るとゴールのパターンが増え、緩急もつき、がらっと空気が変わる。当時、2部の下位で苦しんでいたボーフムにとっては、衝撃的だったのではないだろうか。初めてピッチに立った第4節のザンクトパウリ戦で乾がボールを持ち、活躍を見せ始めると、隣の席のドイツ人記者が急いでインターネット検索を始めていた。乾はどんな選手なのか、過去にどんな実績があるのか。より正確に詳細に調べ、その日のメイン原稿になっていたようだ。

その衝撃から考えると、これまでに記録した7ゴール、4アシストという数は決して多くない。いつかは1部でプレーすべき才能を持ち、しかもゴールに直接関与することのできるポジションにいるのだ。チームのレベルはどうであれ、もう少し数字を求めて欲しいし、乾ならそれができるはずなのだ。

ブンデスリーガ戦力分析

第32節終了時点で、ドルトムントの2連覇が決定した。当日はドルトムントが勝利すれば、2位バイエルンがどのような結果を出そうと優勝が決まる、もしくはバイエルンが勝利以外の結果(引き分けないし負け)に終われば、自動的にドルトムントの優勝が決まるという状況だった。

ドルトムント対メンヒェングラットバッハ戦の開始3時間前に行なわれたバイエルン対ブレーメンの一戦。バイエルンは先制を許すが、試合終了間際に逆転し、自分たちが優勝の直接の原因となることだけは避けられた。

一時は独走し、間違いなく今季はバイエルンの1年になると思われた時期もあっただけに、後半戦の失速は残念だった。後半戦最初のメンヒェングラットバッハ戦で敗れた頃からバイエルンは調子を崩し始めた。同チームの選手層が薄いと言われても、ほかのチームより厚いことは明らか。スター軍団を扱い切れなかった指揮官、ユップ・ハインケスの責任は小さくない。

ブンデスリーガはまもなく終わるが、8月下旬の新シーズン開幕までは、ビルト誌やサッカー専門誌キッカーから目を離さないようにしていただきたい。日本人選手がまた何人もブンデスにやって来るし、 何より香川の去就もまだ定まっていない。ビッグクラブに行くのか、それともドルトムントに残留するのか。リーグ戦が終わっても、このようにサッカーの楽しみはいくらでもあるのだ。

 
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了戒美子 フリーライター。1998年日本女子大学文学部史学科卒。2011年3月より、デュッセルドルフを拠点にドイツをはじめとする欧州サッカーの取材を開始。日本人選手の躍進に大きな期待を寄せている。スポルティーバ(sportiva.shueisha.co.jp)、やナンバー(number.bunshun.jp)、エルゴラッソ(golazo.jp)などのサッカー専門誌、スポーツ紙、ウェブサイトなどで幅広く活躍中。
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