動物解剖劇場の舞台。馬や古代の英雄をモチーフにした天井の壁絵まで、美しく蘇った
初めてベルリンを訪れる人の多くは、まずブランデンブルク門に立ち寄る。あの古代ギリシア様式の門を設計し、歴史に名を残したのが建築家カール・ゴットハルト・ラングハンス(1732-1808年)。この10月、彼が手掛けたもう1つの建築が改修工事を終え、一般公開された。その名もTieranatomisches Theater(動物解剖劇場)。
解剖劇場? 初めて耳にしたときは、何とも奇妙な印象を持った。動物の解剖をする場所であろうことは思い浮かぶが、それがなぜ「劇場」と結び付くのか。答えを求めて、見に行ってみることにした。
フリードリヒシュトラーセ駅を降り、シュプレー川を越えて歩くこと約10分。森鴎外記念館のあるルイーゼン通りを真っすぐ歩いて行くと、そこはフンボルト大学のシャリテー大学病院の敷地だ。忙しげに歩く白衣姿の医師の姿がときどき目に入るが、「Humboldt Graduate School」の黄色い建物の脇を抜けると、ふいに表通りの喧噪が消え、落ち葉で敷き詰められた芝生が目の前に広がった。古い建物が並ぶ中、均整の取れたプロポーションを持ち、てっぺんに丸いお椀のようなドームがかぶさった白亜の解剖劇場は、遠目からでもすぐにわかった。
プロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世が、ラングハンスにこの建物の設計を命じたのは1787年のこと。新しく設立された王立獣医学校の中心機関となるべく計画された。当時、騎兵隊の馬が病気や疫病にかかれば、それは国家にとっての重大な危機を意味した。ゆえに、獣医の養成が急務とされたのである。
ラングハンスは北イタリアの名建築「ラ・ロトンダ」に倣って新古典主義様式で建物を設計し、2年の工事期間の後、1790年にそれは完成した。ちなみに、ブランデンブルク門が完成したのは1791年なので、当時彼は2つの建設現場を慌ただしく行き来していたではないだろうか。
ラングハンスの設計により建てられた動物解剖劇場の外観
建物やその改修にまつわる半地下部分での展示を見て回った後、いよいよ2階に上がる。入り口のドアを抜けると、そこが解剖劇場の舞台である講壇だ。神殿のような丸い天井、そして観客席が講壇を囲む様子は、まさに古代の円形劇場を思わせる。夢心地になるほどの美しさだが、そこで行われていたことを想像すると目が覚める。
講壇の前で案内してくれたおじいさんが、「昔は手動のエレベーターで、と殺された馬が下から講壇の中央に運ばれました。夏場は特に大変だったようですよ」と言って鼻をつまんだ。
16世紀末以降、このような解剖劇場はヨーロッパ中の大学に造られ、人体や動物の解剖が公開で執行された。時には一般市民が入場料を払って見学することもあったという。自然の神秘を体感する劇場というわけか。
ブランデンブルク門を見上げると、まず目に入るのは「勝利の女神」ヴィクトリアではなく、それを率いる4頭の馬の像であることを思い出す。彼らが率いる馬車のことを古代ローマではクアドリガと呼んだが、人類がまだ馬より速い乗り物を手にしていなかった時代、馬力こそが国力の礎だったのだ。
動物解剖劇場
Tieranatomisches Theater
1790年に王立獣医学校の敷地内に完成。さまざまな歴史を経て、1990年代までここで講義が行われていた。2005年から7年間の改修工事を終えて、この秋から一般公開されている。現在の形での展示は来年4月14日まで(入場無料)。その後はフンボルト大学の講義や講演、展覧会、コンサートなどがここで行われる予定だという。
オープン:火~土14:00~18:00(2013年4月14日まで)
住所:Campus Nord, Philippstraße 13, Haus 3, 10115 Berlin
URL:www.kulturtechnik.hu-berlin.de
ブランデンブルク門
Brandenburger Tor
いわずと知れた、ラングハンスの代表作。宮廷彫刻家ヨハン・ゴットフリート・シャドウ制作によるクアドリガが設置されたのは、門の完成からしばらく経った1793年のこと。シャドウの回想録によると、彼は生きた馬だけでなく、動物解剖劇場に展示されていた馬の骨格を観察してクアドリガを造ったという。1806年、ナポレオンがこれを「戦利品」としてパリに持ち去ったのは有名な話(その後、ベルリンに戻された)。