今回は、キールでキーラー(キール出身者)によって考案・発明されたけれど、意外とその事実が知られていない物をあれこれご紹介したいと思います。
キールは造船の街として発展してきたため、当地では造船の街ならではの物がいくつか発明されました。その1つは「Uボート(潜水艦)」。日本のドイツ旅行ガイドブックでキールのページを見ると、たいていキール市についてよりも、キール近郊の街ラボー(Laboe)に展示してあるUボートについて載っていたりするので、ご存知の方は多いかもしれません。ヴィルヘルム・バウアー(Wilhelm Bauer)によって、世界初のUボート“Brandtaucher”号が造られたのは1850年のこと。別名「鉄のアザラシ(Der Eiserne Seehund)」と呼ばれた長さ8m、幅2m、高さ3.76mのこのUボートは現在、ドレスデンの軍事博物館(Milita¨rhistorischen Museum der Bundeswehr)に展示されているそうです。なお、現在でもキールの造船所ではUボートが建造されています。
2つ目は、1904年にヘルマン・アンシュッツ=ケンプフェ(Hermann Anschu¨tz-Kaempfe)が発明した「ジャイロコンパス(転輪羅針儀)」。聞きなれない名前ですが、地球の磁気の影響を受けることなく常に真北を指すこの方向測定器は、それ以降の船の航行に大きな役割を果たしています。
現在、ラボーに展示してあるUボート
3つ目は、1913年にアレクサンダー・ベーム(Alexander Behm)によって生み出されたもの。1913年と言えば、その前年のタイタニック号沈没を思い起こす方もいらっしゃるかもしれません。ベームはタイタニック号の悲劇の後、何とか氷山位置探知装置を作れないかと、研究に研究を重ねます。そうして考案されたのが、海底に向かって音波を送り、それが海底に反射して再び戻ってくるまでの時間によって水深を測る『音響測探機』です。
4つ目は、キール大学の物理学教授であったヨハネス・ガイガー(Johannes “Hans” Geiger)が1928年に発明した「ガイガー計数管」。これも私には馴染みのない名前だったのですが、放射線を検出する最も古典的な装置で、その簡便さゆえ、現在も使用されているそうです。
5つ目は、私自身の生活にも深い関わりのあるコンタクトレンズ。コンタクトレンズの原理を最初に考え出したのはレオナルド・ダ・ヴィンチと言われていますが、そのずっと後、1946年に世界で最初のプラスチック製コンタクトレンズを考案したのがキーラーのハインリヒ・ヴェールク(Heinrich Wo¨hlk)でした。それ以前はガラス製のものが使われていましたが、それは角膜全体(白目の部分も)を覆ってしまうなど、まだまだ問題点の多いものでした。それを現在の黒目の部分にだけ装着するレンズにしたのもヴェールクです。
こうしてみるとキールって、実は数々の発明を生み出したすごい街じゃないの! と思わず関心してしまった私でした。
福岡出身。2005年に渡独。夫と娘との3人家族。キール・フィルハーモニー合唱団所属の音楽好き。最近凝っているのは家庭菜園。