1月27日のアウシュヴィッツ解放75年を前に、シュタインマイヤー大統領がドイツ大統領として初めて、イスラエルのホロコースト記念館、ヤド・ヴァシェムでスピーチをした。冒頭にヘブライ語、その後英語で話すシュタインマイヤー氏にはいくらか悲痛な気配が感じられた。昨年秋にハレでユダヤ教のシナゴーグを狙った襲撃事件が起こるなど、反ユダヤ主義の動きがドイツ、さらに欧州全体で活発になっていることへの危機感が背景にあるからだろう。
1月19日に新しい常設展が始まったヴァンゼー会議記念館
ユダヤ人を敵視する思想自体は古代から存在した。それがなぜ、1つの民族を抹殺するという発想に変貌し、国家主導により実行に移されるに至ったのか。その発展段階を知ることの重要さは、今を生きる私たちにとっていささかも揺るがない。
ベルリンの西の郊外、ヴァンゼーの駅からバスに乗って湖沿いののどかな道を走ると、瀟洒(しょうしゃ)な館の前の停留所に到着した。1942年1月20日、ここに保安警察兼保安部長ラインハルト・ハイドリヒをはじめとするナチスの高官15人が集まり、「ユダヤ人問題の最終解決」、すなわちヨーロッパ中のユダヤ人を組織的に輸送、殺害し、果ては絶滅させるための会議が行われた。現在は歴史記念館になっている。
ヴァンゼー会議が行われた歴史的な部屋
今年の節目に常設展示が一新されたというので、足を運んだ。まず感じたのは説明文が以前よりコンパクトになり、すっと頭に入ってきやすくなったこと。ホロコーストへの重要な伏線となった1938年11月9日の「水晶の夜」に関して印象深い展示に出会った。事件直後、逮捕されたユダヤ人の男性たちがバーデン=バーデンの通りを歩く写真が映し出された電子パネル。写真上の「?」マークを押すと、連行されるユダヤ人、好奇の目で見る群衆という双方の視点からの説明が示される。「あなたがもしその場に居合わせたら?」と問いかけられた気がした。
展示には最新の歴史研究の成果も反映されている。例えば、反ユダヤ主義の段階的な発展は1933年以降のドイツにだけ見られた現象ではなく、ヨーロッパ中にユダヤ人や少数民族の迫害を「促進する政治状況」(歴史家のアンドレア・レーヴ氏とオメル・バルトフ氏)があったという見解だ。
過去の歴史を現在の教訓にしようとする姿勢は、展示の最後の説明にこう凝縮されていた。「ヴァンゼー会議は国家の代表者たちによって行われました。しかし、殺人プログラムの実行は、多くの個人がそれに加担することなしには不可能でした。抵抗したり、迫害されたユダヤ人を助けた人はわずかです。この経験は今日まで、世界中の人々や組織での思考や行動に影響を及ぼしています。私たちの現在は、過去との向き合い方によって確定されるのです」
同館は、さまざまな訪問グループに対応できるように計らっている。例えば、警察や病院で働く人たちを対象にしたゼミナール。普段から「権力の乱用」や「安楽死」といった問いに直面している人たちだ。記念館を訪れる約65%は外国からの旅行者だという。ここはあらゆる人の学びの場である。
ヴァンゼー会議記念館
Gedenk- und Bildungsstätte Hausder Wannsee-Konferenz
ツェーレンドルフ地区にある歴史記念館。20世紀初頭、ヴァンゼー湖畔の高級住宅街に個人用邸宅として建てられ、1941年以降、国家保安本部所属のゲストハウスに。戦後、歴史家のヨーゼフ・ヴルフ教授らにより記念館設立の動きが起こるが、実現は1992年になってからだった。
オープン:月曜〜日曜10:00〜18:00
住所:Am Großen Wannsee 56-58, 14109 Berlin
電話番号:030-8050010
URL:www.ghwk.de
『資料を見て考えるホロコーストの歴史:ヴァンゼー会議とナチス・ドイツのユダヤ人絶滅政策』
ヴァンゼー会議記念館の常設展(2006〜2018)の日本語解説書。アドルフ・アイヒマンの有名な議事録の全文を読めるほか、ナチス以前の人種主義的世界像も含めて、ホロコーストに至る過程とその歴史を豊富な写真と図版でまとめた丁寧なつくりになっている。同記念館でも販売中。
編者:ヴァンゼー会議記念館
訳:山根徹也、清水雅大
発行元:春風社
ISBN:978-4-86110-461-9