Hanacell

ネオナチ・テロの脅威

極右グループが、再び牙をむいた。旧東ドイツのテューリンゲン州やザクセン州を地盤とする「国家社会主義地下組織(NSU)」というグループが、2000年からの11年間にミュンヘンやハンブルクなどでトルコ人、ギリシャ人、ドイツ人の警官など10人を殺害していたことがわかったのである。隠れ家からは、被害者の写真などを使った犯行声明のDVDが見付かったが、その内容から、2004年にケルンで釘を入れた爆弾が炸裂し、トルコ人ら22人が負傷した事件もNSUの犯行であることがわかった。連邦検察庁は、外国人が狙われたほかの未解決事件についても、NSUが関わっているかどうか調べを進めている。

連続殺人事件が明らかになったのは、11月4日にアイゼナハで2人の男が銀行に押し入って金を盗んだ後、警官の包囲網に落ちたことから自殺し、乗っていたキャンピングカーに放火したため。ほぼ同時刻にツヴィッカウの隠れ家で爆発が起き、この家に住んでいたベアーテ・チェーペ容疑者が警察に自首した。キャンピングカーからは、2007年にハイルブロンの警察官が射殺された事件で使われた拳銃が見付かり、アジトの焼け跡には、トルコ人らの殺害に使われた拳銃が残されていた。捜査当局は、3人を支援していた共犯者がいるという疑いを強め、犯人グループの周辺を徹底的に洗っている。

NSUの3人組は、少なくとも12件の銀行強盗事件によって資金を稼ぎながら武器や爆薬を調達し、警察の目をかいくぐって全国で犯行を繰り返してきた。その残忍さと機動力は、かつてのドイツ赤軍派(RAF)を思い出させる。動機は明らかにされていないが、被害者にトルコ人が多いことから、外国人排撃のためのテロであることは間違いない。

この事件の最大の謎は、1998年にこの3人が国民扇動の疑いなどで、警察に自宅を捜索されたにもかかわらず、身柄を拘束されず、13年間も逃亡生活を続けられたことである。捜査当局は、アイゼナハで車が炎上するまで、一連の外国人射殺事件とNSUを関連付けることができなかった。しかも、テューリンゲン州の憲法擁護庁は、NSUのメンバーたちが以前属していたネオナチ組織に情報提供者を持っていたにもかかわらず、連続殺人がネオナチの犯行であることを突き止めることができなかった。

今回の事件には、憲法擁護庁の影があちこちでちらつく。NSUがカッセルのネットカフェでトルコ系ドイツ人を射殺した時には、現場にヘッセン州の憲法擁護庁の職員がいたことがわかっている。しかもこの職員は、ナチス思想の信奉者だった。また捜査資料の中には、「憲法擁護庁の職員が3人のネオナチの逃亡を助けた」という記述もある。

国内の過激分子の監視を任務とする憲法擁護庁が、情報を得るためにネオナチの犯罪者たちに便宜を図っていたとしたら、大きな問題である。メルケル首相は「今回の犯罪はドイツにとって屈辱であり、恥ずかしい事態だ」と述べ、捜査当局に対して事件の徹底的な解明を求めている。ドイツの捜査機関も、日本の警察と同じく、左翼に厳しく右翼に甘い傾向がある。特に2001年の米国での同時多発テロ以来、捜査当局の関心がイスラム系のテロ組織に集中したため、ネオナチに対する監視がおろそかになっていたのだろうか。

ネオナチが次々に殺人を繰り返しながら、10年以上も摘発されなかったことは、法治国家ドイツの大きな失態である。極右がこれだけ長期間にわたって計画的なテロを続けた事件は、戦後ドイツでは例がない。今回の事件はドイツの国際的イメージに悪い影響を及ぼす可能性もある。連邦検察庁は共犯者を摘発するとともに、事件の全体像を一刻も早く明らかにしてほしい。我々日本人もこの国では外国人であり、ネオナチの標的にならないという保証はない。その意味では、我々にとっても目を離せない事件である。

25 November 2011 Nr. 895

 
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熊谷徹
1959年東京生まれ、早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。神戸放送局、報道局国際部、ワシントン特派員を経て、1990年からフリージャーナリストとしてドイツ在住。主な著書に『なぜメルケルは「転向」したのか―ドイツ原子力四〇年戦争』ほか多数。
www.facebook.com/toru.kumagai.92
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