1月25日は、アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所が、1945年にソ連軍によって解放された日だ。今年もこの日、ドイツ各地で追悼式典が催された。アウシュビッツのガス室で殺害されたり、飢えや病気で死亡したりした約300万人の犠牲者を悼むためである。
歴史上、大量虐殺を行った民族は他にもある。しかし、ナチスはニュルンベルク人種法という法律によってユダヤ人を社会から疎外し、欧州各地から綿密なスケジュールに基づいて列車で強制収容所に整然と送り込んだ。そして、まるで工場の流れ作業のような手法を用いて、600万人を超える人々を殺害したのだ。このような民族は他にない。この意味でドイツ人が実行したホロコーストは、人類の歴史上例のない犯罪である。
ドイツの心ある人々はそのことを理解しており、敗戦から60年以上経った今でも追悼式典やマスコミの報道などによってドイツ人の名の下に犯された罪を心に刻む作業を続けている。
彼らは半世紀以上にわたって歴史教科書の内容を他の欧州諸国やイスラエルと協議して、双方にとって受け入れられる内容にしようと努力してきた。ユダヤ人虐殺のように悪質かつ計画的な殺人については刑法を改正して時効を廃止し、虐殺に関与した者が生きている限り、訴追の手を緩めない。
政府と企業は虐殺された市民の遺族、強制労働の被害者らに総額10兆円を超える賠償金を支払ってきた。ベルリンの「償いの証(Aktion Sühnezeichen)」のようなNGO(非政府機関)は、被害者たちが住む国々にボランティアを送って彼らに救援の手を差し伸べ、若者たちに過去を心に刻む作業を行わせている。
ドイツ人は日常生活ではあまり謝らないが、連邦政府はナチスの問題については徹底的に謝り続けて来た。故ブラント首相は、ワルシャワ・ゲットーの追悼碑の前で膝まずき、全身で謝罪の姿勢を表わした。その精神は歴代のドイツ政府に受け継がれている。
ドイツは10カ国と国境を接しているが、これらの国々のほとんどはナチスが侵略した国である。したがって、戦後旧西ドイツが生き残るためには、ナチスを糾弾し、「忌まわしい犯罪を二度と起こさない」という姿勢を行動で示さなくてはならなかった。彼らが60年以上前の出来事を今も繰り返し思い起こすのは、過去を水に流さないという姿勢が社会の主流 に属する人々の間では、アイデンティティーの一部 になっているからである。
ドイツには少数とはいえ、外国人に暴力をふるったり、ホロコーストの事実を否定したりする極右勢力が存在する。一部のネオナチ政党は外国人を社会保障制度から締め出すことを綱領に堂々と掲げている。旧東ドイツ地域では、こうした政党に票を投じて、州議会に議席を持たせる有権者が増えている。イスラエルのパレスチナ政策にからめて、ユダヤ人を公然と批判する論客も目立ってきた。
その意味でナチスの犯罪は、ドイツ社会に今も大きな影を落としており、民主主義を守るためには無視できない問題なのである。
9 Februar 2007 Nr. 649