ハンブルク工芸博物館の展示会場にて
瞑想するように作陶する
自分のスタイルを見付けることは
私にとって、とても重要だった
クリスティアーネ・ヴィルヘルム
陶芸家。旧東独ロストック生まれ。1960年代初頭に一家で旧西独に移住。アビトゥア取得後、ドイツ各地の陶芸工房を巡り、陶芸界の大御所ウェンデリン・シュタールと出会って彼に師事する。その後、ヘーエ・グレンツハウゼンの陶芸専門学校を卒業。建材会社などで工業デザイナーとして働いた後、陶芸家として独立。
ものづくりへの目覚め
クリスティアーネ・ヴィルヘルム(59)の母は建築家、父は建設技師。母方の親戚には著名な芸術家ケーテ・コルヴィッツ(1867 ~ 1945年)がいる。
クリスティアーネがものづくりに目覚めたのは13歳の頃。七宝焼に出会い、夢中になった。細かい手作業が楽しくて、16歳の頃まで飽きずに製作していたという。将来は哲学か建築を学びたいと考えたが、自分が何になりたいかと考えると、迷うばかりだった。アビトゥア(大学入学資格)取得後は旅行などをして過ごしていた。
ヘートヴィヒ・ボルハーゲンに憧れる
そんなある日、ヘートヴィヒ・ボルハーゲンという女流陶芸家のことが気になり始める。クリスティアーネの家庭ではボルハーゲンの食器を使っており、それは彼女のお気に入りでもあったのだ。「ボルハーゲンは陶芸家であり、陶器デザイナーとしても時代を超えて愛されるデザインを生み出した。彼女のような仕事ができたら素晴らしいだろうなと思ったの」。
「ボルハーゲンのような陶芸家になりたい」。彼女がそう告げたとき、両親は驚いて「陶芸では食べていけないから、定収入の得られる美術教師などになってはどうか」と言ったそうだ。しかし、クリスティアーネの意志は揺るがず、ついに両親が折れて、一家を挙げて彼女を支援してくれるようになった。
彼女は、まず陶芸家の下に弟子入りしようと考え、国内各地の陶芸工房に関する情報を集めた。そして、ヘール・グレンツハウゼンという町がドイツの陶芸の中心地であることを知る。「祖父がフォルクスワーゲンのケーファーをプレゼントしてくれたので、それに乗って工房を訪ねて回ったの」。1970年代前半、ドイツで陶芸ブームが起こる直前のことだった。
クリスティアーネはヘール・グレンツハウゼンでいくつかの陶芸工房を見学したが、ある工房で作業風景を目の当たりにして衝撃を受ける。「工房では、ドイツ人とトルコ人の男性が10人ほど並んでろくろを回していた。その傍らで、やはり10人くらいの女性が黙々とカップの持ち手を作っていたの。まるで機械のように働く彼らの姿を見て、私が修業したいのはこんな所じゃないと思った」。しかし、気を持ち直して工房巡りを続けた。そしてブルク・コライデルシュタインに工房を構えるヴェンデリン・シュタールと出会う。彼はドイツ陶芸界の第一人者であり、クリスティアーネは幸運にもそこで修業できることになった。
作陶に使命を感じて
シュタールの工房での修業初日にはもう、作陶を使命のように感じた。「この工房で、全身全霊を陶芸に注ぎ込む覚悟のようなものができた。情熱に火が付いたのよ。もし全く別の陶芸家の下に弟子入りしていたら、そうはならなかったと思う。シュタールの工房はそれほど素晴らしい場所だったの」とクリスティアーネは語る。工房では窯の火を薪で起こしていたため、作品に独特の味わいを出すことができた。素材への愛着が生まれたのもここだ。彼女はここで3年間にわたって修業した。優れた作家の下で学び、影響を受けることには良い面もあるが、自由な発想を失わないようにするのが大切だという教訓も得た。その後、ヘール・グレンツハウゼンの陶芸専門学校で、さらに3年にわたって学び、陶芸マイスターの資格も取得した。
専門学校の卒業制作では、担当教授の勧めでミュンヘンのドイツ博物館依頼の大型のオブジェを作り、高く評価された。卒業後は、この制作のスポンサーとなっていたケルンの建材会社ライムボルト&シュトリック社にスカウトされて就職。タイルのデザインなど、工業デザインを手掛けた。「仕事はとても面白かった。でも、始めて1年も経つと、これを生涯続けることはできないと思うようになったの」。その後、ボン近郊のゼルヴァイス・ヴェルケ社でしばらく働いたが、自分のやりたい仕事をするためには独立するしかないと考え、コンスタンツに仲間と共同でアトリエ「テラコッタ」を構えて作家活動を始めた。
東洋ブームと独自の作風の開拓
クリスティアーネが独立した1980年代前半は、ドイツの陶芸家の多くが東洋の陶芸から大きな影響を受けていた時期で、彼女も例外ではなかった。「あの頃はドイツだけでなく、欧州全体が東洋の陶芸技術やスタイルを取り入れることに躍起になっていたの。 日本をはじめとする東洋の陶芸技術や作風について、仲間と夜ごと議論したものよ」。しかし、クリスティアーネは自分のスタイルを模索していた。「伝統に縛られな い自分のスタイルを見付けることは私にとって、とても重要だった。それには長い時間が掛かるけれど、探していればきっと見付かる」。
彼女は様々な技術を駆使しているが、例えばプリーツのように刻まれた何本もの線は、10年前のある日、自然の造形からヒントを得て考案したものだ。「ムール貝が大好きで、冬になるとたくさん食べるのだけれど、ある時、黒っぽい貝殻に刻まれた無数の筋の美しさにはっとして、それを作陶に応用してみたの」。今やクリスティアーネの作品のトレードマークのようになった「筋入れ」だが、その作業には大変な手間が掛かる。「皆に『よくそんな根気があるわね』と言われるけれど、私にとってこの作業は瞑想に近いものなの。大変だと思って取り組むと良い作品にはならない。無心になって筋を入れていると、良いものができるのよ」。
黒い器のシリーズ。ヴェスターヴァルトの陶土にナイフで筋入れし、
自ら調合した化粧土をかけて1250度で焼き上げる
1987年、クリスティアーネはコンスタンツでの活動を打ち切り、ミュンヘンに個人工房を構えた。彼女の作品は、オブジェのような存在感に溢れているが、いずれも壺や花瓶、茶器など実用的なものが中心だ。2年前にジュネーヴのインターナショナル・アカデミー・オブ・セラミックス(IAC)のメンバーに迎えられ、世界的にも陶芸作家としての技量が認められた。
「ドイツでも、日本のように陶芸がもっと評価されるように頑張りたい」。強い意志が宿る言葉だった。
Christiane Weilhelm - Keramik und Mosaik
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