東西ドイツ統一後、10年から15年くらいにかけてでしょうか、東(オスト)とノスタルジー(郷愁)を掛けた「オスタルギー(Ostalgie)」という造語がよく使われた時期がありました。統一25周年の今年は、西ベルリン時代に焦点を当てた展覧会「WEST:Berlin」が開催され、大きな注目を集めています。
「西ベルリン」展で展示中の1961年製の水陸両用車「アンフィカー」
ニコライ教会からほど近い展示会場のエフライム宮殿は、平日の午前中にもかかわらず、多くの来場者で賑わっていました。最初に目にしたのが、世界的にも数少ない、市販された水陸両用車「アンフィカー」。1960年代前半、主に西ベルリンで製造されたもので、この街に長く住む知人は、休日になると郊外の湖ヴァンゼーにこの車が浮かんでいるのを何度も見たことがあるそうです。東ドイツとの国境に接した湖の上を、乗用車がのんきに「走る」姿を想像したら、何となくおかしくなりました。
1949年から90年まで地図上に存在した西ベルリンとは、実に不思議な場所でした。周囲が東ドイツ領に囲まれた「赤い海に浮かぶ島」であり、ここを統治した西側の連合国にとっては、「西側のショーウインドー」という言葉に象徴される、繁栄を死守すべき場所でした。政治機能がなかった一方、同時に極めて「政治的な」西ベルリンを象徴したのが「壁」の存在でしょう。この展覧会でも、壁と共にある日常や、列車や車で西ベルリンを出入りする際の様子が大きく紹介されていました。
壁に囲まれながらも、西ベルリンには独特の活気とエネルギーが溢れていました。兵役が免除されたゆえ、この街に大挙して訪れた左翼系の若者によって形成されたオルタナティブ(前衛的)な空気。そして、出稼ぎ労働者としてやって来たトルコ人を始めとする多くの外国人によって、今日に続くベルリンの多様性が築かれていきます。印象に残ったのは、クロイツベルクの写真館の女性が1945年から93年までの長きにわたって収めた11点の家族写真。そこには街の住民構成が変わっていく過程がくっきりと映し出されており、掛け替えのないドキュメントになっていました。
「展示会場のエフライム宮殿
西ベルリン時代を語る上で欠かせないのが、第一級の「文化」の存在でしょう。戦後間もない頃に創設された国際映画祭、ベルリン・ドイツ・オペラ、カラヤンとベルリン・フィルが一時代を築いたフィルハーモニー、そして、新ナショナルギャラリー……。赤い海に浮かぶ摩訶不思議な島は、世界とも身近なところで繋がっていたのでした。
今も刻々と移り変わるベルリン。この街の行方を考える上でも、一見の価値のある展示内容になっています。開催は、6月28日まで。
www.west.berlin