2000年11月、元々教会があった場所に「和解の礼拝堂」が完成した。建築家はコンクリートとガラスから成るモダンな教会を設計したが、「この教会は土と木で造るべきだ」とフィッシャーさんら教区の人々は反対し、版築という古来の用法で造られることになった。中に入ると、この建築が選ばれて良かったとしみじみ思う。マツの木の細い外壁の柱から光が差し込み、粘土状の層をやわらかく照らす。土の壁をよく見ると、ガラスや石が混ざっていることに気付く。これらは、東独時代に爆破された和解教会の欠片である。
どこか東洋的な雰囲気も漂わせた礼拝堂内部
「『死の場所と言われた緩衝地帯に、命あるものを咲かせたい』。これが我々の想いでした。1990年代に、東独の人権活動家たちがここにルピナスの種をまき、育てていましたが、教会のある女性が『次はここでパンを作ってみるのはどうかしら』と提案したんです。キリスト教の礼拝では、『最後の晩餐』を模してワインを飲み、パンを食べますよね。これはいいアイデアだ! と思ったんです」
趣旨に賛同したフンボルト大学の農業学科が機材を提供し、種まきと刈入れの手伝いをしてくれることになった。ここを耕し、ライ麦畑が初めて作られたのは2005年のこと。以来、毎年10月に種まき、翌7月に収穫というサイクルが繰り返されている。
この6月に定年退職したフィッシャーさんだが、エネルギーに満ちあふれた口ぶりで、最後に「平和のパン」というプロジェクトのことを話してくれた。
「和解礼拝堂で収穫されたライ麦の種が今年、北はエストニアから南はブルガリアまで、89年以降EUに加盟した中東欧諸国へ送られ、そこで種がまかれます。東西分断時代は、鉄のカーテンによって分け隔てられていた国々です。そこで育ったライ麦が、2014年の壁崩壊25周年に合わせてベルリンに運ばれ、和解礼拝堂のライ麦と混ぜて粉をひき、1つの『平和のパン』を作ろうというわけです」
「パンと平和とは不可分の関係にあります。自国でパンが作れない状況になったら、人々は戦争に走るでしょう。そして平和な状態が失われたら、国土が荒れ果ててパンを作ることなどできない。平和、そして人々が互いに理解し合うことこそ、持続可能な農業の前提条件なのです。パンをあなたの国のお米に置き換えても、同じことが言えるでしょう?」
和解礼拝堂の入り口近くに、2人の女性が抱き合っている彫像が置かれているのをご存知だろうか。これは1999年、英国のコヴェントリー大聖堂から贈られたものだそうだ。「第2次世界大戦中、ドイツ軍は中世からの歴史を持つコヴェントリーの大聖堂を破壊しました。その数年後、今度は英国軍がドレスデンやベルリンなど、ドイツの都市を空襲で破壊し、どちらも多くの人命が失われました。『憎しみではなく、和解と許しを』というのが、像に込められたメッセージです。この像のレプリカは、広島の平和記念公園にも置かれているのですよ」
和解礼拝堂の麦畑の前に置かれている和解の彫像
和解の礼拝堂
Kapelle der Ver söhnung
1999年から2001年にかけて、市民や学生、国際ボランティアたちの手で建てられた礼拝堂。内部の祭壇は昔の教会と同じ方向を向いており、入り口近くの木の箱に収められた昔の和解教会の鐘は、今も正午に鳴り響く。火~金の12:00に行われる短い礼拝では、毎回1人ずつ壁の犠牲者の生涯が朗読され、壁の建設が始まった8月13日には、今年も追悼式が行われる。
開館:火〜日10:00〜17:00
住所:Bernauer Str. 4, 10115 Berlin
URL:www.kapelle-versoehnung.de
プロジェクト「平和のパン」
Das Projekt “FriedensBrot“
冷戦時代、東西ドイツと「鉄のカーテン」によって分け隔てられていた中東欧10カ国(バルト三国、ポーランド、チェコ、スロバキア、ハンガリー、スロベニア、ルーマニア、ブルガリア)が参加予定の平和プロジェクト。発案者はここで紹介したフィッシャーさん夫妻。上記の国々で育ったライ麦がベルリンに還ってくる2014年に向け、下記のHPで募金も募っている。